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哀傷ゾルレン  作者: まじりモコ
第二章 狂気の隆替
27/77

二十五話 秒針の音


         26


「……それでは最後に、もう一度作戦を確認します」


 最低限の抑揚(よくよう)しかない幼さの残る少女の声が、深夜の駐車場に降りる。


 屋上での少年少女の会話から、二日ほど経った金曜日の夜。正確にはすでに日付が変わり、土曜日になってしまっている。


 午前中まで降っていた雨のせいか最近温かかった空気が今日は追いやられ、一日肌寒い。もう丑三つ時に近いせいか、上着を着てこなかったことを後悔する程度には冷たい外気が漂っていた。


「……日が暮れる前に仕種さんに連絡を入れました。話がしたいから、今日の深夜、午前二時にここ、上城図書館前、上城町総合体育館駐車場で待ち合わせがしたい、と」


 当たり前だが周囲に人気は無い。曇り空の中、駐車場に何本か立っている電灯だけが光源だった。


 その中の一本の脇にいつも放置されている一台の白いバンの陰に、中学生くらいの少年と小柄な少女が隠れるように屈み込んでいた。少年は早口に何かしらの言葉を呟き続けており、少女の方が一方的に話しかけている状態だ。


 少年は目線だけで少女に応え、少女はそれに頷いて、また確認を始めた。今度は腕にはめた時計を見ながらだ。それは華奢な少女の腕首には似合わない、丈夫さを第一に考えて選ばれたような武骨極まる大きい腕時計だった。これは少女が選んだものではない。彼女の師からのプレゼントだった。


「……仕種さんが遅れてくる可能性を考え、更科君には二時十分丁度に呪文を唱え終わるように調整してもらっています」


 少年も腕を出し少女の時計と見比べる。少女のそれよりも一般人向けのどこにでもある普通の時計であったが、刻む時間は、秒針まで正確に少女の腕時計と一致していた。


「……はい。仕種さんが予定時刻内に来れば、更科君が唱え終わるまで私が時間を稼ぎます。……会話の材料を調達できたので、ご安心ください。……もしも仕種さんの到着が二時十分以降になった場合、作戦は失敗。適当な理由をつけて我々は撤退します。もう一時間稼ぐことは不可能ですから。……できれば後日もう一度チャレンジ。できなければ、その時は、警察に(ゆだ)ねます」


 それで全てだったのか、今も何かを暗唱し続ける少年はそのままに、小柄な少女は立ち上がった。目を閉じたまま少し遠くに見える道路へ顔を向ける。


 冷たさの残る風が吹く。肩口で乱雑に揃えられたつややかな黒髪が揺れた。少女は最後になにかを確認するように、腰に巻いたウエストバッグに軽く触れる。


 そして自分を見つめる少年に振り返り、閉じていた目を開いた。


「……万全は尽くしますが、もしもの時は一人で離脱してください。私は一人の方が動きやすいので、お気になさらず。…………ざらつく香りが近づいてきています」


 はっとしたように拳を握った少年を一瞥(いちべつ)してから、少女はやはり頷いてバンから離れた。数十メートル先の少年が見えない位置まで歩き、立ち止まる。深く吐き出された息は、まだ若干の白さを残していた。


 時刻はようやく一時四十五分を廻ったところ。


 ひらけた駐車場のパーキングブロックすらない平らな地形。あるのはコンクリートに引かれた白い線と、それをところどころ隠す少々の水たまり、そして一定間隔で立っている電灯のみ。


 障害物が少なく動きやすい。もう少し奥に行けば本当の屋外運動場があるのだが、これから繰り広げられるだろうことを考えるとそちらの使用は(はばか)られた。運動場は運動をする場所だ。殺し合いの舞台ではない。


「……ここなら壊れるものも少なく済む」


 少女――誡はそう呟いて身震いした。だんだんと、異様な感覚が近づいてくるのがわかるからだ。腹の奥からせりあがって来る不快感。一般に「不安」か「恐怖」と定義づけられるその感覚の正体に気づくことなく、誡はそれを稀癌の伝える感覚だと認識して、ただ耐えた。


