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伍ノ幕 ひと休み

「お兄ちゃん、そんなに広げないで……痛いよ」

 ここは布団の上。行灯(あんどん)の淡い光が(あずさ)美烑(みあ)の肌を照らしている。

「やかましい、広げなきゃ見えないだろうが」

「で、でも恥かし……、痛っ!」

 突如体に走った痛みにびくんと()ねる美烑(みあ)の体。

「あん、無理やり……しないで」

(なまめ)かしい声を出すな。いいから傷口を見せなさい」

 (あずさ)行灯(あんどん)の光に(かざ)しながら美烑(みあ)が受けた傷の一つ一つに軟膏(なんこう)を塗っていく。これは普通の傷薬ではなく、(あずさ)が特別に調合した塗り薬だ。ただ傷の直りを早めるだけではなく、精気(せいき)を含ませることで妖気(ようき)の回復もできる優れもの。

 普通ならこれを塗っておけば翌朝には(なお)るのだが、今回ばかりはそうもいかない。

 失った妖気(ようき)が多すぎる。

「よし、もう服着ていいぞ」

「ん~、もう少し見てくれないの?」

「どこを見てほしいって?」

「えっと……乳房(ちぶさ)とか?」

「……」

 (あずさ)はジト目で美烑(みあ)のささやかな胸を眺めた。はっきり言って乳房といえるほどの代物(しろもの)ではない。バストというよりはチェストに近い。

 そんなに見てほしいなら勝手に大きくすればいいのに、とか(あずさ)は思ったりしたが今は言わない。そんな余計なことに妖気(ようき)を使わせるわけにはいかないのだ。

「いいよ、もうっ!ふんだっ!!」

 美烑(みあ)()ねたような声をあげて服を着始めた。

 肌着は襦袢と呼ばれる薄い生地の和服だ。着物の質が悪いためちょっと濡れると透けてしまうネグリジェのようなもの。当然キャミソールもなければパンツもない。美烑(みあ)の場合尻尾が2本あるために、(すそ)()くれ上がって尻尾の付け根から無毛の股間まで丸見えだ。

(……色気づくなら少しは気にしろよ)

 美烑(みあ)は狐であった頃に何匹も子供を産んでいる身だ。肉体的な恥ずかしさよりも精神的な恥ずかしさ……恋心の方が美烑(みあ)にとっては新鮮で、慣れないものだったりする。

 心を、人語(じんご)を、人の文化を知ったからこそ芽生えたもの。

「とりあえず寝ておけよ。お前は風邪気味の上に、妖気(ようき)を失ってるんだからな。補充は明日から始めるから今日は寝ろ」

「お兄ちゃん」

「なんだ?」

「その……ちょっと、嬉しいかも」

「はあ?」

「あの……、心配してくれるのが、すごく……嬉しいんだよ。その……」

 言いながら恥かしくなったのか、掛け布団を鼻上まで持ち上げた。その目が次第に(うる)んでいく。

「はあ、まったく」

 (あずさ)美烑(みあ)のおでこにキスをして離れようとした。その(あずさ)の手を布団から伸びた美烑(みあ)手が捉える。いつもの美烑(みあ)なら(あずさ)など軽く組み伏せるのだが、今は力を入れれば簡単に動かせるほどに弱々しい。

「……」

 美烑(みあ)の瞳は(あずさ)に合わされたまま、何も語らず。されど強く求めて。

「本当に、まったく」

 (あずさ)は立ち去るのをあきらめて美烑(みあ)と同じ布団に入った。向かい合うように横になった(あずさ)の胸に美烑(みあ)がしがみついた。

「怒ってる?」

「うん?」

「その……、あたしが無茶したこと。お兄ちゃんが止めたのに、妖気(ようき)を使っちゃったこと」

「いや、怒っちゃいないよ。どっちかって言うと、……怖かった。お前がいなくなるんじゃないかと思って」

 美烑(みあ)の頬をぷにぷに(いじ)りながら(あずさ)は答えた。美烑(みあ)は目を細めつつも視線を外さない。

「ん……」

「でも、こうして炬香(こか)と3人生き残れたのはお前のおかげだ。ありがとう」

 (あずさ)美烑(みあ)の狐耳や尻尾、髪の毛や体を撫で回す。美烑(みあ)もそれに答えるように(あずさ)の体に抱きついた。

「んあ……」

 ひとしきり()であって満足したのか、美烑(みあ)のほうから体を離す。

美烑(みあ)?」

「えへへ、もう大丈夫。1人で眠れるよ」

「本当に、大丈夫か?」

「うん。……これ以上独り占めしてたら炬香(こか)ちゃんに悪いし。炬香(こか)ちゃん最近寂しがり屋さんだから、あんまり独りにしたら()ねちゃうよ」

 言った美烑(みあ)本人のほうが寂しそうな顔をしていたが、(あずさ)は軽く抱きしめてから体を離した。

「お休み、美烑(みあ)

