第54話 和解とお塩対応の終わり
父に「ケーキを持っていこう」と提案した俺の言葉に。
父と未だ冷戦状態を保っている白百合としては、素直に「はい」とは言えなかったのだろう。
妹たち――どちらかというと主に白百合の方だが――と父の冷戦は、あれから2週間ほど続いていた。
どちらかが根を上げて和解するかなと思って見ていたが、思いのほかどちらも頑固者同士だったがために、未だぎこちない空気のまま今に至っており。
菊華なんかはあのとおりの性格なので、白百合の様子を見て「はっ! そうだった、れいせんだった!」と気を取り直してぴっと姉の真似をするといった様子なので、どちらかというと白百合の方が拗らせている感が強いのだったが。
というか、どっちも、和解するタイミングを完全に見失ってるんだよな――。
本当はこの場に父を呼んで、みんなでケーキを食べて和解に持ち込もうかとも考えたのだが、それが失敗に終わった場合せっかくのケーキも美味しく味わえなくなっちゃうよな、と思ってやめた。
それでなくても回数が少なくなった貴重なお菓子作り回を、嫌な気持ちでおじゃんにしてしまうのはかわいそうすぎるかなと……。
だから、食べ終わったタイミングでいつもどおり父に差し入れするかと、さりげなさを装って尋ねてみたのだが。
「……わたくしは、お父様のところに行きたくありません……」
「…………」
「お父様の仰っていることが、正しいということもわかっています。でも……」
お父様はいつも、勝手すぎます、と。
消えいるような声で、白百合がつぶやいた。
まあね、そうだよね……。
白百合の言いたいこともよくわかる。
思い返せば4年前。
母を亡くしたばかりの俺たちの前に、突然早苗さんと菊華を連れてきたことからしてそうだったし。
今回のことにしてもそうだ。
いやまあ、今回のことは事前に食事の場で軽くジャブを打ってきただけまだマシだったかもしれないが。
「蓮! 今日からこの娘がお前の婚約者だ!」とか言って、突然知らない女子を連れて来かねないからね、うちの父なら……。
自分で想像したくせに、その画があまりに現実に起こり得そうなリアリティを伴っていて、思わずため息をついた。
――これは最近、俺が、父と行動を共にすることが増えてきたが故に気づいたことなのだが。
父――西園寺菖蒲という人物は、真実悪い人ではないのだが、人の心の機微に大変に疎い人なのだ。
言っていることは大体至極もっともなことを言うし、考え方も一般常識から大きく外れはしていない。
だがしかし、それを正当化して主張しすぎることが、時に人を深く傷つけるということに思い至らない。
しかも父の場合、大抵は誰かを傷つけたとしても、父の立場上傷付けられた方が黙って泣き寝入りすることがほとんどなため、傷付けた本人が気づくこともなく。
強面な容姿と貫禄、地位も相まって、中身はスカスカだが言っていることは尤もらしく聞こえるため、関係の浅い相手からは立派な人物だと思われることも多く、それも却って本人に「自分の意見は真っ当だ」と増長させている一因でもある。
大方白百合のことも、『年若い娘の感傷にも似た一時の思いで、時間が経てば自分の言っていることも理解できるだろう』とタカを括っているのだろう。
思春期の時の親の振る舞いが、実はのちのちに大きな禍根を残すタネになるということにも気づかずに。
――そんなことを思いながら。
こちらから目を逸らしたまま、きゅっと口を引き結んでじっと黙り込む白百合を見下ろし、俺はその肩をそっと叩いた。
「……白百合。白百合の気持ちは兄様もわかる。それは、兄様もずっと白百合と同じだったからね」
そう。
白百合が父から受けている扱いはほぼ等しく、同様に俺も被っているのだ。
わからないわけがない。
ただ、一つだけ大きく違うのは、俺の方が白百合よりも人生経験が多く、ある程度のことは諦めたり回避したりするすべに長けているというだけのことで。
精神年齢上の話をするなら、俺、あの人とそんなに変わらないもんな……。
あんまり追求したくはないけど。
「白百合ならわかると思うけど、このままずっと今の状態でいても、父様が歩み寄ってくることはない」
子供の扱いに長けた人ではないし、そもそもがそういうタイプではないのだ。
人に頭を下げられこそすれ、自らが頭をさげることなどほとんどなかった人だ。したがって、他人の懐に入って相手を慮るということも得意であるわけはなく。
