第三十一話 『繋がりたいから、私は仮面を』
【キャロル③】
怖かったんだね、キャロルは。『守護者』の称号がなくなった時、友人だと思っていた人たちが実は魔王玉欲しさに近づいてきたって明らかになるのが、怖かったんだね。自分の力で誰かを殺すには臆病で、沙智を見逃したのだって本当は気づいて欲しかったのかもしれない。自分がまだ仮面を被ってたんだって。あれ? だとしたらギニーは何で……?
教会地下一階、聖域のフロア。
真っ白な祭壇の前まで突き飛ばされた男の体から黒い光が抜けていく。
「お前も……本当はステラと……同じだったのか?」
ギニーという男がこのような事件を起こしたのはなぜか。
考えてみたけれど、この聖域のように真っ白で。
「やっぱり……分かんないや」
やがて彼の体から搾り取られるように最後の穢れが浮かび上がり、無限に続く白昼夢の道へギニーは旅立っていった。その死に顔はどこか悔しそうで、悲しそうで。俺に向けられた感情だと感じたら、通りに置いてきたリュックからただ一枚持ってきたタオルを顔に被せることはもうできなかった。
「じゃあな、ギニー」
帰ろう、みんなの下へ。
「……あれ?」
踵を返そうとした瞬間、ふと脇腹に違和感を覚えた。
徐に視線を落とすと――。
空気を破る雷の槍がビリビリと俺の脇腹を貫いていた。
「うぅ」
何が起きたのか理解できなかった。
理解できないまま、重心を崩して糸が切れたマリオットのように崩れ落ちる。
せめて何が起きたのか知りたくて、倒れて痺れる体を何とか起こして祭壇に背中を預ける。薄っすら白くぼやける視界の先に見つけたのは、馴染みのある声。
『――お前は本当に何者なんだ?』
ギニーが俺に二度問いかけたセリフ。
最後の仮面が破れていく。
◇◇ リトルエッグ ステラ
魔獣発生からおよそ八時間。
このジェムニ神国に最も重大な被害を与えたのは間違いなくエタンセルバードだ。上空を移動するためこちらが中々攻撃を当てられない一方で、向こうは適当に火を吐き散らすだけで甚大な被害を与えられる。ましてや、この魔獣は『主』。そう簡単に討伐されるはずがない。
そんな炎の鳥が今、広場に中心に落下した。
「ナイス、トオル。『砲撃』で上手く誘導してくれて」
「ステラが『テンペスト』で仕留めてくれなかったらどうしようかと思いましたよ」
私とトオルが手を重ねてお互いの健闘を称え合った瞬間、周囲から湧き上がるように歓声が上がったよ。それだけエタンセルバードが恐怖の象徴のように思えたのかもしれない。この魔獣は意外とライフポイントが少ないから、攻撃が当たれば簡単に倒せるんだけどね。
「ソフィーも支援魔法ありがと」
「いやあ、別の人にも支援かけてる最中だったから効果が薄くてごめんね」
頬をポリポリ掻きながら微笑み、おっとと口を手で塞ぐソフィー。
彼女の何かを隠すようなこのあざとい仕草を見るのはこれで何度目かな?
別の人。
そう聞いて急に走り去った沙智を思い出すのは、どうしてかな?
あいつは今、どうしているだろう?
「――お見事だな」
ふと声がした方へ視線を遣ると、灰色のベストを着飾った初老の男が姿勢正しく歩いてこちらにまっすぐ向かって来たんだ。トオルやソフィーは誰かと首を傾げたけれど、私には見覚えがあった。彼は先ほど、このリトルエッグで繰り広げられた私とギニーの戦いを観衆の最前列で見守っていた男である。
私は怖かった。
だって、彼は私が瘴気を扱うところも見て――。
ざわつく心を何とか鎮めようとしていると心臓が飛び出るほど驚いたんだ。
彼は早足で私との距離を詰めると、ぎゅっと両肩を掴んだから。
「君に確かめたいことがある!」
「え?」
「あの魔王……君との戦闘で雷魔法は一度も使わなかったな?」
「は、はい」
咄嗟の事だったから私も素直に頷いちゃった。
彼は私の肩から手を離して「急にすまない」と一言詫びると、南門の数メートル左上に位置する外壁上の小さな窓へ視線を遣って眉をひそめた。その表情はどこか厳しく見える。
「いや、門の制御装置が昨夜十時にエラーを起こすような時限的な仕掛けが施されていたんだ。精密な機器にそれだけの細工をできる洗練された雷魔法の使い手だ。あの魔王でないとすると、まさか協力者がいるのか……?」
「ああ、それならキャロルが……あれ?」
熟考する男にトオルが何をを説明しようとして、すぐに口を噤んだ。そのまま表情をどんよりと曇らせ、左手の親指と人差し指で前髪の真ん中付近の髪をがっしり摘まむ。トオルは男に倣うように長考を始めたんだ。
キャロルがどうしたの?