「うん……お休み」

 (あずさ)美烑(みあ)が寝ている部屋から廊下に出た。

 そして気配を探る。

「……」

 居た。

 柱の影。張り付くように、影に溶け込むようにこちらを(うかが)うモノが。

炬香(こか)

「ひゃいっ!?」

 その怪しい影――炬香(こか)が変な声を上げて飛び出してきた。

「お前は……、普通に入ってくればいいだろうに」

「だ、だって……、『2人だけの世界』って感じで……」

「どこで覚えてくるんだそんな言葉」

「えっと……、炬香(こか)の中の魂の記憶が……」

「ごめん、聞いた俺が悪かった。話が重くなりそうだからその辺で」

「む~」

 炬香(こか)(ふく)れながらも歩き出した(あずさ)の後を追った。

美烑(みあ)様は大丈夫なのです?」

「いや、正直まだ危険だ。応急処置はしたがすぐには全快(ぜんかい)しないだろう。妖気(ようき)は明日以降回復していくとして……」

「何か……問題があるですか?」

「ああ。把音(たばね)が言っていたように家臣団まで派遣されるかどうかはわからないけど、これから人間が襲撃してくる回数は確実に増えるはずだ」

「そうなのです?」

「冬に入ると農民はやる事が無くなるんだ。特にこのあたりではな。家の雪下ろしとかなら子供がいれば問題なくできるし」

「……」

美烑(みあ)があの状態である以上、炬香(こか)にも色々やってもらいたいんだが」

 そこでふと炬香(こか)が寂しそうにしているのに気がついて、抱き上げてみた。

炬香(こか)……」

「……」

 炬香(こか)は黙ってぎゅっと(あずさ)の服を掴んだ。

美烑(みあ)が回復する前に人間が攻めてきたら、またお前に出てもらわなきゃならない。それも美烑(みあ)なしで、だ」

「うん」

「俺は妖符(ようふ)の作成と美烑(みあ)の治療をするから、お前は食料の調達と……下に罠を仕掛けてきてくれ」

「下って……いつも戦ってるところです?」

「そう。(がけ)崩したからな。前より簡単にこの神社まで上がってこられるようになった。あの荒地(あれち)で食い止めないとあっという間に包囲されて終わりだ」

 (あずさ)炬香(こか)を抱えたまますとんと縁側(えんがわ)に腰掛けた。

(あずさ)……?」

炬香(こか)も大きくなったから今まで以上に必要だろ?これから戦ってもらうわけだし」

「ふあっ!……は、はいです」

 じじじぃ~っと。炬香(こか)は恥ずかしさと緊張……もうすぐ泣くぞ、と言わんばかりの表情で、でも期待と渇望(かつぼう)を込めた瞳で(あずさ)を見つめる。肉体的には幼稚園児のそれだが、表情は乙女のものだ。

「あんまり躊躇してると、ますます恥ずかしくなるぞ」

「じゃ、じゃあ、……遠慮なしですっ!!」

 炬香(こか)(あずさ)の口にむしゃぶりついた。唾液と共に精気(せいき)を取り込んでいく。

「んんっ」

 (あずさ)母乳(ぼにゅう)を飲む乳児にするように、炬香(こか)の頭を撫でたり、体を撫でたり、これは人外(じんがい)だからこそだが尻尾を撫でたりしている。

 慣れぬ体を振り回し、妖符(ようふ)を使い切り、自身より大きな美烑(みあ)を担いで動き回った 炬香(こか)は予想以上に妖気(ようき)を消耗していたらしい。砂漠で水にありついた旅行者のごとく、ごくごくと(むさぼ)っていく。

