301. 漂着、そして人生が詰む
“人間社会が高度になればなるほど、人間は生きるのが難しくなる”
――ナスカ
波の音が近くで聞こえる。
身体中が痛い。
どこか打ち付けたのか、思うように動かせない。
なんとか、瞼だけ開けると、そこは砂浜のようだった。目の前には浜大根の花が咲いているのが目に入った。白い十字の花弁がかわいい花だ。
全身がずぶ濡れかとも思ったが、意外にも暖かい砂浜が良かったようで、服はほとんど乾いていた。日の光も当たり、もう少しこのままでいたい欲求にかられる。
『いや、ダメだ。飛空船が墜落したんだ。ここがどこかわからないけど、近くに魔物がいるかもしれない』
デザルト王国が船による貿易をしなかった理由は海に棲む魔物のせいだ。クラーケンや凶暴な鯨、それに海竜が船を襲ってくるため危険すぎるらしい。私が砂浜に流れ着いたのは奇跡なのかもしれない。
痛む体を騙し騙し起き上がる。回りを見渡しても魔物の気配はなかった。それだけではなく、人の気配もないのが背筋を寒くさせた。海岸の近くには森がせまってきており、見通しは良くない。東は岩場、西は砂浜が続いている。浜大根がたくさんはえているのは人がいる証拠だと思いたいが、栽培している訳ではなさそうだ。
千聖は身に付けているものを確認するが、服以外に持っているものと言えばヨゼフに貰ったナイフぐらいだった。お金や他の荷物はアルヴィが船倉に預けており身に付けてはいない。
「アルヴィ!」
一緒にいたはずのアルヴィの姿は見えない。飛空船がどういう航路を取り、そして、どう墜落したのか知らないが、千聖が知っている地域ではなさそうだ。
自分の座標を確認しようとして、気がついた。
「何これ……」
すべてのタグが文字化けを起こし、デザルト王国で使っていたようなルーン文字に似た文字ではなく、アルファベットに似た文字になっていた。そして、意味もわからない長い文字列になっている。数字だけは辛うじて読めるのだが、何のパラメータかまでは判別つかなかった。
更にメソッドの中のソースコードも同様で改行すらない状態だ。もはや【上書き】は使いようがない。
はっとなって【掲示板】を確認するが、こっちは問題なく使えるようだった。千聖の持つ二つのスキルのうち主力がなくなってしまった。
そして、飛空船の墜落に、人気のない海岸。全身打撲でまともに動けない体。
「あれ……これって詰んでない?」
近くに人が住んでいれば助けを求められるが、この状況で魔物に見つかる前に運良く人が見つかるとは思えない。
「あ、『空飛ぶ靴』!」
自分で作った魔道具を思いだし、空中へ上がろうと試みるも発動しない。
「え、魔法は使えるかな……。ディメンジョン・カッター!」
これはちゃんと発動し、数秒だけ空間断裂魔法が発動した。
魔法が使えたことに安堵するも、千聖は自分の使える魔法が少ないことを思い出した。
「今使える魔法は……」
『空間断裂』、初期四大属性魔法の『着火』『浄化』『砂吹き』『微風』だけだ。
千聖付きのメイド、アルタマのおかげでまったく魔法を使えないという最悪の事態は避けれているが、レベルが上がらない千聖はこれ以上の魔法を使えない。呪文は知っているのでレベルがなんとかなれば……。
しかし、千聖が覚えている限り1だったのは【レベル】タグだけで、それは今も1のようだった。
サバイバルをする上で火と水の心配がないと言うのは不幸中の幸いだと言えるが、魔物から身を守るすべがナイフしかないのは心許ない。
そもそも千聖は【上書き】がなければ単なる8才の少女なのだ。知識はそこそこあってもサバイバルとなると、8才の少女とあまり変わらない。
「何はともあれ、安全地帯の確保から!」
そこそこ異世界小説を読んでいた知識に頼りにして、行動するしかなさそうだ。森自体の密度はそこまで高くないようで背の低い広葉樹にシダ植物が間にはえている感じだ。ただし、見通しは良くなく少し奥に入っただけで方向を見失う可能性は高い。
木の上で寝ると言った器用なことは出来そうにない。マントかバスタオルでもあればハンモックでも作れたのだろうが、それもない。森に安全地帯を確保するのは難しそうだ。
「残るは東の岩場だけか」
海岸沿いの岩場には危険な魔物は棲んでいないと良いなあという願望だが、これはサバイバルにおいては大切なことだ。用心するのに超したことはないが、用心し過ぎて判断が遅くなるのもサバイバルには致命的だ。考えるだけ考えて、分からないことは「起きないものとして仮置きする」というのが大切なのである。
