35. 小さな太陽
裏切り者の荊を粛正するため、老兵白朮と諜報員の吾亦紅の二人を連れてこの異世界へと足を踏み入れていた紫雲英は、超長距離射撃を恐れ、宮殿に近づけずにいた。
◇紫雲英、吾亦紅、白朮、集落◇
砂漠の世界に夜が訪れた。昼間、熱を与えていた太陽は砂丘の稜線に沈んで消えた。
荊たちがいる宮殿から、十キロほど離れた集落。そこの一画にある建物内には、マントで全身を覆い隠した三人の男たちが床に座っている。部屋の中は昼とは違い、開けっぱなしの窓からは涼しい風が入っていた。
「だいぶ涼しくなりましたね、班長」
坊主頭で小太りの男、吾亦紅が紫雲英にそう言った。
「昼間に比べれば……だな」
紫雲英は汗でベタついた長い髪を後ろに撫でつける。
「なぁ紫雲英よ、馬酔木はこっちに来とるんじゃろ? 連絡はまだないんかのぅ?」
そう尋ねたのは、口元とアゴに長く白い髭を蓄えた老人、白朮。
白朮は日除けに被っていたテンガロンハットを床に置いた。あらわになった頭髪も白く長い。後ろで束ねているが、毛量はやや少なくなっている。
紫雲英達がこの砂漠の異世界へやってきて一週間が過ぎようとしていた。三人が最初に転送された地点はここから少し離れた場所にある小さなオアシスだった。そこから一気に宮殿を目指したが、荊の長距離射撃により、思うように前へ進めず、この集落まで追い込まれているのだ。
この集落には、水も食糧もある。そこそこの数の人が暮らしており、砂漠を旅する者がよく立ち寄る場所でもある。旅人に扮して何度かここからの脱出を試みたが、何故か自分たちだけが狙い撃ちされている。幸い、荊の狙撃で大きな怪我はしていない。
「班長、こっちから馬酔木さんに連絡してみるのはどうですか?」
「駄目だ。今日の正午、現実世界からこの異世界に来ているはずだ。行動を共にしている英から監視されているのかも知れん。俺から馬酔木へ連絡はできん」
「やれやれ、老体には堪えるわい……」
白朮は座ったまま腰に手を当て、背筋を伸ばした。
「申し訳ない、白朮先生。荊が相手なので貴方の射撃の腕に頼ったのですが、まさかこんな超長距離射撃の的になるとは思いませんでした」
紫雲英はそう言うと、窓の外を見やる。空には月と星が瞬いている。
「夜間もしっかり撃ってくるあたり、荊のライフルのスコープには、赤外線暗視装置などが搭載してあるじゃろう」
紫雲英の耳のイヤホンが通信を捉えた。相手は馬酔木だと思っている紫雲英は、すぐに指を当てて応答する。
「私だ、随分遅かったな」
『申し訳ありません、現実の世界から湧き出る猿の駆除に追われていたもので……』
紫雲英は細い目を見開いた。聞こえてきたのは馬酔木の声ではなかった。
「荊か!?」
白朮、吾亦紅は紫雲英を注視する。
『お久しぶりです。紫雲英班長』
「なぜ……お前が馬酔木の通信機を?」
『撃って奪いました。もしかしたら死んだかもしれません。ついでに、一緒にいた花冠って人も』
感情の籠っていない声が、紫雲英の耳に届く。
「そうか……まぁ、いい。これでやっと話ができるな、荊。お前の目的はなんだ? 金か? 野望か?」
『どちらでもありませんよ……私が貴方へ連絡したのは忠告するためです』
「ほぅ、問答無用で撃ってきた人間が、わざわざ忠告をねぇ……弾が尽きたのか? 王政を揺るがす事件が起きたか? 九鬼や英が何かやらかしたか? それとも、それ以外の誤算がおきたか? ……いずれにせよ、お前の周りで想定外の何かが起きた。だから俺に連絡をした……どうだ、違うか?」
『…………』
荊は暫く沈黙した。紫雲英は口角を上げる。今言ったどれかが当て嵌まると確信した。
