09 天使と悪魔
長めです。あと若干の飯テロ要素あり
三人娘が風呂から上がって備え付けの水消器で体表の水分を飛ばして服を着ようとして気付く。
貫頭衣だけでは心もとないだろうとシンの宝物殿から取り出されて三人にそれぞれ渡された外套の上には貫頭衣ではなく、裁縫の技術があまり発達していないこの世界では高級品に分類される絹で出来た服が置いてあることに。
それを見た三人娘は服を着るのも忘れて脱衣場を飛び出し、宝物殿から出したのだろうタオルを肩に掛け、椅子に腰掛けながらワインをグラスに入れて傾ける、白いシャツに薄手の黒のズボンという完全に寛ぎの空間を一人で形成しているシンの前で頭を下げた。
「「「ごめんなさい!」」」
と頭を下げた三人娘をグラスを傾けながら横目でチラリと見たシンは少し不思議そうな顔をしながら
「何を謝る? お前達は何か俺に謝る様な事をしたのか?」
とシンが問うと三人娘は矢継ぎ早に言葉を口にした。
「私達は兄さんの奴隷だから。」
「奴隷がご主人様に物を買わせるなんて、あっちゃいけないことなんだ。」
「それにあんな高級そうな服なんて貰えないもん」
そんな三人娘の言葉をシンは鼻で笑った。
「フッ、お前達がやけに真剣な顔をしていたから何かと思えば。そんな些事で俺に頭を下げたのか、お前達は」
「でもあんなに高級な服を買って頂くなんて「ではお前達に聞くが」」
クローディアの言葉を遮り、シンが試す様な口調で続ける。
「お前達は『自分達の奴隷に服を与える』という俺の意向を無視し、俺が与えた服をないがしろにするつもりか?」
「いえ、そうゆう訳では………」
「そんなつもりじゃ………」
「私達は………」
「ならば服を着ろ。何の為にしっかり温まれと言ったと思ってる。それとも奴隷だから恐れ多いとでも言うつもりか? お前達、主人である俺の事を兄と呼んだり、フェニーチェとディアーチェは敬語すら使っていない。そもそもお前達が俺の奴隷になったのも半ば不意討ちの様なやり方だったと言うのに、今更服くらいで怖じ気づいてどうする。いいか、お前達が俺から貰い物をした時に言う言葉は謝罪ではない。どんな言葉を言ったら良いかは………分かるな?」
そう言われた三人娘は顔を見合せて、次いで花の咲くような笑顔でこう言うのだった
「「「ありがとう(兄さん)(ご主人様)(お兄ちゃん)!」」」
言われたシンはグラスの中の紅いワインを見ながらもその口元に薄い笑みを浮かべ
「良し、合格だ。ならばさっさと服を着てこい。少女が余り男の前で裸体を晒すのは頂けないぞ?」
言われて三人娘はようやく気付く。自分達が服を着ないでシンの前に居ることに。
小さな悲鳴を上げて脱衣場へと戻る三人をよそにシンはグラスの中のワインを飲み干すのだった。
今更だが水消器とは魔道具の一種で体表の水分だけを消す事ができる。ただし細かい調節が利かないために髪等に含まれた水分を消す事はできない。
シンはその存在を知らなかった為に使用せず、タオルで体を拭いた。そして戻って来た三人が着ていたのはクローディアが赤色と黒で纏められたパンツルック、フェニーチェは白のシャツにグレーのパンツルック、ディアーチェは水色のワンピースで中に白のホットパンツを履いていた。
ちなみになぜ全員ズボンを履いているかというと、下着を持っていないからである。という訳で下着を買い出しに行こうという訳なのだが、シンがその長い髪から滴る水滴をタオルで拭いているのを見たフェニーチェがいう。
「ねぇご主人様。」
「ん? どうした?」
「何でご主人様って髪伸ばしてるの?」
「これは別に伸ばしている訳ではないぞ。六百年程放っておいたら自然と伸びただけだ。自分では上手く切れなくてな、放置したのさ」
「ふ~ん、そうだったんだ」
そしてその話を聞いたフェニーチェは提案する
「じゃあさ、私がご主人様の髪切って良い?」
それを聞いた二人が反応する
「「私もやりたい(です)!」」
「あぁ、別に構わないぞ。あまり変な髪型にはしてくれるなよ?」
40分後、前髪は目にかからない程度、横は耳に少しかかる程度、後ろは首に触れない位のさっぱりした髪型をしたシンが出来上がった。
そしてもうすぐ夕暮れになる時間帯、この世界で言えば赤日の17時。シン達は揃って外に出た。
日が沈む頃に買い物を済ませたシン達は宿に戻り、食堂へと向かった。
「おぅ、来たな。肉か魚介類か野菜か、どれをメインにした料理が良い?」
