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ツバキ黙示録  作者: 坂木ケイジ
ツバキ黙示録 第一篇
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七章

「つばめ様の足、非常にゆっくりではありますが、症状が進行していますね。放っておくと、また全身石膏像になります」

 Aが眠っているつばめの足を触りながら、風邪を診断するかのようにさらりと言った。

 つばめは目覚めた直後に眠ってしまった。身体にあれだけのことがあったのだから疲労しているだけだとアイシャは言う。寝顔も穏やかなので、直巳もその言葉を信じることにした。

「……治って……ないのか?」

 直巳は姉の寝顔を見つめながらAに尋ねる。声は少し疲れていた。

「症状が進行しているとはいえ、嘆くことはありません。天使遺骸さえあれば、今の状態にまでは戻せるでしょう。今回のように直巳様が泣きわめくような儀式もいりません。今度からは私が施術できます。天使遺骸さえあれば簡単なものですよ。天使遺骸があれば、ですが」

 そこまで言うと、Aは直巳の顔を覗き込み、無理矢理に目を合わせた。

「用意、できますか? 希少な天使遺骸を」

 Aの表情と口調は楽しそうですらあった。

 直巳は、まだ涙で腫れている目でAをにらみ返した。

「用意するよ。何をしてでも」

「おや、そうですか。天使遺骸さえあれば施術は私がやりますよ」

 直巳がはっきりと言うと、Aは心底つまらなそうにした。

「大丈夫……椿君……大丈夫……」

 Aから直巳を奪い返すかのように、伊武が直巳の手を握った。

「天使は……私が殺してあげる。あなたの代わりに、私が天使を……天使を殺してあげる。天使遺骸だって、いくらでも取ってきてあげるね……ね?」

 伊武は言いながら、恍惚の身震いを隠すことができなかった。伊武以外の誰にもできないやり方で直巳の役に立てる。直巳は伊武に頼るしかない。だから、嬉しかった。

 直巳には伊武が笑っている理由の全てを理解することはできなかった。不気味だとすら思ったが、それでも伊武が協力してくれるというなら、こんなに頼もしいことはない。彼女は実際に天使を狩り、天使遺骸を持ってきてくれたのだから。

 直巳は伊武の手を強く握り返した。

「……ごめん。ありがとう。力を貸してほしい」

「ああ……うん……わかりました……」

 自分の力を認めてくれている、必要としてくれている。直巳が頭を下げて自分を頼ってくれている。伊武は脳がとろけるかのような快感を押さえることができなかった。

 そんな二人の空気を壊すかのように、アイシャがパンと手を叩く。

「話が早くて助かるわ。じゃあ、そろそろ私の話も聞いてもらおうかしら。一応、ここまで戻したのだから、直巳もこちらのお願いも聞いてくれるわよね?」

「ああ、もちろんだ」

「よかった。私のお願いなんだけど、これからの直巳の目的と一致しているわ。手伝って欲しいのよ、天使狩り」

「天使狩りを? アイシャも天使遺骸が欲しいのか?」

「そうなんだけど、正確に言えば天使遺骸に込められている魔力が欲しいのよ。直巳なら天使遺骸から魔力を抜き出すことが出来るでしょう? 天使遺骸から魔力を抜いて、この壷に集めて欲しいのよ」

「壷……さっきの壷のことか?」

「ええ、そうよ」

 アイシャが先ほど、つばめを助ける時に使った壷を差し出した。やはり、何度見ても薄汚れた骨董品の壷にしか見えない。

「あなたが根こそぎ魔力を持っていったから、空っぽになってしまったけどね。この壷いっぱいに魔力を溜めるのが私の目的。そのためには天使遺骸から魔力を抜くのが一番いいわ。それができる人間を探していたのよ。それで、ようやく神秘呼吸に出会えたわけ」

