101. クレープを食べにオアシスへ
“三次元が折り畳めるなどと、誰が考えただろうか?”
――空間魔法の祖 アルマ
異世界プログラミング言語を人間が作ったと判断するのには訳がある。あまりにも状況証拠が揃っていすぎるのだ。
千聖はクルトの婚約者として呼び出されたのだが、異世界から婚約者を呼び出すのは千聖が初めてではなく、代々行われてきたことのようだ。
王妃も異世界転生者である。もっとも行方不明になっているらしく、千聖は会っていない。行方不明と聞くと何かヤバイことに首を突っ込んで殺されてしまったのではないかと考えなくもないが、王妃は放浪癖があり常習犯らしく、よくいなくなるということだった。それでも3年は長いし、可愛いクルトを放っているのはおかしい気がするが。
またデザルト王国では、転生者は「空間魔法研究者」か「政治家」のどちらかの役割で王を支える役目を負うと最初に説明されている。
千聖はまだ8才なので政治と空間魔法の両方を習っているが、10歳になる頃には専門分野を選ばなければならない。
数学が分からないので、消極的選択で政治を専門とすることになる。
そんな話があるので、このDSLは今の王妃より何代か前の異世界転生者が暇に明かせて作ったものだと判断したのだ。これがなければ機械語を直接理解しなければならないが十分な訓練を積んだプログラマでも機械語を詠み解くのは不可能に近い。千聖は何代前かわからないがご先祖様?に感謝していた。
デバッグに熱中していると、ほどなくしてクルトと護衛である騎士が来た。なぜか今日は午前中で授業が終わりのため、クルトと待ち合わせしてランチを食べることになっている。
千聖の予想通り騎士のアルヴィは黒で統一されている装備で待ち合わせの場所に来た。黒い鎧に黒いマント。剣の鞘まで真っ黒だった。
でも、黒い髪と瞳によく合っている。
最初の頃こそ『砂漠に黒の金属鎧って自殺行為じゃない?』と思っていたが、あとで鎧が暑さを弱める魔法が掛かっていると知り、異世界に来た実感が沸いたようで頻りに感心していた。
クルトはすでに制服から私服へ着替えており、活発な8才の男の子らしく、半袖のシャツに短パンというラフな格好だ。
金髪に少し焼けた小麦色の肌がとても可愛い。
どう見てもショタです。ありがとうございました。
「待ったか?」
ぼーっとしている千聖に声を掛けて駆け寄る。クルトの回りに見えるタグがキラキラ光って見えた。パーティクルだ。ナチュラルにパーティクルを飛ばしてる!
「いえ、今来たところです」
千聖はデバッグを止め立ち上がると、クルトの側による。クルトは千聖よりほんの少しだけ身長が低い。それを気にするようにクルトはちょっとだけ背伸びをして、腕を差し出す。
それに気がつかないふりをして千聖は腕を組んだ。
3人が向かう先はクレープを食べさせてくれるお店「オアシス」だ。デザルト王国に来る商人が商談に使うことが多いので、喫茶店や食事処は基本的に個室になっている。
日本の喫茶店や居酒屋のような「なんちゃって個室」ではなく、ドアもある普通の個室になっている。静かな部屋で秘密の話をしながらお茶をするシチュエーションが、千聖にとっては往年の学園ものを思い出すようでなんだか楽しい。
「授業をサボったと聞きましたが?」
これから食べるクレープのことを考えてご機嫌になっていると、アルヴィが話しかけてきた。普段のアルヴィから比べると一段低いトーンだ。事実確認をしようというのではない。問い詰めようとしているのだ。
「そ、それは……」
「ただでさえ空間魔法の成績が良くないのですから、きちんとやってもらわなければ将来クルト様のお役にたてませんよ?」
クルトの役に立たない、と言うのは、千聖に取っては死活問題である。
「や、やります! ちゃんとやりますし!」
この場合の「やる」と「できる」の間には超えられない壁がある。数学も政治も8才がちょろっと勉強しただけでできるようにはならない。そんなに甘くない。
「アルヴィ、その辺にしとけ。今日は千聖に喜んで貰うために食事に行くんだぞ」
「クルト様は甘過ぎです」
実のところ、千聖の立場は崖っぷちである。
高価な経験値水増しアイテムをたくさん使ったにも関わらず、レベルは1のまま。更に空間魔法の理解には必須である数学(主に代数)の知識は皆無。その上、政治的な素養も期待できない。
どう考えても歴代の異世界転生者の中で一番の役立たずであった。
クルトが千聖のどこを気に入っているのかわからないが、アルヴィは騎士の任務とは関係なく、クルトを応援したいと思っている。しかし、このままでは周囲の反対で婚約はいずれ解消されてしまうだろう。
そして、異世界転生者を再度召喚する際には千聖はこの世にはいない。なぜなら王子ひとりが呼べる異世界転生者はひとりだからだ。
それがわかっているからこそ、アルヴィは千聖に厳しく接し、なんとか及第点になって欲しいと考えていた。及第点になっていれば、守るのが容易になるからだ。
「いいですか、クルト様。千聖様は……」
「着いたぞ」
