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哀傷ゾルレン  作者: まじりモコ
第三章 枯野の鮮血
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二十九話 厳罰人


         3


 傷害事件の報道があってから、二日後。世間は平日ながらも祝日を満喫する人間で溢れ返る県の中心街に、私はいた。


 人々は近所で暴力事件があったことなどどこ吹く風の他人事で、家族や友人と笑いあいながらどこぞへと歩き去っていく。フードを目深に被り、壁際に立ち尽くしている怪しい小柄な私には目もくれない。


 それを危機管理の不十分さと嘆くのか、日本が基本的に平和を謳歌(おうか)している代償と捉えるかはその人次第……いや、今のは両方悲嘆側の意見であった。つまり私の意見だ。目前の和気あいあいとした空気には馴染まない。


 こういった景色の中にも、容赦なく小さな危険の芽をぽつりぽつりと発見してしまう、私の(ごう)だ。


 手持ち無沙汰で腕時計を見る。十三時三十六分。待ち合わせの時間は過ぎていた。

 辺りを見回してみるが、待ち人の姿はない。


 日差しが温かく着ているカーディガンが若干熱を溜め帯びてくる。袖を(まく)ろうと右手に意識をずらすと、視線を感じた。遠くを見ると、私を見つめる目があった。


 道路の向こう側。二人組の男性が道端に立ちなにやら話をしている。


 両方、恐らく日本人ではない。彫りの深い西洋風の顔立ちと金色の髪。地方都市の市街地ではあまり見かけない類の人種だ。


 片方は三十代くらいだろうか。男性は山高帽子を浅くかぶり、スーツの上着を腕にかけている。見れば、足元には大き目のキャリーバッグがあった。私を観察していたのはこちらだ。まだ年若い青年も、男性と同じような服装をしている。


 旅行客だろうか。それにしては、装いがこの土地にあっていない。旅慣れていないというだけでは説明しきれない違和感がその二人組にはあった。


 じりじりと、陽炎(かげろう)が景色を焼くような危機感がにじりよる。稀癌が反応している。私はショルダーバッグに手を掛けた。


 その時、壮年の男性と目が合った。すると男性は微笑みを浮かべて帽子を取り、私に軽くお辞儀をした。その所作は優雅なもので、そこだけ宮殿にでもなったかのようだった。そうして男性はもう一人に声をかけ、そのまま歩き去ってしまった。


 ……なんだったのだ。


 胸に詰まっていた危機感は、綺麗さっぱり消えていた。


「おーい。誡! 悪いな、遅くなった」


 振り返ると、射牒(いちょう)さんが小走りにやって来ていた。いつものスーツ姿だ。


「どうかしたのか?」


 私の顔を見た射牒さんが不思議そうにそう訊く。

 私は、なんでもないですと答えて、彼女と合流した。


 なんとなく、さっき見た光景は忘れた方がいいと、そう感じたからだ。


         4


「よろしかったのですか、先輩」


 僕は前を歩く先輩へ、そう声をかけた。

 ワックスでキメた前髪を優雅に揺らす先輩は、僕を振り向きもせずに颯爽(さっそう)と前を歩く。

 伸びた背筋はただ前だけを見ている。滲み出る芯の強さと、人生の辛苦を全て超えてきたような皮肉めいた微笑みは、道行く女達の眼を引いていた。


 いや、極東の島国の女どもの好意など僕には必要ないが……。


「ふっ。不満かい?」


 ふいにそう問われ羞恥を覚えた僕が足を止めると、先輩も一緒に立ち止まる。くだらない嫉妬(しっと)で上司の歩みを止めてしまった責を問われるのではないかと寒気がしたが、幸い心が読まれたわけではなかったらしい。


「先ほどのあれは狂っていない。我々の任務対象外だよ」


 先輩の語るあれとは、先ほどの少女のことだろう。フードを目深に被り、壁際に立ち尽くしていた小柄な体躯(たいく)。先輩が観察していた稀癌(きがん)罹患者(りかんしゃ)だ。


 確かに、最初に僕が発した言葉はそのことに関してだったが。


「しかし、あれは立派な稀癌罹患者だったのでしょう?」


 そう確認を取ろうとすると、先輩は声を低くした。


「確かに、罹患者の多くは副作用によって精神状態が不安定になるものが多い。だが……いや待て、『だったのでしょう』……? 君はまだ常人と罹患者の区別がつかないのかね」


「も……申し訳ありません! 自分はまだこの職について日が浅いもので──!」


「わかっているさ。だからこその実地研修、そうだろう?」


「は、はい」


 慌てて返事をする。先輩はこの仕事に就いて長い。それはもちろん、見た目で判断できない年月だ。僕ら魔術師でも、永遠の命を確約する術はない。しかし、中身と外身をずらす程度は造作もない。自らの最も優れた全盛期の肉体を維持するのは当たり前だ。