ダムルがシン達を見つけて食事のリクエストを聞く。
「魚介類? ここは海が近いのか?」
「あぁ、百年位前に『冷凍箱』っつー魔道具が販売され始めてからは内陸でも食べられる様になったみたいだがな。」
「でもやっぱり生物は新鮮なものの方が美味しいと、一度新鮮な魚介料理を食べた方はおっしゃって下さるんです。ですから、流通や技術が発達しているこのバルガドには内陸からのお客様がいらっしゃる事もあるんですよ。」
と、ダムルの言葉をアリアが引き継いだ。
「なるほど、確かに食材は新鮮なものの方が味や食感が良いからな。」
ここがエカルヌス大陸の要塞都市バルガドであり、クローディアやフェニーチェ、ディアーチェが住んでいた大陸がミソロフィア大陸という事以外に地理的な情報を全く入手していないシンがこの場合に本来取るべき行動は、会話の流れから他の大陸や都市の情報収集だ。
だがここで長々と話す訳にもいかない。水精の庭は人気の宿らしく食堂には三十人近くの人々が食事を摂っていた。
(それに、情報を得るあては宿に来る前にできたからな)
内心で自身の特殊な力の源になっている存在の顔を思い浮かべながら料理のリクエストをする。
「そうだな、俺はおすすめの食材がメインの料理をくれ。」
「私は野菜メインが良いです」
「あたしは肉が良い!」
「私は魚介が良いな」
「良し、待ってろ。すぐ作ってやる」
「ん? ダムルが料理を作っているのか?」
「ああ、俺達ドワーフは鍛治を生業にする奴が多いせいか手先が器用な奴が殆どでな。俺も昔は街一番の鍛治師なんて言われてたが、冒険者として工房に来たアリアに惹かれちまってな。」
「私が『宿屋を開くのが夢なんです』って、不思議とこの人に語ってしまったのですけど、排他的で秘密主義なところがあるエルフが人を泊めるための店をやりたいなんて可笑しな事を言い出したのに、この人ったら『なら俺がその夢を支えてやるから俺の嫁になってくれ』って言い出したんですよ。でも不思議とその時の私はOKしてしまったんですけどね? と、私達の馴れ初めなんて聞かせてしまってごめんなさいね? 席に着いて下さいな、今何か飲み物を用意しますから。何が良いかしら? 只の水からワイン、蜂蜜酒まで大抵の飲み物はありますよ?」
「ならそうだな、果実酒を頼む」
「私は果実水をお願いします」
「あたしも!」
「私もそれが良い」
「はい、果実酒一つに果実水が3つですね。少し待ってて下さいな」
そう言ってアリアが厨房の方に下がっていった。
ダムルはアリアの馴れ初め話が始まった時に厨房に逃げていた。
シン達が席に着いてすぐアリアがコップ、と言うよりはジョッキに近い金属製のカップを四つに果実酒だろう高さが30cm程の瓶口から瓶の底から10cm程上の高さまでなだらかな斜線を描いている、ワインボトルで言うならば所謂『撫で肩』と呼ばれる形をした瓶に、果実水だろう。ピッチャーに入れられた赤みがかったオレンジ色の液体がシン達がいるテーブルの上に置かれた。
余談だが、ワインボトルの『撫で肩』と呼ばれる斜線を描く瓶と、『怒り肩』と呼ばれる瓶の口の数cm下から瓶の底までが同じ太さになるように作られた瓶は入れるワインの味で使い分けがされている。
『怒り肩』はボルドータイプとも呼ばれ、長期熟成された渋みが強く、味がしっかりと舌に残るワインの瓶に選ばれる。
長期熟成する過程で発生するポリフェノール等の成分が澱みのようになり、グラスにその澱みを入れないようにする為に瓶を水平にした際、瓶口と瓶の側面に段差ができるように作られている。
逆にブルゴーニュタイプと呼ばれる『撫で肩』は渋みがあまり無く、柔らかい味をしたワインの瓶に選ばれる。
ちなみに同じ撫で肩のボトルでも他のボトルと比べて細長いボトルはアルザス型と呼ばれたり、発泡酒であるシャンパンなどは内圧でボトルが割れないように他のものよりも厚く作られていたりする。
尚、ボルドー、ブルゴーニュ、アルザスは全てフランスのワインの名産地の地名である。
テーブルの上に置かれた飲み物をそれぞれのコップに注ぎ、一先ず人の居る場所に辿り着いた事に乾杯し、一息吐いたシン達。
そしてそこに運ばれてくる料理。
シンの料理はフェニーチェと同じ肉メインの料理だった。ダムルによれば『ハングリータートルの香草岩塩包み焼き』という事だ。
(ハングリータートル………ねぇ。どんな味なんだ?)
