主人公になれ
自宅にて。
琉星はミオの協力で、右目の包帯を巻き直し、アルヴァの手によりヒビが入った右腕の補強。更に佐神に掴みかかった瞬間、燕とかいう女に貫かれてしまった左手に、新たな包帯で治療を施していた。
「リュアから聞いていたけど、本当によく怪我をする体質なのかな。お兄様、大丈夫?」
「あぁ……」
ミオの心配そうな問い掛けに、琉星は生返事を返すばかりである。
それもその筈だ。
リュアが既にあの佐神の手の中にあり、その佐神が日本国の権力を持ってして、戦争物質の所有権を主張している。
楽土の人間にはとても届き得ない、高過ぎる壁が、目の前に立ちふさがってきてしまった。
「最近……」
「お兄様?」
「リュアの正体が戦争物質だとか、リュア本人が自らの力に恐れを抱いているとか……段々、あいつの存在が自分より遥か上にいるんじゃないかって感覚は、感じてはあった。それでも、俺がリュアの前で笑って見せたり、何も根拠がない言葉を投げ掛けていたのは、もしかすると……ただ強がっていただけ。自分なら大丈夫だって、勝手な想像をしていただけなのかもな」
身体の痛みを上塗りする様な、胸の奥を突き刺してくるこの痛みは何だろうか。
アルヴァからレジダプアの後を追いかけているだけではないか、と言われてから始まって、反抗すべき相手が他国の要人だと知った瞬間に、痛みは現実のものとなった。
琉星は右目を押さえつつ、小さな声で呟き続ける。
「二年の間、ずっと主人の隣で戦い続けて生きてきた。だから、いつの間にかあの人が手本になってて、あの人の影を追い掛ければ上手く行くと、そう信じていた……それでも、限界はいずれ訪れるもんなんだ……くそっ」
「それが……今、ってこと?そんな、でも……」
ミオの言葉を遮る様に、歯を食い縛りながら怒りに満ちた声を挙げる。
「相手は本物の権力者だ!俺たちがどうこう口出し出来る様な存在じゃない!そんな奴に逆らいさえすれば、リュアだけじゃない……お前だってどうなるか分かんないんだぞ……!」
「……!」
怒っているのは、偉華坂やミオに対してではない。
こんな重要な時に恐怖に支配され何も出来なくなってしまった、自分自身に対してだ。
「だけど、リュアが自分で言っていたことだ。共に居ることを危惧することはないのか、迷惑を掛けるくらいならいない方がいいんじゃないか、って。もし、それがリュアの本当の望みなんだとしたら……黙って見送ってやるのも、ある意味はあいつの為なのかもしれないな……」
「お兄様……」
この状況が、もしリュア本人が望んでいたことなのだとしたら、自分が抗うこと自体が無意味に成りかねない。それは同時に、彼女の意志に反した行動に繋がる可能性もある。
絶対的権力に反抗することが正しいのか、現状に身を任せた方が正しいのか……彼女なら、レジダプアなら、どう判断するのだろうか。
ミオもどうすれば良いのか分からないと言った様子で視線を落とし、部屋の中が気まずい空気に支配され掛けた。
その時のことだ。
突然、部屋の扉が開け放たれ、車輪が回る音が聞こえてきた。
顔を上げた琉星の視線の先に現れたのは……。
「……レジダプア……!?」
彼女は、相変わらずの不敵な笑顔。
いや、違う。
珍しく不機嫌そうな表情で琉星を見つめてた。
「琉星クン、久しぶり」
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
身体の動きがままならず、とても不快な感覚と共にリュアは目を覚ました。
どうやら、四肢が鎖で固定されている様だ。
目覚めたと同時に、肩に響く凄まじい激痛。
クラクラと揺れる視界の中、自分を見つめる視線があることに気付いた。
「……ぅ……あな、たは……」
「お目覚めですか、姉さん」
姉さん、という言葉に一瞬衝撃を受ける。
だが、それを発した人物を目にすると、成る程と納得して溜息を吐いた。
彼女は、リュアの構築構造をベースにして作られた姉妹のような存在、久遠だ。戦いの最中で突然そう呼び始めた時は驚いたが、今は反論する気迫も起きなかった。
「……その右腕……大丈夫……?」
膝を抱える様にして目の前で座っている久遠の右腕が、変形していることに気づくが、彼女は特に気にしている様子もない。
「問題ありません。現状、最低限の応急処置は施して形を保ってはいますが、後ほどエンジニアに修繕して頂く予定です」
「そう、ですか……」
安心して安堵の息を吐く。
しかし、一方の久遠はリュアの発言の方が気に掛かっている様だ。
「それは哀れみですか?安堵ですか?」
「えっ……?」
「理解不能です。姉妹の立場とは言え、久遠と姉さんは明確な敵。この右腕も、久遠の攻撃手段を奪う為の処理であった筈。ここまでのことをやっておきながら、最後は久遠を庇った……何故ですか?姉さんは、今、どんな感情で、久遠を見ているのですか?」
一体どんな誘導尋問なのか。