 自分の左腕で秒針がカチカチと進むのが肌を通して明確に伝わってくる。

 ――鋭敏になりすぎている。


 (りき)み、凝り固まった身体では思うような動きはできない。それは命取りになる。

 そのことを理解している誡は、大きく息を吐きながら背伸びをした。


 直後、少し遠くから声が届く。


「こーんばんは。もう春なのに、今日は冷えるわねぇー」


 近所のお姉さんとすれ違った時のようなありふれた挨拶。図書館と白いバンを背に立つ誡から、まだ十メートルほど離れた位置の電灯の下で、一人の女性が立ち止まった。


 動きやすそうなジーパンに、おしゃれなシャツとカーディガン。そして、背には剣道の竹刀を入れる袋を背負っている。明かりに照らされた湯苅部仕種の表情はあくまで明るい。いつもより化粧っ気が薄いのは、これから何をするのかわかった上での判断なのだろうか。


「……こんばんは、仕種さん」


「ひさしぶり、誡ちゃん。どうするか、決めたみたいだね。聞かせてくれる? あなたの答えってやつ」


 担いでいた袋を硬い地面に重さを叩きつけるように下ろしてから、仕種が問う。小首を傾げる姿は身長に似合わない幼さを醸し出してはいるが、とても幼稚と侮ることはできない。


 リボン結びにしっかりと閉じられた袋の出し入れ口。その封がまだ解き放たれていないにも関わらず、刀からは以前と同程度の脅威が噴出している。


 冷や汗が頬を伝うのを感じながら誡はかぶりを振った。予想外だったのだろう。仕種は動きを止め、訝し気に少女の一挙一動を観察している。


 そんな仕種の様子を目を細めて見つめながら誡は深呼吸し、息を整えた。


「……答えは確かに出ています」

「なら──」

「一つ質問をさせてください」


 少女にしては珍しく、思考の猶予を確保せず間髪入れずに仕種の言葉を遮った。それは、絶対に言わねばならないことだと事前に決めていたためだ。


「どうして、誤解を招くような発言をしたのですか。…………あれではまるで、貴女が(・・・)家族三人を(・・・・・)殺した(・・・)かのような物言いではないですか」


「なにが、言いたいの?」


 時間を稼がなければならないと分かってから、誡は不慣れなりに仕種と対話する準備を整えてきた。刑事である射牒(いちょう)から過去に起きた一家殺人事件の資料を入手し、仕種の発言に覚えた違和感の正体を突き止めた。


 はぐらかすように笑う仕種を見返しながら、誡は続ける。


「……貴女の母親と父親を殺したのは、確かにその一家の長女です。現在の貴女は二〇歳。そして、その事件が起きたのは今から約十四年前。当時の仕種さんは六歳です。……『両親を殺した犯人は八歳の長女(・・・・・)。その日三人が(・・・)死んだ(・・・)』…………仕種さん、貴女は一言も嘘は言っていませんでした。ですが、わざと誤認させるように情報の一部を伏せて話した」


「…………」


 女性は喋らない。電燈の真下にいるため、強い明かりが顔に影を落とし、いつの間にか俯いてしまったその表情は定かではない。ただ、話を促すように刀の底がコンと地面を叩く。


「……死んだ三人目は当時八歳だった長女の諏訪(すわ)友希(ゆき)。そして生き残ったその家の次女が、諏訪仕種。母方の湯苅部家に引き取られる前の貴女です。……貴女は誰も殺していなかった。長女の諏訪友希を処分したのは、死の淵にあった父親だったのですから。

 ……当時の警察の調書では唯一の目撃者である次女は錯乱しており、詳しい経緯は判明せず、とありました。しかし、状況証拠が揃っていたため捜査は打ち切られています。……なにか間違いがあれば、指摘してください」


 誡の説明はやはり正しいものだったのだろう。仕種は、ことさら口元に笑みを浮かべ顔を上げた。笑っているのに視線だけが鋭く誡を捕らえる。どこかちぐはぐな表情だと、誡は感じた。


 遠くの車道をトラックが通過する響きが届く。その音の余韻が消えてから、ようやく仕種が口を開いた。


「驚いたな。そんなことまでわかってるんだ。誡ちゃんって何者? やっぱり普通の子じゃないわよね。どこでそんな情報調べたのかな。教えてくれる?」


「……ごく普通の中学生に過ぎません。……生憎、情報源については守秘義務です」


「はは、そっかー。ま、期待はしてなかったけど。今日が運命の分かれ道になりそうだってことは、なんとなく予感はしてたし。情報の出所とか、どうでもいいわ。あの時嘘ついたのだって、たぶんなんとなくそういう気分だったっていうだけだし」


