第二章 大聖堂にて、あるいは目の話
大聖堂は、遠くから見ても大きかった。
近づくと、もっと大きかった。
馬車が石橋を渡り、門をくぐり、中庭に入ったとき、見習いたちは誰一人喋らなかった。それほど圧倒的だった。
尖塔が二本、空を刺していた。灰色の石が積み上げられていて、その隙間に彫刻がある。羽を持った生き物、祈る手、葡萄の蔓、見たことのない花。彫刻たちは全部、上を向いていた。
「……でかい」ガスが言った。全部を言い表すにはその言葉で十分だった。
「絵で見たより全然でかい」ルクスも言った。
「雲に刺さってる」と誰かが言った。確かに、尖塔の先端は薄い雲に隠れていた。
エリィは馬車を降りて、しばらく上を見ていた。首が痛くなるほど仰いで、それでも頂点が見えなくて、ようやく視線を下ろした。石畳。自分の足。息が少し白い。
「口、開いてるよ」マリアが小声で言った。
「開いてない」
「開いてた」
開いていたかもしれない、とエリィは思った。
正門は背丈の三倍はある鉄扉で、案内役の修道士が引いても半分しか開かなかった。それでも全員が余裕で通れた。中に入ると、空気が変わった。
外の冷気が遮断されて、しんとした暖かさがある。石の匂い。蝋燭の匂い。どこかに花があるらしく、甘い香りも混じっていた。
天井が、高かった。
これも絵で見るのとは全く違う。絵で見ると「高い」とわかるが、本物の前に立つと「高い」という言葉が薄く感じる。表現が追いつかない種類の高さだった。天井にはアーチがあり、そのアーチに沿って金色の装飾が走り、中心から長い鎖で大きな燭台が吊るされていた。蝋燭の炎が何十本も揺れている。
「魔法で火をつけてるの?」誰かが聞いた。
「ここ、魔法禁止じゃないの?」別の誰かが言う。
「神聖空間での術は許されてる。聖典にある」喋る狼——もとい、テキスト通りに言えば「聖典を暗記している見習いの一人」——が答えた。
「へえ」「そうなんだ」「じゃあエリィのファイアは?」「聖域内なら用途によっては可」「料理は?」「微妙」「なんで微妙なんだ」
エリィは会話に半分しか入らず、残り半分で聖堂の中を見ていた。
壁に、絵がある。
正確には絵ではなく、ステンドグラスだった。色ガラスを組み合わせて作られた窓で、外から光が入るとそれぞれの色が床に落ちる。赤、青、緑、金。エリィたちが歩くと、光の中を通り抜けた。自分の手が青くなり、また金になり、また白になった。
「きれい」とマリアが言った。それはシンプルで正確な言葉だった。
一番大きいステンドグラスは、正面の祭壇の上にあった。
山を描いていた。
白い山。雪の山。その頂上に、一人の人物が立っている。女性らしかった。長い衣をまとい、両手を広げていた。後光の代わりに、金色の光が全身から漏れていた。
足元に積み上げられているのは——金貨だった。いや、よく見ると金貨ではなく、人の形をした何かが崩れて黄金になったように見えた。
「あの絵、何?」エリィは隣の案内役の修道士に聞いた。
修道士は少し間を置いた。「聖女アウラの昇華図と呼ばれています。二百年前の方です」
「何をした方ですか」
「北の大飢饉を救われた。詳しくは展示室に説明があります」
案内役はそれ以上説明せず、前を向いた。
エリィはもう一度、ステンドグラスを見た。
山頂に立つ女性の顔は、細かく描かれていなかった。遠くからでは表情がわからない。ただ、その姿勢——両手を広げた形——は、降参なのか、歓迎なのか、それとも別の何かなのか、エリィには判断できなかった。
自由見学の時間になると、見習いたちは爆発したように散らばった。
「展示室!」「聖遺物!」「地下回廊があるって!」「鐘楼に登れるって!」「えっ本当に?」「本当! 鐘楼!」
エリィも一緒に走りかけて、立ち止まった。
何かが、気になった。
足が向いたのは、本堂の奥だった。騒ぎから離れた方向。廊下が長く続いていて、等間隔に蝋燭が置かれている。壁には額縁が並んでいた。人物画。歴代の大司祭、聖人、伝説の修道士たち。みんな、少し遠い目をしていた。