意図は分からないが、思考を巡らせる余力も最早残ってはいない。それに、こうなってしまった以上、逃げることも出来ない。
そう感じ取っていたリュアは、ぼんやりと自らの考えを包み隠さずに口にした。
「もう私は、誰かを殺すことも、見殺しにすることも、絶対にしないって、誓ったんです。だから、あなたが許容の限界を越えて私の力を扱っているのを見て、ジッとしていられなかった。だって、ああやって腕を破壊しなければ、あなたは複製した私の力に壊されてしまっていただろうから……」
「……!殺されていた?久遠が、ですか?」
灼線の力は相当のエネルギーを要する。
それすらも複製した久遠の力には脱帽だが、流石に制御がしきれなかったのだろう。灼線を放つ度に、腕が軋むのが目に見えていたのだ。
だからこそ、リュアは心の中でひたすらに謝りながら、久遠の腕をへし折った。その後、不測の銃撃から久遠を守ったのも、同じく彼女の命を守る為にやったことだ。
「尚も理解不能。何故、傷だらけになってまで他人を庇うのですか?」
「教えてくれた人が、居るんです。私の行動理念は“人を守ること”。その為に、私は精一杯に戦うことが出来ている、と。とても嬉しかった。自分の信じた道が間違っていないこと、疑いながら進んだ道が正しかったと、知ることが出来たから」
二ヶ月前のあの時に、リュアは既に救われていた。
それから今日まで、戸惑うことも多くあったのかもしれない。
だが、間違いなく、彼のお蔭で毎日が充実していたのだ。
生涯、二度と訪れることがない、幸福という充実感を、胸一杯に味あわせてくれたのだから。
「……それにしては、ここから抜け出す意思すら見られませんが……」
久遠の物言いに、リュアは初めて鎖を鳴らしながら前のめりの体勢になり、久遠を真っ直ぐに睨んだ。
「恩人を危険に晒すくらいなら、自ら消えた方がまだマシです」
「……恩人の為……自らの消失を望むですか……?」
幸福は一生分を味わった。
これ以上の我が儘は言わない。
「もう、逃げも隠れもしません。あの方を守る為にも、私はあなた方に従います。どうぞ、戦争兵器にでも殺戮マシンにでもすれば良い。それで、あなた方の思いが済むのならば……!それが、私の最後の望みです……!!」
鎖に引っ張られる形で、力なく項垂れるリュア。
そんな彼女を久遠は改めて不思議そうに見ていたが、扉の開く音に反応して立ち上がった。
入ってきた人物は、一人の男。
「久しぶりだなリュア。疲れているところ申し訳ないが、早速ワシの役に立って貰うぞ?」
偉華坂國彦。
日本国軍事大臣の、リュアの元主人だ。
彼が現れたことは即ち、自分の消失を意味している。
「……ご主人様……あなたに出会えて、色々なことを知って、私は、とても、とっても幸せでした……」
彼との出会いから今までの、二カ月間の思い出が蘇ってきた。
とても美味しかった思い出のお粥、不器用ながらも挑戦した料理、彼と挑んだ数々の混血決闘……。
短かったが故にとても長く感じた日々が、今のリュアを形作り、強い心を生み出していた。
誰かの為に、自身を犠牲にする覚悟を。
これから先の運命を決意し、リュアは俯きながら微笑んで小さく呟いていた。
「────ありがとう、さようなら……」
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「そっちの少女は、君の新しい奴隷かい?」
レジダプアは部屋に入るやいなや、ミオを品定めするように見つめて尋ねてくる。
琉星が黙ったまま頷くと、ミオも続けて深々と頭を下げた。
そのまま琉星の目の前にやってきたレジダプアだったが、睨むように目つきを鋭くさせて、遠慮が感じられない言葉を放つ。
「断言しよう。今の君のままでは、そこの新しい奴隷も、君が思い悩んでいる戦争物質と同じ道筋を辿ることになるよ?」
「……ッ!?」
突然過ぎる物言いに、ミオが激情した。
「ちょ、あんた突然やってきて何を無責任なことを!今、お兄様は必死で考えてる最中で……!」
「────黙れ」
「……えっ」
掴みかかる勢いで詰め寄るが、レジダプアが睨み掛かると一瞬ですくみ上がり、その場で立ち尽くしてしまった。
「私は今彼と話しているんだ。無関係の奴隷は邪魔しないでそこで大人しく待っていてくれるかい?」
「ひッ……!?」
短く声を挙げ、尻もちをついて震えあげるミオ。
あまりにも鋭く重い気迫に、琉星すらも恐怖を覚えてしまった。
レジダプアの視線はそのまま、琉星へと移される。
「あまり、人の奴隷を苛めないでくれるか?」
「そんなことはどうでも良い。私が何故怒っているか……君は分かるかい?」
やっぱり怒っているのか。
それは、格上の戦隷士や、あの偉華坂と対面した時とは明らかに違う。
本能から怯えてしまうような恐怖心に支配されているかのようだ。
「俺が、何かしたのかよ……」
「違うね。したからじゃない。しようとしているから、だよ」