目の前で中々大きな鉄板の上に榎茸の様だが色が黒いキノコとポテトの様な黄色の良い焼き色がついた芋のようなもの、そして一口サイズにカットされながらも500gはありそうな肉が玉ねぎのような薄くスライスされた野菜の上に敷き詰められている。そして肉の上にはどんな味なのか想像もつかない薄い緑色、ライムグリーンに近い色のソースが肉の半分の面積にだけかかっている。そしてジュージューという音と共に襲ってくる暴力的なまでの香り。
食べずとも分かる。
「これは旨い」と。
クローディアの前に置かれたのも肉料理と同じく鉄板だ。しかし内容は勿論違う。
ダムルによると『バブルトマトとスライムサボテンのステーキ』らしい。
スライムサボテンという名前の通り、プルプルと揺れる緑色で半透明の、しかし良い焼き色の物体の上には桃色の粒々としたイクラのような物体が乗っている。
ステーキの回りには鉄板を彩るように赤、黄色、緑、白、紫等の色をした様々な野菜と桜色のサラサラとしたソースがかかっていた。こちらもやはり芳ばしい香りと音を立てていた。
そしてディアーチェの選んだ魚介料理はというと、白身魚のカルパッチョの様な生の薄くスライスした白身魚に黄色のソースがかかり、モッツァレラチーズの様な白く、魚と同様に薄くスライスされて薄く広い皿の上に円形に魚、チーズ、魚、チーズと交互に盛り付けられていた。周りには貝が盛り付けられている。
そして別の皿には料理に使われた白身魚だろう、20cm程の骨と頭と尾びれだけになった魚が骨がパリパリになるまで狐色に揚げられて、所謂骨煎餅になっていた。側に柑橘類だと思われる果物も一切れ添えてある。
ダムルが言うには『シェダームとクワラチーズのカルパッチョとベール貝の赤ワイン煮込み』と『シェダームのカリカリ素揚げ』らしい。
他の料理と違い音や匂いのインパクトは少ないが、見た目の華やかさが素晴らしい料理だった。
四人はそれぞれの料理を口に運んで料理を噛んで飲み込み、少しの間その余韻に浸ると、出てきたのは『ほぅ………』という、ひどく満足気な溜め息であった。
「ああ、旨いな」
「本当に美味しいですね」
「美味しすぎて美味しい以外の表現が思い浮かばないや」
「こんな美味しい料理、初めて食べた」
その後は各々自分達の料理を心行くまで食べ、完食した。ボリューム的にもどの料理も殆ど変わらないので四人共満足して部屋に戻った。
そんな四人を見たダムルは
「俺の料理をあんなに美味そうに食べた奴は久しぶりだ」
と本当に嬉しそうに笑い、その顔を見たアリアも柔らかく微笑むのだった。
そして現在は赤日の23時を少し過ぎた時間。シンは自分の両隣で寝ているクローディアとフェニーチェを起こさない様に一切音を立てずに身体を霧に変えてベッドの側で元に戻り、寝室を出て都市を一望できる大きな窓から水精の庭の屋根に乗る。
そして自分の中に居る存在に語りかける
『メレク、起きてるか?』
『おうさー、起きてるよん』
『他に起きている奴はいるか?』
『ああ。カロメウェとロワリュアレ、ロフォカレにリガウロスが起きてるぜ~。まぁ全員朝にならねぇと目覚めはしねぇけど。』
『そうか、お前とロワリュアレ以外は能力が残っていたからいいんだが、他の奴等は魂すら消滅したと思っていたぞ。』
『イヤ~わりぃな、心配掛けちまって。あっちだと神秘側の力が年々消えていっちまってな? 全っ然採算合わねーんだわ。あのままじゃ消耗してマジで消滅しちまう未来しかなかった。だから仕方ねーからお前の中の魂をチョイチョイ存在する為のエネルギーとして貰いながらエネルギー消費を最小限にするためにお前の中で眠りについたって訳だ。』
『なるほどな。しかし悪魔の中でもかなり強い力を持っていたお前が消耗して消えかけるとはな、珍しい事もあったものだ。』
『おいおい………これでもあと百年こっちに来るのが遅かったら消えてたかもしれないんだぜ?』
『そうか、それは運が良かったな。もう50年程本を読んでいた方が良かったか?』
『相変わらず皮肉屋だな、お前は。素直にならんとあの小娘共に逃げられるぞ~? 悪魔殺し。』
『この皮肉屋な所だけはお前に似た気がするな。ともあれ明日の朝にあの三人娘にはお前達の事を紹介しなければならないな。それにお前が起きたという事は他の能力も戻るはずだ。違うか?』
『さっすが相棒、俺らが眠った事で能力が本来の効力を発揮してない事にも気付いてたか』