 この男性はこう見えても僕の数倍の時間を生きている。連盟の上層部にも顔の効く腕利きの御仁(ごじん)だ。


 学園を卒業したての僕は、研修代わりに彼の御付きを命じられたのであった。


「我々の仕事はあくまで狂った罹患者の処分だからね。確かに稀癌は願いなどという魔術の努力を愚弄する存在ではあるが、力を制御できている罹患者にまで手を下す権限は我々に与えられていないのだよ。

 ルー、罹患者共を殲滅(せんめつ)したい気持ちはわかるが、そこは紳士として抑えたまえ」


 滔々(とうとう)と語る先輩の口調には、罹患者へと憎しみと蔑視(べっし)が込められていた。年若い僕にはあまり実感が湧かないが、術者は大抵、罹患者を軽蔑する。


 魔術・魔法は学問だ。過去からの積み重ねによって奇跡の扉を開く。

 しかし、罹患者は違う。前世の願いの強さなどという、本人の努力なしに奇跡を起こす。それも、術者では到底手の届かないほどの奇跡を。


「狂った罹患者とそうでない罹患者の違いはなんなのでしょう。お恥ずかしながら、座学ではあまり触れておらず……」


 そのため術者は稀癌を嫌う。話題にすることを避けるほど。仕事柄、稀癌に接する機会の多い我等連盟も、術者組織の中では異端に近い。実力をつけるという目的だけで言えば、ここほど条件の良い場所もないのだが……。


 とにかく、稀癌の研究は数百年前で停滞している。必要な情報はそれで十分というように。実際、術者にはそれで十分なのだが、稀癌狩りを生業(なりわい)にする僕らには、それでは足りない。


 生き残るには、現場の知識が必要だ。


 この国では聞かぬは一生の恥、というらしい。僕が素直に訊くと、先輩は一瞬胡乱(うろん)な目をしたが、すぐに頷いて説明してくれた。


「罹患者の狂いは、気の狂いとは似て非なるものだ。稀癌を形作る前世の願いと、魂に刻まれた魂願(こんがん)の類似性が、稀癌の強さと安定性を決める。二つに矛盾があればあるほど、罹患者は稀癌をコントロールできなくなる、というわけさ」


「魂願……。神代に、魂が永遠をもって求めつづけると定めた願いのことですね」


 考古学だったかなんだったかの講義で聞いた覚えがある。どんな人間でも、魂願を一つ胸に秘めているものだと。


「そう。魂願は全ての魂が秘める願いだ。人類がつくられた後、最初の私たちが決めた願いだよ。

 古文書曰く、『神の最も残酷なことは、人間に生きる意味を与えなかったことだ』と訴えた人間に、神は一つの魂に一つずつ、願いを持つことをお許しになった。我々の魂は今もその願いを叶えるために存在している。

 だから、人は誰しも生まれながらに願いを秘めているのだよ。君も、私もね。それは原始の私たちが自らに定めた目標のようなものだ。何度生まれ変わろうと、それを求めて生きるのだと定めた願い。人が無自覚に追い求めるもの、それが魂願というものだ。

 だが、人間は時折魂願と矛盾した願いを抱く。それが稀癌になってしまうと駄目だ。稀癌も魂願も、魂に由るものだからね。といっても、魂願の内容も、稀癌を生んだ願いも、普通はわからない。良い目を持った占い師ならばあるいは……」


「先輩はお持ちなのですか? その目を」


「いいや、私がしているのは、『狂い』の基準の話だ。魂願と稀癌のすれ違いは根源的問題だから、ただの精神疾患と違って治すことはできない」


「だから、我等のような厳罰人がいるんですね」


 道行く人々を眺めるフリをしながら僕が言うと、先輩は上機嫌に「Good」と呟いた。


 背の低い、野暮ったい服装の日本人たちが時折僕らを物珍しそうに盗み見る。先輩はそんな人々と目が合うたびに微笑みかけた。そうすると、皆顔を赤らめて目を背ける。己の容姿の理解した、熟練の技だ。結果的に僕らは怪しまれずにすんでいる。


「稀癌は『癌』そのものだ。狂った稀癌は、精神はもちろん肉体まで(むしば)む。本人が精神的に弱い人間ならばなおさらさ。罹患者の放つ空気は常人のそれとは異なり、狂っていれば一線を画す。アレはもう、殺すしかない。……なあに、慣れればすぐにわかるようになるとも」


 言って、先輩は再び歩き出した。

 慌てて後を追いながら、僕は思っていた。


 さっきの少女も、普通の人間と同じに見えた。違いなどわからない。

 僕がこの仕事で胸を張れるようになるのは、まだ当分先の話になるだろう、と。




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