「俺に近づいたのは、最初からこれが目的か」

「そうよ」

 アイシャが悪びれもせずに答える。直巳も別に落胆しているわけではない。人が人に近づくのには理由がある。直巳に近づくのなら神秘呼吸目当てと考えるのが当然だろう。

「どうやって協力してもらおうかと思っていたのだけど、まさか、こんなことになるとは思わなかった」

「恩を売るには丁度いいタイミング、か」

「そうは言ってないでしょう? 言っていないだけだとしても、それぐらいの気は使うわ。つばめのことは、本当に気の毒だと思っているのよ」

「……悪かった。で、どのくらいの天使遺骸があればいいんだ?」

「わからないわ。十ってことはないでしょうけど、百か、千か、万か……わからないわね」

「とにかく、大量にってことか」

「そうね。だからん、長くお付き合いしていただけると助かるわ」

「条件が……悪い……」

 横で聞いていた伊武が口を挟んで来た。

「天使は……私が狩る……椿君が魔力を抜く……あなたたちは……何をするの? 一回協力しただけで、ずっと対価を取り続けるというのは……ちょっと……駄目……かな……」

 伊武は静かに、威圧するように言った。殺気、というのだろうか。「このチビ、少しでも舐めた返答したらぶっ殺す」と、全身が物語っている。

 直巳は、伊武の口調と気配にもぞっとしたが、伊武をまばたき一つせず、髪一本の揺れでも見逃すまいと監視している、Aの目にも恐怖を感じた。

 それでもアイシャはまったく物怖じすることはなかった。

「もっともね。天使を狩るのも魔力を抜くのもあなたたちで、際限もなく協力してくれっていうのはね。だから、こういうのはどうかしら――私達が、天使を喚ぶ」

 次の瞬間、伊武がアイシャの喉元に剣を当てていた。

 と、同時に、Aが伊武の眼球すれすれにナイフを当てていた。

 いつの間に剣を取り出したのか、いつ動いたのかもわからない。音すらしなかった。

「伊武! A! 何をしてるんだ! やめろ!」

 直巳が叫んでも伊武はピクリとも動かない。当のアイシャは緊張感もなく、面倒くさそうにため息をついた。

「つまり、まれーはこう言いたいわけでしょ? お前が天使を喚んで、直巳とつばめを襲わせたんじゃないか。天使を使った自作自演で協力するように仕向けたんじゃないか、って」

「そう……だから、違うって……証明してもらいたい……かな……」

「証明ねえ……できないって言ったら?」

「死ぬ……か……死ぬより辛い目にあってもらう……か……」

「片目と引き替えに?」

「片目なら……安い……かな」

 Aが持つナイフの切っ先は、もしかしたら伊武の眼球に触れているかもしれない。それでも伊武はまばたき一つせず、アイシャの首のみに集中していた。

「信じてもらうしかないんだけど……動いてもいい? 右手だけだから」

「変なことはしないように……ね……」

 伊武の返事を確認すると、アイシャは胸元からペンダントを取り出した。ペンダントトップは小瓶になっており、中には何かの液体が入っていた。

「これは、「嘆きの涙」と言ってね。天使を喚ぶことのできる道具なの。今は、これ一個しか持っていない。それに、使ってから天使が降臨するまで一日以上かかるわ。場所と時間の指定は大雑把にしかできない。直巳が家を飛び出した瞬間を狙って降臨させるなんて無理よ」

「使って効果がわかるまで……待て、と……?」

「そういうこと。これ以外に天使を呼ぶ方法は知らないわ。本当よ」

「椿君……それで……いい?」

「ああ、いいよ。それに、自作自演だとしたら、こんな風には助けてくれないと思う」

「わかってくれて嬉しいわ。まれー、剣を引いてちょうだい」

「もう一つ……」

「なあに?」

「天使を喚ぶのは一回だけ……? 今後はどうするの?」

「そうね。正直、悩みどころよ。新しく「嘆きの涙」を調達するか、別の方法か……とにかく何とかするわ。天使降臨の方法は任せてちょうだい」

「……椿君、どう?」

「他に方法がないんだ。アイシャに任せるよ」

 直巳の返事を聞くと、伊武は黙ってアイシャから剣を遠ざける。Aもナイフを引いた。

 伊武が剣を背中のあたりにしまうような仕草をすると、剣が消えた。どのような仕組みになっているのだろうか。直巳もそれを見てはいたが、魔術なのだろうと深くは考えなかった。

