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哀傷ゾルレン  作者: まじりモコ
第二章 狂気の隆替
21/77

十九話 中学校での一幕


         16


 我が求めるのは人の命に(あら)ず、また、他者の尊厳その全てでもない。

 我が欲するものは、万人が持ち得るつまらぬ至高。人生の内、狂乱の我には手に入らぬ物だ。

 嗚呼、しかしそんなもののために、かたみに人の血を流し、獣の道に堕ちるとは。

 殺すを人のほまれとは、考え得ぬ時代であるに……。


 それでも我は止まらない。人の道から外れるとも、音に聞こえし我が悪逆を、赦す者が居らずとも。

 ただの一つを欲するままに。

 たとえ、この行いこそが、至高から我を遠ざけるものであっても。


         16


 謎の少年の襲撃を受けてから、日を跨いで昼休み。私はここ数日の報告も兼ねて更科君を探しに行こうとしたのだが、予想外の妨害にあっていた。


「誡さーん。こっちのチョコもおいしいよー」

「いやいや。私が買ってきたこの『春の新味! 桜餅味クッキー』のほうがおいしいよ! たぶん」

「はい、誡さんあーん」


 そう言って差し出された棒状のビスケットを抵抗せずにいただく。

 いつのまにか周囲をクラスメイトの女子に囲まれ、目前の机にはお菓子の新商品が並んでいた。

 

 代わる代わる私にお菓子を差し出すこの三人は、昨年も同じクラスだった人たちだ。全員髪の毛を明るく染め、まだ肌寒いというのにスカートと靴下の丈が異様に短い。


 そんな彼女たちは、いつも一人でぼんやりしている私に気を使っているのか、去年の夏頃からこうして時々私に声をかけ、甘味を恵んでくれる。いい人たちだ。


 よそ見していると、頬を指でつつかれる。


「ほぅら、生チョコだよぉ」


 人のご厚意を断るのも忍びないのでありがたく頂戴した。

 だがどうしよう。このままだと更科君を探しにいけない。


「次はせんべい」

 食べる。しょっぱい。


「そして果汁なグミ」

 ぐみぐみとした食感だ。


「いやいや、そんないろんな種類食べさせたら、口の中物凄い味になるでしょ」

「そうだよ。そんなんだからアリサは彼氏に捨てられるんだよ」

「今それは関係ねぇ! だからこそ、こうして癒されに来てるんでしょ!」

「関係アリアリじゃん。それより、三組の大田がユイのこと狙ってるらしいよ。付き合っちゃえば?」

「えーウソーテレるーてりたまるー」

「なに二人で盛り上がってんだ。こちとら破局したばっかじゃボケぇ。気ぃつかえい」


 私におやつを与える手を休めることなく、三人は珍妙なテンポの会話を繰り広げ始める。そこで気が付いた。この三人は確か、校内でもコミュニティの広いメンバーだったはずだ。なら、彼女たちに聞けば机から立って歩き回らずとも、更科君の居場所が分かるかもしれない。


