第91話 大草原の小さな家の中
「あ……」
れ?
ふと目を覚ますと、そこはいつぞやにも来たことのある見渡す限りの草原と、その中にぽつんと広がる花畑だった。
「おにーたま……」
草原に仰向けに寝転ぶ俺の真横で、幼い菊華がしゃがみこみながら心配そうにこちらを見下ろしていた。
「いたいたい?」
「あ、ううん……」
痛くて寝てたわけじゃないよ、と言いながら、むくりと起き上がる。
起き上がると、菊華が「ん」と俺の額に向かって手を伸ばしてきたので、菊華が触れやすいように軽く体を前傾させる。
「おねつはなし」
「うん……」
あれ……?
俺なんでここにいるんだっけ……?
………………。
ああこれ、夢か。
前にも見たことのある夢だ。
時々ある夢の続きを見た的なやつかと納得をし、同時に目の前の菊華が幼いことも、夢のせいかとすんなりと受け入れた。
「ねんねする?」
「ううん、大丈夫。菊華はなにしてたの?」
「おはなうえてた」
でももうきょうのぶんはおわり、と言われて辺りを見回すと、確かに太陽が傾き、日も暮れかけているのだろうということがわかって。
「おうち……」
かえろ? と言って、菊華がこっちに手を差し出してくるので、思わず「……俺も行っていいの?」と聞き返す。
「ん」
と、小さい菊華がこくりとうなづいたのを見、まあそういうならと思って差し出された手を握り返した。
そうして、菊華の手を取り「あっち」と言われた方に目をやると、確かにそこには”大草原の小さな家”といった呼び名がぴったりくる建屋がこじんまりと佇んでいて。
世界が黄金色に染まりだす中、草原の中を菊華と手を繋いで、家まで歩いた。
◇
「ついたー!」
そう言って建物の敷地内にたどり着くと、菊華がてててっ、と走り出し、玄関のドアをあけて「どうじょ」と招き入れてくれる。
「え、鍵かけてないの?」
「……かぎ?」
言われた意味がわからないのか、菊華がこてりと首を傾げる。
……う〜ん。
まあ、見渡す限り他に人がいそうな場所でもないけれど。
でも女の子ひとりなのに流石に不用心では? と思っていたら。
足元から『ぐぅ〜……』と、腹の虫が鳴ったのが聞こえてきた。
「………………」
「おなかすいたの?」
「……うん」
尋ねると、菊華がもじもじとワンピースの裾をいじりながら少し恥ずかしそうにうなづく。
「……食べものはどこにあるの?」
「こっち」
言われて菊華の後をついていくと、たどり着いたのは家屋の裏にある小さな畑で。
「…………」
……食べ物は食べ物だけど。
畑の中には、ナスやトマト、とうもろこしといった野菜がすずなりに実っていた。
これは、食べ物というか食材だね……。
「……いつもこれを食べてるの?」
と尋ねると、またこてりと首を傾げた後、てててっと畑に走って、トマトを一個もいだ。
「ん」
「……くれるの?」
そう言って、俺が受け取った瞬間、菊華は自分の分をもいで小さな口でがぶりとトマトにかぶりつく。
「…………」
美味しそうに頬張る菊華の口の周りがトマトの汁でべとべとに汚れてしまったのを見て、後で拭いてあげなきゃなと思いながら、自分ももらったトマトを齧った。
…………うま。
今まさにもいだばかりの新鮮なトマトは、冷えてなくてぬるいままだったけれど、一瞬果物かと思ったほどに甘くてみずみずしかった。
めちゃくちゃうまあ……と思いながら、口の中に広がる甘みを思わずじっくりと噛み締めていると、ふとこちらを見上げてくる菊華とぱちりと目線が合い。
口の周りをトマトで濡らしたまま、こちらに向かってにしゃっと笑ってくる様子に、つられてこっちも笑いがこぼれた。
「……とはいえ。これじゃ食事とは言えないよね……」
そう言って菊華を連れて再び室内に戻り、ダイニングキッチンになっている部屋を見つけ出すと、他の食材はないか調味料が何があるのかを確認するために室内を物色する。
「にいたま、ごはんつくるの?」
「……え? うん。ここにあるもの、使っていいよね?」
「うん」
物色している俺の袖をくいくいと掴んでくる菊華とそんなやりとりをしながら確認をしたが、思ったよりも調味料が揃っていて逆にびっくりした。
まあ、夢だもんね。
都合が良くて助かるなあと思いながら、他の棚も漁っていくと、なんと鶏肉も見つかった。
夢! 素晴らしい!