 ようやく場に平和が訪れると、アイシャがぐでっと姿勢を崩した。

「はーあ、疲れた。ねえ直巳ー。まれーにちゃんと首輪つけておいてよー。まれーは忠犬の前に狂犬よ、狂犬」

「そんなこと言われても……」

 直巳がちらりと伊武を見ると、伊武は「どうしたの?」と微笑んだ。先ほどまで、少女の首元に剣を突きつけていたのと同じ人物とは思えない。

「伊武、これからアイシャ達とやっていくんだから、あんまり過激なことはしないでくれよ」

「うん……わかった……椿君が言うなら、そうする……ね……アイシャ……ごめん……ね?」

 伊武がアイシャに微笑みながら謝罪する。気持ち悪いぐらい素直だった。

 アイシャが小声で、「絶対わかってない」と言ったのが聞こえた。直巳も、わかってないだろうなと思ったが、口には出さなかった。

 一息ついていると、Aがお茶を入れてきた。上手い具合に紅茶と器を見つけ、手早く三人分用意する。つばめが使っている茶葉なので高価なものではないのだが、Aの腕がいいのか、かなり美味しかった。

 全員で今後のことなどを話し合い、天使教会のことになった時、アイシャが言った。

「あ、そうだ。直巳、これから天使教会と天木の所、行かないでね」

「え? あ、うん。そりゃもう、天使教会には行く気もしないけど……天木さんの所も?」

「駄目よ。天使狩りなんて誰にも内緒でやるんだから。あいつが絡んでくると面倒でしょ? なんか用があるなら、私を通して」

「そうか……わかった。でも、そうなると……どうしようかな」

「どうしようって、何が?」

「いや、姉さんも仕事できないだろ。俺も天使教会と天木さんの所いけないとなると、収入がなくなっちゃうんだよ」

「ああ、そういうこと。それなら、心配しなくていいわ。A、アレ持ってきて。車のトランクに少しは入ってるでしょう」

「1ケースありますが」

「ケースごと持ってきなさい」

「かしこまりました」

 アイシャに言われて、Aが席を立つ。玄関を開ける音がして、すぐに戻ってきた。手には金属製のアタッシュケースを持っている。

 ケースを直巳の前に置くと、パカッと開けて見せた。

「それ、使っていいから。足りなくなったら言って」

 アイシャが、「そのマンガ面白いから持っていっていいよ」ぐらいの気軽さで言う。

 ケースには、びっしりと金のインゴットが詰まっていた。

 直巳が唖然としていると、伊武がインゴットの一つを手に取った。

「重さは……本物みたいだけど……」

「まれー、金の重さわかるんだ。大丈夫、全部本物よ」

 アタッシュケースいっぱいの金塊。直巳は金のレートを良く知らないが、とてつもない価格になることぐらいはわかる。

「い、いや……こんなのもらうわけには……」

「じゃあどうするの? 普通のバイトする? バイトのせいでこっちに時間と体力割けないとか、絶対にあり得ないわけ。それぐらい払ってでも直巳の力をこっちに使って欲しいのね。だから、契約金とか準備金だと思って受け取って」