「んっ、はあぁ……」

 しばらくして口を離した炬香(こか)はまだ物足りなそうな顔をしている。

「もういいのか?」

「これ以上炬香(こか)がもらったら、美烑(みあ)様の分が……」

「その分炬香(こか)がいろいろ狩ってきてくれれば問題ない。まだ自分の体に慣れてないんだから遠慮するなよ。炬香(こか)にまで倒れられたらいよいよ手詰まりだぞ」

「じゃ、じゃあ……、もっと(もら)うですっ!」

 炬香(こか)は再び吸い付いた。舌を差し込んで、押しつけて、犬がするように唾液(だえき)(すく)い上げて飲み込む。

 手は(あずさ)の耳に。(あずさ)の顔を固定するように握っていた手をやわやわと動かし、耳を、髪を、首を、胸をまさぐるように動かす。

 その手は愛おしげで、寂しげで、そして情熱的であった。

「ちゅぱっ……ふう」

 炬香(こか)は唇を放した後も、美烑(みあ)がそうしていたようにぽーっと宙を見つめている。体の力を抜いて(あずさ)の腕にすっぽり収まったまま。けぽっと小さなげっぷをしながら、それでも満足はしたようで心地よさそうに体を横たえている。

 (あずさ)はそんな炬香(こか)の体をゆっくり撫でていく。

「満足したか?」

「……、ちょっと……食べ過ぎたような感じ、ですぅ……」

 (あずさ)は視線を虚空(こくう)へと向けた。昼間の雨が嘘のように晴れ渡っている。(あずさ)の視線につられて見上げた炬香(こか)の瞳には満点の星空が浮かんでいた。

 月はない。

 それはまるで美烑(みあ)()せっているのを象徴しているようで……。そこまで想像した炬香(こか)はなんだか悲しくなって、寂しくなって……涙が(こぼ)れた。

「……ぐしゅっ、ぐす~」

「どした?」

「ん~ん」

 言ってしまうとそれが現実になってしまいそうで、そしてそんな事を考えてしまった自分が嫌で、炬香(こか)は首を振って口を閉ざし、(あずさ)の胸に顔を埋めた。

炬香(こか)……、美烑(みあ)と3人、こうして星を眺められるようがんばろうな」

「……ん」

 炬香(こか)は小さく(うざず)いた。

 しばらくすると、すーすーと寝息が聞こえ始めた。

「……」

 (あずさ)は暫しその横顔を眺めていたが、きっ、と満点の空を見上げた。

「これからだ。……今度こそ失わない」

 今日生き残ったのは把音の気紛れと、運が良かったというだけ。それでも後悔はしない。

 今日の失敗を反省し、明日に生かす。

 もうあんな想いはたくさんだ。

 これから。

 これから……。



(あずさ)、ここでいいです?」

 ここは拝殿(はいでん)と呼ばれる建物……そのさらに奥にある、この神社で最も神聖な場所。

「ああ、そこでいい。それ以上はまだ近づくなよ。怪我するから」

 この神社に(まつ)られた農耕神(のうこうしん)美烑稲荷(まみあかいなり)』のおわす場所。正確にはそのご本尊(ほんぞん)が安置されており、他の場所より強い、また質の高い結界が張ってある場所である。