『俺が気付いていない訳がないだろう』
『いやぁ、ここ九千年位は本気で戦った事無かったみたいだからさ? もしかしたら気付いて無いんじゃないかな~? とか思ってたんだが、そんな事あるはず無かったな』
『こちらに来てから今まで1割も力を出していないがな。まぁ、前の世界よりは怪物が多そうだからいつか暇潰しではなく片手間に倒すような奴が現れるかもしれん。』
『あるいは相棒、お前が本気になれるような化物がいるかもしれないぜ? 目には目をってな。』
『そうだな、この世界には居るかもしれん。俺が忘れて久しい戦いの刺激というのを思い出させる存在が』
そんな事を語らいながらシンは赤い月を見る。こちらに来た初日にも見た赤い月は、三日目の今日もまた血の様に赤かった。
領主館出頭まで、あと四日
――――――――――――――――
朝、目が覚めたフェニーチェは自分の隣にシンがいない事に気付いて慌てて飛び起きた。
するとその音と振動で目が覚めたクローディアとディアーチェもシンがいない事に気付き、フェニーチェは目に涙を浮かべ、ディアーチェは声を上げて泣き出してしまった。
だがクローディアは部屋にシンがいない事を確認すると精霊魔法を行使した。
クローディアはまだ第二位階、初級と呼ばれる精霊までしか話す事ができないが、風の精霊に探し人の居場所を尋ねる事位はできる。
その結果判明したシンの居場所は―――――――――ドアの前だった。
「………え?」
とクローディアがポカンとした顔をするのと同時、部屋のドアが開く。
入って来たのは両手と肘の内側に料理の乗ったプレートを乗せたシンだった。
「おぉ、起きたな。さぁ朝食の時間だ。………どうした? 何かあったのか?」
足を使って器用にドアを閉めたシンが泣きじゃくるフェニーチェとディアーチェを見て何か起きたのかとクローディアに問いながら料理の皿をテーブルの上にコトリと置いた。
だがクローディアが何か言うよりも早く、フェニーチェとディアーチェがシンの腰にしがみつくように抱き着いた。
「ご………ご主人様がっグズッ………|いなぐなっじゃったがら《いなくなっちゃったから》……ひっく………捨てられだど……おもっだ………」
「お兄ちゃんがいなくなったら………グスッ………私達また……ウゥッ……居場所がなくなっちゃう………」
(居場所………か、確かに自分が居ても良いのだと思える場所が消えるのはまだこいつらが経験するには早いか………いや、そうか。こいつらは一度その目で自分の居場所が壊される様を見ているのだったな。だからこそのこの反応か)
自分にしがみつきながら涙を流す二人の少女の頭を撫でながらシンはそんな事を考えていた。
「二人ともまだ11才ですから、兄さんがいないと不安で仕方無いんですよ。」
と、クローディアに言われるまでは。
「………………? 待て、この二人が11才だと? 俺には15、6才にしか見えないのだが。」
「獣人は身体の成長が速くて9才で一応成人、15歳までに結婚して子供を産んでいる女性もいると聞きますよ?」
「そうなのか、前の世界では昔はそうでも無かったのだが18~20歳で成人するという国が多くてな。ちなみにクローディアはいくつなんだ?」
「私ですか? 19歳ですよ」
「そうか、大体外見通りだな」
しかしシンは言ってから気付く。この世界の1日は48時間で、さらに一年が730日間だという事に。つまりこの世界の一年は前の世界の四年に相当するのだ。
『いいや、それは違うぞ主よ。』
シンの頭に声が響く
「起きたのか、カロメウェ」
「「「カロメウェ?」」」
何それ?という感じで首を傾げた三人娘を見て声を口に出していた事に気付いたシンは一瞬ハッとした顔をしたが直ぐに立ち直って
(どうせ紹介するつもりだったしな)
「眷属召喚」
一人の隻眼でスーツの様な服を着た男を召喚した。
「兄さん、誰ですかこの方? それに今眷属って・・・」
「まぁ、それは食事をしつつ話そう。料理が冷めてしまう」
「改めて、主の眷属である辞典の悪魔、カロメウェだ。以後、良しなに頼む」
サラダに白パン、スープに目玉焼きという『これぞ朝食』といった食事をしつつカロメウェの自己紹介を行った。