廊下の突き当たりに、小礼拝室があった。
扉は半開きだった。中に、人がいた。
祈っているのかと思ったが、違った。
ただ座っていた。
石の椅子に。窓の光の中に。
女性だった。
若い。見習いたちと同じくらいか、少し上くらいの見た目だった。白い修道服で、髪が長く、膝の上に手を置いていた。目は開いていた。ただし、どこも見ていなかった。
焦点が、ない。
遠い場所を見ている人の目ではなく、見るという行為をもう必要としていない人の目、とでも言えばいいか。エリィにはうまく言葉にできなかった。ただ、入ってはいけない場所に踏み込んだような感覚が、足の裏に走った。
「失礼しました」と言いかけて、声が出なかった。
女性が、視線をエリィへ向けた。
エリィは息を止めた。
若い顔だった。整っていた。しかし目が違った。何か、目だけが全く別の時間にあるような感じがした。
「見学の子?」
声は静かだった。責めてもいない、歓迎してもいない、ただそこにある声だった。
「は、はい。すみません、入ってしまって」
「構わない。ここは誰でも入れる」
女性はそのまま座っていた。エリィも立ったままだった。
「あなたはどこの聖堂から?」
「北の……小さな聖堂です。ヴェルト師の」
少し間があった。
「ヴェルト」と女性は言った。それだけだった。
「ご存知ですか」
「昔、少し」
また間があった。エリィはその間の重さに気づいた。普通の「少し知っている」の間の取り方ではなかった。何か大きなものを省略しているときの、静かさだった。
「あなたはここの方ですか」とエリィは聞いた。
「今は」と女性は答えた。
今は、という言葉が少し引っかかった。
「ずっとここにいたわけじゃないんですか」
「ずっといる場所なんて、どこにもない」
女性はそう言ってから、初めて少し表情が動いた。笑ったわけではなかった。ただ、何かが緩んだ。
「あなた、よく見る子ね」
「え?」
「普通の子は、礼拝室の前を素通りする。覗かない。入ってこない。あなたは止まった」
エリィは何も言えなかった。
「何が気になった?」
「……わからないんです。引っ張られた感じがして」
「引っ張られた」と女性は繰り返した。「そう」
それから立ち上がった。背が高かった。修道服の裾が石床を少し引いた。
「今日、山が見えた?」
唐突な質問だった。
「馬車から……見えました」
「どう見えた」
「遠く、て……雪が積もってないところがあって」
「音は聞こえた?」
エリィは固まった。
女性の目が、静かにエリィを見ていた。責めていない。試してもいない。ただ、知っているかどうかを確認している目だった。
「……聞こえました」エリィは正直に言った。「金属の音が。でも誰にも聞こえてなくて、気のせいかと」
「気のせいじゃない」
女性はそれだけ言って、礼拝室の扉の方へ歩いた。
「あの」エリィは思わず声をかけた。「あの山は、何ですか」
女性は扉のところで止まった。
「山は山よ」
「でも……」
「ただ、あそこは願いを聞く。聞くだけじゃなく、返す」
「何を返すんですか」
女性は少し考えるように間を置いた。
「業を」
その言葉の意味をエリィが処理する前に、女性は廊下へ出ていった。
足音がなかった。修道服の裾が石床を引く音だけがして、それも少しして消えた。
エリィはしばらく礼拝室に一人で立っていた。
窓から光が入っている。蝋燭の炎が揺れている。石の椅子が、さっきまで誰かが座っていた形のまま、そこにある。
業を返す。
言葉が頭の中で静かに回った。
エリィはポケットに手を入れた。金林檎の感触があった。荷物に入れっぱなしだったはずだが、いつの間にかポケットに移っていた。
取り出してみた。
相変わらず、磨かれたように艶があった。傷一つなく、腐りの気配もない。
エリィは改めてステンドグラスの方へ歩いた。