「さすがにこのビリビリする光には触りたくないのです」

 それは本来であれば美烑(みあ)炬香(こか)といった妖怪の類は入り込めないものなのだが、今美烑(みあ)の体は結界の中に敷かれた布団の上にある。

美烑(みあ)様は大丈夫なのですか?息苦しくないです?」

「んっと、何ともないけど?」

「別にこの結果は中にいるものの妖気(ようき)を根こそぎ吸い取ったり、封印したりする類のものじゃないからな。ただ入らせないというだけの結界だ」

 エアーカーテンのようなものだ。

「通るときは多少刺激があるかもしれないが、美烑(みあ)くらい強ければ特に問題はないし、今回は細工したから、美烑(みあ)はほとんど素通りだったからな」

 簡単に言うと「美烑(みあ)」は妖怪の類じゃないですよ、(けが)れてませんよと結界に信じ込ませて通過させた、というところか。

「へえ~、それで何も感じなかったんだ。でも、なんでここに?」

美烑(みあ)の体調が悪くなったのは、変な妖気(ようき)が紛れ込んだせいだろう?」

 美烑(みあ)は「伝話(でんわ)」の練習中に、自分とは違う妖気(ようき)が体内に流れ込んだために風邪に似た状態になり、本調子で戦えなくなってしまった。

「その何かを追い出すために……?」

「いや、それは自分で何とかしてくれ」

 美烑(みあ)の予想とは違ったらしい。

「ちょっと期待したのに」

 (あずさ)が考えている以上に自分の中の違和感が不快なのか、美烑(みあ)はジトっとした瞳を向けた。

「そうじゃなくてだな……。これからお前の中に大量の精気(せいき)を送り込む。その時にまた変な妖気(ようき)が流れ込まないようにこの場所を選んだんだよってこと」

 言葉につられるように美烑(みあ)は周囲を見回す。炬香(こか)のいうところのビリビリする光が床を縦横無尽(じゅうおうむじん)に走っている。同心円状に4本。その最も中心にある円の中には陰陽道(おんみょうどう)の象徴たる五芒星(ごぼうせい)。部屋の四方・東西南北には、それぞれの方角を象徴する色である青白黒赤で覆われた行灯(あんどん)

 ちなみにさすがに真っ黒では光が出ないので、南の行灯(あんどん)は黒がかった黄色の行灯(あんどん)になっている。

「確かに……空気が綺麗な気はするけど……」

 妖怪である美烑(みあ)はどこか落ち着かない様子。

「それで、俺と美烑(みあ)は基本的にここを離れられないから、炬香(こか)には食料の調達と戦場の準備をしてもらいたい」

「食料の調達はわかるですけど……、戦場の準備って……」

「これを見てくれ……」

 バアサッという音と共に巨大な紙が広げられる。その大きさは畳6枚……6畳分に相当する。(あずさ)たちが居る、一段高くなったエリアでは収まりきれないので、炬香(こか)が座っている広間の方に広げる。

「これは……?」

「あの荒れ地の俯瞰図(ふかんず)だ」

「ふかんず……です?」

 炬香(こか)は何のことかわっていない様子。

「鳥が空から地表を見下ろしたように書かれている地図のことだよ、炬香(こか)ちゃん」

 つまりこれ、と美烑(みあ)は指差した。

 炬香(こか)が座る側にデフォルメされた神社、その前には一直線に伸びる階段、そして粗く削られた(がけ)とその先には荒れ地が広がり、その外周にまたなだらかな(がけ)がある。

 そして(あずさ)美烑(みあ)の居る側には、(がけ)()うように蛇行(だこう)した道が(えが)かれている。その道を進んだ先にあるのが近くの村。いわゆる人里だ。

「昨日も言ったがしばらくは炬香(こか)1人で戦うことになる。とはいえ1人で全部相手するのは無理だからな。事前にいくつか罠を張っとく必要がある」

 そう言っていくつかの妖符(ようふ)を取り出した。それは前に作ったものとは違うもの。

「これは?」

 前に渡されたモノとは性質の違う……妖気(ようき)の流れが違う妖符(ようふ)を前に炬香(こか)は首を傾げた。

「これは設置型の妖符(ようふ)……つまり罠だ。前に渡した妖符(ようふ)妖気(ようき)を流し込むことで技を発動するものだが、これは先に妖気(ようき)を送り込んでおいて設置。人が通ったり、誰かが新たに妖気(ようき)を流し込むかすることで発動する」

