9.妖美な妖弧
■前回のあらすじ
・猫又が相手の考えている事を読み取れると判明。
・クロは妖狐に察知されないほどの速度で移動出来る疑惑。
「あーあと、ちょっと気になっていたんだがシロは以前からクロの事を知ってるような口ぶりだけど、それは猫又になる前から――」
「お待たせー」
そいつは突然やって来た。
突然背後から声をかけられ、通常であれば驚きの感情だけであっただろう。
だが、その陽気な声から感じたのはいきなり何もない砂漠に立たされたような強い不安感と絶望であった。
ゾクゾクと全身に鳥肌が立ち、背筋に一筋の冷や汗が伝う。
「ふあぁ~……やっと来たか」
眠気眼を擦りつつ起き上がるたまと、いつの間にか起きていたクロも背後にいるであろう者に目を向いているが、俺は背後から感じる刺すような気配に動けないでいた。
不安感と同時に押しつぶすかのような強い存在感を背中に感じ、もう一つの冷や汗が背中を濡らす。
「んーっと、この子がクロで、こいつが飼い主の……ちょっと、こっち向きなさいよ」
そんな事を言われても俺の体はいう事を聞いてくれなかった。
全身に鳥肌が立ち、指先が震える。
筋肉が強張り、思うように動かない。
「にゃひっー! やっぱりこいつ面白いにゃー!」
そんな俺をシロが腹を抱えて笑い転げている。
体は動かないが、シロの頬はもう一度引っ張る必要がある事くらいは頭は回っていた。
「あら、懐かしい表情ね。久しくそんな顔見てなかったわ」
ふいに左上からそんな声と共に声の持ち主の顔が視界に入ってきた。
金色の髪に金色に輝く狩人の瞳。
近すぎることもあり、それしか分からなかった。
「どうやらサキ様の妖気に怯えているようです。我ら猫又の妖気には熱いと言っていたのですが、人間にはそのように感じるのですか?」
小次郎が先ほどの疑問をサキとやらに問う。
真っ先に問う辺り、小次郎も気になっていたのだろうか。
それに対してサキは俺の顔を覗き込むのを止め、小次郎を見た。
「んー、そうねぇ。確かに先の戦闘では妖気をだだ漏れにしただけで人間が死んでしまった場面はあったわねぇ……直接人間から聞いたことは無いけど、そうかもしれないわ。ほら、転移門閉じたからもう大丈夫でしょ」
言われて体が少し楽になっていることに気付く。
指先が微かに震えるが、全身の鳥肌が止まっており、汗も精神性発汗ではなく猫又の妖気から感じる熱による温熱性発汗になっていた。
未だ震える手で太ももを強く押さえながら立ち上がり、恐る恐るサキの方へと体を向ける。
「やーっとこっち向いたわね。初めまして、私はサキ。貴方にとっては長い付き合いになると思うからよろしく」
サキと名乗った者は妖美な姿であった。
猫又と同様に頭に獣の耳を持ち、背後には複数の狐の尾が見えていた。
服装は猫又の特徴的なものとは異なり、大きな青い彼岸花の柄が入った橙色の普通の形の着物を着ている。
ただ、豊満な胸元が見えてしまえるほど着崩していた。
百八十近くの高身長でスラっとしたモデル体型であり、着物のスリットからチラつく右足が何とも色っぽい。
サキという妖怪は、妖美という言葉を具現化したかのような姿をしていた。
「……このクロの飼い主の滝沢恭介だ」
俺の腕にしがみ付いているクロの頭にポンと手を乗せながら簡単に挨拶をする。
他に何か言うべきか少し考えてみたが、サキが何を求めているのか全く分からない事に気付きそこで口を閉ざした。
「サキ、かなめに伝えた通りだ。クロが猫又の長になり得る存在だった事とクロをしばらく恭介に預ける事、サキ自身の目で判断してくれんかの」
「預ける事に許可するわ」
「…………えっ」
たまの言葉に対してのサキの返答は少しの間を開けることもなかった。
全く悩む素振りも無く下りた許可に戸惑ってしまう。
妖怪と人間との共存というのはそんなにも簡単に許可されるようなものなのだろうか。
もしかして、そういうのは結構日常茶飯事で周知されていないだけなのだろうか。
いずれにせよクロと離れ離れにならず一安心である。
「ただし、恭介には条件がある」
実は何にも考えていないのでは無いか、と失礼な事を考え始めたところにサキの口から出た条件は厳しいものであった。
クロはサキの後釜、すなわち数千、数万の妖怪達の上に立てるような存在に教育すること。
人間に預けるという危険を冒すのだから、それだけの見返りが無ければ認められない。
手始めに種族の長に必要な事をクロに教え、それを十日後の各種族の長が集まる長の間にて話すこと。
当然、他の人間にクロの存在を知られないこと。
サキはそれらを俺の目を一瞬も外さずジッと見据えながら述べた。