「……皆さん。少しお聞きしていいですか」


「ん。なになにやっぱりチョコと柿の種のコラボはアウト?」


「いえ、それは別に。……更科奏繁という生徒がどこのクラスに所属しているか、ご存知ありませんか」


 問うと、なぜか少女たちは動きを止め、一様に言葉を失ったようになった。

 謎の沈黙が流れる。


「……あの」

「──誡さん」

「……はい」

「──恋かね?」

「違います」


 否定する。すると、皆さんは「だよねー」と笑いあった。


「誡さんに限ってそれはねぇ」

「というか誡さんの心奪うとか虐殺(ぎゃくさつ)ものだよ」

「過激派怖ぇ。それにしても、更科? だっけ。知ってる?」

「あー、確か今年は四組じゃなかったっけ? ほら、雰囲気が砂土原(さどはら)に似てる。山原(やまはら)とよくつるんでるやつ」

「ああ、そんな苗字だっけ、そーはん君。いや(しん)君のほうが似てるくない?」

「はぁ? そいつら全然タイプ違うじゃん。何者だよ更科」


 やはり知っていたらしい。四組か。予想より近いな。というか隣だった。


「それで、誡さんは更科になんの用事?」


「……彼と少し、二人きりで話があるのです」


 まさか本当のことを言うわけにはいかず、遠回しに言うと、なぜか少女たちはまた言葉を失ってしまった。


「…………」

「…………」

「…………」

「……あの」

「──誡さん」

「……はい」

「──やっぱり恋」

「違います」


 用事は放課後でもいい。謎の精神的疲労感を抱いた私はそう考えて、椅子に体重の全てを預けたのであった。


         17


 誡さんとの聞き込みが終わって二日が経過し、今日は月曜日。


 土日の間自分(ぼく)は誡さんとの約束通り、事件に関係がありそうな噂を調べていた。しかし一人ではどうしようもないので、噂や風聞の類に目ざとい、親戚の兄貴分である坂野(さかの)有巻(ありまき)と行動を共にしていた。


 彼は自分(ぼく)の四つ年上で、親戚の集まりのときによく遊んでもらっていたお兄さんだ。もちろん依琥乃とも面識がある。有巻兄さんは現在高校をドロップアウトし、夜遊びに精を出す不良となっている。二日前に見かけた人も、確かめると有巻兄さん本人だったらしい。


 彼は昔から噂や都市伝説の類が好きで、今も趣味の範囲でそういう話を収集しているらしかった。


 彼の用事を手伝う代わりにいろいろと情報を仕入れた自分(ぼく)は、昼休み、さっそく誡さんに会いに行ったけど。


 ──餌付けされていた。


 いや、正確には、クラスメイトの女子におやつを与えられ、愛でられていた。


 それは少し安心する風景だった。誡さんは愛想がない。ただそれだけで、多感な中学生からは反感を買う対象になってしまう。


 周囲を見渡せば、教室の隅に、誡さんに敵意のある視線を向ける集団があった。けど、誡さんを囲む少女たちの一瞥(いちべつ)を受けて、彼、彼女らは視線を逸らす。教室内の力関係はすでに定まっているようだ。誡さんがなにか困ったことにあう心配はなさそうだった。


 それはそうと、あの空間に入っていくのは男の自分(ぼく)には無理だと判断し、自らの教室に逃げ帰った。放課後に行けばいい。そう考えて。



 しかし現実はそう思い通りになるものではないらしい。


「だー! なんであの程度の勘違いであんな叱られなきゃいけないんだよぉ」


「うん。自分(ぼく)もときどきやっちゃうから、わかるよー」


「だよなー。奏繁ならそう言ってくれると思ったぜ。やっぱ俺ら親友だよなー」


「ははは、そうだねー」


 今度は自分(ぼく)が絡まれる番だった。


 席を立とうとした矢先、クラスメイトの涼平(りょうへい)に捕まり、くだらない話の相手をさせられている。仲のいい友達だから邪険にするわけにもいかず、どうにか話を終わらせるタイミングを図っていた。しかし、がっしり肩を組まれて物理的には動けない。


「やっぱ親友っていいよなー」


「そうだね」


「親友に秘密はねぇよなぁ」


「? そうだね」


「じゃあ奏繁、金曜日、入学式の放課後、お前が隣のクラスの女子と二人きりで話してるの見たって情報あるんだけど、詳しく教えてもらおうか?」


「──!」


 さっきまで談笑していたはずだった。今日はやけに周囲に人がいるなとは思った。けど、それが自分(ぼく)を逃がさないための布陣であるとは見当もついていなかった。


 涼平の合図で自分(ぼく)の周囲三方全てに人が来る。もちろん全員男子だ。完全に後手に回ってしまったということか。逃げることは安易じゃない。


 あの日は誰にも会わなかったと思ってたけど、どうやら誰かに見られていたらしい。

 三方を囲む男子生徒が鼻息荒げて、座ったままの自分(ぼく)に覆いかぶさってくる。


「隣のクラスの女子って誰? まさか結子ちゃん!?」

「いや、陽苓だったと聞いている」

「えっあのカワイイことでよく話に上がる? 不愛想だけど隠れファン多いんだよなあの子。奏繁、その話がマジなら夜道に気をつけたほうがいいぜ? 特に俺と時間の被った帰り路はな」


 あれよあれよと三人の友人(男)に詰め寄られ、場の暑苦しさが上昇してしまった。壁際の机に座っている自分(ぼく)には逃げ場が無く、男圧力(だんあつりょく)で立ち上がることもできない。