 いわば地雷だ。それも遠隔自爆機能付の。

「とりあえずはこれを設置してきてくれ……場所はここと、ここと、ここ、それから……」

 (あずさ)は地図上を指差していく。基本的には同じ間隔で設置していくようだ。

「わかったのです」

「仕掛けるときに妖気(ようき)を入れるのを忘れるなよ。……それと無理はするな。妖気(ようき)が減ってきたらちゃんと戻ってくるように」

「はいです」

 炬香(こか)は小さく頷いて出て行った。

「お兄ちゃん、念のため言っとくけど炬香(こか)ちゃんにあんまり無茶させないでね。急に妖気(ようき)が強くなったせいで、その……調子にのってるとこあるから」

 美烑(みあ)が少しキツい言い方をするが、意地悪で言っているわけではない。それは(あずさ)にもわかっている。

 美烑(みあ)は今までずっと1人で戦ってきたのだ。

 (あずさ)と出会う前からずっと1人で。

 その間には、軽はずみな行動で危険な目にあった事もあるだろう。

 加えて今回美烑(みあ)が負傷したのは、風邪気味である事以上に美烑(みあ)の油断によるところが大きい。はっきり言って、

美烑(みあ)が言うなよ」

「う……、あ、あたしだから、だよ。炬香(こか)ちゃんに同じ失敗をして欲しくない。炬香(こか)ちゃんはあたしほど丈夫じゃないんだから……」

「俺に言わせれば、お前も十分弱いけどな」

「……ほんとに?」

 美烑(みあ)は上目遣いで(あずさ)に聞き返す。

「あたしって……弱いのかな」

「何だどうした?」

「頭なんか全然良くないし……、調子乗って先走ってすぐ怪我するし……」

 だんだん頭が下がってきた。

美烑(みあ)……」

 (あずさ)美烑(みあ)の頬を包み込んで上を向かせる。

「お兄……ちゃん……ううう、ぐしゅっ……ううう~~~」

 美烑(みあ)の瞳が(ゆが)み、あっという間に涙が()まって(こぼ)れ落ちた。

「あ~ごめんな。言い方が悪かった。美烑(みあ)もだいぶ気ぃ滅入ってんだよな」

 (あずさ)美烑(みあ)の頭を胸に抱え込んだ。

 そのまま体を(さす)ったりして美烑(みあ)を落ち着かせる。

「ごめん……」

 しばらくして落ち着いたのか美烑(みあ)(あずさ)の胸から顔を上げた。まだ涙目ではあったが、今は力を取り戻すこと優先する。

「じゃあとりあえず……、これから美烑(みあ)精気(せいき)を与える」

「は、はいっ!!」

 (あずさ)美烑(みあ)は布団の上に正座して姿勢を正した。

 さながら新婚初夜の図である。

「心の準備はできてるよ。……ちょっと恥ずかしいけど」

「待て、何で襦袢(じゅばん)に手をかける」

「え?だってするんじゃないの?……着たままするの?」

 (あずさ)は暫し何を言っているのかわからなそうな顔だったが、ようやく思い至った。

「どうやって?」

「どうやってって……ぽっ」

 何かいろいろと想像したようで、美烑(みあ)は顔を赤面させた後、つーと鼻血を一筋。

「ったく……、たしかに交尾って方法もないわけじゃないが、はっきり言って効率が悪い」

 狐が人を化かして精気(せいき)()る上で最もポピュラーな方法で、子供まで作る狐もいるようだが、事前にあれやこれやとせねばならないために効率が悪い。

「あれ?炬香(こか)ちゃんを外に出したのはそういう意味で、じゃないの?」

「どこまで好色(こうしょく)なんだお前はっ!」

 好色(こうしょく)……つまりエロいということ。

「……しないの?」

 美烑(みあ)は本気でガッカリしたようで、尻尾も耳もへなりと垂れ下がってしまった。おまけに顔も(うつむ)いて、再び泣きそうになる。

「あーなんだ……。今回のこととは別にそのうち……な」

「え……いいの?」

 既に涙が()まり始めた瞳を(あずさ)に向ける。

「男に二言はない」

「やたーっ!!!」

 諸手(もろて)を挙げて喜声を上げる美烑(みあ)は本当に嬉しそうで、見ているだけで幸せになれそうだ。過去のトラウマがあって、(あずさ)には一緒に喜べない気持ちがあったのだが。

 一頻(ひとしき)り布団の上を転げ周り喜びを存分に()み締めた後で、再び向かい合う。

「それで結局どうするの?」

「あれを使う」

 (あずさ)が指差したのは美烑神(まみあかしん)のご本尊(ほんぞん)……その前に安置されている御神刀(ごしんとう)

 御神刀(ごしんとう)そのものが本尊(ほんぞん)であったり、本尊(ほんぞん)を宿す依代(よりしろ)であったり、祭のときに用いるただの道具であったり……。場所にもよるが、神社の中ではご本尊(ほんぞん)の次に(とく)の高いであろう刀である。

 (あずさ)は無造作に御神刀(ごしんとう)の元へと近づいていく。それなりに結界が張られているはずなのだが、(あずさ)にはあってなきようなもの。軽く立礼(りつれい)して御神刀(ごしんとう)(つか)み取る。