「何か質問は?」
「ま、待ってくれ、そんな妖怪の上の立場に立つような存在になれるように教育するなんて……第一、俺は人間なんだ。人間の上に立つ者ならともかく妖怪の上なんて出来るわけが……」
「そう、それが貴方の答えならクロとの最後の十日間を悔いが残らないように過ごす事ね」
「くっ……」
サキの眼に慈悲なんてものは無かった。
拒否も逃避も許さない。
言う事を聞けないのであればクロを回収するだけ、そうサキの眼は語っていた。
……いや、慈悲は最初からあったじゃないか。
たまはクロを実力行使で連れて帰らず、サキに会わすという手段を取ってくれた。
こちらから何か言ったわけではないが、猫又であるたまには俺の考えなど筒抜けであったはずだ。
それでたまが提示した内容は俺が求めていたものになっていたではないか。
たまはこちらに言うこともなく譲歩していたのだ。
サキも危険を分かった上で人間と妖怪が共存するための条件を提示した。
対して俺はどうだ。
クロの飼い主だから共に過ごすのが当然、と何の疑問も抱かなかった。
唯一心配したのはこいつは本当にクロで合っているのだろうか、という点のみ。
それはあまりにも自分勝手ではないか。
サキが出した条件はもしかしたら無理難題なものかもしれない。
だが、要望が通るのが当たり前となどと考えていた俺に出す条件としては十分過ぎるのかもしれない。
それにやる前から無理だと頭ごなしに否定するなど、クリエイターの名折れだ。
そうだ、俺はいつだって挑戦してきたじゃないか。
ただ今回は失敗出来ない挑戦なだけだ。
いつも通りの事じゃないか。
「……分かった。その条件で良い、十日後判断してくれ」
「そ、じゃ、十日後にまた会いましょう」
サキは軽い口調で答えたが、眼は終始俺の目を見据え鋭いものだった。たまもそうだが、妖怪というのはこうも相手の内面を見るかのような鋭い眼光をしているのだろうか。
「ふーん?」
そんなサキの眼線は、たまの何か含みのある声によって俺から外された。
「何よ」
「いんや? 人間に対しても変わらないんだなぁって」
「人間だけの問題じゃないでしょ」
「それもそうだ」
二妖の話はそこで終わった。
それ以外の話は特に無いらしく、サキは早々に踵を返すと手をひらひらと振りながら、後は任せるとたまに言う。
そして、サキはそれを出現させた。
最初、それは手のひらに収まる程度の小さな青い炎であった。
サキがこちらに背を向けていたため出所が分からなかったその青い炎は、フヨフヨと空を漂いサキから少し離れたところで徐々に大きく変形していく。
青い炎が大きくなるのに合わせるように、サキが来た時にも感じた不安感も強くなっていく。
妖怪の空間に漂っていた空気といい、サキの炎から感じるこの感覚といい、妖気から感じるこれらは慣れることは無さそうだ。
サキが出した青い炎は、最終的にはサキが丁度通れるほどの長方形へとなった。
出来上がったその炎の壁に、サキは何の迷いもなく体を沈ませていく。
最後に尾てい骨付近から生える狐尾が炎の壁に沈むと、炎の壁は一瞬激しく燃え上がり、不安感と共に消滅するのであった。
「さて、クロ達を転移門まで送ったら一眠りでもしようかのう」
サキが消えたのを見届けると、たまが欠伸混じりに座っていた岩から腰を持ち上げた。
一瞬こちらを見てそのまま何も言わずに石造りの鳥居へと歩みを進めるので、俺もそれに少し焦りながら続く。
これ以上話すことは何もないとばかりの態度に、更に襟を正す思いである。
「にゃ、シロはこれで失礼しますのにゃ」
「うむ、気を付けて帰れよ」
猫又の間を潜った後、シロはたまにペコリと頭を下げ、暗い森へと姿を消した。
それからは猫又の間を出た後は来た時と同様、たまを先頭に無言で道を進んでいく。
進みながら今後の事を考えようかと思ったが、纏わりつく不快な空気がそれを邪魔する。
仕方ないので、目の前でピコピコと忙し無く動くたまの猫耳を眺める事とする。
何故か背後から感じるミケの目線を受けながらも、猫耳を見ながら黙々と進んでいた。
だが、鳥居までもう少しというところでその猫耳がピン立ち上がった。
■登場人物紹介
【妖狐のサキ】
・金色の長い髪と複数の尾を持つ妖艶な狐の妖怪。
・全てを見透かすような鋭い狩人の瞳を持つ。
■種族紹介
【妖弧】
・狐が妖怪となった姿。
・頭には狐の耳、お尻の付け根からは複数の狐の尾を生やす。
・空間移動の狐火を操る。
・種族の服装として少し作りが異なる着物を着用する。
・妖狐の妖気は人間には、不安や不快感を与える。