「え、ええ……?」

 直巳が迷っていると、伊武にポンと肩を叩かれた。

「椿君……もらっておいた方が……いい……お姉さんのことも考えて……余裕はあった方がいいから……それに……神秘呼吸の価値は……こんなもんじゃないし……」

「そ。まれーの言うとおり。それにね。直巳はこれから、普通とは違う世界に足を踏み入れるんだから、これぐらいで一々驚かれたら困るんだよね。お金で裏切られても困るし」

「普通とは違う世界……か……」

 直巳の脳裏に、つばめの言葉がよぎる。直巳の生活はおかしい。直巳には普通の生活を送ってもらいたい。つばめは、そう言っていた。

 しかし、これからは一歩どころか十歩は踏み外す。異常な世界に足を踏み入れる。天使教会を裏切り、天使狩りをして、一つが何十億円以上する天使遺骸を山ほど手に入れるのだ。

(姉さんを泣かせてでも、姉さんを救う)

 例え、姉に嫌われようと、泣かれようと、自分の決めたことをやろうと、伊武やアイシャ達と行動を共にしようと、直巳は心に決めた。

「わかった。ありがたく使わせてもらうよ、アイシャ」

 直巳が受け取りの意志を示すと、アイシャは邪悪な笑みを浮かべた。

「そう。それでいいのよ。これまでの日常は捨ててもらわないと。つまらない常識とか罪悪感は捨ててちょうだいね。その代わりに、あなたはもっと面白い世界に生きるんだから。そのお金で遊んでもいいのよ。もし、私からもらうのが嫌だったら、次から天使遺骸一個売れば、それでいいんだし」

 アイシャは楽しそうな声で誘惑してくる。それを断ち切るように、自分に言い聞かせる。

「堕落しないように気をつけるよ」

 それを聞いて、アイシャはクスクスと笑う。

「堕落の何が悪いの? 天国に行けなくなっちゃう?」

「そうだな。地獄よりはきっとましだろうし」

「そうね。天国には、きっと天使がたくさんいるわ。楽しみね」




 全員が帰った後、直巳はつばめを抱えて、彼女のベッドまで運んだ。

 ベッドに腰をかけて、横たわったつばめの脚をそっと撫でる。冷たく、なめらかな感触。試しに魔力を吸ったり入れたりしてみたが、何の変化もなかった。

 つばめが目を開けて、直巳の頭をそっと撫でる。

「なおくん……運んでくれたんだ」

「うん。姉さん、いつから起きてた?」

「実は、結構前から」

「そっか。聞いてた?」

「途中から、かな」

「そっか」

 直巳は自分の頭を撫でる姉の手を取り、両手で握った。

「姉さん。俺はちょっと、良くないことをする。二度と天使教会には関わらない。進路はむちゃくちゃだ。金銭感覚は何桁も狂う。危険な目にも、きっとたくさんあう。でも、やめる気はない。姉さんのそばを離れる気もない」