 白木の(さや)から引き出された刀身(とうしん)は、行灯(あんどん)の光を反射して七色に光った。

「でもこれ……ただの刀だよ?こんなものを何に……」

 「美烑(まみあか)」の名を関されていながら何とも信心(しんじん)の浅いことである。

「こうするんだ……っ」

 (あずさ)は左手で刀を握り、右手にその刃を当てると勢いよく引いた。

 あくまで皮膚を少し破るだけ。腕が落ちる事はもちろん、骨が露出することもない。せいぜい血が流れるくらいのものである。

「ってええええええぇぇっ!?何してるの、お兄ちゃんっ!?」

「吸え」

「はい?」

「この血を吸って精気(せいき)を摂取、妖気(ようき)に変えて補充しろ」

「え……あ……」

 美烑(みあ)が流血することで妖気(ようき)を失うということは、血液の中に妖気(ようき)が含まれているということである。妖気(ようき)と対になる生命エネルギーである人間の精気(せいき)もまた、体を巡る血液に含まれている。

 故にその血液を直接取り込むことで精気(せいき)を効率よく摂取する事ができる。

「そ……そんなことしたらお兄ちゃんが……」

 美烑(みあ)妖気(ようき)を失って昏倒(こんとう)したように、人間である(あずさ)精気(せいっき)を失えば当然死ぬ。血液が不足しただけでも人の身体……とりわけ脳があっという間に死んでしまう。

「別に今日一日で回復しろなんて言ってないだろ?お前だっていきなり精気(せいき)を大量に摂取したら頭おかしくなるぞ」

 既に流れ出した後の血を舐めるのと、自ら進んで血を吸い出すのとではその意味するところが全く違うものになる。

 酒より強力な、麻薬と呼べるほどの高揚感と満足感……、吸血。

 それは味に(おぼ)れ、狂い求め……(むさぼ)()らう化け物になるモノが居るほどの甘い毒。

「あ、たしっ、あたしは……、ごめんなさい……、あたしは怖いの」

「大丈夫だ。俺がいる。お前を化け物にはさせない」

「でも……」

 (あずさ)は再び(うつむ)美烑(みあ)の頬を両手で抑えて瞳を(のぞ)き込む。

「信じろよ。俺はお前の専門家だぞ」

「あう……、うん」

 それでも不安なのか耳はへたりと垂れ下がったまま。尻尾も股の間に挟まれている。

 (あずさ)は震えたまま動かない美烑(みあ)を左手で抱えて、自身の胡坐(あぐら)の上に乗せた。その目の前にずいっと右手を差し出す。

「あ……」

「大丈夫だ。……そしてすまない。俺に闘う力がないばかりに、お前や炬香(こか)にそれを押し付けている」

「そ、そんなことはないよ。今回だってお兄ちゃんが考えてくれたから生き残れたんだよ?」

「そもそも美烑(みあ)が体調不良になったのは、俺が考えた『伝話(でんわ)』が原因だろう?」

「そ、そうだけど……」

「だから……ごめん。俺達が生き延びるためには、美烑(みあ)に闘ってもらわなければならない。そして今の弱いお前を戦場に出すわけにはいかない。今の状態で戦いに出れば今度こそあの鎖男(くさりおとこ)に殺される」

「……」

 美烑(みあ)が不安そうに(あずさ)に体重を寄せる。

 (あずさ)はそんな美烑(みあ)の頭をゆっくり撫でて。

「ごめん」

 もう一度謝罪の言葉を口にした。

「お兄ちゃん……、あたし……やってみる」

 未だ不安は(ぬぐ)えず、美烑(みあ)の耳は垂れ下がったままだ。

「でも……約束して。あたしが暴走したら……化け物になったら、お兄ちゃんの手で殺して。お兄ちゃん以外の人間に殺されたくないから」

「おい美烑(みあ)、縁起でもない事言うなよ。大丈夫だって」

「今回のことだけじゃないの。もしあたしが何かで暴走したら、お兄ちゃんに殺して欲しい。お兄ちゃん以外なんて絶対に嫌……お願い」

 美烑(みあ)の不安は欲に溺れ、暴走し、自らの手で(あずさ)を殺してしまうこと。だから、絶対に(あずさ)に、他でもない(あずさ)に確実に殺して欲しいと願う。

 そして(あずさ)以外の人間に殺されることも忌避(きひ)したい。はっきり言って何をされるかわらない。ただ調伏されるだけならいい。封印などされれば、未来永劫(みらいえいごう)、永遠の孤独の中で意識だけが老いていくという絶望を味わうことになる。

