玖ノ幕 運命の朝
翌日、正午。
山間から湧き出すように現れた人の群れは、麓の村を通過。高台へ続く坂道の手前で陣を作った。
陣といっても神社から見て奥のほう、陣幕に囲われた中に座する本職の武士達はわずかに十数人くらい。その周りの明らかに「農民」といった格好の者たちは思い思いに座り込んで食事を摂っている。
ざっと200人。
中には特殊な武器を持っている者もちらほら見えるが、そのほとんどは刃こぼれが目立つ抜き身の日本刀を携 えているだけだ。
おそらくここにくる途中の古戦場で拾ってきたのだろう。
「結構な数だな」
「梓……」
神社へ続く参道を挟んで、崩れた崖の反対側。被害のなかった崖の上、その林の中に梓と炬香の姿があった。共に下草に紛れるように寝転がって、人間たちの動向を探っている。
「大丈夫だ。少なくとも周りの連中じゃ炬香を傷つけられないよ」
着物とは名ばかりのボロ布を身に纏い、帯紐を着けただけの男たちからは、何というか真剣さが感じられない。
把音とは違う、なんとも緊張感がない感じ。
「気を付けるべきはあの布の中にいる連中だな」
梓が指し示す陣幕の中の武士たちにもあまり緊張感はない。実際、自分たちが戦うつもりは全くないのだろう。今回はあくまで前哨戦。招集した部下たちの実力を確認するついでに領地内の威光を高めるというだけの戦。
美烑たちの噂も聞いてはいるだろうが、所詮は下賤の民の陳情。そのまま鵜呑みにするほど武士たちも暇ではない。せいぜい盗賊崩れが幅を利かせているのだろう、ぐらいにしか捉えていないのではないだろうか。
梓は緊張感のなさからそう判断した。
「……(把音はどこだ?)」
把音がどういう立場なのかいまいちわからないが、少なくとも軍団の行先を知ることができるくらいには中枢に食い込んでいるはず。
しかし、陣幕の中にその姿はない。
「(アイツは俺たちの……美烑の存在を知っている。――進言していないのか?あるいは進言できない程下位なのか、……それとも、把音の進言を信じなかった?)」
「梓……」
炬香が再び不安そうに名前を呼び、裾を掴んできた。
初めての、たった独りでの初陣。
「大丈夫だ。あいつらは強くない。一度混乱させてやれば簡単に殺せるさ」
「ほんと、ですぅ?」
「ああ、殺さなくても勝手に逃げ出すやつもいるだろうし……。とにかく、最初のうちは極力驚かせる系の罠で翻弄して、武士たちが本格的に出てきたら殺傷力の高い罠を使いつつ、本格的に妖符を使って攻撃……って感じかな。
もちろん最初から妖符を使ってもいいぞ。圧倒的な戦力差ってのも混乱の引き金になるからな」
「うゆぅ……」
それでも炬香は不安顔。
「俺もちゃんと見てるからさ。独りにはしない」
梓は炬香の小さな体を抱き寄せて、
「それに、お前にならできると信じてるよ」
「あ……」
梓の大きな手に頭を撫でられながら、何となく、何となくだけれど。
「……(おとうさん、です)」
今まで一度も人として生まれたこともなく、父親に抱かれたことなど一度もないけれど。
「ん……」
それでも感じる大きな温もりは、自分が求めていた温もりで。
「梓……」
「うん?」
「炬香が勝ったら、また撫でてくれるです?」
「お?別に今でもいいぞ?」
「今はいいのです」
炬香はおもむろに身を離した。
「だから、ちゃんとできたら、もっと撫で撫でするですよ……」
炬香は少し戸惑うように目を泳がせた後、視線を梓に戻した。
「お、おと……」
炬香は「お父さん」と言いきることができず、顔を真っ赤にすると梓の胸に顔を押し付けて、表情を隠した。
「~~っ(い、言えないです。あんなにいっぱい意地悪したのに。……今更……)」
一方の梓は炬香が赤面した理由がいまいちよくわかっていない。頭を撫でようと手を伸ばしたが、炬香に拒まれたことを思い出して背中を撫でるに留めた。
―半刻後。
ついに人間達が動き出した。
とはいえ急ごしらえの烏合の衆。隊列を組む、という程上等なものではない。一応先導する者に従って列にはなっているものの、ただ連なっているだけで役割分担もできていないようだ。相変わらず緊張感の無いまま、時に笑い声すら聞こえるほどの緩さで進んでいく。
しかし台地に続く坂を上りきったところでその表情が急速に強張った。
「なっ、あ……」
死体の山だ。
美烑を討伐しようと襲ってきた人間たちの死体の山。既に腐乱も風化も進み、茶色がかった骨が露出している。そんな敗者の山が台地の入り口に連なっており、避けて通ろうにも、ぎっちりと台地の端まで寄せてあるために回り込めない。
進むにはその間を抜けるしかない。
「これは……」
「うわ……」
「っ……」
あっという間に嫌な緊張感が伝播した。
物見遊山、あるいは小遣い稼ぎのつもりで来た者たちにも、これから向かう先が命の遣り取りをする戦場であることを今更ながらに認識する。
「お、お侍様……」
比較的近くにいた農民風の男が、先を行く武士に声をかける。
「臆するな。この先、戦で相対するは勇猛な兵たちぞ。山賊ごときに恐れる軟弱者を部下に持った覚えはない。
……我に続け」
武士は背筋を伸ばすと馬を進め、他の者たちも顔を見合わせた後、それに続く。
しかし、死体の山を越えて少し行った先で再び歩を止めた。