そう尋ねようとした時にもう一人の客が訪れる。
「これはこれはチャド様ではありませんか。いらしていたんですね」
「む、オーウェンか」
通りの方から軍人たちの間を割ってこちらにやって来た彼は広場防衛戦線の影の主役とも言えるだろう。攻撃の支援に回ったソフィーの代わりに傷ついた人の治療はほとんど彼一人でやっていたものだ。
誰に対しても丁寧に接するオーウェンさんだけど、特段この男――チャドという男には胡麻を摺るような態度だった。どうやらこの男はオーウェンさんよりよっぽど立場が上の人物らしい。
「聖域の警備はどうなってる?」
「敵の狙いは魔王玉がある聖域です。苦渋の策ではありますが、『守護者』の権能を解除して魔王玉を教会から別の安全な場所へ移動させました」
『魔王』の力を底上げするというアイテム、魔王玉。
ギニーには絶対に渡せないけれど、聖域の結界を事実上消滅させる選択を、チャドという人はどう見るのかな。彼に再び視線を遣ると、眉を顔の中心線に寄せ、訝しそうに端的に。
「……魔王玉? 何だそれは?」
「へっ!?」
「し、知らないんですか?」
私の口からも驚きで咄嗟に声が出た。
沙智がキャロルから聞いたという魔王玉、この辺りでは随分有名だった。旅館の女将さんも、金魚すくいの露店前で出会ったメルという少女も、誰もが知っていた。
単なるチャドという男の知識不足?
それだけで済まない気がするのは、なぜ?
「――――」
私たちが嫌な予感を覚える中で、トオルは前髪から指を離す。
何かに気づいたように、目を大きくひん剥いて。
「どうしてこのタイミングで門を封鎖したのか分からない、確かにキャロルはそう言って事態が予想外であるかのように語っていました。でも実際は――」
◇◇ 沙智
「お前は本当に何者なんだ?」
女はその目に見れば凍えるほど冷酷さを宿していた。
白いシャツを脱ぎ捨てて右肩に掛け流し、上半身を薄く覆い隠すインナーシャツの漆黒が、部屋の白さとは酷く対照的に禍々しく映えている。こちらに向けている左手の小指には彼女が俺の腹を貫いたのだという証明が、雷を発した際の火花としてじりじり残っている。
「な……んで……キャロル……っ」
仮面は全て破れた、そう思っていたから唐突に現れた彼女への声は震えた。
目の前で肩幅程度に足を開き堂々と聖域の扉を越えて佇む彼女を、俺は一度も見たことがない。俺の怯えや疑問に対しても一切顔色を変えず、まるで洗剤で洗い流したかのような無味無臭の表情だった。
女は左腕を下ろし、混乱を露わにする俺にまずはこう告げる。
「本当にお前は鈍いなぁ」
底知れない侮蔑がこもった一言。
片目を閉じて冷笑する女の悪びれない姿を前に、心から何かが抜け落ちていく感覚に陥る。その何かとは、この数日間で葛藤や軋轢を越えてキャロルと培ったと思った信頼であり、期待だった。
これは俺の早とちりでも、間違いでもない。
心の抜け落ちた場所を埋め尽くしながら、どろどろじわじわと湧き上がって来た怒りに唇が微かに震えた。俺は、また騙されたのだ――。
「いいか? そもそも『魔王玉』なんてアイテムはこの世のどこにも存在しないんだよ」
何を言っているのかさっぱりだ。
最後列の長椅子に足を組んで行儀悪く座ると、彼女は俺の背後の祭壇で黒く光り続ける悪魔の落とし物についてこの事件の根底を揺るがすような事実を語り出すではないか。
魔王の力を増幅させるアイテム、魔王玉。
それが実在しないとなれば、ギニーは何のために戦ったのか。
「祭壇の……」
「ああ、それか? それは『封印玉』という、全く別のアイテムさ」
「……は?」
俺はそのアイテムの名前を聞いたことがあった。
キャロルに連れられて向かった店で、山姥の婆さんを倒す際のことだ。
――相手の魔力や特別な力を封じることができるんだよ。
そう言えば山姥の婆さんがこうも言っていた。
封印玉がジェムニ神国のどこかに祭られていたと婆さんが首を捻ってそう呟いた時に、それを即座に信憑性のない噂と言って否定したのは、確か――。
歴史のどこかで封印玉の事実が魔王玉の噂と入れ替わった?