 (あずさ)が居ないというだけで狂おしいほどの絶望だというのに。

 そして何より、やっぱり(あずさ)が好きだから。好きな人以外に触られたくない。好きな人以外に負けたくない。好きな人以外に自分を害されるなど……。

「……わかった」

「うん……」

 美烑(みあ)は小さく(うなず)いて(あずさ)の腕に吸い付いた。

「ん……」

 既に半分できていたかさぶたを舌で()ぎ落とし、傷を広げる。

「ぃっ……」

 (あずさ)が小さく声を上げたが、美烑(みあ)は止めない。理性の部分で(あずさ)が止めるまでは吸うべきだと思っていたし、本能の部分が(あずさ)の血を求めて止まないからだ。

「んっ、ちうっ、ぺちゃっ、ちゅうっ……」

 既に表面に出てきていた血は舐め終わり、未だ(あずさ)の中を流れる血を吸い出しにかかる。

 鉄の匂いと生臭(なまぐさ)さ、そして(あずさ)の体温と生気が美烑(みあ)に流れ込む。

 死者の流す血とは違う、甘美(かんび)にして濃厚な(せい)の味。

「んあっ、んっ、んっ……」

 薄暗い部屋に(あずさ)が身じろぎする音と美烑(みあ)が血を吸う音が静かに小さく響く。

 美烑(みあ)が夢中になって吸い始めて5分ほど、(あずさ)美烑(みあ)の頭をぽんぽんと撫でた。

「んちゅっ……あ……」

「大丈夫か」

「う……あ……」

 虚空(こくう)を泳いでいた美烑(みあ)の視界に(のぞ)きこんだ(あずさ)のが移りこむ。しばらく(ほう)けていた美烑(みあ)の瞳からじわっと涙が溢れてきた。

「ふえっ……ふっ、あっ、あぁぁぁぁぁ」

「うわっ……美烑(みあ)?……あ~、怖かったか」

「ふっ、ふっ、ふうううううう」

 美烑(みあ)(あずさ)の声に(うなず)いた後、涙声を抑えようと歯を食いしばる。

「あたっ、あたしっ、……今何も……、何も考えられなかった。お兄ちゃんのことも、ただ血を吸い出せればって……、あたし……」

 再び震えだした美烑(みあ)をぎゅっと抱きしめてから、くいっと顔を上に向ける。

「大丈夫だ。さっきの状態を恐怖できるお前は化け物なんかじゃない」

「でもっ、あたし……」

「ごめんな、怖がらせて……んっ」

「んっ?んん……んあ……」

 (あずさ)は途中で言葉を止めて、美烑(みあ)の口を塞ぐ。いつもの精気(せいき)を送り込むような濃厚な接吻(せっぷん)ではなく、ただ美烑(みあ)を落ち着かせるためのキス。美烑(みあ)も無意識に瞳を閉じた。

 口を離した後も二人はしばらく無言で抱き合っていた。

 そして美烑(みあ)がぽつりと呟いた。

「ごめんなさい」

「いや俺が無理させたのが悪かった」

「そうじゃないの……。お兄ちゃんの血を吸ったとき、お兄ちゃんの知識……記憶が頭に入ってきて、その……」

 (あずさ)の手がぴくりと硬直した。美烑(みあ)は怒ったと思ったのか、途中で言葉を止めた。それでも言わなくちゃいけないと思い直して言葉を(つむ)ぐ。

「お兄ちゃんの家族は……お兄ちゃんのお父さんと、お母さん、……それにお姉ちゃんは人間に殺されたんだね」

 はっきりと告げた美烑(みあ)の声は(あずさ)の脳にこびりつき、暗い記憶を呼び覚ます。

 父を(かば)った母が殺され、その父も別の人間に殺された。そして絶対に軒下(のきした)から出てくるなと言った姉は庭に討ち捨てられていた。

 痛くて、悲しくて、寂しくて、そして悔しくて……、自分の非力を味わって、全てを失った……記憶。

「お兄ちゃん、ごめんなさい」

 体を震わす(あずさ)の瞳から一滴(ひとしずく)、涙が(こぼ)れた。そして美烑(みあ)もまた涙を流す。瞳を閉じて、嗚咽(おえつ)はもらすまいと歯をくいしばって。

 2人で静かに涙を流した。

「もう10年以上前の話だよ。10年ってのは、お前にとってはついこの前なのかもしれないけど、俺にとってははるかに昔だ。

 うちに盗賊が入ったんだ。その時家族が殺された。姉ちゃんに守られた俺1人を除いてな。親戚連中はみんな知らん顔。あちこち仕事探して、いろんなことやって、最終的に当時陰陽寮(おんみょうりょう)(つか)えてた役人の下働きとして生活するようになったんだ」