 妖しく目を輝かせて仕種が言う。しばらくコツコツと鞘の底を鳴らしていたが、ふと、動きを止め、仕種は表情を和らげた。


「そうね。ちょっと昔話しようか。あたしの人生の命運をわける、取るに足らないお話。聞いてくれる?」


「……もちろんです」

「ありがとう」


 礼を言って仕種は一度、大きく息を吐いた。自分の中に溜まっていたなにかを吐き出さんとするようなその行為は、恐らく初めて誰かへ語る自身の過去への、一つの儀式のようなものだった。


 視線を誡から逸らしどこかわからない虚空に向ける。バンの後ろに隠れながら様子を窺う奏繁からも分かる、遠く過ぎ去った時を見つめるような眼だった。


「──あたしのお父さんとお母さんって、駆け落ちだったの。お互い一目惚れだったけど、お母さんの実家は二人の結婚を許さなかった。だから駆け落ち。

 けど、実家が結婚を反対したのには、きちんとした理由があったわ。お父さんの家は、代々暗殺を生業としてきた家系で、お父さんはそこの跡取りだったのよ。

 お母さんは死ぬ瞬間までそのことを知らなかったみたいだけど。大きくて歴史のある家だったから、婿候補のことはしっかり調べたみたい。

 お母さんの実家から逃げて小さなアパートの一室に住み始めたお父さんは、お母さんに隠れて仕事をこなしながら、自分の後継者を育てることに決めたの。そして選ばれたのがお姉ちゃん。

 お姉ちゃんには天賦の才があった。もちろん、人殺しのね。喜んで稽古をこなす姉と父を、あたしは隠れて見ていたことは覚えてる。お姉ちゃんの動きは、あたしが惚れ惚れするくらい綺麗だったから。

 平凡で、幸せな日々だったと思う。あたしは、人殺しは悪いことだってわかってた。けど、仕事としてそれを率先してこなしてきたお父さんをあたしたち姉妹には、悪だと断ずることができなかったから。

 そこで葛藤する程度の良識をその時持っていれば、少しは違う結末があったのかもしれないけど、過去は変えられないから、仕方ないわ」


 遠い昔に思いをはせる仕種の表情は、柔らかく暖かかった。彼女にとってそれは、本当に幸せな時間だったのだろう。けれど、ふっとその表情が(かげ)る。苦痛すら漂わせる仕種は拳を強く握った。


「──そうして、ある日事件が起きた。お姉ちゃんが、お母さんを殺してしまったの。あの頃のお姉ちゃんは、自分の中の破壊衝動を抑えることができなくなっていたから。一番身近な『家族』で試し切りするのは、まあ、当然のことだったのかもしれないわね。

 首を落とされた母親の遺体と、血だまりと、楽しそうに笑い続けるお姉ちゃん。台所のテーブルの陰に隠れながら、あたしは目の前の光景に、息もできないほどだった。そうしてそこにお父さんが帰ってきてしまった。

 お姉ちゃんは、お父さんに褒めてでももられると思ったのでしょうね。手に持った刀を見せてお父さんに駆け寄ったわ。けど、お父さんは怒っているのか悲しんでいるのかわからないくらい顔をぐちゃぐちゃにして、お姉ちゃんに殴りかかった。

 その後は簡単。殴られて呆然としていたお姉ちゃんは、次の瞬間お父さんを刺していたの。目の前でお父さんの大きな身体がやけにゆっくり倒れていったわ。そしてお姉ちゃんの視線があたしに向いたとき、あたしの手には包丁が握られていたの。それ自体は無意識だったわ。けど、それは自己防衛の手段じゃなかった。だって、あの時あたしの中に駆け巡った感情は、『羨ましい』だったんだもの。

 衝動のままに人を傷つけ殺す姉。その姿に恐怖しながら、あたしの心は踊るようだった。羨ましい。怖い。あんな風に自由になりたい。苦しい。あたしも、壊してみたい、って。

 動いたのはたぶん同時だった。けど、あたしが包丁を振り上げた瞬間、お姉ちゃんは血を吐いて倒れてしまった。お姉ちゃんの小さな影に隠れていたのは、さっき倒れたはずのお父さんだった。