「は?」
「私はいつでも君に選択を委ねてきた。どんな困難、どんな無理難題でも、君は今まで一度も挫けることなく、前だけを見て進んできた。二ヶ月前の逆転の時も同じだ」
そう言えば、あの時もレジダプアは強い反対を示すことなく、判断を委ねることで道を指し示してくれた。
それがあるからこその、今の自分だった筈だ。
「何故そんなことが出来たのか?それは至極簡単なこと。あの時の君は一人だったからだ。どれだけ被害を受けようと、背負うのは君一人だけ。それが本能的に分かっていた。だから君はどんな無茶でも命を懸けることが出来た。違うかい?」
「……それは……」
言葉に詰まる琉星の目先に、レジダプアは自身の顔を突き付ける。
その瞳の中では、恐ろしいほどの炎が燃え上がっていた。
「今回の件で分かっただろう?一人で戦うことよりも、他人を守りながら戦うことの方が……君の選んだ道がどれだけ難しく、険しいのかが……!この重圧に耐えることが出来ないのなら、悪いことは言わない。今すぐに主人の座を降りて、抗うことを辞めてしまえ!」
ミオが酷く動揺しているがが、口出しをすること様子はない。
琉星もレジダプアと見つめ合ったまま、無心で彼女の言葉を受け止めている。
「魔王を倒す勇者の物語?異界の侵略者へ対抗する英雄の物語?現実を馬鹿にするなよ!君の選んだ道はそんな単縦明快な考えで、上手くいくようなものじゃないんだ!」
返す言葉もない。
裏切り者と批判され、リュアの悩みすら解決させることも出来ず、現状をどうにかする策すら分からない。
こんな不甲斐ない現状で、何が主人だ。
それから数秒間睨み合っていると、レジダプアが不意に口を開いた。
「ねぇ、琉星クン。君は……どう思っている?」
「……俺は……」
強く拳を握り締める。
その動作には、琉星の全てが詰まっていた。
本当は今すぐにでも……。
それが正しいことかどうかは分からない。主人として権力者と戦ってしまっては、結果、悪い方向へ向かうのは目に見えている。
様々な感情が湧き上がってくる中、レジダプアが目を瞑って琉星から離れた。
「私の助言、もう忘れた?一体、誰の真似事をしたかったのか、それは敢えて言及しないけれど。自らの望む道を行くならば、絶対に“同調するな”、と私は言ったよね?」
「……!」
「あのさ、君に従来の主人としての考え方とか、誰かの真似事とか絶対に似合わないんだよ」
気付けば、彼女はいつもの気配に変わっていた。
全てを見透かした様な口調で、不気味な微笑みを浮かべている。
「縮まることはない。理想の主人を演じることもない。ただ、君は君がしたいことを貫き通せ。その行動がきっと、君の望む道へと導いてくれる筈さ」
そうだ、無理に誰かの敷いたレールの上を辿ることはないのだ。
自分で新たな道を作り出すのは、途方もなく難しいことかも知れない。
それでも、敢えてその道を進もうと望むのならば、ただ無心に足を一歩前へ。
「改めて聞こう。琉星クン、君はどう思う?いや……」
どうして忘れていたのだろうか。
いつも、彼女からそう教えられていたではないか。
机上の空論ではない。
望みを果たすこと、夢を叶えることは、困難に立ち向かう意志なのだと。
「────君は、“どうしたい”?」
その一言で、琉星の心は決まった。
傷だらけの身でありながら、身体を庇う様子もなく立ち上がり、レジダプアを見下ろす。
「ワリィ、ご主人。もてなしなにもしてねぇけど、急用が出来ちまった」
「……フッ、そう。それなら、精々頑張って」
「あぁ」
一度息を吐いてから、レジダプアの脇を通り抜け、そのまま部屋から飛び出していった。
その後を、今まで硬直状態だったミオが慌てて追う。
「お兄様待って!あの人に全部言われちゃったけど!お兄様が何をしようが、その結果何が起ころうが、私は絶対に恨んだりしない。最後まで、この命が果てるその時まで、私はお兄様と共に戦うから!!」
遠慮するな、自分のやりたいことをやれ。
そう言ってくれているのか。
彼女たちの温かい意志が、強く心に響き渡る。
「……初めてお前が傍に居てくれて良かったと思うよ、ミオ。そんじゃあ……あの日本国のクソ大臣と、少し過激な話し合いをしに行ってやるかッ!!」
「おぉーっ!!」
勢い付く異端者と、異端に惚れた一人の少女。
彼らは格上の権力者相手に、史上最悪の逆転劇を起こそうと奮起を始めた。
一人暗い部屋の中に残されたレジダプアは、満足気な表情を浮かべる。
「誰が何を言おうと構うな。全ての障害を打ち倒し、この物語の……主人公になれ!」
楽土で偉華坂に刃向かう意志を持つ人物は、最早彼以外に存在しない。
偉華坂の暗躍を阻止し、戦争物質の行く末を決める役目は、たった一人の裏切り者の手に託された。
「応援しているからね。もう手の届かない……私の最愛の“弟”よ……」
そして、運命を託した少女は全てを見透かした視線で、その後ろ姿を見守っていた。




