2-1.周りに流されない強さ
近鉄弥富駅を降り立った琉聖は、この場所が文鳥の聖地であることをはじめて知った。弥富が金魚の産地として有名だということは知っていたけれど、改札を出たところに設置されていたPR用の大きな立て看板の説明書きを読むと、ピンクの嘴に真っ白でまんまるなからだをした白い文鳥はここ弥富で生まれた生き物なのだとか。
「りゅうせー、鳥が好きなのー?」
かわいらしい文鳥のイラストに引き寄せられるようについつい足を止めてしまった琉聖の肩越しに、左京も同じ立て看板を見た。その隣には右京もいて、「意外ー」と言った。
「りゅうせーってバレーとゲームの印象しかないからなー」
「そう?」
「うんー。動物好きなんて聞いたことないしー」
それはそうかもしれないな、と思う。ゲームは暇さえあればやっているから好きなことはバレるし、バレーは見てのとおりだ。それ以外の自分の話を琉聖はあまりしなかった。動物が好きなことを誰かに知ってもらいたいとも思わなかった。
「昔から好きなんだよな。俺が生まれた時には家に犬がいたし、うちは東山動物園が近いってのもあって、よく連れてってもらってた」
「動物園かー」
「いいねー。おれたちで言うところの名古屋港水族館みたいなもんかー」
「そだねー」
右京、左京が互いに顔を見合わせて微笑む。二人の暮らす名古屋市南区は、名古屋港水族館のある港区のすぐ隣だ。
一方、琉聖の住まいである名古屋市千種区には東山動植物園があり、日本では貴重なコアラの見られる動物園として有名だった。両親は年間パスポートを持っていて、幼い頃は毎週のように父親に動物園へ連れて行ってもらった。テレビで動物の番組を見るのも、実物を動物園で見るのも好きで、幼稚園の卒園式では「将来の夢は動物園で働くこと」だとみんなの前で発表したことを覚えている。
実はその夢を琉聖は、少しだけ形を変えて今でも持ち続けていたりする。
「俺、大学は獣医学部に行こうかと思ってて」
前を行く雨宮たちを追いかけるように歩き出しながら、琉聖はぽつりとひとりごとのようにつぶやいた。
「手術で入院してた時、たまたまつけてたテレビで野生のライオンの特集番組がやっててさ。それを見て、思い出したんだ。バレーを始める前の夢は動物にかかわる仕事に就くことだったよな、って」
「「へー」」
琉聖を挟むように歩く左京と右京が同時に嬉しそうな声を上げた。琉聖の右手側にいる左京が「やっぱり意外ー」と続ける。
「ほんとに動物が好きなんだねー」
「うん。で、せっかく丘高に受かったし、なるなら獣医かなって」
「プロのバレー選手になるんじゃないのー?」
右京が純粋な疑問として投げかけてくる。琉聖は首を横に振った。
「そういうのは、本気でその場所を目指してるヤツがなればいいよ。俺は今、丘高のみんなとやるバレーが楽しいって思えてるから、それでいい」
中学の頃に一度は夢見たプロの世界だけれど、もともとこだわってはいなかった。声がかかればもちろん検討はするものの、獣医になりたいという想いは簡単には捨てられないほど大きくなりつつある。
バレーに対する今の琉聖の想いは一つ。実里丘高校で出会った仲間を大切にして、彼らとともに少しでも上を目指して戦うことだけだ。
「伊達先輩もそう思ってくれてるといいねー」
左京がいつもどおりの口調で、しかし気持ちのこもった声で言った。
「おれもさー、快が入ってからあんまり試合には出られてないけどー、それでもみんなと一緒にバレーするのが楽しいって思えてるから、やめたいとは思わないんだよねー」
琉聖の胸に、細い針で刺したような痛みが走る。六人しかコートに立てないスポーツである以上、人数が増えればその分ベンチで出場の機会を待つ者も増えることを忘れてはいけない。
「ごめんな、なかなか出してやれなくて」
「いいよー。出るほうも出るほうで大変だって、いつも右京が言ってるしー」
「そうそうー、大変ー」
右京があまり大変そうには聞こえないトーンで言った。
「りゅうせーの要求値ってなんだかんだ高いからさー。ついてくのに必死って感じー」
「そう。ごめん」
「いいよー。もっとがんばらなきゃなーって、モチベーションは上がるからー」
「伊達先輩もきっとそうだと思うよー」
今度は左京が声を上げる。
「がんばらなきゃーって思いすぎてー、どうやってがんばればいいのかわかんなくなってるんじゃないかなー。りゅうせーの代わりになるとかならないとかじゃなくてー、伊達先輩自身がどうなりたいかがわかんない、みたいなー」
「こうがが勝ちたい勝ちたいうるさいしねー」