「やめてって言ったら?」

「謝るけど、やめない」

「お姉ちゃんは、どうすればいいの?」

「俺の言うことを聞いて、普通の暮らしをしてほしい。必ず、守るから」

「わかった」

 つばめは体を起こして、直巳を抱きしめた。

「何度も言うと、なおくん嫌がるだろうから、今、まとめて言うね」

「うん」

「バカ、やめなさい、危ないわよ、お姉ちゃんのことなんか放っておいて。ごめんね。ありがとう。大好き」

「うん」

 直巳もつばめの体を抱きしめ返す。心臓の鼓動が、呼吸が聞こえる。

 自分はこの鼓動を。生きている姉を守るのだと、改めて決意した。

「もしもね。なお君が罰を受けることがあれば、そのときはお姉ちゃんも一緒よ。それだけは忘れないでね」

 直巳は返事をせず、つばめを抱きしめる力を強くした。


 つばめが眠った後、直巳は一人で外に出た。

 手に持った携帯電話の履歴から、リダイヤルで発信をする。

 長めのコールが鳴った後、相手が出た。

「もしもし。秋川さん?」

「椿君……こんな夜遅くにどうしました?」

「大事な話がありまして。たった今から、あなたと天使教会と縁を切ります。もう、二度と天使教会にはいきませんし、連絡もしません。あなたもしないでください」

「ちょ、ちょっと待ってください? どうしたのですか? お姉さんのことで自棄になっているのなら、ちょっと落ち着いてから……」

「姉は僕が治しました。方法は言ってもわからないでしょうから言いませんが」

「え、ちょ、治った? 天使の奇跡が? どういうことですか? 椿君? もしもし?」

「これ以上、何も言うことはありません。今後、一度でも連絡してきたら、あなたの悪行全てをばらします。僕はばれても痛くありませんから。あなたが静かにしている限り、僕も黙っていますから。わかりましたか?」

「待ちなさい! 椿君! 何を勝手な! そんなこと、天使様が許しませんよ! 椿君!」

「わかったのか、わからないのか! どっちだ! わからないならイカサマ神父として一生過ごすことになるぞ! わかったと言え!」

「つ、椿君!」

「俺は本気だ! わかったと言え! 二度と連絡しないと約束しろ!」

「……わ、わかった……わかりました……連絡はしません……」

「結構です。それでは、お元気で。天使のご加護がありますように」

 皮肉たっぷりに言って、電話を切った。秋川からの電話もメールも着信拒否にした。

「気持ちよかったな……あいつのこと、嫌いだったしな」

 一つ一つ、日常が変わっていく。これから、もっと変わっていくのだろう。

 とりあえず、今のはすごく気持ちがよかった。



 次の日、学校から帰ると、リビングにつばめとアイシャ達がいた。

 つばめは車椅子に座って、脚が見えないように長い膝掛けをかけていた。膝にはBが乗っかって眠っていた。

「なおくん、お帰りなさい。おやつ食べる?」

「いや、その前に……なんでみんないるの?」

「ええと、なおくんが学校に行った後、すぐにアイシャちゃん達が来てね。車椅子をくれたり、会社をやめる手続きを手伝ってもらったり……あと、昨日のお話を聞かせてもらったり……ええと、うん、大丈夫よ。なお君達の言うとおりにするわ」

「ま、事情の説明というかね。必要なことは知っておいてもらった方がいいと思って。大体のことは話したし、納得もしてもらえたから安心してよ」

 アイシャが寝っ転がって雑誌を読みながら説明してくれた。すごいくつろぎようだ。

「それはまあ……助かるけど……」

「あと、空いてる時はAとBにつばめの面倒見させるから。好きに使って」

「え? 面倒見させるって……うちに通うってこと?」

「うーん……通うというか……なんというか……ちょっときて」

 アイシャに手招きされて、二階に上がった。突き当たりの壁がおかしい。

 真っ白い壁と小さな窓がついてあるはずの壁が、一面洋館の写真になっている。しかも、直巳がどこかで見たことのある風景の写真だ。

「あれ、なに? 写真張ったの?」

「いや、写真じゃなくて」

 アイシャに手を引かれて、写真の方へと向かっていく。もう、直巳にはなんとなく検討がついていた。

 アイシャは直巳を連れて、そのまま写真の中へ入っていった。

「一々来るの面倒だから、うちと直巳の家、繋げちゃった」

 想像してたとおりの結果に、直巳はがっくりと膝をついた。

「……これ、魔術?」

「天木から空間繋げる魔術具買ったの。いやー、高かった。もうちょっと離れてたら、繋がらなかったかもしれないって。で。これって同居? 通い?」

「……どっちでもいいよ」

「そう? ま、とにかくそういうことだから。そんな嫌そうな顔しないでよ。緊急時の移動ロスもないし、いざとなったら逃げ場にもなるし、すっごい便利なんだから。つばめを一人にしておくわけにもいかないでしょ?」