『……流石ですね、紫雲英班長。参りました……実は、困ったことが起きました。交渉がしたいのです』
紫雲英は小さくフンと鼻を鳴らす。
「いいだろう、可愛い部下が頭を抱えているのなら、俺は上司として相談に乗ろう」
静かに聞き耳を立てる吾亦紅と白朮は、紫雲英を伺い見ながら手で顔を仰ぎ、汗を拭いた。
「俺たちも、お前の狙撃でこの場から動けずに困っている。お互いの未来のために、いい話し合いがしたい」
紫雲英の額に汗が滲む。
『実は今、この国では兵器を開発中なのです……一度で大量の人を殺せる兵器を』
「……大量殺戮兵器……というヤツか? しかしそんな大それた物を作る技術力が、この世界にあるとは思えないがな」
「そうですね……ここは剣と魔法が支配する異世界。私が持ち込んだ銃やライフルを見て、ここの住人は驚いていましたよ」
「お前の武器を見てか? その程度の文明レベルで、兵器と名乗れる物が作れるものなのか?」
『作るつもりです。しかも、一度で大量の命を枯らせる兵器……それは女王自らが指揮をとり、試行錯誤の末に作り上げた傑作です。彼女はまず、国中から学者を募り、チームを結成しました。そして次に、太陽について観測をはじめたのです……』
紫雲英は、吾亦紅が上着を脱ぐ姿を見て違和感を覚えた。
日は落ちたはずなのに窓の外から入る夜風がぬるい。
この異世界で数日間過ごした経験から、ここは現実世界を模した世界だと分かった。昼間は暑く、夜は冷えるのだ。
なのに白朮も腕まくりをした。
『……女王は学者たちを鼓舞し、自分の発案した兵器がいかに素晴らしい物かを雄弁に語りました。そして……』
「待てッ!」
突然、紫雲英は誰に向けての言葉なのか分からない叫びをあげた。それに驚いた二人の体は固まる。
「吾亦紅! 外を確認しろ!」
窓の外へ目をやる。空はいつの間にか明るくなっていた。
「なんじゃ!? 外が明るい!」
「うお!! 紫雲英班長!! そ、そ、空に!?」
吾亦紅と白朮は驚いている。慌てて紫雲英は窓から顔を出して、白ぼけた空を見上げた。
そこには、巨大な白い火球が浮いていた。それはまるで小さな太陽のようだった。
『元部下である私の話を丁寧に聞いてくださり、ありがとうございます。紫雲英班長。おかげで貴方に悟られずに、女王が開発した兵器、小さな太陽を発動できました』
集落の人間が騒いで慌てふためき、逃げ出そうとしている。火球から放たれる強烈な熱波は、屋外に出た者を容赦なく焼いた。
「クソッ! やべぇよ班長! 帰還しましょう!」
吾亦紅が叫ぶ。白朮も装置を準備している。
『紫雲英班長、私は……何も困っていませんよ。馬酔木の通信機を使って貴方へ連絡をしたのは、貴方が興味のありそうな話題を提供して注意を逸らすためでした。私は目的の為に手段を選ばない冷徹な貴方のことを尊敬していました。しかし、ここ数日間、砂漠の熱にやられて勘が鈍ったのですか? それとも貴方は本当に困っていて、藁にも縋る思いで私と交渉がしたかったのですか? どちらにせよ、こんな策に嵌まるなんて……もはや尊敬の対象外ですよ。貴方は』
三人の居る部屋の温度がみるみる上昇してゆく。それに耐えられず、吾亦紅と白朮は叫ぶ。
「熱ちぃ!! は、班長ぉ!! 早く! 早く戻ろう!」
「紫雲英! 早ようせい!!」
「荊……覚えておくぞ」
紫雲英はそれだけ言い放ち、二人とともに光に包まれると、この砂漠の異世界を後にした。
──その後、火球はしばらく集落の上空に居座り続け、明け方まで燃焼を続けた。そこに残されたのは丸焦げになった人々の死体と崩壊した家屋だけだった。
*次回、『トロール』