ありがとう夢!
おかげで今日のメニューはチキンの夏野菜カレーに決定しました。
献立が決まったところで、カレーの具材を収穫するために、再び菊華と畑に向かう。
「菊華はトマトをもいでね。3個くらいでいいから」
「あい!」
と、頼まれると元気そうにてててとトマトの畝に向かって走っていく。
その後ろ姿を見送った後、ナスの収穫に向かった。
ナスは棘があるから、小さい子にやらせるのは痛くてかわいそうかなと……。
そんなことを思いながら、畑で必要な野菜を収穫してカゴに盛り、菊華とふたりでキッチンに戻る。
夢とはいえ、もぎたての野菜でご飯作るとか。贅沢だよな〜。
季節感がどうなっているのかわからないけど、外もまだ薄明るくて、なんだか子供の頃の夏休みを思い出す。
――外が暗くなっていないのにご飯だよと言われて、なんだか不思議な感じがした記憶。
郷愁にも似たような思いを感じながらざくざくと野菜を切っていたら、足元から菊華に「おてつだいある?」と尋ねられた。
「とりあえず今のところはないかな。座って待ってて」
と言った瞬間、ぐぅぅ……、と小さく菊華のお腹が鳴る。
「……なるべく早く作るから」
と苦笑して、切った材料を鍋に入れて火にかけた。
◇
「いたあき、ます!」
出来上がったカレーライスを前に、ぺちんと両手を合わせて、菊華が言う。
「美味しい?」
さっそくスプーンを口元に運んでもぐもぐと咀嚼する菊華に尋ねると、「……ん!」と満面の笑みとうなづきで答えが返ってきた。
喜んでくれたことに満足して自分もスプーンを口に運ぶと、子供向けに辛さをだいぶ控えめにした甘いカレーの味がした。
……それにしても。
夢、覚めないなあ……。
なんかしっかり味もするし。
それとも、夢だから味がするって感じてるだけなんだろうか?
……まあ、そのうち覚めるだろ。
夢だし。
「……菊華、口元」
「む」
もぐもぐと咀嚼する菊華の、口元についたままの米粒を取ってやる。
結局、食べ終わっても夢から覚めなかったので、寝たら終わるかと思ってそのままキッチンを片付け、お風呂に入って寝巻きに着替えて、ベッドに入ることにした。
そうして、下階を片付け、菊華と一緒に2階にあがると、どうやら寝室はひとつしかないみたいで。
意気揚々とベッドに潜り込む菊華に「……おにいたまねないの?」と聞かれた。
………………。
…………まあいいか。
4歳(見た目推定)だし。
そう思いながら、菊華と反対側からベッドに潜り込むと、目の前の菊華が「ふへ……」と嬉しそうに笑った。
「なに?」
「きっかね、おにーたまとねるとこあいゆめみないから」
「怖い夢?」
「うん」
だから、おにーたまがきてくれてよかったなあって、と嬉しそうに笑う菊華に、「怖い夢ってどんなのみるの?」と尋ねた。
「んとね。みんながきっかのこときらいで、あっちいけってゆーの」
「…………」
「すごくこあくて、おにーたまってさがすんだけどいないの」
――おねーたまはいるんだけどたすけてくえなくて、でもそれってきっかがわるいからっておもって、ずっとにげてうの。
「でもおにーたまとねるとみないから、だからおにーたまとねるのすき」
「…………そっか」
じゃあ今日は怖い夢見ないね、と言うと、うん、と満面の笑みで笑った。
もしかしたら、と。
ふと、ひとつの推測がよぎる。
現実で、菊華が頻繁に布団に潜り込もうとしてきたのは、怖い夢を見ていたからなのだろうかと。
目の前の菊華が言うように、小さい頃から悪夢に苛まれてきたのだとしたら。
目の前で寝息を立て始める少女の、頼りないほどの小ささもあいまって、浮かんだ考えにちくりと胸が痛んだ。
――このことは、夢から覚めても忘れないでいたいな――。
瞼を閉じて、そう強く念じたけれども。
◇
――再び目を覚ますと、まだそこは大草原の小さな家の中だった。




