第86話 くれてしずんで揺れ動く
そうして、楽しい時間というのはあっという間に過ぎるもので。
「宮姫様! また遊びに来てください!」
帰り際、すっかり宮姫ファンになった菊華が駆け寄ってそう言うと「ええ。わたくしもまたお会いできる日を楽しみにしていますわ」とにっこりと微笑み、菊華の頭を優しく撫でて車へと乗り込んだ。
「じゃあ、僕はまた、宮姫様を送り届けて来ます」
「ああ。よろしく頼んだぞ蓮」
だいぶ日も暮れて辺りも暗くなり始めた中、見送りに出てきた父にそう言って、宮姫が乗った側とは反対側の後部座席に乗り込む。
動き出した車窓から、玄関の外で見送る人々に手を振り、車が家の敷地を出て見えなくなったところで「……可愛らしい妹君たちね」と宮姫がぽつりとつぶやいた。
「……そうですね」
兄として否定する要素は一切ないので、とりあえず素直に肯定する。
「はあ……。緊張したわ……」
「え、そうだったんですか?」
「それはそうでしょう。ふたりとも喜んでくれたからよかったけれど、『え……、突然手書きの絵とか渡してきてこの人なんなの?』って思われないか直前までドキドキしていたんだから」
もらっても嬉しくもないものを無理やり押し付ける形になるのではないかと不安にも思っていたし、と、珍しく弱音のようなものを吐きながら、宮姫がずるずると後部座席に沈み込む。
「それは大丈夫ですよ。ふたりとも見るからに喜んでいましたし」
「だったらよかったけど……」
「僕の目から見ても、すごく素敵な絵だと思いましたよ。……まあ、『しらゆりの花嫁』のファンアートをまさか本人たちに渡すのかとは思いましたけど」
「うっ……、そこもどうするか悩んだのだけど。やっぱりまずかったかしら……」
「いや、大丈夫ですって」
まあ最初は一瞬俺も、本人たちが後々、この絵のモデルが自分だったって気づくんじゃないかと懸念はしたものの、仮に「そうかも」と気づいたところで別に問題はないだろう。
原作の白百合と菊華をモチーフにちゃんと背景までを丁寧に描き、物語のワンシーンを切り取ったかのように瑞々しく表現されていたあの絵は、いま脳内で思い返してみてもやっぱり素敵だったなと思うだけだ。
「それよりも、宮姫にあんな才能があったことの方が驚きです」
「……どうせ、思っていたよりオタク気質強いなって思ったんでしょ」
「……なんだか今日、やけに絡みますね……」
図星をつかれて一瞬ぎくりとしたが――、表には出さなかったと思う。
「私にもね、いたの。小さい頃身近に、ものすごく絵の上手いお姉さんが。それで、小さい頃その人に絵を描いてもらったのが嬉しくて。それから段々と、その人の真似をして自分も絵を描くようになったのだけど」
自分がされて嬉しかったことを、自分もしてみようと思って描いてはきたものの、実際に渡す直前になって本当に喜んでもらえるかどうかドキドキしちゃったわ、と宮姫が苦笑した。
「……でも確かに、小学校の時とかって、やたら漫画を書くのが上手い子とかがクラスに一人はいて、そういう子ってやたら人気者になりましたよね」
「そうそう。それで自分も真似して漫画とか描いてみちゃったりして」
そう言って、昔話に花を咲かせてクスクスと笑い合う。
――宮姫と出会って、こうやって会話する時間を持てたことで。
かつて生きていた世界の話を、一緒にできる相手がいるのといないのでは、全く違うのだなあということをつくづく思い知った。
自分だけが他人と違う記憶を持つということは、最初のうちは一種の優越感のようなものもあるけれど、反面、どこか孤独なところもあって。
うまく言葉にはできないけれど、こころの片隅で小さくくすぶっていた寂しさのようなものが、宮姫と分かち合うことで少し昇華された気持ちになった部分は確実にあったのだった。
――多分、それは宮姫も同じで。
だから、俺といる時は無防備に素をさらけだし、過去の話を楽しそうに話すのだろう。
……そんなふうにされたらまあ、こっちだって悪い気はしないよね。
帝の娘という立場もあり、最初の印象こそちょっと仰々しかったけども、実際に喋ってみるととても親しみやすい人柄だし。
つくづく、宮姫がいい人で本当によかったなあ、と思っていたら。
「……ねえ、蓮様」
と。
宮姫が、珍しく遠慮がちに――、というか、どこか躊躇いがちな様子で話を切り出してきた。
「なんですか?」
「妹さんの調べ物のこと。もちろん、わざとではないけれど、半年以上も待たせてしまって申し訳なかったと思ってる。でも私、おかげで蓮様とたくさんおしゃべりできて。私は本当に……、楽しかったの」
だから……、その……、と、歯切れ悪く言葉を選ぶ様子は、これまで俺が見てきた宮姫のなかでは、珍しいもので。
「ああ……、ちょっと待って、心の準備をさせて……」
そう言って、俺の隣で両手で顔を覆い、膝まで前屈みになりながら「はあ……」と大きく息をついた宮姫は、なにか気合を入れたような様子で起き上がると、意を決したように俺に向かってこう言った。
「あの、あのね。妹さんのことが解決しても……、できればまた私とこうして会う時間を作ってもらえると嬉しいというか……」
――ああ、なんだ。
「そんなことを心配してたんですか? 僕だって、宮姫と話してる時間はいつも楽しいって思ってますし。こうして昔話ができる相手がいてくれるだけで、ずいぶん救われてますよ」
「…………ほんと?」
「ほんとですよ」
こんなことで嘘ついてどうするんですか、と宮姫に向かって苦笑する。
「じゃああの……、調子づいて言うけど。もし……、蓮様が嫌じゃなければ。保留にしていた婚約の話も――、前向きに考えてもらえると嬉しいわ……」
――そう、宮姫が。
頬を赤らめ、瞳を揺らし、恥ずかしげに目を逸らしながら。
それでも、しっかりとこちらに届く声で――俺に向かって告げてきたのだった。