「……」
一同の前に立ちふさがる存在。
「なんじゃあ、ありゃあ」
「浮いとる……」
「祟りじゃあ……」
「ええい、静まれっ!」
炬香である。
いつも通り宙に浮いて、人間たちの前にその身を晒している。
(まずは、とことん恐怖させること、です)
半目でややうつむき加減。感情をあまり感じさせず、幽鬼的な雰囲気を強く出している。
「貴様……、何奴か?」
「ここより先は、我々の領域である(……です)。許可なき者は立ち去るがいい(……です)」
炬香は極力平坦に、低い声を出す。
怖がれ、怖がれと願いながら。
「ふん、式の類か。ならば主人に伝えるがいい。我らは引くつもりは、毛頭ないとっ!」
武士は宣言すると腰に帯びた刀を抜き放ち、炬香の額めがけて突き出した。
「おおっ!」
「さすがはお侍様じゃあっ!」
周りの者が口々に感嘆の声を上げる。賞賛された武士も得意げに口の端を歪めたが。
「繰り返す……(です)」
「なっ」
その唇が今度は驚愕に歪む。
額を貫かれた炬香は表情を変えることなく、両の目が武士のそれを射抜く。
「許可なき者は……、立ち去るがいい……ですっ!」
言葉と共に炬香が両手を左右に広げると、大型の人魂が6つ、一団の進路を塞ぐように出現した。
「ひあっ……」
「うひいぃぃぃっ」
「お助けええっ」
一応武器を構えたものの、刀が炬香に効かなかったのを見た直後であるために、攻撃しようとする者はいない。さらにその背後から伸び上がる土の壁。
「ぐ……」
苦々しげに喉を鳴らす武士の前で、炬香が両手を下へ大きく振り下ろすと、のび上がった土の壁がその動きに従って人間たちの頭上に降り注ぐ。
「機先は制したか……」
美烑稲荷・拝殿内、美烑の眠る部屋に座する梓が呟いた。彼の前には妖気を流し込んで起動中の箱庭が置いてある。
炬香と人魂を示す人形が動き回り、罠を示す光の玉が明滅して、人間達を制圧していく様子が表現されていた。
「それでもまだ十数人程度。戦いは始まったばかり……気を抜くなよ」
布団の中の美烑は未だ精神世界から帰ってこない。そんな美烑の前髪を書き上げる梓の胸元にはまた一つ赤い線が増えていた。
コレで3回。
血を与えるのは時間的にも回数的にもそろそろ限界だ。これ以上は美烑が化け物化する危険性が跳ね上がる。
(あと一回……、それで回復しなければ……)
梓に覚悟は、ある。
しかしそれは自分の命を投げ出す無責任な覚悟。少なくとも美烑はそれを望んでいない。
「それでも俺は……」
動けない。戦えないことに悔しさを感じながら美烑の髪を撫で続ける。
「ふっ!」
「っとぉっ!?」
あたりには無数に白木の日本刀が転がっていた。そのほとんどは柄が砕けたり、刀身がへしゃげたりしている。
美烑とシロの打ち合いの結果だ。共に2刀流。砕けては再び生み出し、折られては修復して、それすらできないほどに壊れたものは打ち捨てる。
ぎゃいぃぃぃん。
そしてまたもう一本。日本刀の残骸が増えた。
「あはははははっ!いいぞっ!もっと向かって来い!うぬの全力をオレに見せ付けいっ!」
新しい刀をどこからか取り出したシロが楽しそうに嗤う。
「シロちゃんは戦う事が好きなんだね」
一方の美烑の表情は優れない。疲労もあるが、それ以上にこの戦いに乗り気ではないからだ。
「はっ!それこそがうぬの本能だろうっ!破壊こそが最高の悦楽。壊して、奪って、苦しめて、他人の不幸を嗤う」
ガギッ、キィィィィン
「くうぅっ!」
今度は美烑の持つ日本刀がはじけ飛ぶ。シロの放った刃は止まらずに、そのまま美烑の右足を刈り取る。美烑は色素の抜けた足で柱を蹴ると、距離を取って追撃を防いだ。
「昔はそうだったかもしれないけど……」
「今も何も変わっちゃいないさ。『守るため』という大義名分が、体の良い『言い訳』があるだけで、壊して、殺して、死体の山を築き上げて……」
シロの猛攻は止まらない。
「そんな事……」
美烑が攻撃を受け止めきれずに宙を舞う。
「うぬは戦いを楽しんでいる。受け入れている。望んでいる。でなければあれだけの死体の山を築き上げて平静を保っていられるものかっ!」
「それはっ……」
さらなる追い討ちで中空に縫いとめられた。
「『お兄ちゃんと炬香ちゃんを救うため』か?」
「っ……」
「命を奪うのに他人を理由にするなよ。
2人を守りたいのであれば人の来ない山奥にでもいけばいい。あの神社にこだわる理由は何だ?」
体勢を立て直す前に、柱を蹴りつけて飛び上がってきたシロの連撃が美烑に突き刺さる。
「戦う理由が欲しいだけだろ?」
「違うっ!」
左足首が色を失う。
「『お兄ちゃんに褒められたい?』」
「違うっ!」
膝が。
「『お兄ちゃんに認められたい?』」
「違ぁう……」
太腿が。
「『お兄ちゃんに必要とされたい?』」
「ちが……」
腰から下が。
「『お兄ちゃんに捨てられたくない?』」
「ぅあ……」
何とか受け止めた大上段からの攻撃は、美烑の身体を床に叩きつける。
「あああああああっ!」
「覚悟も無いものが……」
遅れて振ってきたシロが美烑の首に刃を走らせた。
「勝てるものか」
首から下が白くなった美烑の鼻先にシロが切っ先を突きつけた。
「大人しく身体を明け渡せ」
「あたしは……」




