D幕 第30編
令和5年、東京。高層ビルの最上階から見下ろす街並みは、かつてないほどの熱気に包まれていた。SNSのタイムラインを埋め尽くすのは、「元手100万円を、わずか1年で1億円へ」という扇情的な謳い文句だ。
太田黒はその画面を眺めながら、不敵な笑みを浮かべた。彼にとって、これは単なる広告ではない。自身の塔を維持するための、最も効率的な「集金装置」の起動スイッチだ。
「10倍。響きはいい。人間は『努力』よりも『魔法』を信じたがる」
太田黒の側には、常に若き愛弟子である久保の姿があった。久保は太田黒の背中を食い入るように見つめている。太田黒が展開するのは、256人のトレーダーに「一人4口座」を割り当て、計1024口座で市場という攪拌機を回す大規模な選抜スキームだ。
太田黒は、自身の後継として久保を据えようとしていた。それは単なる温情ではない。彼がこれまで積み上げてきた膨大な「敗者の屍」の山を、責任ごと丸ごと押し付けるための禅譲だ。太田黒は、塔の頂点から降り、次の隠れ家へ移る準備を進めていた。
「久保、よく見ておけ。この広告の正体を」
太田黒はモニターを指差す。そこには、派手な成功体験を語るインフルエンサーの動画が流れている。広告主は太田黒が用意したフロント企業だ。1024口座のスキームは、この広告に釣られた無知な情弱たちによって維持されている。彼らは「自分も天才の仲間入りができる」と信じ、小銭を握りしめて塔の門を叩く。
「1024口座のトーナメント戦。10連勝して最後に残る一人は、誰だと思う?」
久保は答えに詰まった。太田黒は冷ややかに続けた。
「勝者などいない。最後に残るのは、私のプログラムに最適化された『人形』だけだ。残りの1023口座は、その人形が輝くための踏み台に過ぎない。この1023人が支払う『敗北のコスト』こそが、市場に莫大な手数料という名の利益をもたらし、私の懐を潤す。そして、勝ち残った一人の天才は、次の広告の顔として利用され、また新たな1024人を塔へ引きずり込む」
久保は戦慄した。師が語っているのは投資術ではなく、人間をすり潰すための巨大な精錬炉の設計図だったからだ。太田黒は久保の肩に手を置く。その手は冷たかった。
「お前には、この装置の管理を託す。世間は1億円という数字に目を奪われる。だが、その裏で何が起きているかを知る者はいない。お前はこれから、その『知る側』に立つんだ」
太田黒が「稼ぎを10倍にする」とぶち上げた真意は、投資のリターンではない。彼が管理する「1024口座の回転数」を10倍に高めることだ。そうすれば、発生する摩擦熱(手数料)は幾何級数的に膨れ上がる。
令和の空気感の中、太田黒のスキームは完成した。SNSの広告をクリックした瞬間、彼らは自ら選抜戦という名の屠殺場へ歩を進める。久保はその光景を静かに見つめた。師から受け継ぐのは、富だけではない。無数の人々の人生を燃料として燃やし尽くす、終わりのない錬金術の主という「呪い」だ。
太田黒は立ち上がり、オフィスを後にしようとする。彼が去った後の椅子には、すでに久保が座っていた。
「さあ、始めろ。次の1024口座の選抜だ」
太田黒の背中を見送りながら、久保はモニターに向き直った。画面には、新しいカモたちが列を成してログインを待っている。100万円が1億円に化けるという幻想が、今日もまた、誰かの人生を焼き尽くす。塔の時計は、冷酷に時を刻み続けていた。