ちなみに何故シンが朝食を部屋まで運んできたかというと、三人娘は連日の歩き通しと決闘(処刑?)騒ぎで疲れた身体に水精の庭の美味しい食事と柔らかい布団、更にシンがいるという安心感からかグッスリと熟睡して起きる気配がなく、シンの体内時計で9時を回ってしまったため、部屋に持っていくから朝食を作ってくれとダムルに頼んだからである。
(水精の庭は9時10分を過ぎると昼食の仕込みの都合上、朝食を部屋に持っていくかしない限りは朝食の提供はしない事になっている)
そして固まる三人娘。しかしそんな三人にお構い無くシンとカロメウェの会話は続く。
「それで? さっきのはどういう意味だ?」
「主は見落とし、いや勘違いと言うべきか。とにかくこちらの暦について間違えている事がある。」
「それは?」
「時間の単位だ。こちらでは月まではあちらと変わらないが、6ヶ月の事を一節、12ヶ月の事を一昆という。そして年齢は一節毎に数えられる。つまり年齢の感覚はあちらと変わらないのだ。」
「へぇ、なるほどねぇ。ところで他の奴等はどうした?」
「ロフォカレは起きているようだが他はまだ寝ている。だが直に起きるだろう。」
「戦闘以外では時間にルーズなのは変化無し………か。変わらないな、お前らは」
「そういう貴方こそ変わらないな。相も変わらず居場所無き者の居場所になっている。」
「いやはや、全くですな! 貴方様は残忍で狡猾で冷酷でありながら慈悲深く、温かく、寂しがり屋でもあります。これ程に相反した二面性を一つの人格で持ち得ている者はそうそういるものではありませんぞ?」
突然会話に入って来た男の声。三人娘がビクッと肩を震わせて声のした方向を見ると紅い渦の様な穴が空間に開き、そこから小太りの中年の男が出てくる所だった。
「よいしょっと。おや、これは失礼、お嬢様方。驚かせてしまいましたかな? 私、主であるシン様の眷属の一つ。鍵の悪魔、名をロフォカレと申します。以後お見知り置きを」
「さて、まずは現状確認だ。まず「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!ご主人様!!」ん? どうした、フェニーチェ」
完全にフリーズしていた三人娘の内、フェニーチェがいち早く再起動を果たしてシンの言葉に待ったをかけた。
「どうしたって………その人達がご主人様の眷属ってどうゆう事!? それに悪魔ってあの悪魔!? 悪魔族じゃなくて? それに、それに、え~と、ん~と………」
「落ち着け。そうだな、先ずはそこから話そうかお前達もそれでいいな?」
シンが三人娘と悪魔にきくと首肯したので話す事にした。如何にして悪魔達が自分の眷属となったのかを。
――――――――――――――――
シンが前にいた世界では今は昔の太古の時代、神話やお伽噺話と同じ様な時代の話。
この時代は悪魔や天使がまだこの世界に自ら顕現し、様々な奇跡を散発させていた。シンがある悪魔と契約を交わして吸血鬼となったのもこの頃だ。
だがある時を境に悪魔や天使の現世に留まる力が急激に減退し、奇跡の時代は終わりを告げる。
精神生命体とでも言うべき悪魔や天使は、この時点で大半が他の世界に去ったが、もの好きな一部の天使や悪魔は世界に留まり、小さな奇跡を生み出し続けた。
何時しかこの時代は創成期と呼ばれ、天地創造の時代などと言う大それた呼び名が付けられた。
ところで、この世界に残った彼等は具体的にはどうしたのか?それを語るにはまず、悪魔と天使の違いを語らなければならない。
「悪魔と天使。この違いは何だと思う?」
この問いに大抵の者はこう答える事だろう
「天使が良い存在で、悪魔が悪い存在」
と。或いはこう答える者もいるかもしれない
「天使と悪魔に違いはない。人間の心の善性の象徴が天使で、悪性の象徴が悪魔だ。しかしこの二つは表裏一体だからどちらが悪とは言えないのだ」
と。この答えは正解に近いが、しかし落第点だ。
故にここで一つの解を投じよう。
「悪魔と天使は全く同じ存在である」
と。しかしながら天使と悪魔は『同じ』だが決して『同一』ではない。
人間という同じ生物の他人の様に一つの存在ではない。
ここで一つの疑問が生まれる。
『ならば何故天使と悪魔に別れているのか』という疑問が。
その答えは酷く単純だ。
「常に世界に存在するのが悪魔、別次元から儀式によって呼び寄せるのが天使」
これが答えだ。
しかしまたもや疑問が生まれた事だろう
「世界に存在する力が弱まったのではなかったのか」
という疑問が。
ならば完全解を述べようではないか。