「お兄ちゃんの風水(ふうすい)の知識はその時覚えたんだね」

 (あずさ)はああ、と(つぶや)いて美烑(みあ)を抱きしめた。美烑(みあ)(あずさ)を抱きしめて頭を撫でる。()しくもかつて(あずさ)の姉がそうしていたように。

 しばし抱き合って。

「ありがとう」

「大丈夫……なの?」

「ああ、悪ぃな。みっともない所を……」

「そんなことないよ。あたしは、お兄ちゃんの弱い所をもっと見たい。もっと見せて欲しい。強いお兄ちゃんだけじゃなくて弱いお兄ちゃんも好きになりたいから」

 美烑(みあ)はじっと(あずさ)の目を見つめて宣言した。特に照れる様子はなく、至極当たり前のことを言ってるんだ、という顔で。

「恥ずかし()もなくそういうことを……、だいたい美烑(みあ)の方が強いだろうが。俺はそんなに強くないだろ?」

「別に戦闘力のことを言ってるんじゃないよ。……わかってるくせに。あたしや炬香(こか)ちゃんが泣きそうだったり、寂しそうだったりしたら(なぐさ)めてくれたり、もう勝てないかもって思ってもちゃんと考えて勝てる策を教えてくれたり……、えっとそれから……。

 とにかくっ!そういう事全部だよ。ここにこうして居てくれるだけでいいんだよ」

 興奮して多少赤くはなっているもののやはり照れた様子もなく美烑(みあ)はまくしたてた。(あずさ)のほうが赤面してまともに美烑(みあ)の顔を見れない。

「(さっきからコイツにずっと好きって言い続けているような気がするんだが……。ほんと、強いな美烑(みあ)は……)」

「ねえ、お兄ちゃん」

「えっ?」

「どうしたの?……まあいいや。血を吸うのってこれで終わり?」

「んなわけないだろ?多少妖気(ようき)を回復したかもしれないが、まだまだだ。体の傷すら回復してないだろうに」

 (あずさ)はそう言って美烑(みあ)の下っ腹のあたりを指でさすった。

「いったあああぁぁぁっ!」

 美烑(みあ)悶絶(もんぜつ)する。

「お前はその状態でどうやって交尾するつもりだったんだ?」

「愛の力は痛みを超えるんだよ」

「お前が一方的に痛いだけじゃねえか」

 涙目の美烑(みあ)を抱きかかえた(あずさ)は背後の物音に気がついた。

「さて、大人な会話はここまでかな」

「え?」

炬香(こか)

「ひゃ……ひゃ~い」

 (ふすま)の間から中を覗っていた炬香(こか)が真っ赤な顔で現れた。目も(うる)んでいる。

炬香(こか)ちゃん?いつからそこに……」

「なんでお前が気づかないんだよ。この耳は飾りか?うりうり」

 (あずさ)美烑(みあ)の耳を掴んでぐりぐりと回した。

「いやっひゃはははっ、くすぐった……あんっ、そこダメぇっ!……もうっ!耳の中に指入れないでってば!

 あたしの耳はお兄ちゃんの声しか聞いてなかったんだもん。仕方ないでしょ」

 美烑(みあ)は耳をぺたんと頭に付け、その上から手で押さえて身を引いた。それでも身体は(あずさ)の膝の上に残っている。

「お前はまったく。そんな事ばっかり言ってるから炬香(こか)が遠慮して入ってこれなくなるんだよ。この(いろ)ボケ狐~」

 (あずさ)は膝の上を右へ左へ逃げる美烑(みあ)の頬を捉えて横に引っ張った。

「ふふん、あたしは人を(たぶら)かす狐だもんね~。お兄ちゃんも誘惑しちゃうよ~」

 美烑(みあ)は体をくねらせてしなを作った。

「こんな小さな乳房(ちぶさ)で何言ってんだ~」

 美烑(みあ)は体中くすぐられて布団の上を転げまわる。

「あひゃははは、ひゃひゃはひっ、くすぐった……っ!?いったああぁぁぁ……」

 騒いだせいで傷が広がったのか美烑(みあ)は再び悶絶(もんぜつ)した。

 その間炬香(こか)はおろおろと見守るばかりだった。

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