八章
「じゃ、はじめましょうか。天使狩り」
アイシャがそう言って、「嘆きの涙」を机の上に置いた。
「昨日、説明したとおり。この小瓶を開ければ、最短で一日後に天使が降臨する。これを使って天使を喚んで、まれーに狩ってもらうわ。いい?」
伊武はアイシャの言葉に「いいけど」と返事をしてから、
「時間と場所が……あいまいだよね? 天使降臨は長くて数分……短ければ一瞬……ちゃんと会えるの?」
伊武の言うように、天使の降臨時間は基本的にとても短い。中には降臨だけして、何もせずに帰ってしまうものもいる。
先日、直巳とつばめの前に降臨した天使も、降臨してから伊武に狩られるまで、一分も経っていない。
伊武の質問を聞くと、アイシャは露骨に得意そうな表情をして答えた。
「大丈夫よ。「嘆きの涙」の力を追跡すれば、時間と範囲はある程度絞り込める。その中で網を張っていれば、ちゃんと会えるようにお膳立てしてあげるわ」
「降臨の予測は……「嘆きの涙」を使った時……だけ?」
「そう。「嘆きの涙」の追跡だから、全ての天使降臨を予測するのは無理……本当よ? そんな目で見ないでよ、もう」
「……わかった」
もし、天使降臨が予測できるのなら、先日、直巳を襲った天使降臨も予測できたのではないか? 伊武はそれを尋ねたかった。アイシャもそれを察した。
アイシャの言うことが、本当かどうかはわからないが、伊武はこれ以上の追求をやめた。
現状は伊武にとって好ましいものであるからだ。それを口には出さないが。
アイシャは伊武の心中を読み取り、誰にも気づかれない程度に口を歪めて笑った。
「さて。それじゃあ、「嘆きの涙」を使いましょうか。みんな、いい?」
場にいる全員がうなずくのを見ると、アイシャが「嘆きの涙」の蓋を開けた。すぐに瓶から薄い光が舞い上がる。
光が止まると、中の液体も消えていた。
「これで……何匹ぐらい来るの?」
「一人は来ると思うけど」
「ふうん……もっと喚べればいいのに……私が全部……狩るのに……」
「できてもやらないわよ。討ち漏らして、関係無い人を巻き込む恐れだってあるでしょ?」
伊武はアイシャの言葉が理解できないと言ったように首をかしげた。
「それが……どうしたの? 関係無い人……なんでしょ?」
関係無い人がどうなろうと関係ない。伊武にとっては当然のことだった。
「伊武、それは駄目だ。さすがにそれは駄目だ」
直巳が思わず口を挟む。もしかしたら、伊武はちょっと何か欠けてるのかもしれないと思っていたが、不安は的中していた。伊武はかなり危うい。
「関係の無い人は、出来るだけ巻き込むな。これからずっとだ。わかった?」
「うん……わかった」
直巳の言うことは素直に聞いてくれるのが救いだった。これは自分がコントロールしなくてはいけないと、直巳は心に強く誓った。
それから二日後の夕方、直巳の携帯にAから連絡があった。
今晩、天使降臨があります、と。
直巳が伊武と一緒に帰宅すると、リビングにはすでにアイシャとAがいた。Bはつばめと一緒に、つばめの部屋で留守番しているそうだ。
早速、Aが降臨場所と時刻の予想を説明する。伊武は自分のタブレット端末に、その情報を入力していた。手慣れた手つきで地図アプリを扱う。
場所はここから20キロほど離れたオフィス街。時間は24時前後、ということだった。夜ならば人通りも少ない場所だろうし、まだマシと言っていいだろう。
Aの説明が終わると、アイシャが口を開いた。
「で、まれーちゃん以外には誰が行くの?」
Aはサポートのために行くと言った。アイシャも面白そうだから行くという。
直巳も行くべきだと思ったが、自分にはその力がない。
迷っていると、アイシャに背中を押された。
「直巳も来なさい。見ておいた方がいいわ」
「できれば俺も行きたいけど……身を守る方法もないし、邪魔にならないか?」
「Aに守らせるから安心して。天使はまれー一人で大丈夫でしょう? 複数相手にするって言ってたんだから、天使一人ぐらい大丈夫よね?」
アイシャの言葉は挑発的だったが、伊武は別に気にもしない。
伊武はただ、直巳の安全だけが心配だった。
「一人で狩れる……高宮……椿君に何かあったら……わかってる……よね?」
「大丈夫よ。さすがに、それぐらいの対策はしてるわ。それより、あなたがどうやって天使と戦うのか、すごく楽しみ。頑張ってね」
