D幕 本編 15
2024年2月22日、日経平均が34年ぶりにバブル期の最高値を更新したその日、六本木のタワーは異様な熱気に包まれていた。
窓の外では、祝祭ムードのニュースが喧伝されているが、四十八階のオフィスに流れるのは、獲物の血の匂いにも似た冷徹な高揚感だ。
「今日こそが、我々の本当の『開国』だ」
太田黒の短い宣言が、重厚なオフィスの空気を引き締めた。
集められた72人の配下たちは、皆、過去に社会の底で冷遇され、居場所を失った者たちだ。相沢はその一人として、静かにモニターを見つめていた。ここでの報酬は、単なる金銭ではない。かつての自分たちを切り捨てた社会に対する、正当なる「奪還」である。
スキームの全容はシンプルかつ残酷だ。
証券コード1570(日経レバレッジ)という増幅器を使い、72人の配下が64人の顧客を操る。配下は10億円の玉を決済させるたびに200万円の報酬を得る。月3回の回転で、配下は月収600万円を手にし、リーダーはインセンティブを含め1000万円を超える。太田黒が設計した「10%の利ザヤ」という名の収奪構造は、配下たちに安定した生活という名の「救済」を供給し、リーダーたちが配下を束ねることで、組織は巨大な権力機関へと進化していた。
太田黒のデスクには、建玉の調整を示す数値がリアルタイムで明滅している。配下一人につき200万円、リーダーへのインセンティブ、運営経費……その全てを支払っても、太田黒には決済総額に応じて巨額の金が残る。だが、その金で彼が贅沢をすることは一度としてない。
太田黒の真の目的は、この組織そのものを「救済の装置」に仕立てることだった。
相沢の報酬は、新宿区役所通りを彷徨う妹の捜索費用となり、老いた両親を支える命綱となっている。配下たちも同様だ。彼らは互いの悲劇を知り、太田黒という「導き手」の元で、社会の歪みから搾取し、自分たちの人生を買い戻そうとしている。
「総建玉の均衡を保て。この日経の最高値という狂乱は、我々にとっての収穫祭だ」
太田黒の声に、相沢は深く頷いた。
相沢の手元には、今日も獲物となる超富裕層からの問い合わせが鳴り止まない。受話器を握りしめ、相沢は静かに口角を上げる。銀座の接待、あるいは海外でのバカンスという「餌」を撒き、客をこの死のゲームへ引きずり込む。
六本木の塔は、今日も静かに欲望を飲み込み、巨大な富を再分配していく。
それは正義なのか、あるいは完成された犯罪か。答えなど必要ない。太田黒の指揮の下、72人の歯車が噛み合い、六本木の空に新たな支配の時間が刻まれた。




