第48話:神無きあとの日常――あるいは、静かなる執着の再起動
天空要塞アルスガルドが墜落し、黄金の神話が瓦解してから三ヶ月。
かつて世界を意のままに書き換えた「鑑定士」アルスは、辺境の小さな村の端にある、古びた工房にいた。
「……よし。これで、よし」
アルスは額の汗を拭い、目の前のひび割れた農具を見つめた。
かつての視界を埋め尽くした豪華な【鑑定】ウィンドウはない。今の彼に見えるのは、ノイズ混じりに浮かぶ、最低限の情報だけだ。
『名称:使い古されたクワ』
『状態:微細な亀裂。……叩けば直るが、魔法的な強度は期待できない』
「……昔なら、一瞬で『神の農具』に再構築できたんだけどな」
アルスは苦笑し、重い金槌を振り下ろした。魔法ではない、自分の肉体の筋肉を使い、火花を散らして鉄を叩く。一回叩くごとに腕が痺れ、息が切れる。かつて絶倫な精力と魔力で世界を支配した男とは思えない、ひどく「人間らしい」疲労だった。
「アルス様、お昼ですよ。……今日は、あまり出来が良くないのですが」
背後から声をかけたのは、セレスティアだった。
彼女は透けるような聖衣を脱ぎ捨て、村の女性が着る粗末な麻の服に身を包んでいる。かつては指先一つで広域結界を張った聖女の掌は、今やジャガイモの皮剥きで小さな傷が絶えない。
差し出されたのは、少し焦げたパンと、薄いスープ。
「……美味しいよ。セレスティア。魔法で作った『黄金の果実』より、ずっと味がする」
アルスがスープを啜ると、セレスティアは顔を赤らめ、隣に腰掛けた。
そこには、あの天空都市での「主を食い尽くそうとする狂気」は、もうない。……少なくとも、表面上は。
「……私、時々怖くなるんです。あの空の上での日々が、全部夢だったんじゃないかって。……でも、この指のタコを見ると、今が現実なんだって安心します」
「ああ。俺もだよ。……今の方が、君の声がよく聞こえる気がする」
二人の間に流れる、穏やかな沈黙。
だが、アルスの【鑑定】は、セレスティアが去り際に残した「お盆」の裏側に、小さな違和感を捉えていた。
『鑑定結果:お盆の裏に、極小の「監視魔法の残滓」を確認。……魔力が枯渇したはずのセレスティアが、無意識に(あるいは意図的に)編み出したもの』
アルスは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
彼女たちの「異常な依存」は、墜落の衝撃で消えたはずだった。……だが、それは単に「牙を隠した」だけではないのか?
「アルス! 今日の獲物だ! 鑑定してくれ!」
工房の扉を乱暴に開けて入ってきたのは、アイリスだった。
彼女は重厚な魔導鎧を失い、軽装の皮鎧で巨大な猪を担いでいた。かつての女騎士は、今や村一番の狩人として生活を支えている。
「アイリス、またそんなに無理して……。フィオナは一緒じゃないのか?」
「ふん、あいつなら後ろで『この土の魔力濃度が低すぎる』と愚痴を垂れている。……ロザリアとカゲロウは、村の井戸端会議に混ざって、冬越えの蓄えを相談中だ」
かつてのヒロインたちは、それぞれのやり方で「人間」としての生活を再構築していた。
だが、アイリスが猪を下ろした際、アルスの目に彼女の腕の「傷」が映った。
『鑑定結果:自傷痕。……アルスの魔力が得られない不安を、肉体的な痛みで紛らわせた形跡』
アルスは言葉を失った。
魔力による強制的な「バグ」は直した。……けれど、彼女たちの心に刻まれた「アルスという毒」は、再構築しきれていなかったのだ。
「……なぁ、アルス。……私たちは今、幸せなんだろうか?」
アイリスが、伏せ目がちに呟く。その瞳の奥には、かつての天空都市で見た「暗い情熱」が、残り火のように揺らめていた。
「ああ。……幸せに、なっていかなきゃいけないんだ。……時間をかけて、ゆっくりと」
アルスがそう答えた時、村の入り口から騒がしい足音が聞こえてきた。
「……だ、誰か……助けてくれ……っ! 頼む、ここに『伝説の鑑定士』がいるんだろ……っ!?」
現れたのは、ボロボロの装備を纏い、片腕を失った男。
かつてアルスを「無能」と呼び、辺境へ追放した勇者パーティの戦士だった。