伊武は返事もせず、笑顔のアイシャを一瞥するだけだった。
降臨する場所が確定できたのは10分前のことだった。予定時刻より三十分早い。二時間も前に降臨予測地点にいたので、問題なく対応できた。
爆弾でも落ちたのかというような衝撃と音がして、天使が降臨する。
天使は強い光に包まれており、直巳には、光の中心に人の形を見た。光のため、はっきりとは見えなかったが、頭は猫のような形をしていた。
伊武は天使から10メートルも離れていなかったが、降臨時の音や衝撃にも、少し目を細めるだけで、微動だにしなかった。
直巳達はもっと離れた場所から、その様子を見ている。
Aは直巳とアイシャを、天使からかばうようにして立っていた。
足下には魔方陣が書いてあり、ここから決して出るなとAに言われている。
天使が降臨してから数秒で実体化が落ち着く。
伊武は背後の何もない空間から、ずるずると大剣を取り出すと、真っ直ぐ、天使に向かって走っていった。
天使が伊武の方を向くと、強い光――天使の奇跡を放った。
が、光は伊武の目の前でかき消えた。
天使は何度も何度も伊武に向かって光を放つが、全てがかき消される。
伊武はそのまま天使に向かって走っていき、剣を振るう。
天使はなすすべもなく両腕を切り落とされ、消滅した。
後には、天使遺骸として二本の腕が残されているだけだった。
伊武は戦いが終わったことを確認すると、剣を背中の空間にズブズブと納めた。
「さて、今の出来事をどう受け止めたらいいのかしらね」
アイシャの問いに、Aは「さあ」と首をかしげてから答えた。
「あの剣はわかります。どっかの変態が作った妖剣とでもいうようなものでしょう。問題は天使の光を弾いた、あの力ですね。魔術を使ったわけでも、天使教会の秘術を使ったわけでもなさそうです……直接、聞いてみますか?」
「そのうちわかるでしょうし、探り合いはやめておきましょう。しかし、貴重な人材だわ。私達には天使狩りと神秘呼吸がいる。希望が見えてきたわ。ね? 直巳」
アイシャに笑いかけられ、直巳は曖昧に微笑んだ。
伊武はともかく、自分も貴重な人材と言ってもらえるのはありがたい。
しかし、それなら、
(アイシャ達は一体、何者なんだ)
つばめを治し、天使を喚びだし、天使の光から逃れることが出来る。直巳も詳しくは知らないのだが、それは魔術師であれば誰でもできるということなのだろうか。だとしても、アイシャは自分のことを魔術師ではないと言った。
気にはなったが、今聞くのはやめておいた。アイシャの言葉を借りれば、「そのうちわかるのだから、探り合いはやめておこう」ということだ。
向こうから、伊武が走ってくる。手に天使遺骸をぶら下げ、直巳だけに笑顔を向けていた。
それはまるで、ご主人様の元に獲物を持ってくる犬のようだった。
「とにかく! 祝勝会をしましょうか! バーベキューやりましょう! バーベキュー!」
「……今から?」
天使狩りを終え、すっかり集会場になった椿家のリビングに戻ると、アイシャが突然そんなことを言い出した。
「そう、今から。お腹空いちゃったし。大丈夫、ちょっとだけだから!」
それなら普通に夜食を食べればいいと思うのだが、よりにもよってこんな真夜中に、なぜバーベキューなんて面倒くさいことをするのだろうか。
「まあ……いいけど。伊武はどうする?」
伊武が返事をする前に、アイシャが直巳の袖をつまみながら言う。
「もう遅いし、まれーも疲れてるだろうから、無理しないでいいからね。そしたら直巳と二人で楽しむから」
「椿君が行くなら……行く……」
当然、こうなる。アイシャはわかっててやってるわけだし、裏を返せば伊武に来て欲しいから、わざわざ直巳を使って挑発していた。
(素直に誘えばいいのに)
直巳はそう思ったが、素直に「来て欲しいな」「うん、じゃあ行くね」などという会話をする伊武とアイシャは想像しにくかった。
「じゃあ決まり! 少ししたらうちの庭に来てね! A、行くわよ。つばめとBも連れていくわよ! 叩き起こしなさい!」
「いや、姉さんは寝かせておいてあげてくれ! おい! 待てって! やめろって!」
直巳の声も空しく、二人はさっさと二階に上がってしまった。二階がドタドタと騒がしくなる。つばめが着替えたり、車椅子にのったり、Bが邪魔をしたりしている様子が手に取るようにわかった。しばらくすると、人の気配も音も、ゲートの向こうに消えていった。