微かに眉が動いた俺の表情の変化をキャロルは察知して僅かに口元を綻ばせ、「少し昔話をしようか」と事の顛末をゆっくり語り始めた。
「昔々、ある魔王が勇者との戦いの末、その力を封印玉に奪われた。当然魔王は力を取り返そうと封印玉を探したが、それはすでに聖域という金庫の中に厳重に保管されていたんだ。どう作ったのかは知らねーが、『守護者』なんていうオートロックシステムまで用意してな。力を奪われた彼女には残念なことに聖域を破れるだけの力が残っていなかった」
キャロル背後の鉄の扉に忌々しそうな視線を送り、深く溜息。
奪われた力の在り処をようやく発見したのに届かない。その歯がゆさが女を狂気的な行動へ誘導する。
「人間を利用して魔王玉を奪還するには『守護者』の権能が邪魔だった。そこで魔王は、当時の守護者を務めていた男を謀り自らが『守護者』の称号を手に入れた。以降、何代にも渡って称号を引き継いできたと思われたのは、全て魔王一人の演技だった。じっくり待つことにしたのさ、結界を破れる者の到来を」
時間がかかってでも確実に力を取り返す。
まるで、希少魚を求めて海べりで釣り糸を垂らす釣り人の境地だ。
そして悪魔が選んだ疑似餌こそ――。
「『聖域には、魔王の力を何倍にも増幅させる特殊なアイテムがあるそうですよ』――最初はそんな噂に誰も耳を貸さなかったが、数百年も経てば事実は書き換えられる。この国に封印玉があると知る者は少なくなり、とうとうユニークスキル『上位結界破り』の種を持った魔王が疑似餌に食いついた」
死して言葉無くす男を女は嘲笑うかのように見下した。
つい数時間前にこの聖域で聞いた彼女の話の何もかもが、嘘だった。
全ては計画通り。
女は積年の願いに王手をかける。
「後は従うふりをしてギニーに結界を破らせ、噂とは異なる宝玉を前に戸惑う馬鹿を後ろから……ブスリッ!」
まるで自分の心臓にナイフが突き立てられたようでゾッと悪寒が走った。
この金髪の化け物に人の心は微塵にも存在しない。ギニーを神話に登場するような恐ろしい魔王だとするのなら、目的のために彼さえ操ろうとしたこの女は、得体の知れない悪意だけを抽出してドロドロに掻き混ぜ、固めたかのような邪神そのものだった。
そして、女はついに真名を明かす――。
どこまでも人を蔑むような笑いとともに。
「これが私――雷を鬼の如く統べる王――『雷鬼王』の“リバイバルストーリー”だったんだよっ!」
『雷鬼王』――。
教会地下二階の壁画を前に、他でもないこの女から聞いた話だ。
言うなら、大魔王候補生。
「この地下でお前にそう名乗った……って言うのは意地悪か?」
女はシャツを長椅子の空いたスペースに放り、その上に秘密の首飾りを無造作に投げ置いた。やっと見えた彼女のアイコンに、もう驚きさえしない。
レベル50。
封印玉に力を奪われ、弱体化してのレベルである。
こんな桁違いの化け物が平然と隣で呼吸していたという事実が恐ろしかった。
「全部……嘘……? 何もかも……?」
やっぱり、甘かったのだと思う。
その証拠にまだ消えない彼女への淡い希望を、キャロルは横になって腹を抱えて笑い転げることで完全に切り捨てた。そして椅子から立ち上がると、行儀よく体の手前に両手を重ね合わせてすっと表情を切り替えるのだ。
「気さくに話しかけてくれる優しいキャロルに少しくらい魅力を感じてくれましたか? そうだと私も頑張って演じた甲斐があります」
「――っ」
一歩、明るく振舞ってとっつきやすい浮かべたのは笑み。
でも言葉の中にいたのは仮面の裏側の悪意だけだった。
「冷たく取引を迫るキャロルに少しくらい疑惑を感じてくれたか? だとしたら恐怖以外を表現できた私の苦労を称えるとしよう」
二歩、他人を見下し嘲笑う悪意の中に微かに匂う疑問と可能性。
雷鬼王に最も近く、でも確かに異なる仮面。
「涙ぐんで膝を抱え込むキャロルに少しくらい本音に近い思いを感じてくれたか? それなら私の嘘も捨てたもんじゃないな」
三歩、落ち着きのある素直な声に本当に悪意か錯覚する言葉。
もう、やめろ――。
「ホ、ホントのお、お前は……っ!」
一体どこにいる?
