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〈第四章〉澄んだ腐肉の味がする-2

  4

 あの、ジルに背負われて帰った日からだろうか、何となくジルのことを眺めていることが多くなり、よく眼が合うようになったような気がする。

 ジルもルネも、互いのことを何となく気に掛けていた。けれど、上手く一緒に居られなくて。

「――ジルはジルのこと、何にも話さなかったしあたしもそうだった」

 例えば。

 包帯。

 何故『能力』を使わないの。

 何故『朝の月』にいるの。

 ジルの、ルネの、

 家族。望み。願い。理由。心。記憶。瑕。

 ――そんなもの、いらない。何も知らない。

でも、それでよかった。

「――……それでよかったの。そう思ってた」

 それは、今も。

 だって、出会ってからの二人が『二人』で、それ以上にもそれ以下にもなれなかったから。互いの『存在』に踏み込む覚悟も、踏み込まれる勇気もなかったから。二人にとって『それ』が『存在』――そう云うもの、だったから。

「そう、思ってたけど、違ったのかもしれない」

 それは――もしかしたら、不安定な土台の上に、木片を積み上げる遊戯だったのかもしれない。

 だって。

「――ジル、居なくなっちゃった、から」

 忌忌しい記憶。

「……一年前のことよ」

「え……?」

 一年前。その言葉に、黙りこくって話を聞いていたレミーが僅かに反応する。

 それは、レミーが母親に棄てられた頃。ジルが、戻ってきた頃。

「いつもと何も変わらなかったはずだった。でも、ジルは――刀を振って、あたしを斬りつけて、それで……行っちゃった」

 今でも時折、夢に観る景色が甦る。

 痛かった。冷たかった。赤かった。熱かった。傷かった。

 吐き棄てた言葉。酷い言葉。

「なんで、ジルが……そんな……?」

「あたしだってわからない……!」

 少し強くなった言葉にレミーは黙り込む。

 足が止まっていることに、ルネは漸く気付いた。まあいいやと思う。もともと、何処を目指していたわけでもないのだから。

 そっと、肩の辺りを撫でる。右肩から左の脇腹にかけての瑕疵。縫い合わせた皮膚の引き攣れたような跡は消えずに体を這っている。それでも、負傷はとうに完治したはずなのに。――なのに、まだ、痛む。

「ルネは、ジルに会いに来たの……?」

 レミーがおずおずと訊ねる。ルネは無言で頷いた。

 ジルに出会い此処へ辿り着いてしまったのは偶然だが、追いかけて来た理由はそうなのだから、同じようなものだ。

「会って、それから……どうするの……?」

「殺したい」

 レミーの顔が強張る。

「……多分」

 ルネは躊躇いがちに付け加えた。

 さっき、ちゃんと決めたのに。今は自分の中でそれが揺らいでいるのが分かる。

 殺してしまおうと思ったのだ。どうしてと思うときの、心臓がナイフで抉られてしまうような感覚が痛くてたまらない。だから、消し去るために叩き潰そうと。

 体中の血液が低い沸点で静かに滾っているような気持ちはずっと駆け巡っている。なのに――記憶はそれを鎮めようとするかのように甦る。

 初めて知った、ジルの、家族。望み。願い。理由。心。記憶。瑕。そんなものの、断片。

 ――殺すんじゃ、なかったの?

 ジルがルネを殺そうと思うなら。あの時のように、ルネに刃を向けるなら。――でも、さっきジルは、庇ってくれた。

 共に居た、一年にも満たない期間。その何倍もの時間を、ジルもルネも別々の世界で生きていた。沢山の疵や記憶を抱えて生きてきた。そんなこと分かりきっていたはずなのに。なのに、――私はジルを解かれない。ジルの痛みを受け止められない。だって、自分の痛みでいっぱいだから。