何より、己の支配下にある娘に対して、自分が折れるなどもってのほかだろう。
でも。
一縷の望みがあるとすれば。
父も、今回の一件では傷付いてはいるということ。
それは、原作の西園寺菖蒲にはきっと起こり得なかった変化で。
「悪い人ではないんだ。ただ、父様とうまくやっていくには、こっちが譲歩して近付いていってあげないといけない」
「譲歩ってわかる?」と白百合に聞くと「……わかりません」と白百合が答えたので。
自分の気持ちをちょっと抑えて、相手を思いやってあげるってことだよ、と白百合に教えてあげた。
これが他人だったら距離を置いてつきあうのを止めればいいが、家族であるが故にそうもいかない。
「父様はね、立場上、自分から謝ると言うことがあまり得意ではないんだ。でも、父様が傷ついているのは白百合もわかるだろう? 白百合から切り出してあげた方が、きっと父様も助かると思う」
白百合の方が幼く、傷ついているだろうに、自分を曲げさせて大人になれと言うことに胸が痛まないかと言ったら嘘になるけど。
結局、そんなやりとりの末に、白百合は「……わかりました」と小さくうなづき、俺と菊華と白百合の3人で、ケーキを持って父の書斎を訪れることとなった。
◇
「父様、差し入れをお持ちしたのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ」
構わん、と室内から声が聞こえてきたので、扉の前で白百合とちらりと視線を交わした後、先頭だって室内へと足を踏み入れた。
父は、背後にいる妹たちの存在をちゃんと認識したように反応したが、特になにも言及することはなく。
「今日は、3人でロールケーキというものを作りました。お口に合うといいのですが」
「……ああ」
俺の言葉に、そう短く答える父に。
「……お父様」
白百合が、俺の影から。
震えるような小さな、でも確かに届く声で父に声をかけた。
「子供じみた振る舞いをして……、申し訳ありませんでした」
きちんと最後まで言い切り、父に向かって頭を下げる。
白百合の態度に、父がどういう反応を見せるか様子を伺うと、まさかこの場で謝られるとは思っていなかったらしく、微かに驚いたような顔をしていた。
そうしてその後、決まりの悪そうな顔になった父がまた悪癖を発動させ「……わかればよいのだ」と返事をしたものだから。
……お父様ぁぁぁ……!
コミュ障なのは察してたけどもうちょっとなんとか頼むよ!
せっかくここで関係回復できるチャンスなのに!
流石にそれは白百合がかわいそすぎるだろ!
と、内心でツッコミ、思わず口を挟もうとした瞬間。
「……似非紳士?」
と菊華がぼそりとつぶやいた。
瞬間、部屋の空気が一瞬で凍りつく。
「き……、菊華?」
「だってお兄様。このあいだ学苑で先生が『ちゃんと仲直りできない子は、将来似非紳士になりますよ』おっしゃってました」
お兄様、お父様は似非紳士なんですか? と。
曇りなき眼で、末妹がこちらを見つめてくるので。
「菊華、お父様は決して似非紳士なんかじゃないよ。ただ、ちょっと、ちょっと……、えーと」
「そ、そうだぞ菊華。父様はれっきとした紳士だ。似非紳士などと……。現に父様は白百合とちゃんと仲直りしたじゃないか」
「でも、お姉さまはごめんなさいと言ったのに、お父様はそれに返してません」
「…………」
お父様。……子供はちゃあんと見てるんですよ?
菊華の言葉に二の句をつげなくなった父は、一度菊華に言われたことを飲み込み、確かにそうだと自らの内で受け入れたらしい。
「そうだな……。白百合、父様も大人気なかった。すまなかった」
と、白百合にちゃんと頭を下げた。
「お父様、幼稚舎の時の先生は、仲直りの時は相手と握手してから、ぎゅっとしてって言ってました」
「お、おお……、そうか……」
頭を下げた父に菊華がそういうと、父はそれに素直に従い「白百合」と手招きすると、仲直りの握手の後に「すまなかったな、本当にすまなかった」と改めて言って、白百合を抱きしめた。
その様子を、外から菊華と手を繋いで眺めていた俺だったが、やがて父と和解できたことに安心した白百合がしくしくと泣き出し、それに慌てふためく父親を見ながら。
どうやらこれで、長い冷戦が終わったのだと、ほっとしたのだった。