その続きの言葉を遮るように、女は祭壇前の一番手前の長椅子の列で立ち止まった。もう、祭壇に倒れ込む俺と数歩しか距離は無い。肩や首元、腹が露出したその格好にいつもなら鼻を伸ばす俺も、この時ばかりは雑念を一切抱かなかった。ただ、ほのかな聖域の光なんて無意味なほど真っ黒な笑みを浮かべる女の目に釘付けだった。
「お前らじゃギニーを倒せないと調査を済ませた時点で、私は三つ目の仮面を解禁した。だってギニーと望んだ共犯者を演じ続けるより都合がいいだろ? 雷鬼王として復活した後も、地盤を築いたこの地に『キャロル』として根付けるのだから――」
両腕を軽く広げて、キャロルという仮面に欺かれた全ての人々を嘲笑うかのように女は告げた。しかし、これが不思議なことに、女はすぐさま腕の力を抜き、今まで表情に張り付けていた嘲笑を掻き消す。真剣で、僅かに憎しみのこもる鋭い眼光はまっすぐに俺を捉えている。
「ただ一点、計算外があったとすれば――それはお前だよ」
空気が重く、冷たく変わったのを感じた。
もし、俺が『勇者』にならなければ。
もし、俺がギニーを倒せなければ。
もし、最後の『聖撃』が僅かに逸れて、聖域の結界を破壊しなければ。
計画は狂い始め、成功する確証は無くなった。不安と安堵が複雑に入り組む中、まるで女は俺がお伽噺の世界から登場した別世界のヒーローとでも思っているかのように投げかける。
「だからこそ、ギニーの言葉を借りてもう一度問おう」
「――――」
「お前は、何者だ?」
俺はまだ何者でもない。
夢の羅針盤を探して、何かになる最中の中途半端な何かだ。
でも俺は何も答えなかった。
恐怖が寸前まで近づき、声が上手く喉を越えなかったから。
もう目を開けているのが辛いほど、体が深い眠りへ沈みそうだったから。
「まあいいや。ここまで私の掌の上で足掻いた者は他にいない。この地下でコフキールの存在を知ったお前を生かすつもりはないが……誠意は払おう。今度こそちゃんとした取引だ」
取引……?
キャロルが俺を殺して終幕ではないのか?
そう思って閉じかけた瞼を薄っすら開き、やっと見えた。
初めて、雷鬼王の仮面の裏の素顔が――。
「封印玉を差し出せ。お前が敗北を認め、誠意を見せてくれるなら、これで手打ちにしよう。お前の友人とやらが生きている時代で、私は何もしない。雷の大魔王の誕生は先延ばしだ」
彼女は恐れているのだ。
この絶体絶命をひっくり返す何かがまだ俺にはあるのではないか。
自身の計画を後一歩でご破算にされるところだったのだ。徹底的に調査をし、俺にはキャロルの掌から抜け出せる力がないと判断したはずなのに。それでもギニーを倒した俺が怖いのだ。
だから、降伏を要求した。
もう俺に戦意がないことを誰よりも確かめたかった。
「…………」
雷鬼王の素顔の一端に気づいたと同時に、俺はここが聖域だと思い出した。
頭に浮かんだ一発逆転のギャンブル。
玉響とも言える時間に賭けられるだけの願いがあるのか?