創成期の後に世界に存在する力が弱まり、元の次元から自らの存在を固定する儀式により顕現し、奇跡を起こすのが天使。
世界に留まるために自らの力と同質の物体に宿り、存在格を維持するために奇跡の報酬を要求したのが悪魔。
つまり奇跡の対価を求めるか否か、それが彼等の違いだ。
当然対価を求めずに奇跡を起こす天使は人々にとっては都合が良い。
故に天使は慈悲深く、しかし悪魔の様に頻繁に奇跡を起こす事はない。それが逆に尊さを表し、何時からか
『天使は善なる存在であり、慈悲深い神が遣わせた天の使いである』
とされ、対価を求めた悪魔は
『悪魔は悪の存在であり、贄や供物を求めるのは地獄からの遣いであるからだ』
とされた。
それが広まるに連れて善人は天使に奇跡を求め、悪人は悪魔に奇跡を求めるようになった。
奇跡は起こらないのが普通、求めないのが当然。
『奇妙な事象の痕跡』だからこそ『奇跡』なのだという事すら忘れて。
そして対価を求めず、召還される度に僅かにその存在格を磨り減らしていった天使は何時しか奇跡を起こす力が弱まり、大天使と言われた存在はその力を失い、奇跡を起こせなくなった。
その現実に対して人間が出した結論は
『大天使ルシファーは神から鉄槌を受けてその力を失った。神の鉄槌を受けたのは地獄と通じて天に背いたからだ。』
というものだった。やがて地獄に堕ちた天使、堕天使と呼ばれ語り継がれる事になる。
その存在は、とっくに消えて無くなっているというのに。
こうして儀式そのものに宿ったといえる存在である天使も消えないために供物を求め、しかし対策を取るのが遅すぎたために奇跡の片鱗程度にしか力を行使できなくなった。
また、悪魔も悪しき存在であると広まったがために奇跡を望む者が激減。
それに連れて贄や供物が減り、存在する事が困難になっていった。
―――――――――――――――
「と、まぁこんな時代だったのですよ。私達が主に出逢った、神秘の時代の終盤とでも言うべきあの頃は。」
そう語るのはロフォカレ。シンを王とするならば、宰相に位置する鍵の悪魔だ。
「あ~、そんな時代もあったな。覚えて無いが。」
「そんな時代でしたので、私達も生き延びるのに精一杯でしてねぇ。いやはや懐かしいですなぁ、名も知られていない小悪魔で鍵等と言う役に立たない力持った私に霧のかかる街の中、暗がりで消える恐怖に怯えていた私を拾って下さったのが主だったのですよ。」
「確かロフォカレの時は偶然通った路地裏で見つけて宿った物が鍵だと知ると唐突に『俺の眷属になれ、異論は認めん』と勧誘したのだったか。あれには私達も少々驚いたが。」
辞典の悪魔であるカロメウェが懐かしむ様に目を細めた。
「えぇ、悪魔に交渉を求める者が欲するのは大抵『力』ですからね。私達の間でも上位の者程強い破壊の力を持っていました。例外もいましたが。まぁ、彼等は聖剣や魔剣、聖槍何て言われて現在でも有名ですがね。流石にもう本人は消えて入れ物だけが辛うじて残っていた位ですが。」
「まあ、要するに消えかけだったこいつらはぐれ悪魔をメレク、俺が初めて眷属にした悪魔が見つけて俺の眷属にしたんだ。」
「方法はあれでしたがね」
「それは俺の事を吸血鬼にした悪魔に言うんだな。名前も知らないが」
「さっき気になったんですけど、兄さん完全記憶の技能があるのに『覚えてない』って言いましたよね?何でですか?」
クローディアがそう言った時、ロフォカレが地に膝を付き、orzの状態でプルプルと震えだし、それを見たカロメウェが顔を背けて肩を震わせ、シンがロフォカレに呆れた顔を向けた。
「あ、えっと………失言でしたか?」
クローディアが困った顔をしてシンを見る。
「いや、それは『その事については俺から説明してあげよう!』………はぁ、眷属召喚」
急に言葉を止めたシンが小さなため息をついて技能を行使するのを三人娘は不思議に思ったが、次の瞬間執事のような燕尾服を着てモノクルを付けたシンよりも少し年若く見える青年が出てくると何となく理解し、
「それについては俺から説明してあげよう!お嬢さん達!!」
その言葉遣いと見た目のギャップに呆然とした。
「やっと起きたと思ったらまだその服を着てるのか、寝坊助が。」
「だって初めて貰った服だぜ~? 大事にしないと損じゃん♪」
「本当は着替えが面倒なだけだろうに」
「あ、バレた?」
