第32話 菊華ちゃんの成績
――その日。
「…………」
「…………」
新学期も開けて梅雨を目前にひかえたある日。
しとしとと雨の降る中、学校から帰ってきた俺の部屋で。
菊華が、俺の前でものすごく気まずそうに椅子に座りながら、目線を泳がせていた。
俺の目の前に置かれていたのは――、一枚のテスト用紙。
さいおんじ きっか。30点。
……30、点。
「…………」
無言で、ぺらりとテスト用紙を手に取る。
何回見ても書かれている点数は同じだ――30点。
無論、50点満点での30点ではない。
100点満点中の30点。
「菊華」
「はい……」
いやいや、待て待て俺。
まだ入学して最初のテストだし、相手は子供だ。
どう注意するか悩み眉間に皺を寄せ、もう一度テスト用紙に目を落とす。
――失点の大半は、ケアレスミスだ。
国語のテストは、書かれてあるイラストの下にあるマスに、マスの数にあったひらがなとカタカナを埋める問題なのだが。
『バナナ』が『バ七七』になってるとか……。
『せっけん』の絵に『せいけつ』って書くんじゃないよ! ある意味合ってるけどさ!
やかんの絵に『ポット』って……。
あれ、菊華って、やかん見たことなかったっけ……!? (涙)
算数のテストの解答も似たようなものだ。
”ひく”と”たす”を逆に覚えていて足し算と引き算の解答が逆になっている。
…………。
あっ!
そうかあ! 天然かあ!
悪役令嬢から悪役成分を引いたら天然でした!
俺の妹は天然令嬢!
うん! かわいい!
…………!
いや……、可愛いけどさ……!
可愛いけど!!
目の前で黙ったままの俺を前に、今にも泣き出しそうな表情になってきた菊華になんと言うべきかと、うむむと頭を悩ませる。
とはいえこれを――放置するわけにもいかないからなあ……。
だって、これが常態化していっちゃったら、『西園寺様のご兄妹は上おふたりは優秀なのに末の妹君はお出来にならないのねえ』とか言い出す輩も出てくるやもだし!
それで、菊華が『妾腹でかつ後妻になった女の娘だから』とかわけのわからんレッテルを貼られても腹が立つし!
妹たちが貶められる懸念材料はなるべく無くしたい。
これがきっかけになって菊華がグレて、悪役令嬢への道を再び歩み出されたりなんかしたら、お兄ちゃん泣いちゃうよ!!
せっかく今までいい調子でやってきたんだから!!
――と、そんなことを考えていたら。
「おにいさま……」
そう呼ばれて、落としていた目線を上げた先に。
お兄ちゃんよりも先に、涙を流している菊華がいました――。
「も……っ、申し訳ありません……。わた、わたくしが……、お兄様とお姉様の努力を、汚してしまって……」
ぽろぽろと、手のひらで拭っても、次から次へと溢れてくる涙を抑えきれない菊華が、俺に向かってそう言ってくる。
「つ、次はちゃんとやりますから、だめな子だって、思わないでください……」と涙ながらに訴えてくる菊華を前に、俺は自責の念にかられた。
あああ〜〜いやあああ〜〜〜……。
初等部一年生を相手に、ここまで追い詰める必要なかったよなあああ……。
いや、無言の時間が長かったの、怖かったよね……。
でもさあ! パッとめくって30点は頭真っ白になったよね!
しかも内容見て『バ七七』とかさ!
一瞬爆笑しそうになったのを、笑ったら示しがつかないと思ってグッと堪えたからね! ほんと!
――いや。いやいや、それはさておき。
「……あのね、菊華。僕はね、テストの点数が悪いからって、菊華をダメな子だとは思わないよ」
そう言いながら、いまだぽろぽろと涙を流し続ける菊華に、ハンカチを差し出す。
差し出された方の菊華は、一瞬受け取ろうと身を乗り出しかけるも、それでは反省の念が見えないと思ったのか、ぐっと我慢するように両手を握りしめた。
それを見た俺は、苦笑しながら椅子に座る菊華の前まで行って膝をつき、手にしたハンカチで涙を拭いてやる。
「でも、できないことがわかったのなら、次はそうならないように努力することは必要だと思う」
――菊華は、それができるよね――?
そう尋ねると菊華は、俺に向かって潤んだ瞳のまま、こくりと頷く。
「よし。じゃあ約束しよう」
「やくそく……?」
「うん。この先、菊華が80点以上取れるようになるまでは、わからないところは白百合に教わるか家庭教師を雇う。でも、80点以上取れるようになったら、わからないところは僕が教えてあげる」
「……お兄様は、あたまが悪い菊華には教えてくださらない?」
「そうじゃないよ。人って、なにか目標があったほうが、努力できたりするでしょ?」
本当は俺が教えてもよかったんだけど。
でもそうすると、菊華は俺に甘えてきそうな気がしたし。
わからないことをすぐに「わからない」と尋ねてくるのではなく、自分で考える力を持てる子になってほしい。
そういうことを、歳の離れた兄の俺からじゃなくて、歳の近い白百合を見て学んだ方がいいのではないかと思ったのだ。
まあ……、白百合には負担かけちゃうけど。
ダメなら、家庭教師を雇ってもらう案になるけど。
しかし、菊華はそれに「……わかりました」とすんなり頷き、すんっ、と鼻を啜った後「自分で頑張ってみて、わからなかったらお姉様に聞きます」と言ったので。
菊華と俺で、指切りをして約束した。
結果、まずは宿題を一人で解いてみて、答え合わせを白百合にしてもらうと言う方法を取ったところ、家庭教師を雇うまでもなく菊華の成績はあっという間に向上した。
その後、勉強を教えてくれた白百合にも話を聞いたが「せっかちで早合点が過ぎるところがあるので、多分そのせいだと思います」と言われた。
やっぱり、生粋のおばかさんじゃなく、ただの天然なんだよなあ……。
と、そんなことが確認できた出来事であった。