 ――ああ、そうか。

 自分の中で、何かが噛み合う。

 だから、ルネはジルをなくしてしまおうと思ったのだ。――ジルの傷み……心に触れてしまうのが恐かったから、それを拒絶するために。

 ――私の感情は、何処へ行けばいいのだろう。

「ジル……」

 会いたい。


   5

『多分』。そう言ったけれど、ルネはジルを殺すことを望んでいるのだと云う。

 レミーの大好きなジル。兄を。けれど。

 もしジルが一年前――あのことのせいで『そう』なってしまったのだとしたら。

 ジルはルネを傷つけた。でもそれは―― 

 レミーが、ジルを。

「怒った?」

 ルネが唇に僅かな、笑みともつかないものを捌けて首を傾げる。レミーは慌ててふるふると首を振った。

 どうしてそう願うルネを、レミーが責められよう。だって、ルネがジルに傷つけられたのだとしたら、それは――レミーのせいかもしれないのだから。

 後悔があった。

 でも、後悔なんて何の意味もない。だって、もう過ぎてしまったことなのだから。もう起こってしまったことなのだから。

 ぎり、と奥歯を噛み締める。

 本当は――ルネの後をついて来ているけど、でも、ジルに会いたくなんてない。嫌われたくない。無視されるのも、殴られるのも厭だ。でも、誰かを憎みたくなんてない。怒りたくない。恨みたくない。見たくない。聞きたくない。知りたくない。忘れたくない。思い出したくない。いきたくない。

「……レミー?」

 ルネのことは、好きだ。だから。

「……ねぇ」

「何?」

 ――僕のことを、好きになってくれなくてもいい。――ジルみたいに。でも、僕のこと、嫌いにならないで。

 声に、ならなかった。


   6

 手早く弾丸を詰め替え、ヴェロニカは拳銃を握りなおした。

 この『装置』の仕組みについてはよく理解していない。引き金を引くと高速で鉛の玉が飛び出る、木と金属でできた武器。

 かねてから分かっていたことだが、このセクトの者の少なさにはやはり驚き、それ以上に感謝した。

 爆発の騒ぎで気を引いて城のなか内に侵入し、既に両の手の指が埋まるくらいは殺した。魔族なのに、雑魚ばかりだ。こんな奴らに虐げられているのだろうか、人間族は。今までだってなんども見たことはある。筋力も体力も生命力も遥かに人間族に勝り、殺すために生まれてきたような、獣じみた人間もどき。化け物。けれど、こんな風に簡単に死んでしまう奴らだっているのだと知った。

 姿を確認すると、すぐに引き金を引く。頭部を狙えば一発で殺せる。接近されたらおそらく勝ち目はないだろうから、その前に。

 魔族ほどの膂力も、『能力』も持ち合わせていない、弱い人間族。けれど、私たちは戦う術を生み出した。『装置』も『機械』も、暮らしを便利にするためではなく、殺すために造られたのだ。錬金術はまだまだ未完全だ。普及もしていない、未熟な技術。魔族に対しての効果もたかが知れている。だから人間族は、怯えているまま。けれど。

 殺されっぱなしになど、なっていられるわけがない。力がないから、憎むだけ、恨むだけでいるのは、赦さない。――少なくとも、ヴェロニカは。あいつらが私たちを『弱い』という理由で殺し、蔑むのなら、私だって、奴らを、『化け物』と憎む。それだけで、この一年間過ごしてきた。それ以上に、何の目的も持たずに。――持てずに。

 たった一人で魔族の城に乗り込んで、沢山殺して。

 あの子が見たら、何と言うだろう。


『あんまり危ないこと、しないでよ』


 いつもそう言って、笑った。

「危ないこと……か」

 でも、死んでもいいとさえ、思っている。此処の頭領に辿り着くまで生きていれば、それでいい。

 赦せないから。あの子を殺したこいつらを。


 ふと、足音を感じる。

 神経を尖らせ、引き金に指を掛けた。

 姿が視えた瞬間に、引く。短い轟音と、強い衝撃。

 ――避けられた……?