右京が煌我を小馬鹿にしたような口調で言う。
「勝ち負けよりもさー、もっと大事なものがあると思うんだよねー」
「そうそうー。まずはバレーを純粋に楽しむ、とかねー」
「ねー。伊達先輩も絶対、前まではバレーをもっと楽しんでたはずだからさー」
だよねー、と左京が相づちを打つ隣で、そうだよな、と琉聖も心の中でつぶやいた。
勝つことだけを目指しているとろくなことがない。琉聖の中学時代の体験がそれを物語っている。
本当は、もっと小さな目標でいいのだ。この攻撃から一点を取る。このコンビネーションを完成させて、試合で使う。それだけでいい。そうした小さな目標を達成していくことの積み重ねが、自然と勝利をもたらしてくれる。
わかっていたのに、出遅れた。
このことをもっと早く、伊達に話してやれていたら。
やはり後悔の念に苛まれ、琉聖は唇を引き結んだ。この失敗を仮に取り返せなかった時、雨宮になんと言って謝ろう。
そんなことを考えながら歩いていると、閑静な住宅街の中に目を瞠るほどの大豪邸が現れた。値の張りそうな黒い石に彫られた荘厳な〈伊達〉の文字に、琉聖は思わず息をのんだ。
「でっか……!」
煌我があんぐりと口を開ける。一年生は全員同じ顔をしていた。
「すげー金持ちじゃん、伊達さんち」
「そうだよ」
美砂都が説明してくれた。
「公恭くんち、この近くで総合病院を経営しているの。おじいさんが開いた病院で、今の院長先生がお父さんなんだって」
「へぇ。じゃあ伊達さんが三代目?」
「しぶしぶ、って感じみたいだけどな」
煌我の問いに、今度は雨宮が答えた。
「あいつ、ああ見えて自分のこだわりってやつをちゃんと持っててさ。医者にはなりたいけど、長男だからって跡継ぎを強要されるのは気に入らないんだと」
「そうなんだ。お父さんと同じ道じゃイヤってことか」
「というより、『ぼくは大病院の院長先生って柄じゃないし』みたいなことを思ってるっぽいな」
「あー、なるほどね。言いそうだなぁ、伊達さん」
「だろ。まぁ、周りに流されない強さがあるってのは悪いことじゃないけどな」
そうっすね、とうなずく煌我の姿に目をやりながら、琉聖は琉聖なりに伊達のことを考えていた。
こだわり。周りに流されない強さ。
雨宮の言葉が強く印象に残る。
根拠はない。けれど、もしかしたら伊達は、唯一無二のなにかを求めているのではないかと感じた。
雨宮のように背が高くない。琉聖のようなバレーボールセンスも、煌我のようなジャンプ力もない。
それでも伊達は、チームのためにできることを探し続けていた。バレーの実力で後輩に劣っても、相手をよく観察したり、データを取ったりと、彼にしかできないことでチームに貢献する道を模索し続けてくれた。
父と同じ医者という職に就き、父とは違う医者になりたい。他の誰とも重ならない、誰の代わりでもない自分。そういう存在に彼はなりたいのではないだろうか。
だから伊達は、チームのみんなが彼の中に琉聖の面影を探そうとするのを嫌い、現実から目を背けてしまった――。
「じゃあ、久慈」
考えに耽っている琉聖の肩を、雨宮がポンとやや力を込めてたたいた。
「頼むぞ。うまくやってくれよ」
「はい」
琉聖は返事をする。まずは伊達と二人で話をさせてほしい。電車で移動中、そう琉聖が願い出たら、雨宮は「下手を打つなよ」と釘を刺しつつも琉聖の意思を尊重してくれた。こんな非常事態でも雨宮はいつもと変わらず、どこまでも優しい後輩思いのキャプテンだ。雨宮は琉聖以外の部員を引き連れ、伊達家の前から離れた。
遠ざかっていく八つの背中の一つに、琉聖は声をかけた。
「煌我」
煌我が琉聖を振り返る。なんでもない顔でこちらを見ているようで、やはり、ほんの少しだけ表情が硬い。
「大丈夫?」
伊達の父親の話が出た。煌我は亡くした父に憧れてバレーを始めたと言っていた。
琉聖の気づかいに、煌我は一瞬悲しげな色をその目に映した。けれどすぐにいつもの自信たっぷりな顔を取り戻し、ニカッと琉聖に向かって大きく笑った。
「おまえに心配されるようじゃあダメだな、おれも」
「なんだよそれ。せっかく声かけてやったのに」
「ハハッ。ありがとな。でも今は、おれのことより伊達さんだろ」
そのとおりだ。琉聖がうなずくと、煌我は「頼むな」と右手を挙げ、雨宮たちを追いかけて走り去った。伊達家からは身を隠すことができ、煌我たちからは伊達家の前の様子がどうにか見えそうな交差点の角に雨宮が立っていて、煌我は手招きする雨宮と合流し、角の向こうへと姿を消した。