「まあ……そう……だな」

 まさか、いきなり家を繋げられるとは思わなかった。これでもうアイシャ達とは同居寸前というわけだ。

「で、直巳の家って結構余ってる部屋あるよね」

「両親の部屋とかは使ってないけど」

「部屋、一個貸してもらっていい? こっちにも生活できる部屋が欲しいなーって。その代わり、屋敷の部屋もあげるから。余ってるから好きに使っていいよ」

「好きにしてくれ……」

 同居寸前どころか、限りなく同居に近い何かになってしまった。

 アイシャと二人で一階のリビングに戻ると、Aとつばめが何かの図を覗き込んでいた。

「二人とも、何見てるの?」

「あ、ちょうど良かった。なお君も見てくれる?」

 言われるがままに見てみると、家の図面だった。

「これ、うちの図面だよね? どっか改築でもするの?」

「ええ。つばめ様が車椅子でも生活しやすいように、少し変えた方がよいかと思いまして」

 Aは至極まともなことを言う。見た目と性格は変わっているが、仕事はできるようだ。

「そっか。うん、お願いするよ。あ、でも階段とかどうするの? スロープつけられるようなスペースないよね? そのままだと急すぎるし」

「スロープなんかつけませんよ」

「じゃあ、エレベーター?」

「いえ、空間転移の魔術で。起動スイッチを作ればデッドスペースにもなりませんし、一階と二階繋げるぐらいであれば簡単に……」

「まあ、魔術ってすごいのねえ」

 つばめは呑気に関心しているが、家が魔術まみれのリフォームをされることに不安はないのだろうか。それに、簡単にとは言っているが、恐らくその空間転移を作るよりも、新しく土地と家を買った方が安く済むような気がする。