 対象は――床に身を投げ出していて、側の壁が抉れている。眼で追える速さではないというのに。そいつは素早く身を起こす。

 二人。一人が一人を庇ったようだった。すぐにまた引き金を引こうとして、一瞬ヴェロニカは手を止めた。

 子供だ。

 そしてすぐに、一人がこの間『街』で見かけた少女だと気づく。乾いた血に塗れていた彼女は、ヴェロニカを見て、何故か息を呑んだ。

 やはり、魔族だったか。しかもこのセクトの。

 もう一人は呆気に取られたように、床に座り込んでいる。ヴェロニカは取るに足らない存在と判断する。

 少女の方へ銃口を向けた。

 女だろうが子供だろうが、関係ない。――死んでしまえ。魔族なんてみんな。


   7

 短いけれど大きな、何かが破裂するような音。

 木と金属でできた『装置』――拳銃。

 深紅の、軍服。

 おそらくこの地方に住む人々は、話にしか聞いたことはないだろう。けれど、ルネは知っている。

 こんな物を使用する奴らは。『帝國』――『在朱の月』。

 深い赤の制服を着ている女。

 人間が、何故こんな処へ?

 いや、『帝國』の人間がどうしてルネの前に居る?

 全身に、厭な汗が滲む。口腔内が乾く。

 拳をぎゅっと握り締める。――自らの『能力』で出血を制御した生生しい傷口に、爪が喰い込んだ。

もう二度と、眼にすることはないと思っていたもの。

 ――どうして。

 ルネの心を突き刺すものばかりが現れるのか。

 頭が痛い。

 気持ち悪い。

 どうして此処に、『在朱の月』が。


 声。

 頭の中で幾重にも鳴り響く、声が聴こえる。


 あの人の。


『誰とも話してはいけないよ』

『口を利いてはいけないよ』

『君はずっと、ここで、このまま――

 泣かないで黙りなさい迎えに行くよごめんなさいおまえはもう行かないで壊した全部もう言わないであなたのせいで死んじゃえいらない愛してるばいばいみんな壊して血の匂いがするからどうしても好きにすればいい言えない言わないそうすれば居られるだから棄てないで捨てないよ愛してる愛してる愛してるずっと一緒だから、





 だから、死んじゃえ。





 ルネが、女が再び引き金を引く前に立ち上がり、そして、彼女を押し倒す。

 首。

 首を絞める。

 何かに怯えるように、憎むように、震えながら、力一杯。

「――――か、はっ……」

 女が苦しげに呻き、片手でルネの細い手首を掴む。

「やめて……」

 レミーには、彼女に届かないくらい小さな声しか出ない。

 左手を、抑える。

 ――やめてよ。死んじゃうから。

 殺さないで。

 ルネは尚も、月色の眼を見開き女を凝視しながら何処かを見つめ、首を絞め続ける。

 殺さないで。だって、そうしたら、僕はルネを――――


 女が手から離れてしまったそれに指を伸ばし、痙攣しながらもあさっての方向へと、引き金を、引いた。

「やめてよ、ルネ――――!」

 短い炸裂音と、ルネの叫び声は同時で。

 どちらが届いたのかは判からないけれど、ルネははっとしたように息を呑み、動きが止まった。

 ふらふらと立ち上がり、茫然と、足元で咳き込む女を見下ろす。

 そうしてやっと、自身のしていたことに気付いたように。何かに、怯えたように。

「おこらないで……」

 見えない何かに小さく呟くと、逃げるように、走りだした。


   8

 咳き込みながらヴェロニカはのろのろと立ち上がり、拳銃を拾い上げた。

 ――今のは、何だ?

 危うく殺されるところだった。

 解かってはいた。魔族との力の差くらい。接近され、『装置』が離れれば終わりなのだ。何て無力なのだろう。

 座り込んで傍観していた少年は、少女を追って何処かへ行ってしまった。

 ぎり、と奥歯を噛む。少し遅れて、口腔内にぱっと血の味が広がる。頬の内側の柔らかな部分を噛んでしまったらしい。

「不味……」

 その味に顔を顰めると、緩く波打つ赤銅色の髪を纏めなおし、ヴェロニカは再び歩き出した。


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