本堂の正面、祭壇の上の大きな窓。山頂に立つ女性。両手を広げた姿。足元に積まれた黄金。
さっきは表情がわからなかったが、今、別の角度から光が入ってきて、少しだけ顔が見えた。
笑っていた。
しかし目は、何も見ていなかった。
遠い場所を見ている人の目ではなく——見るという行為をもう必要としていない人の目。
さっきの女性と、同じ目だった。
「エリィ! どこいたの?」
マリアが駆けてきた。頬が赤い。鐘楼の寒さが移ったらしかった。
「礼拝室に……」
「鐘楼、よかったよ! 全部見えて! 街も山も! 来ればよかったのに」
「山が?」
「そう! すごく綺麗だったよ。雪があんまり積もってなくて、変だなあとは思ったけど」
「鳥は?」
「え?」
「山の方に、鳥がいた?」
マリアは少し首を傾げた。「どうだろ。見てなかった。なんで?」
「何となく」
マリアはエリィの顔をしばらく見た。
「また変なこと考えてる顔」
「してない」
「してる。眉が寄ってる」
エリィは自分の眉に触れた。確かに寄っていた。
「ねえマリア。業って、知ってる?」
「業? 神学書に出てくる……」マリアは記憶を引っ張りながら言う。「行いが積み重なってできるもの、みたいな? 善い業、悪い業……」
「背負うことができるもの、なのかな」
「背負う?」マリアは首を傾げた。「何かの記述で見たかも。山岳修行の記録に……でも確かじゃない。なんで?」
「さっき、そういうことを言う人に会った」
「誰?」
エリィは少し考えた。名前を聞かなかったことに、そこで気づいた。
「わからない。若い人だった。でも」
「でも?」
「目が、違った」
マリアはエリィの言葉をしばらく待ったが、続きが来ないので「変な人に会ったね」と言った。それは否定ではなく、ただエリィに向けた柔らかい言葉だった。
「うん」とエリィは答えた。
変な人に会った。それは確かだった。
でもそれ以上に、あの目のことが離れなかった。
若い顔で、遠い目をしていた。笑える口を持ちながら、何も見ていない目をしていた。ステンドグラスの聖女と同じ目を、生身の人間の顔に収めていた。
今は、という言葉。
ずっといる場所はどこにもない、という言葉。
ヴェルトの名前を聞いたときの、あの間。
エリィはポケットの中の金林檎を握った。
艶やかで、冷たくて、ちっとも腐らない果物。
夜になれば、また金属の音がするだろうか。
山の方から。
銭を数えるような、薄くて硬い、音が。
帰りの馬車に乗り込む前に、エリィはもう一度だけ大聖堂を振り返った。
尖塔が夕光を受けて、赤く染まっていた。
黄金、というより、血の色に近かった。
その向こうに、山があった。
白く、静かに、そこにあった。
遠かった。でも確かにそこにあった。
エリィは視線を下ろして、馬車に乗った。
隣でヴェルト師が目を閉じていた。来た時から眠っているように見えたが、馬車が動き始めたとき、老人が小さく言った。
「見てきたか」
「はい」
「何か、見えたか」
エリィは少し考えた。
「ステンドグラスの聖女の話を聞きました。二百年前に、北の大飢饉を救った方の」
「ほう」
「あと……若い人に会いました。礼拝室に一人でいた。名前は聞けなかったんですが」
ヴェルト師は何も言わなかった。
「師はご存知ですか。あの人のこと」
老人は目を閉じたままだった。
「どんな目をしていた」
「……遠い目、というか。見ているのに、見てないような」
「そうか」
それだけだった。
老人はそれ以上何も言わなかった。でも、その「そうか」の言い方が引っかかった。知っていた人の「そうか」だった。知っていて、それ以上言うつもりがない人の「そうか」だった。
エリィは窓の外を見た。
街が流れていった。石畳。市場の残り。帰宅する人々。
その向こうに、山が見えた。
もう暗くなり始めていたが、山だけは白く、光を返していた。
そしてエリィの耳の奥で、また、鳴った。
金属の音。
今日は少し、近かった。