教育係のお説教が始まる前に一行はオアシスに着いた。見た目は砂漠の砂色の5階建てのビルだ。
敷地面積はそんなに広くない。これは砂漠のオアシスにあるデザルト王国が人間の暮らす場所をより多く確保するために発達した技術だ。もしかしたら歴代の王妃の中に建築設計に詳しい人がいたのかもしれない。
中に入ると店員に聞くことなく階段を上がっていく。クルトはいつも最上階の一番大きな部屋を使っているのだ。なお、厨房は地下にあり、料理は備え付けのエレベーターを使って運ばれる。オーダーはタブレットみたいなもので注文する。店員がお客様の話を聞かないという点に力を置いているのだ。他の店も似た感じなのでオアシスだけの売りというわけではない。
ワイワイ食べることができるお店もあるが、そのほとんどは居酒屋であり、庶民が行くような場所なので、千聖たちには関係ない。
3人が席につくとすぐに料理が届く。アルヴィが予約してくれていたようで、2人前のクレープが届いた。黒騎士は鎧で動きづらいだろうに慣れたようにサカサカとふたりの前に並べた。
クレープは日本で見たものと同じである。小麦粉の薄くもっちりした生地に、たっぷりのホイップクリーム、彩りのフルーツ。千聖の方はベリーベリーベリーの赤や紫の様々なベリーが散らされていた。中にもたくさん入っているのであろう。
クルトの方はチョコレートソースがたっぷり掛けられて、さらにチョコレートチップが散らされていた。
どちらも美味しそうだ。ほっぺたおちる~。
「アルヴィ」
クルトは徐に少し切り取ってアルヴィに差し出す。アルヴィは何の抵抗もなく「あーん」して食べた。
――キュン
あれだけ威張っていたアルヴィの「あーん」である。しかもショタから。千聖はもう鼻血が出そうであった。幸いなことにベリーのクレープなら多少血が落ちていても目立つまい。
「大丈夫ですね。どうぞ」
アルヴィはハンカチで口を拭う。これは毒味であり、食事の都度、いつもやっていることで決して千聖を喜ばせようとしているわけではない。
「千聖の分も頼む」
「え?」
「千聖様の命を狙う人などおりますまい」
アルヴィの言い方は酷いが、言い分は尤もである。千聖が居なくなるよりも王妃になっていいように使った方が悪巧みをする人の利益になるだろう。
「あとで千聖のも食べたいんだ」
クルトの顔が少し赤い。
「わかりました」
「はい。あーん」
千聖もクルトにならってクレープを取り分けて、アルヴィの口に運ぶ。アルヴィが口をあけて近づいてくる。
改めて見るととても端正な顔立ちである。護衛ではあるがアルヴィは15歳でまだ学生だ。デザルト王国の騎士団に所属し、デザルト王国式の剣術は天才のレベル。さらに銃撃などから身を守るための空間魔法を使え、護衛としても超一流。学園ではクルトの手前、話しかける女子はいないが、一番モテているという噂である。
その時、千聖の脳裏にあるイメージが流れた。あれは1年前に買った乙女ゲームのアプリのプロモーション動画だった。
喫茶店の様なところで主人公の女の子が黒騎士に「あーん」をしているところだ。主人公の顔は見えないが、着ている服は黒ではない。それにクルトのような少年も同席していない。
だが、食べているクレープの盛り付けは同じで、使っている食具も同じなのだ。
『もしかして乙女ゲームの世界……?』
千聖は既視感を抱きつつも、ここが乙女ゲームの世界なのか判断つかなかった。なにせ忙し過ぎて買っただけでプレーしていないのだから。
エンジニアあるあるである。
>DSL<
ドメイン固有言語。特定の目的のために作られたプログラミング言語。独自言語仕様はプログラマの夢。
>機械語<
マシン語ともいう。CPUが直接実行できる数値の羅列、またはそれに一対一で紐付く記号。昔は機械語を直接理解できる人がいて高速なプログラムを組んでいたとか。
>ショタ<
太股を見せてもいい年齢の男の子。もちろん毛なんて生えていない。
>パーティクル<
主に3Dゲームで爆発やキラキラ光る演出に使われる細かな部品。小説ならキラーン!とかずざざざざー!とかいう効果音と共に出てくる(はず)
>代数<
線形代数とか行列とかベクトルとかの分野ですね。高校で図がたくさん出てくるのはこの辺からです。
>砂漠に5階建ての建物<
本当に設計できるのならオーバーテクノロジーです。
>ベリーベリーベリー<
ストロベリー、クランベリー、ブルーベリーなど、ベリーとつくフルーツのこと。3つ以上入っているときもベリーは3回しか繰り返さない。冷凍のものを常備しておくとアイスやヨーグルトに混ぜ放題!
>乙女ゲーム<
アンジェリークに代表される女の子が主人公で、様々なタイプの男の子から口説かれるゲーム。アプリもたくさん出て来ていいように時代になった。
>プロモーション動画<
ゲームのイメージを伝える動画のはずが、ゲームのプレイ動画的な存在に……。プロモーション動画にお金が掛けられる時代ではなくなってしまった……なんて時代だ……。
>食具<
クレープの場合はナイフとフォーク。たまにスプーン欲しくなるよね。
……今回は専門用語少なめ。