直巳が溜息をついて時計を見る。もう、深夜の2時近かった。
「椿君……大丈夫? 疲れて……ない?」
「俺は大丈夫。伊武こそ、疲れてるんじゃないか? さっき、天使と戦ったばかりだろ?」
「大丈夫……それより……シャワー……借りても……いいかな? ちょっと、運動したから……汗をかいちゃって……」
伊武は恥ずかしそうに言った。汗をかいたからシャワーを浴びたいというのは、年頃の女の子としては普通の心情なのだが、天使を狩ったことを、「ちょっと運動した」で済ませてしまうあたりが普通ではない。
その辺りに突っ込みたいのを我慢して、直巳は伊武を風呂場へと案内した。
使い方を簡単に説明し、シャンプーなどはつばめのものを使ってよいことを伝える。
タオルを用意して、さあどうぞ、と言いたいところだが、問題が残っていた。
「伊武、着替えどうする? よかったら、なんか貸そうか?」
「いい……の?」
「もちろん。もう一回、汚れた服着るのも気持ち悪いだろうし」
「ありがとう……助かる……服は……何でもいいから……」
「ああ、わかった」
直巳は浴室を出ると、自分の部屋へ向かい、洋服の入ったタンスを開けた。
(女の子に貸す服か)
つばめの服が貸せればいいのだが、まず間違いなくサイズが合わないだろう。つばめは女性にしても小柄で、伊武の身長は180を超えている。。
とりあえず、無難に白いTシャツとジーンズを選ぶと、浴室に向かった。
浴室に入ると、シャワーの音が響いていた。
その音を聞いて、突然直巳は、「ドア一枚隔てた向こうで、同級生の女の子が裸でシャワーを浴びている」という事実を強烈に意識した。
あり得ないことではない。ないが、そんな状況になるとしたら、それはいわゆる恋人同士であり、さらに前か後からは知らないが、そういうことをするためのシャワーだろう。
いやいや、大丈夫だと。これは仕事だ天使狩りの一環だと、直巳は自分に言い聞かせた。
浴室のドアをノックして、服をここに置いておくと伝えるだけだ。やましい気持ちは一切ないし、変なことを考えたら伊武に失礼だ。気持ち悪いと思われてしまう。
直巳が決心して、浴室のドアを軽くノックした。
「い、伊武。着替えとタオル、ここに置いておくから」
ガラッ
「ありがとう」
ガラッ、は伊武が浴室のドアを開けた音だ。ちょっと開けた、とかではない。思いっきり開けた。
伊武は体を隠すこともなく、直巳のことをじっと見ている。直巳も思わず、伊武の体を見てしまった。
大柄だが、引き締まった筋肉質の体。腕や足は筋肉のカットが綺麗に出ており、女性にしては珍しく、腹筋がはっきりと割れている。素直に格好いいなと思った。
というのは後から思い出してからの格好つけた感想で、本当はもっとシンプルだった。
(胸、でけええええ!)
服の上からでも大きいとは思っていたが、実物の迫力はすごかった。直巳も男なので、グラビアで巨乳を見たことはある。ただ、そのレベルのものが目の前に現れた衝撃というのは、想像もつかないようなものだった。つばめ以外の女性の裸を見るのは初めてだったというのもある。ちなみに、つばめの胸は、「特に感想なし」としか言いようが無いサイズだった。
直巳が硬直してから、数秒が経過した。シャワーの音だけが辺りに響く。
先に口を開いたのは伊武だった。
「……閉める?」
「閉める! ごめん!」
直巳は我に返り、急いで浴室のドアを閉めた。
伊武はがなぜ、「閉める?」と尋ねたのか、さっさと自分で閉めなかったのか。いや、そもそもどうしてドアを開けたのか。直巳はそこまで考える余裕はなかった。
直巳はリビングに戻ると、伊武が出てくるまでの十数分間を、無限のように感じながら過ごした。
浴室のドアが開く音がして、ドライヤーの音が聞こえた。
伊武がリビングに入ってくると、直巳はすぐに頭を下げた。
「伊武、ごめん! あの、はっきりとは見てないから!」
「別に……いいよ……開けたの……私だし……」
伊武は別に怒った様子もなかったので、直巳は安心して顔を上げた。
伊武はにっこりと笑っていた。
「シャワーと着替え……ありがとうね……このTシャツ……椿君の?」
「ああ、そうだよ。サイズがあったようでよかっ――」
話の流れで伊武が着ているTシャツに目をやったところで、また固まった。