たははと笑う青年に尚も呆れた顔のシン。orzのままのロフォカレと顔を背け肩をプルプル震わせるカロメウェに顔を見合せる三人娘と中々にカオスな空間になっている。
「まぁまぁ、まずはクローディアちゃんの疑問に答えようか。ロフォカレがああなっているのも、お察しの通りシンが遥か昔、正確には21043年前より前の記憶が無いのも関係がある。それはシンのせいでもあるし、俺のせいでもあり、ロフォカレの自業自得でもある。」
自業自得と言われたロフォカレは更に凹み、ズーン……という効果音が付きそうな程哀愁漂う雰囲気を纏い始めた。
それを見たカロメウェは耐えられずに吹き出した
「プッ………ククククク。だ、ダメだ。耐えられん。ふ………腹筋が捻れそうだ………フフ………済まん主よ、俺は一旦戻る」
「ああ、好きにしろ」
そんな三人をよそにメレクの説明は続く。
「ロフォカレの形は鍵だ。で、その能力は『保管』の力。相棒の亜空間宝物殿や完全記憶の能力、こっちで言う技能はロフォカレの力によるものが大きい。だけどな?初めはこんな大それた能力じゃ無かったんだな~、これが。亜空間宝物殿に収納できるのは精々1t位まで。大きさにも制限があった。そして完全記憶なんて使用者本人の記憶力に依存する能力でな? 完全に記憶出来るのは約400日間、向こうでは一年とちょっとだったんだ。さらにさらに、この能力が使えないの何のって! デメリットが酷すぎてメリットを潰してたんだよ! 笑えるよね!」
あっはっはっはと爆笑するメレク。
更に沈むロフォカレ。
二人を無視してワインを飲み始めたシン。
どうしたものかと三人娘は困惑するが何か行動を起こす前にメレクが話を続けた
「あぁ、ゴメンね。話を続けようか、それでそのデメリットって言うのがさ、何と!400日間の記憶の完全抹消だったのさ! 笑えるよね!? メリットが400日間の記憶を覚えておける事しかないのに、その期限を過ぎると完全に記憶が消えるんだよ! そんな能力要らないってのに何と自動発動と来たもんだ! ヤバい、今思い出してもロフォカレのあの愕然と顔は笑えるわ」
メレクが笑いながら説明する。
話を聞いた三人娘は思う
(ああ、確かにそんな技能は欲しくない。というか要らないな)
と。人間の記憶は5つに分類する事ができる。
感覚記憶、作業記憶、直後記憶、短期記憶、長期記憶だ。
感覚記憶はその名の通り、触覚や嗅覚、味覚等の五感の感覚体験に関する記憶だ。しかしこの記憶は数分で消去される。
次に作業記憶。
これは料理をする人間ならば『キッチンから料理の焦げた匂いがして慌てて火を止めた』等の記憶があるのではなかろうか。
そういった『この匂いは料理の焦げた匂い。だから火事の危険がある』というメモ書きのような記憶だ。しかしこれも数分で消去される。
次に直後記憶。
これは認知症かどうかを確かめる基準のような記憶だ。
直後記憶はある作業の次に何をしようとしていたかの記憶を指す。例えば『冷蔵庫の中からコーラを取る』という行動を起こすとしよう。その為には『冷蔵庫の前に行く』、『冷蔵庫の扉を開ける』、『コーラを取り出す』という3つの作業が必要となる。
直後記憶が曖昧になると『冷蔵庫の前に行ったが何をしようとしていたか忘れてしまった』という状態に陥る。
認知症患者はまずこの直後記憶から曖昧になり、短期記憶、長期記憶と順に曖昧になっていく病だ。
短期記憶。この記憶は数週内の事に関する記憶だ。この短期記憶の一部が長期記憶として脳の側頭連合野に送られて長期記憶となる。
長期記憶。この記憶は産まれてからこれまで出来事で印象付けられた記憶だ。数ヶ月以上前の出来事を覚えているのならそれは長期記憶だと言えるだろう。
ただ、何故に人は物事を忘れるのだろうか。そこに疑問を持つ人はいるのだろうか。
「そんなの脳の処理能力をオーバーするからだろ」
と答える者もいるだろうがそれは間違いだ。人間の脳の処理能力をもってすれば産まれてから死ぬまでの見聞きした情報の全てを記憶しても有り余るキャパシティがある。
誰かが言った。
「人が物事を忘れるのは、そうしなければ生きていけないからだ」
と。これこそ、この言葉こそ真実だろう。
人が長期記憶として覚えているものには全て当時感じた感情も共に記憶されている。否、感情が高ぶった出来事が長期記憶になりやすいといった方が良い。
では、喜びや楽しみは兎も角、怒りや悲しみまでその一切を覚えていたとしたら?