『お前は、その衝動を外に出すな。それは決して人に受け入れられない』

 ……あたしの持った包丁を指さして途切れ途切れにそう言ったお父さんは、前のめりに倒れてもう動かなかった。脈を測ったら死んでいたわ。

 真っ赤に染まった平凡だったはずの家の中で、あたしだけがぼんやり突っ立っていた。

 ……その後警察に保護されて、お母さんの実家に引き取られた。あの病院に行くことを進められたのは、その後ね。

 昔話はこれでおしまい。これがあたしの原型。今のあたしの持つ全て。誡ちゃん。あなたはあたしを軽蔑するかしら」


 白い吐息を漏らしながら語り終えた仕種がそう誡に問う。そんなことはできない。そう思ったのは、けれど誡ではなく、奏繁だった。


 呪文を(そら)んじながら、意識の半分ほどを向けて話を盗み聞いていた奏繁は、思考の片隅で確かに、仕種に同情していた。


(自分の中にあった本性を、幼い頃に一番理解してくれなくちゃならない人に否定されたんだ。しかも、それからいままでずっと本当に自分の一部を隠して生きてきた。……それは、どれだけ辛いことだっただろう)


 真に平凡な家庭に生まれ、依琥乃という理解者が最初から傍に居た奏繁には、仕種の心情を、想像することはできても、実感することはできない。


 奏繁はあくまで共感するだけの人間だ。そんな奏繁では、彼女にかける言葉も思いつかず、また、言葉をかけることができる立場にもない。


 今湯苅部仕種と対峙しているのは陽苓誡だ。奏繁ではない。奏繁は己の務めを守りながら、じっと誡を見守った。


 いったい、どんな言葉を彼女に返すのだろうかと。


 ふらっと揺れた誡の後姿からは、けれど奏繁が考えていたような慰めの言葉は発せられなかった。


「…………個人の趣味嗜好、性癖は人それぞれです。……けど、貴女は表の人間を殺し過ぎました。その点で貴女は正当な償いをしなくてはなりません」


 薄情ともとれる言葉。それを受けた仕種は、笑みを崩さず「そっか」と呟いた。


「それが誡ちゃんの答えなんだね。わかった。じゃあ、償わせてみせなさいよ。──あたしはもう、自分を殺して、たった一人で生きるなんて嫌。だから、絶対に自分の行いを反省なんかしないんだから!」


 刀が鞘から解き放たれる。外袋はいつのまにか足元に落ちていた。自身に向けられた刃先から目を逸らすことなく、誡はウエストバッグから二丁の拳銃を取り出した。


 一つは黒塗りの自動拳銃。もう一つは真っ黒なリボルバー。それぞれ右と左に持ち、誡は黙ってバッグのチャックを閉めた。


 拳銃を見止めた仕種の反応はごく当たり前のものだった。一歩後ずさり、まじまじと食入るように銃を見る。口調というスイッチを入れるのも忘れて、仕種はその表情に驚愕を表した。


「うげっ、まさか本物!? 普通の子って言ってたのやっぱり嘘でしょそれ。ずるくない? ヤル気まんまんじゃない! すっごく物騒!」


「……ええ。ですので、こうします」


 非難の声を受けた誡はなぜか拳銃をかちゃかちゃといじり出す。次いで、自動拳銃の弾倉から全ての弾丸を出してしまった。


「は?」

「…………」


 思わずらしからぬ声が漏れた仕種を無視して、今度はリボルバーの回転弾倉を振り出す。そして手の平に出した二丁分の弾丸を、そのままコンクリートの上へ零すように捨ててしまった。


 ぱらぱらと、小さな金属片が地面にぶつかる鈍い音が響く。


 事前に聞かされていた奏繁は誡の突然の行動をただ見守った。しかし、予想外の行為を見せられた仕種は、驚き、半ば呆れながら開いた口でそのまま問いかける。


「えーっと。どういうことかな。もしかして、あたしのこと舐めてる?」


「……そのようなことは。……ただ私の目的は、貴女を傷つけることではありません。ですのでこれ(・・)で、降参させてみせます」


 無表情で軽くなった両拳銃を鈍器のように構える誡に、仕種は日本刀を振ってこたえる。空を切り裂く鋭い音が鳴る。振り回される刀は光の軌道を残すのみ。とても目で追える速さではない。まるで上質な演武を見ているようだ。


 その刀が人の血を吸ったことがなければ、ただの綺麗な演目で済んだのに。


「ふぅん。お望み通り、叩っ切ってあげましょう、か!」


 仕種が電灯の下から飛び出す。予備動作なしのその動きを予想していたかのように、誡はただ左手に構えたリボルバーを仕種に向けた。躊躇うことなく引き金が引かれる。

 

 反射的に軌道を避けた仕種に合わせて今度は誡が走り出す。空鳴りした撃鉄の音だけがその場に置き去りにされたかのように響いた。


 秒針がちょうど頂点を過ぎ、腕時計が深夜二時を告げる。




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