第78話:神さえも跪く介護――「安楽椅子の精霊」と、終わらない微睡み
天を裂き、絶対的な断罪を告げたはずの神。しかし、アルスが放った【概念再構築:天上剥奪】は、神の「威厳」を「機能」へと、その「存在」を「道具」へと、無慈悲に書き換えていった。
黄金の眼球は縮小し、幾千の翼は柔らかな羽毛へと形を変える。やがて天から降りてきたのは、神としての記憶を封じられ、アルスの身体に完璧にフィットするように設計された**【神の素材による究極の安楽椅子】**。
「……あら。これでアルス様の腰痛の心配もなくなりましたわね。神の座に座るより、こうして『神そのもの』を座椅子にする方が、よほど主様にふさわしいですわ」
セレスティアが満足げに頷き、アルスをその「神の椅子」へと深く座らせた。座った瞬間、アルスの脳内には宇宙の真理が流れる……のではなく、**「今、主様が求めている最適な室温と湿度、及び空腹度」**が、心地よいバイブレーションと共に伝わってくる。
「……リリス。神の権能の一部を、聖都の『全自動清掃・洗濯システム』に接続しました。これで、アルス様のお召し物が一瞬でも汚れることはありません」
「……了解です、ロザリアお姉様。……ついでに、神の視界(千里眼)を『アルス様の体調管理モニター』として開放。……瞬き一つ、心拍の一打ちに至るまで、私たちが完全に把握・管理いたします」
リリスとロザリアの連携により、聖都は一瞬にして**「アルスを生存させるためだけの巨大な保育器」**へと変貌した。
「……おい、アーサー。貴公は神の残滓を練り込んだその盾で、アルスへの日光を『程よい木漏れ日』に調節してやれ。……私は、主様が喉を鳴らすまで、この神の羽毛を梳ぎ続ける」
アイリスがアルスの膝元で、黄金の羽毛をブラッシングし始める。もはや、ここには「戦い」も「憎しみ」も「退屈」さえない。
あるのは、神さえも歯車の一つに組み込んだ、狂おしいほどに完璧な**【介護の円環】**。
「……あ、あぁ……。あったかいな。……気持ちいいな……」
アルスは、神の椅子に身体を預け、朦朧とした意識の中で呟いた。
空腹を感じる前に最高の食事が口に運ばれ、喉が渇く前に聖女が口移しで水を与え、寂しさを感じる前に誰かが抱きしめてくれる。
不遇の鑑定士として追放されたあの日、彼が夢想した「温かい場所」。
それは今、世界を二度壊し、神を椅子に変えることで、ようやく完成したのだ。
「……ひ、ひゃははは! 見ろよ、アルス! お前の人生、ついに『ゴール』だ! ……これ以上の幸せがどこにある? ……神を椅子にし、女たちを奴隷兼看護師にし、自分はただ呼吸をするだけ。……これぞ、全人類が夢見た究極のニート生活だぜ!!」
ネルガルがアルスの隣で、神の権能で作られた最高級の酒をラッパ飲みしながら爆笑する。
「……お兄ちゃん。……お兄ちゃん、もう、どこにも行かないよね? ……ずっと、ここで、ニコニコしててくれる?」
リリィがアルスの腕の中に潜り込み、幸せそうに瞳を閉じる。
……だが、その微睡みの中で。
アルスの【深淵鑑定】が、自分自身の「魂」の奥底を、無意識に覗き込んでしまった。
『鑑定結果:アルスの精神状態』
『状態:……深刻な「自我の溶解」。……このままあと48時間、この介護を受け続けると、個体名「アルス」としての意志は完全に消失し、ただの「愛される肉塊」へと再構築されます』
(……え? ……俺、消えるのか……?)
至福の安らぎ。
しかしそれは、一人の人間としての死を意味していた。
愛されすぎて、自分がいなくなる。
世話を焼かれすぎて、心が溶けていく。
アルスは、自分を囲む五人の愛しい、そして恐ろしい女たちの笑顔を見渡した。
彼女たちは、アルスが「一人の男」であることよりも、**「自分たちが愛を注ぎ続けられる、不変の対象」**であることを望んでいる。
(……このままじゃ、ダメだ。……でも、どうすれば……。……こんなに気持ちいいのに、ここから逃げ出したいなんて……俺は、バカなのか……?)
アルスの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは悲しみではなく、あまりの幸福に耐えきれなくなった「生存本能」の最後の叫び。