「伊武……こんなこと聞くのもあれなんだけどさ……」
「……なに?」
「ブラジャー、つけてないの?」
「うん……替えの下着……ないから……」
「悪いけど、つけてもらえるかな。いや、汗で汚れてるのわかるけど。あの、つばめのとか貸せればいいんだろうけど、つばめとサイズが全然違うし。いや、そもそも人のブラジャー借りるっていうのが、有りなのか無しなのか、男の俺にはわからないんだけど」
直巳がごちゃごちゃ言っていると、伊武は「わかった」と言って、さっさと浴室に行き、戻ってきた。手には、直巳が見たことのないサイズのブラを持っている。
「じゃあ……つけるね」
伊武がTシャツに手をかける。
「なんでここでつけるんだよ! 風呂場でつけてくればいいじゃん!」
結局、直巳がリビングを出ている間に、伊武がブラをつけた。
リビングに戻って、念のために伊武がパンツを履いていることを確認してから二人で高宮家に向かった。
伊武にはちゃんとパンツを履かせた。
「二人とも遅かったじゃない! こっち来て! こっち!」
椿家の二階にあるゲートから高宮家に向かうと、ハイテンションのアイシャが待っていた。
アイシャに手を引かれて、庭に案内される。
庭では、山積みにされた車がごうごうと燃えており、真っ黒い塊のような煙を絶え間なく吐き出していた。
「え……バーベキュー?」
「やだ、違うわよ。これは盛り上げるためのたき火。バーベキューはあっちよ」
アイシャの指さした方向では、Aが大きなバーベキューグリルいっぱいに並べた分厚い肉を手慣れた手つき焼いていた。
その横ではBが生の肉をモリモリとかじっている。
つばめは燃える車の山を見ながら固まっていた。
「さ、まれー! たくさん食べてね!」
伊武はアイシャに言われると、テーブルにも座らずにバーベキューグリルの横に立ち、何事もなかったかのように肉を食べ始めた。肉を食べるペースと量がすさまじい。
「直巳様もどんどん食べてくださいね。たくさんありますから」
Aはにっこりと笑いながら言う。
暗い山に立つ洋館を背景に燃えさかる車の山。それを楽しそうに見つめている金髪の少女。
その横で何事もないようにバーベキューを行なっている眼帯の執事と女子高生に、生の肉をかじり続ける少女メイド。
「地獄かここは」
直巳がそうつぶやくと、自動車の山から爆発音がして、何か火のついたパーツが吹き飛んでいき、屋敷の壁に当たってゴンと大きな音を立てた。
そういえば、最初に高宮家に来たとき、庭に転がっている廃車についてAに尋ねると、「ご主人様の趣味です」と言っていた。
「アイシャ。この、廃車を燃やすのって、アイシャの趣味なの?」
直巳がアイシャに尋ねると、アイシャは楽しそうに答えた。
「そうよ。でも、廃車じゃないわ。ちゃんと動く車を燃やすのが好きなの。じゃないと意味がないじゃない? 今日はお客様がいるから、ちょっと贅沢に積んでみたの。どう?」
どう? と言われても、「頭がおかしいよね」としか答えようが無い。
よく見ると、先日、直巳を送迎してくれた車も燃えている。
「新車の匂いっていいわよね。やっぱり、新車の燃える匂いが一番好き。それに、やるならやっぱり夜がいいわ。火が山を照らして、真っ黒い煙が星空に吸い込まれていく。綺麗だと思わない?」
新車の匂いが好き、という話を聞いたことはあるが、新車の燃える匂いが好きという話は初めて聞いた。綺麗うんぬんについてはわかる気がするが、素直に楽しめるほど、直巳の理性と道徳は崩壊していなかった。
結局、このバーベキューは夜が明けるまで続いた。
ちなみに伊武は一人で2キロ食べ、Bは生のまま1キロ食べた。
朝方、バーベキューが終わり解散した後、伊武は一人で山中にいた。
アイシャと交渉して、今回の天使遺骸の一本を取り分として受け取った。
その天使遺骸をどうするのか、アイシャは何も聞かなかった。ただ、「毎回、一本というのは少しきついんだけど」と言われたので、たまにで良いとだけ答えた。
辺りの気配を探知し、誰もいないことを確認すると、伊武は背中の辺り、何もない空間からフリアエを抜いて、天使遺骸を背中に向かって放り投げた。
天使遺骸は地面に着く前に、一瞬でどこかに消えてしまった。
「これで……しばらく持つ……かな」
伊武はフリアエを背後の空間に戻すと、その場を去った。