「いや、あれはほら、前に言った幼馴染の友人で、幼馴染が体調不良で帰っちゃったから自分(ぼく)が代わりに誡さんに会いに行っただけで」


「「「『誡さん』?」」」


 しまった。語るに落ちた。沈黙を選んでおけばよかった。


「ファーストネームで呼び合う仲なのかお前らは? 俺たち置いて先に大人の階段上ろうって寸法かテメェ!」

「んな暴挙はお天道様すら許さねぇ!」

「俺らは共にチェリー同盟を設立したメンバーだろうが。何一人でリア充気取ってんだ奏繁!」


「設立した覚えはないし気取ってもないよ!? 誤解だって! みんな落ち着こう? 自分(ぼく)は本当にやましいことはしてないから」


 どうにか(なだ)めてこの場から逃げ出さないと、あまり時間を取られると誡さんが本当に帰ってしまうかもしれない。急がないと。


「じゃあ、陽苓誡に下心は一切ないんだな?」


「………………………………な、ないよ?」


「あるじゃねぇか! 色ボケが!」

「顔面偏差値三十二くらいになるまでぶっとばしてやる!」


「……その作業はどれくらい時間がかかりますか」


「そんなもん今日中かかるわ! 五体満足で帰れると思うなよ奏繁!」


「……それは依琥乃が悲しみますので、できれば健康体で引き取りたいのですが」


「そうだ健康体で帰してやる!…………って、あれ?」


 激昂していた男子たちが静まっていく。途中途中で聞こえてくる抑揚の足りない澄んだ声音が彼らを修羅の道から引き戻したのだ。

 そして、その声の持ち主とはもちろん。


「誡さん……」

「……更科君、迎えにきました」


 男子を掻き分けて現れたのは、話題の中心、陽苓誡その人だった。


 女子の登場で男共がモーセが海を割るように道を開けた。やばい。これはみんなにからかわれる。と、思ったけど、予想外にみんな静かだ。どうやら女子本人の前であーだこーだ言う勇気はないらしい。……乙女か。


「……なにかお話中だったようですが」

「あははは大したことないよ。行こう」


 今のうちに離脱しなければ。後からまたいろいろ聞かれるんだろうけど。


「……では、とりあえず行きましょう」


「うん。涼平、真、むーさん、また明日」


「「「また明日」」」


 背後の男圧力(だんあつりょく)が怖くて、自分(ぼく)は振り返ることができなかった。







「休日にそんなことがあったんだ……」

 誡さんに連れられてきたのは、普段から使われない、理科実験準備室だった。


 理科実験準備室は特別教室棟のさらに隅にあるので、人の入りがほぼない。人に聞かせられない話をするには適した場所だった。吹奏楽部の練習する音が遠くから響く。


 室内は薄暗く、若干の埃と薬品の臭いだけが充満していた。とても健康的とは言えない。部屋も閉め切っているから、外の暖かな風が入ってこず、どこかひんやりと肌寒い。それでも誡さんと密室に二人きりという状況に、自分(ぼく)の体温はわずかに上昇しているようだった。


「……はい。ですが、私達を襲った少年が今件の容疑者だとは考えづらいのです」


 部屋の机は壁に接しているため、自分(ぼく)らは自然と向かい合って座ることになる。膝の先に誡さんの熱を感じるようで少し照れくさい。でも、今は話に集中しなくちゃいけない。できるだけ膝のあたりから意識を逸らし、頭を働かせることに努める。


「どうして? あれだけ警察が騒いでいる時に暴れるのはもう、犯人か模倣犯ぐらいなんじゃないの?」


「……確かにそうです。ですが、そう考えると不審な点が二つあります」


「んー? あっ、そうか。時間と得物」


「……連続殺人事件の発生時刻はいずれも深夜帯。私達が少年と遭遇したのは、まだ19時を過ぎた頃でした」


「これまでずっと同じ時間で犯行を繰り返していた犯人が、ここにきて犯行時刻を変えて来るのはおかしい、ってことか」


 確かに、常に聞く連続殺人犯の手口と言えば、異常なほどに一貫しているものだ。途中からガラリと手口が変わるのは、ほとんどの場合、情報不足の模倣犯の仕業である。


「……次に、得物です。警察関係者から聞き出した情報では、犯行に使用された得物はいずれも日本刀でした。しかし少年が持っていたのは……」


「カッターナイフ。さすがに刃渡りを偽装しようともできないね。他に、日本刀を隠し持ってた、なんてこともなかったんだよね」


「……はい。稀癌が反応していたのは、カッターだけでしたから」


 どこかに日本刀を隠しておいて後から取り出すにしても、誡さんの稀癌は必ず反応を示すだろう。稀癌とはそういうデタラメなものだ。魔法や魔術と違って、限度ってものを知らない。


