AIという『見えざる新人』と、いつもの電卓
「……佐藤くん。ちょっといいかい」
週明けの月曜日。山口製作所の社長が、いつになく眉間に深いシワを寄せて、佐藤のデスクにやってきた。手に持っているのは、東京のITベンダーから送られてきたらしい「中小企業向けAI導入助成金のご案内」というカラフルなパンフレットだった。
「実はね……息子や周囲の社長連中に『山口製作所もいい加減、AIくらい入れないと時代に取り残されるぞ』って言われてさ。折れて導入の検討だけでもしてみようかと思うんだが……正直、何に使えばいいのかサッパリ分からんのだ」
社長は困り果てた顔でパンフレットを佐藤のデスクに置いた。
「佐藤くんは東京の大手でAI使ってたんだろ? 都会じゃこれ、どんな風に使ってたんだい?」
佐藤はパンフレットを開き、東京時代を思い出しながら説明した。
「そうですね……例えば、手書きの伝票をカメラで読み込んでAIが自動で仕訳をしたり、過去のデータを分析して『来月の部品の発注量』をAIが予測してくれたりします。文章の作成や、メールの自動返信もできますよ」
社長はうーんと腕を組み、真剣な顔で話を聞いていたが、やがて首をひねった。
「……なぁ、佐藤くん。それってさ……」
社長はそろりと電卓と分厚い総勘定元帳を指さした。
「うちの場合、伝票の読み込みも発注予測も、今佐藤くんが手で電卓叩いて、職人さんと話しながら決めてるじゃないか。エラーだってゼロだし、スピードだって何も困ってない。そこに月々のAI利用料を追加で払う価値、あるのかい?」
「品質やスピードが上がりますよ、とベンダーは言いますが……」
「上がりようがないだろ!」
社長は思わず声を上げた。
「佐藤くんが毎日丁寧に伝票チェックしてくれてるんだ。これ以上品質が上がるわけないじゃないか。それに、AIが弾き出した発注予測より、うちの熟練職人の『来月はこの車種の修理が増えるから、このネジを多めに仕入れとこう』っていう勘の方が当たるんだよ。……うーむ、やっぱり実体がない上に、ただ費用が増えるだけ気がするなぁ」
社長の言い分は、まさに現場の本音だった。
「AIを入れれば魔法のように全てが解決する」と思い込んでいる都会のシステム担当者には見えない、泥臭い現場の完成度。今の手作業で完璧に回っている場所に、無理やりAIを当てはめても無駄なコストと混乱を生むだけなのだ。
(……社長の言う通りだ。AIは『何でもできる魔法の箱』じゃない。道具なんだ)
佐藤はデスクの上の電卓を愛おしそうに見つめた後、社長に向き直った。
「社長。僕も、今の事務作業をAIに置き換える必要は絶対にないと思います。僕の手作業と電卓で、完璧にこなしてみせますから」
「おお! 言ってくれるねぇ!」社長の顔がパッと明るくなった。
「ただ——」佐藤は少し考えてから言葉を続けた。
「AIを『メインの仕事』に使おうとするから壁にぶつかるんです。例えば……工場内で職人さんが探すのに時間がかかっている『昔の古い図面の検索』とか、英語で送られてくる海外製パーツの『取扱説明書の翻訳』とか……そういう『誰もやりたがらない、本業以外のめんどくさい雑用』だけをAIにやらせてみるのはどうでしょう?」
「ん? 雑用……?」
「はい。本業の仕訳や判断は、人間の手と目で行う。AIには『分厚い資料から目的のページを探す検索係』として、月数千円の安いプランで試してみるんです。それなら失敗しても痛くないですし、現場の手仕事も邪魔しません」
社長はぽかんと口を開けた後、膝をポンと叩いた。
「……なるほど! AIを『偉い先生』として迎えるんじゃなくて、一番下の『雑用係の新人』として使うわけか!」
「そうです。実体がないAIだからこそ、人間が使い倒すくらいの距離感がちょうどいいんです」
「ハハハ! 面白い! 佐藤くん、それなら私にもイメージが湧くよ! よし、その『雑用AI』ってやつ、ちょっとだけ試してみようじゃないか!」
社長はスッキリした笑顔で佐藤の肩を叩き、現場の工場へと戻っていった。
佐藤は自分の手元にある大きな電卓にそっと触れた。
AIという最新のテクノロジーを怖がるでもなく、かといって盲信するでもなく。自分の手仕事に誇りを持ちながら、道具としてクールに使いこなす。
東京でAIに追い詰められ、逃げてきたはずの佐藤は、いつの間にか「AIと人間の正しい付き合い方」を、この泥臭い町工場で掴みつつあった。