「なお君、どう? Aさんにお願いしちゃってもいい?」

「姉さんがいいなら、任せるよ」

「そう? じゃあ、お願いしちゃいましょう」

「ついでに、壁紙と照明の交換もしましょうか。気分一新、ということで」

「あら、素敵」

「気分一新、じゃないよ。何売り込んでるんだよ、どこの業者だよ」

「まあまあ、費用はこちらで持ちますから。で、後は台所をですね……」

 Aはスラスラとつばめにリフォーム内容の提案をしている。もはや、魔術とかつばめの足とかは一切関係がないが、つばめの気分転換になるのなら良いだろう。

 見た目が派手で性格に問題はある、「クソ生意気」な執事ではあるが、実生活においては頼もしい存在であることに違いはなかった。

 で、「ハムよりバカなメイド」は、つばめの膝ですやすやと寝ていた。本人と両手の人形の口から涎が出ているので、つばめの膝掛けは三箇所がガビガビになっている。

「姉さん……Aはともかく、Bはちゃんと仕事してるの?」

 直巳に聞かれると、つばめはにっこりと笑って寝ているBの頭を撫でた。

「Bちゃんはご飯をいっぱい食べて、たくさん遊んで、たくさんお昼寝してるわ。元気で可愛くて、とっても良い子よ」

「いや、それメイドじゃなくて子どもかペットじゃん」

「遊び相手になってくれるわ。それで十分よ」

 たしかに、Bみたいなのがいれば、つばめの気も紛れるかもしれない。ペットとしてつばめの役に立っているなら、それもいいかと直巳は納得することにした。

「しかし、なんで人形から涎が……B、外しなよ」

 直巳がBの手から人形を取ると、人形の下から小さくて可愛い手が出てきた。

 それと同時に、Bの頭からピコンと猫耳が生える。やたらリアルな猫耳だった。

「……え?」

 直巳がBの手に人形をはめると、猫耳が引っ込む。外すと出てくる。

 猫耳を触ってみると、くすぐったそうにぴるぴると動いた。手触りもかなり本物っぽい。

 直巳は考えるのをやめて、Bの手に人形をはめて、猫耳をしまっておいた。

 リフォームを楽しそうに話し合うAとつばめを横に、直巳がアイシャ達と一緒にくつろいでいると、玄関のチャイムが鳴った。

 直巳が出ると、買い物袋を下げた伊武が立っていた。

「伊武、どうしたの?」

「あ、あの……つばめさん、大変そうだから……お手伝い……しよう……かな……って……ご飯……作っても……いい……かな?」

 伊武が恥ずかしそうに買い物袋を持ち上げて見せた。

「わざわざ来てくれたんだ。ありがとう、じゃあ、一緒に作ろうよ。あがって」

「……うん」

 直巳に受け入れられた幸福感も一瞬だった。玄関に並ぶ靴を見て、伊武は真顔になる。

「この靴……アイシャ達の……だよね?」

「ああ、朝から来て――」

「……お邪魔します」

 伊武は直巳の言葉を聞き終わる前に上がり込み、ずかずかとリビングは乗り込んだ。

 そこに広がっていたのは、つばめとアイシャ達の団らんの風景だった。

「い……嫌っ! なん……でっ!?」

 気に入らない高宮一派が椿家に馴染んでいる。しかも、直巳が一番大切にしている姉のつばめには、Aがリフォームの話しをして楽しませており、膝ではBがすやすやと眠っている。

「おー、まれーも来たの?」

 二階から降りてきたアイシャが伊武の横を通ってリビングに入り、まるで我が家の用に慣れた様子でテレビをつけた。

「アイシャ! これは……これはどういう……」

「どうって……うーん……ちょっと来て」

 伊武はアイシャに連れられて、二階へと向かった。

 そして、しばらく沈黙が続いた後、二階から伊武の叫び声が聞こえた。

「嫌っ!」

 アイシャから直巳と同じように説明を受け、耐えきれずに叫んだのだろう。

 伊武が階段を駆け下りてきて、リビングにいる直巳の肩を掴んだ。

「椿君……高宮達と……同居……するの?」

 伊武に掴まれた肩が悲鳴をあげる。多分、本気を出せばこのまま肩の骨は砕けるのだろう。

「ど、同居っていうか……勝手に空間を繋げられたというか……」

「でも……余ってる部屋も……貸すんだよね……?」

「つ、使ってないから……好きにしていいよとは言ったけど……」

 肩を掴まれたまま、壁に押しつけられた。普通は男女が逆だ。

「まだ余ってる部屋……あるよね? それ、私に貸してくれる……よね? いい……よね?」

「い、いいけど……一応聞くけど……ど、どうするの?」

「私も……ここに住むから……椿君とつばめさん……守らないといけないから……天使と……高宮達から……いい……よね?」

 伊武が直巳の目をじっと見つめた。肩と腕の筋肉をはちきれんばかりに膨らませて、瞳孔の開いた光の無い目を向けることが見つめるというのならば、だが。

「い、いいよ! 好きにしてくれていいから! ね!?」

 直巳が了承した瞬間、伊武の目と表情が元に戻り、肩を掴む力も弱くなった。

「うん……ありがとう……いっぱい……お世話するから……ね?」

 伊武の表情が新妻のような、照れた可愛いものになる。

「は……ははっ……あ、ありがとう……ほどほどでね……」

 可愛いと恐怖と一緒に襲ってくるのは新しい感覚だった。

「ねえねえ、アイシャちゃん。伊武さんは、なお君の彼女なのかしら?」

 一部始終を見ていたつばめが、きゃーと口元を押さえてアイシャに問いかける。

「彼女ではないと思うけど。信者以上、友達未満?」

「あら? じゃあ伊武さんの片思いなの? なお君モテるのね!」

 つばめが顔を押さえてきゃーと喜んだ。きっと、よくわかっていない。

「あれは好かれても嫌われても面倒なタイプじゃないかなー」

 つぶやきを伊武に聞かれて睨まれたので、アイシャは雑誌で口元を隠した。

 その後、伊武は全力で良い子を演じながら、つばめから同居の許可をもぎとった。

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