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「こんにちはー、どうぞー」
スクールバスのドアを開け、乗り込んでくる生徒を見た。
そして、その姿にどきっとして見とれてしまう。
暗目の茶髪、セミロングの髪の毛がゆるいカーブを描き、フェミニンな感じが伝わってくる。
彼女はにっこりと俺に微笑んだ。
「お願いします」
この時間にこのバスに乗る生徒は少ない。つまりは俺と彼女の二人っきり。
それなのにやさしい目で窓から外を眺める彼女には話し掛けることが出来なくて。
これが教習車だったら、と思う。
それが理由で早く指導員になりたいと思ってるわけじゃないが、なかなか指導員になれないこの状況が多少なりとももどかしい。
結局挨拶程度しか話せなかった俺は、意気消沈して添乗員室へと向かった。
喫煙者ではないのでストレスのはけ口をMINTIAにして、ひたすらぼりぼり噛んだ。
何てことを考えてるんだ。仮にも彼女は生徒だ。世間体的にも彼女に好意を持っているなんて口が裂けても言えない。
はぁっとため息を吐いたあと、次のスクールバスの準備のために添乗員室から出た。さわやかな日差しを浴びている彼女を見て、何となく体温が上がってくるのがわかる。
そして、彼女担当の指導員を見た。
とてもじゃないがアラフォーなんて見えない…俺の憧れであり、男の俺でも見惚れてしまう人、内村さんだ。
内村さんは若くして指導員になり、長年ここで仕事をしているそうだ。そして最近結婚、出産を経験…と言っていいのかわからんが、とにかくお子さんが産まれたらしく、まさに公私共に順風満帆。
今日はそんな内村さんの家に招かれることになっている。
内村さんに軽蔑されるのを覚悟で相談してみるつもりだ…彼女のことを。
そしてあれから彼女と接する機会に恵まれないまま、内村家へとやって来た。玄関で出迎えてくれたのは若くて綺麗な奥さんだった。
「おかえりなさい」
「ただいま…彼、俺の後輩の杉本浩紀くん」
「あ、こんばんは!お邪魔します!」
かばっと頭を下げてがばっと頭を上げると、奥さんが俺に微笑みかけてくれた。
「お待ちしてました」
「こいつは俺の嫁の薫」
「主人がいつもお世話になってます」
「いっ、いえー!こちらこそお世話になってばかりで!」
慌てて頭を下げる。すると内村さんも奥さんも目を見合わせて笑っていた。
「さあ、早く上がって」
中はゆったりとした空間が広がっている。なんか…こんなとこに新婚で住んでるなんて良いなぁとしみじみ思う。
そしていかにも奥ゆかしいという感じの奥さんが作ってくれたのは、だしの味がしっかりと効いている和食だった。
目が合うたびににっこりと微笑んでくれる奥さんについ見惚…いや、人妻だ人妻。なんとも内村さんとお似合いだ。
「奥さんお若いですね」
「どんな口説き文句だよ」
内村さんが味噌汁を片手に苦笑いした。奥さんは横でふふ、と笑っている。
「ありがとうございます」
「失礼ですがおいくつですか?」
「26です。今度27になります」
思考回路が一瞬ストップした。
俺の4つ上…?てことは俺と内村さんは14離れてるから…
「えぇ!?」
一瞬の沈黙のあと、思わず大声を出してしまった。
「うっわ、びっくりした…どうしたんだよ」
「いや、ずいぶんお年が…」
「離れてるだろ?」
内村さんがもう一回苦笑した。何となく心拍数が上がってくる。
「えっ、どっ、どこでお知り合いに?」
「ん?」
内村さんはお茶碗と箸をテーブルに置いた。
「古野ドライビングだよ」
…
「え?」
内村さんがふっと笑ってみせた。
「古野ドライビング」
「え?え?」
俺は訳がわかってない脳みそをなんとかするのに精一杯になった。
そんな俺を見て内村さんが爆笑する。
「落ち着けスギ」
「え?どういう関係で…」
「俺指導員、こいつ指名生徒」
思わず大きな声を出してしまって娘さんを泣かせてしまったのは言わないお約束だ。
食後のビールをバルコニーで楽しみながら内村さんと会話をした。奥さんは娘さんを寝かしつけている。
「まぁこんな経緯かな…結婚するまで。そんなびっくりか?」
「はぁ、はい…なんかドラマみたいですね」
「そうか?」
心地よい夜風を浴びながら内村さんがそう言った。何というか…大人のフェロモンだだ漏れ。俺が女なら絶対惚れてしまう。
「で、お前は?」
「え?」
内村さんから急にそう言われてビックリする。内村さんは壁にもたれるようにしてこっちを見た。
「いや、スギ見てたら昔の俺見てるみたいでさ」
「そ、うですかね…?」
「うん」
自分の指名生徒と結婚した内村さん。そしてそんな内村さんと似てると似てると言われた俺。それならば…。
「あ、あのですね、ホントはダメってわかってるんですけど、実は俺…」
「辻部ちゃんだろ?」
内村さんは少し笑いながら、みるみる顔を赤くする俺に向かってあっさりそう言った。その言葉にさらにかあっと顔が熱くなった。
「な、ん、で…!」
「だって今日辻部ちゃんの担当になったとき、お前の方からの刺さるような視線感じたし」
「でもそれだけで…」
「まあそれだけじゃないけどね…とりあえずそうなんだ。へー」
反論することも出来ず、ただ顔を真っ赤にして俯いた。
俺は彼女に…辻部結華子さんに確かに惹かれているから…。
「頑張れスギ、誰が何と言おうと俺と嫁はお前の味方だから」
内村さんは俺の方をぽん、と叩いて笑った。こんなに心強い味方はいない。
「ありがとうございます」
そして、俺と彼女の物語が始まる。