「それでも、一応警戒しておくに越したことはないかな。警察にはもう連絡を?」


「……師匠に連絡はつけてありますから、警察も調査を始めるでしょう……事件で人手が足りないので後回しになるでしょうが」


「なら、とりあえずそっちは保留にしようか」


「……はい」


 本来、危険人物の相手は警察の仕事だ。


 今度は貴方の番ですと言いたげに、誡さんは机に広げていた捜査資料を片付け始める。この資料、誡さんはお師匠さんから借りてきたと言っていたけど、封筒におもいっきり『部外秘』と判子が押してある。


 自分(ぼく)なんかが見て大丈夫なのかな? 所持してたら職務質問されたとき即逮捕とかないよね?


 誡さんにとっては自分(ぼく)の心配などどこ吹く風のようで、封筒を学校指定のカバンへ無造作に突っ込んでしまった。大丈夫? 微妙に封筒の頭飛び出てるけどそれ大丈夫?


「……更科君のほうはなにか収穫がありましたか」


「え? ああ、県内で流れてる噂は、とりあえず年代順に並べてリストにしてあるよ」


 昨日パソコンで出力してきたプリントをファイルから取り出して、誡さんの前に置いた。


「……結構あるのですね」


 プリントには十二個の項目が並んでいる。大半はくだらないものだけど。


「……“命取りの幽霊(やかた)”“餃子を買いに来る吸血鬼”」


「ああ、その辺りはこの町限定だからあまり関係ないかも。──後ろのは知り合いだし」


「……餃子好きだったのですね、お知り合いの吸血鬼」


「一応、まぁ。知り合いというか魔法の師匠みたいなものかな」


「…………魔法、使えるのですか更科君」


 プリントから顔を上げて、誡さんが自分(ぼく)を見つめる。浮かんでいるのはいつも通りの無表情で、彼女が自分(ぼく)の発言をどこまで信じているのかわからない。それでも視線をそらさずじっと見つめられているので、少なくとも興味はあるらしいとわかる。


「一つだけ、自分(ぼく)にも使える魔法があってね。まぁ、普段は使い道がないんだけど」


 そういえば、こんな話を他人にするのは、依琥乃を除けば初めてだ。自分(ぼく)の修行はいつでも孤独で、誰かに話すという発想すらなかった。そもそも、話しても馬鹿にされるだけだと。


「……魔法の存在は知っていましたが、魔法使いに会うのは初めてです」


「いや、そんな大したものじゃないけど……。あ、それよりほら、こっちの噂は県内全域の子供の間で流れてるから、関係あるかもっ」


 誡さんの透明な瞳でじっと見つめられるのがなんだか気恥ずかしくて、つい話を逸らしてしまった。この子はどうして、そんなに他人の目を真っすぐに見られるんだ。やっぱりこの子は稀癌抜きでも少し普通じゃない。


「“幸せ者には不幸が訪れる”

 “友人ができると死ぬ”

 この辺が学生の間で流れてる噂かな」


 学校に通う年代から焦点をずらせば、人が倒れる病院とか、夜中に鎌鼬(かまいたち)が現れて全てを切り裂いていくとか、そういった類のうわさも出てくる。そっちも一応指さしながら、説明を加えていく。


「こっちの鎌鼬(かまいたち)と病院の話は信憑性が高いらしい。特に鎌鼬はここ最近の話だよ。

 夜の市街地のコンクリートの壁とか金属のパイプが小さな刃物で切り刻まれたようになるって話。実際に交番に被害届が出てる。ただ、コンクリートなんて並の刃物で削れるものじゃない。だからニュースっていうより鎌鼬(かまいたち)伝説を下地にした都市伝説に近い扱いになってるみたい。これって、誡さんたちが出会ったっていう……」