「お前は……またキャロルを演じるのか?」
この質問自体に意味があったかは知らない。
音は掠れながらも何とか喉を脱出し、小さく空気を震わせた。それを聞き取りづらそうにキャロルは眉を顰めて咀嚼し、「ああ、そうさ」とまた不敵に笑って、雷鬼王としてこう答えるのだ。
「人を騙すために、人は仮面を被るのだから」
波紋、正体を秘密にしていたことなんてどうでも良かった。
その涙が何よりも嬉しかったから――『もう少しだけ傍にいたいって』。
人は無数の仮面を被る。
様々なコミュニティーに応じて被る。
それはなぜか――。
「……誰かと繋がりたいからに決まってんだろ」
「何か言ったか?」
もう、雷鬼王の耳に俺の言葉は届かなかった。
騙すために仮面を被る者。
繋がるために仮面を被る者。
この魔王の生き方は、泣いて、悔やんで、苦しんで、辛い決断を下そうとしたステラの願いを否定する。だったら、似合わなくたって、分不相応だって、最後の一瞬まで戦うことを選んでもいいんじゃないか? それが抑えきれない衝動なら、この願いを賭け金にしよう。
「――やるよ、封印玉」
祭壇に手を掛け、覚束ない足で何とか立ち上がり、俺は右手に封印玉を掴んだ。キャロルは何も言わずに動き出した俺に一瞬警戒の色を強めたものの、言葉を聞くと満足そうに頷く。取引に応じて俺が降参の意を示したと考えたのだろう。キャロルは右脚を前に出し、俺の手元からは封印玉が失われる。
「な……」
ぷつりと風船が割れるような声の出どころはキャロルだった。
自分に向かって山なりに飛んでくる宝玉。数百年以上、待ち望んだ宝石が宙を舞う――それが心を焼き尽くすほど恋焦がれたものであれば、簡単に視線を外すことはできない。
だからこそ、彼女はすぐに反応できなかった。
死に物狂いで祭壇から掴み取った聖剣の鞘から、ぐっと柄を掴む右手に力を込めてその刀身を引き抜こうとする俺の挙動に彼女は目を丸くする。
誰も選んだことのない聖剣だ。
俺自身も拒絶された聖剣だ。
一瞬の隙を狙った逆転劇には無謀な賭けだと知ってる、でも――。
「――っ!」
痺れて、疲れ切って、壊れかけている腕に無理やりエネルギーを注ぎ込め。
もう意地を張って隠さずに、心の内から漏れ出す衝動を注ぎ込め。
「聖ぃ」
俺はまだステラに返信の一通も書いてないんだ。
生じた願いに応えるように、錆びついた鞘はミシミシ軋むように音を立て、鞘と柄の鈍い夜色を破って無数の青い光たちが弾け出る。その温かい光に俺は祈る。
「撃ぃ」
千年もの間、抜かれることのなかった剣は日の目を浴びるとともに崩壊を始める。魔力が一欠けらも残っていない持ち主の思いに静かに頷き、崩壊とともに自身をエネルギーの塊へと変貌させた。それを目にしたキャロルの顔色がみるみる変わっていく。
頼む、世界を救う格好いい勇者だなんて認めてくれなくていいから。
せめて、仮面の下で涙を隠して一生懸命歩き出そうとする誰かの素顔に。
寄り添いたいという願いを、認めてくれ――。
「ライ」
「砲ぉぉぉぉ――!」
キャロルの指先に生じた閃光を掻き消して青白い光は解き放たれた。
この間、実に二秒と少しの出来事である。
【キャロル④】
それが、雷鬼王と正体を明かした彼女が次に被ることにした仮面なんだ。千年の時を経て復活した魔王はこれからも「キャロル」という仮面を被って生きていく。然るべき時に、雷の大魔王としてこの世に君臨するために――。
そう、沙智が玉響の賭けに勝たなければ、そうなるはずだった。
※加筆・修正しました。
2020年7月24日 一部キャラの口調変更