答えは『感情に押し潰される』だ。
完全記憶能力と呼ばれる自身が見聞きした一切の情報を記憶するこの特殊能力、持っている人物が二人、実在している。
まぁ、それは置いておき、シンの場合は記憶量に問題は無いが、感情に若干の難があり、更にロフォカレ自身の力も弱かった為に400日間しか記憶が持たず、それを過ぎると記憶を無くすという能力となってしまったのだ。
「いや~、あの時はビビったね。こいつロフォカレに『誰だこいつは?』って言っちゃってさ、ロフォカレが泣き出したんだよ。もうみんなして唖然呆然。その後記憶が無い事に気付いて阿鼻叫喚の大騒ぎ。んで、結局俺の力で過去のいくつかの記憶を代償に、これからの出来事を全て記憶するトンデモ能力が誕生したって訳さ」
「メレクさんの能力………ですか?」
「あぁ、そういや自己紹介して無かったっけ? じゃあ改めて。俺の名前はメレク。こいつの眷属の中じゃ最古参だ、宜しくな! ちなみに天秤の悪魔だ。」
「みんな辞典とか鍵とか天秤とか地味なのばっかりなんだねー。」
「お姉ちゃん、失礼だよ。ごめんなさい、お姉ちゃんに悪気は無いの。思った事をすぐに口にしちゃうだけで………」
フェニーチェのその言葉にディアーチェがフォローを入れようとするがメレクはそれを笑って許す。
「あっはっは、構わねぇよ。正直な嬢ちゃんだ、嫌いじゃねぇよ。特にこんなひねくれた相棒を持つ身としちゃあな。」
「それに地味なのは本当ですしね。主くらいですよ、こんな扱い難い『際もの』と呼ばれたはぐれ悪魔達を眷属にするなんて。まぁ、方法はあれですが。」
「だから、それは俺を吸血鬼にした悪魔に言え。それにもう謝っただろう、いい加減に許せ」
「兄さんの眷属になる方法ですか?」
「お? 興味あるか?」
クローディアの興味津々という様子にメレクが食いつく。
「いいぜ! 教えてあげようじゃないか! その方法とは!!」
「方法とは?」
「何と! こいつにぶっ殺される事なのだ!」
三人娘に冷めた目で見られるメレク。
「あれ? ここは『な、何だってー!?』って言うところじゃないの?」
「サブカルチャーに嵌まり過ぎだ、阿呆が。眷属にする方法が殺される事なんてそうそう信じられる事ではないだろう。だが、まぁ方法自体は事実だ。精神生命体とでも言うべきこいつらは魔力で殺せば俺の吸血鬼としての力によって魂を俺の中に移し、俺の取り込んだ魂を使って授肉、つまり肉体を持つ。これで俺の眷属となる。まぁ、俺の眷属の中で戦闘力が高いのは一匹しかいないがな。悪魔はこいつらみたいに武器に宿らなかった際ものばかりで名も知られていない者ばかりだ。そこのメレクを除いてな」
「メレクお兄ちゃん、有名だったの?」
とディアーチェがきくと
「あぁ、昔の中東………まぁ、そんな名前の地域があるんだが、そこで崇拝されていた。生け贄を求める神としてな。」
シンの言葉をメレクが引き継ぐ
「けどまぁ、なんやかんやあって他の悪魔から狙われちまってなぁ。逃げ回ってる時に相棒に会ってとりついて隠れ蓑にしようとしたんだが、返り討ちにされて眷属になったって訳さ」
「メレクさんの力ってどんな能力なんですか?」
クローディアが問う。
一瞬の間があり、シンが答える
「そうだな、ここまで来たら話そう。メレクの能力はな、『等価交換』だ。願う奇跡に足る価値があるとメレクが判断した対価を差し出せれば、奇跡を起こす事ができる。そして「そして、俺が起こす事のできる奇跡には上限が無いんだ。対価さえ釣り合っちまえばどんな奇跡だろうと顕現させる事ができちまう。」
シンの言葉をメレクが奪う。
そして最後に語るのはいつの間にか立ち直っていたロフォカレ
「余りにも強力なその力、利用しようと狙う悪魔は数知れず。何せ奇跡よりも多めの対価を要求し、差分を自分が受け取れば良いのですからな。」
「そういう事だ。後は今言った通りにこいつは俺の眷属になり、ロフォカレの能力を変更するという奇跡を過去の記憶を代償として行い、宝物殿はとある国の宝物庫をその中身ごと代償にして機能を拡張した。話は以上だ、何か質問はあるか?」
三人娘は降って湧いた大量の情報を頭の中で整理し、落ち着いた所でフェニーチェとディアーチェのお腹が鳴る。気付けば日が高く昇っていた。少し恥ずかしそうにする二人を見たシンは
「先ずは下で昼食でも取るか」
と言いながらロフォカレとメレクを戻し、三人娘と共に扉から廊下にでる。
隣の部屋で聞き耳を立てていた四人の男達がいた事に口元に僅かに笑みを浮かべながら。
吸血鬼の情報を集める為に派遣された諜報員である彼らは気付かない。
要塞都市を一望できる大きな窓。
その窓の近くに生えた樹の枝が丁度窓と同じ高さになっている一本の枝に一匹の鴉がいたことを――――――――――
味や食感の描写まですると違う小説になりそうだったからやめました。
でも要望が多かったら追加する・・・かも。