人工知能も永らくフレーム問題という大きな課題があったが、近年では計算量が爆発的に増加したというのもあり、計算出来るだけ計算したらいいという結論に落ち着いている。つまり、フレーム問題を考えるのではなく計算量の限界を「枠」として認識する方向へ変わっていったのだ。
東の岩場までは砂浜が続くが、どこから流れ着いたものなのか流木があちらこちらに転がっていた。ほどよく乾いているので『着火』の魔法で火の確保は問題無さそうだ。
食糧も浜大根らしきものがあるので、味はともかくなんとかなりそうだった。まだ春なので根はそこまで大きくないだろうが8才の胃袋を満たすなら問題はないだろう。
「海に魚はいるのかなあ?」
海の方へ視線をやると、水平線まで何もなかった。太陽からすると今いる海岸は南に位置しており、ここから何も見えないとなると、少なくとも4、5km先までは何もないようだ。ここで以前に座標からこの世界の大きさを計っておいたことが役に立った。
それはそれとして、海に魚はいるようだ。透明度が高く、魚の泳いでいる姿が丸見えだった。この世界に来てから泳いでないが、あまりすれてなければ手掴みでも捕まえられそうだ。食べられる魚かどうかは別途判断する必要があるけど、大抵の場合、身は食べられるだろう。
「さてと」
岩場に着くと、潮溜まりを観察しながら移動する。ナマコらしきものや小さな蟹も多数いた。無人島だからなのか、自然に生息している生き物は多いようだ。千聖が毎日お腹いっぱい食べでもしない限り、食糧の問題は冬までは無さそうだ。
岩場は断崖絶壁と言うにふさわしい岩壁に面していた。壁は目測で20mはあり、登って上へ行くのは不可能だと思われる。岩場の先は海になっており、見える限りは岩壁が続いているようだ。
岩壁には地下水の侵食で出来たと思われる洞窟があった。満潮の時には入り口は海面下になるようだった。中は緩やかに上り勾配になっている。
中に何かが住み着いている様子はなく、単に磯臭いだけだった。地下川でもあるかと思ったが、もう地下水は枯れているようで奥は乾いていた。
「今日はここで寝るしかないかな」
奥はどこかで地上と繋がっているようだが、暗くて見えない。風があるので窒息することは無さそうだった。この世界では満潮と干潮は一日周期で訪れ、今の時刻に干潮だとすると、ちょうど夜に満潮になるはずだ。月が4つもあるので計算は難しいが、本で読む限りはそのはずだった。
「次は食事かな……」
身体中痛いので、あまり動かないで採集できるものと考えたときに、魚や獣は選択肢からは外れる。とりあえず、浜大根と蟹でお腹を満たすことにしようと考えた。
「でも、鍋がない」
■用語解説
>服<
高原国で使う春用の服。生地は鞣し革で出来ており丈夫でしなやか。長袖、長ズボン。
>ナイフ<
ヨゼフから貰ったナイフ。刃渡りは20センチ程度あり、刃の厚みもあることから木を削るのにも獣を捌くのにも使える優れもの。
>空間断裂<
数秒だけ空間を断裂させ物理的な干渉を防ぐ。
>着火<
乾いた木材や枯れ葉に着火できる。あとは自然に燃え広がるのを待つしかない。何回も使えるが、燃え広がる速度が多少上がるだけで攻撃魔法には使えなさそう。
>浄化<
水を浄化する。泥水や毒のある水を飲める程度に綺麗にしてくれる。海水に使うと塩分は抜ける。血や体液に使っても効果はない。
>砂吹き《サンドブラスト》<
指先から砂が勢い良く飛び出る。サンドブラストでガラスの表面を曇らせたり、木工の材料の表面を滑らかにしたりするのに使っていた。戦闘時に効果的に使えれば目潰しになる。
>微風<
そよ風を発生させる。夏の暑い日には最適。砂ぼこりの多いデザルト王国では普段のお掃除などに使っていた。
>サバイバル知識<
作者の知識はボーイスカウトレベルなので、大抵は道具があることが前提です。しかし、千聖はコップや鍋すらない。どうやって生きていけばいいのでしょう?
>フレーム問題<
人工知能はどこまで、考慮すれば人間が普段やっているような決断を下せるのかと言う問題提議。近年では人工知能の研究が「人間らしさ」を追い求めるのではなく、実用性を求める方向へ変わったのもあり、フレーム問題は計算量の限界に置き換えられた。なお、この研究で人間の思考の限界は「如何に優秀な外部リソースを持つか」で決まることがわかっており、スパコンの性能で研究の深度も大きく異なる事がわかっている。計算量大事!(同時に信頼性も)