「……あの少年も、カッターで金属を切り裂いていました。つまり、この噂は、あの少年が犯人なのでしょうか」


「かもね。でもこの件で出てるのは器物破損の被害だけだ。特徴は路地裏に複数の切り痕。やっぱり、その少年は自分(ぼく)等が追ってる殺人事件の犯人像とは少し毛色が違うように思う。でも、これまでも、これからも、人間に被害が出ないとは限らない。実際に誡さんは切り付けられたわけだし」


「……稀癌が無ければ即死でしたから。射牒さ──師匠にもう一度連絡をとった方がよさそうですね」


「うん。そっちはよろしく頼むよ。次に子供の間で流れてる話だけど。この二つ、元々一つの話だったみたいなんだ。元から流れてたのは二つ目の“友人ができると死ぬ”のほう。ネットで広まるにつれ面白がった奴等が一つ目の"幸せ者には不幸が訪れるを"付け加えたみたい。それと、この噂の出所は、二番目の被害者の通っていた高校なんだ」


「…………関係、ありそうですね」


「うん。しかも、噂が流れだしたのは事件の後だ。事実確認はまだだけど、被害者の女生徒が死ぬ直前に『新しい友達ができた』って友達に話してたところから来たみたい。その後の被害者たちも、同様のことを話してたそうだ。そのせいで、この噂は爆発的に広まったらしい」


「……しかし、友人ができることと、殺されることに直接の因果関係が見当たりませんが」


「だからこそ、“幸せ者には不幸が訪れる”って噂の方が少しずつ主流になりだしてるんだ。より身近な噂の方が、みんな興味を持つから」


 噂というのは得てしてそういうものだ。人々の間に広まるにつれ、少しずつ姿を変え、正体を失っていく。残るのは、多くの人に支持される、分かりやすくて興味を惹かれる創造物だけ。その真実は関係がなくなっていく。


「噂を調べていて、大昔の稀癌罹患者を思わせる噂も見つけた。でもそれもきっと、本当のものからは、かけ離れてるんだろうね」


「……稀癌は超常的ですから。改変は安易でしょう」


「信じられないから、もっとめちゃくちゃな話に変えてしまっても、みんな受け入れちゃうんだろうな。……それが真実とは限らないのに」


 これが稀癌罹患者のジレンマ。物理法則すら超える稀癌は、他人に正しく理解されない。だからこそ、稀癌罹患者は自らの異常を隠して生きる。


 自分(ぼく)らの住む県は霊山阿蘇の影響で強い願いを持つ魂が引き寄せられ、稀癌罹患者が生まれやすいという。


 それでも自分(ぼく)は、いままで自分以外の罹患者に出会ったことが無い。いや、会っているのかもしれないけど、わからない。罹患者は、己の能力を安易に人に話したりしないからだ。


「…………だからこそ、我々は噂の真実を突き止めなくてはなりません」


 誡さんが、なんともなしにそう呟く。特に意味を意識して吐かれた言葉ではないのだろう。でも自分(ぼく)にとっては、とても優しい言葉に聞こえた。だから自分(ぼく)も精一杯誠実でなくてはならない。


「そうだね。依琥乃が噂を調べろと言った以上、絶対になにか事件のヒントがあるはずだ。考えよう。必ず、繋がる」


 言って、“友人ができると死ぬ”という文に赤ペンで下線を引いた。これにだけ明確な「死」の概念が存在する。事件に関係があると思しき噂の中で、やはり一番可能性が高い。


「……今のところ犯人を探し出すのは無理がありそうですし、次の被害者に目ぼしをつけられるか考えたのですが……」


「うーん。つまり友人が新しくできた学生を探すってこと? 無理があるんじゃないかな」


 他人の交友関係など把握できるものじゃないし、そもそも把握できたとしても、新しく友達ができることなんて稀なことじゃない。

 次の被害者ひとりをこの情報から見つけ出すのは不可能だろう。


 たとえ稀癌という不可能すら可能にしてしまう異能を持つ人間がこの場に二人、揃っていてもだ。というか、自分(ぼく)らの稀癌は情報収集には向いていない。


「…………何か他に、絞り込める条件のようなものがあればいいのですが」


「じゃあ明日、自分(ぼく)がこの噂の出所の高校に話を聞きに行ってみるよ。なにか他にも知られてない情報があるかもしれない」


 いつの間にか誡さんは、机に置かれていた空のビーカーと三角フラスコを目の前に並べて、自分(ぼく)の話を聞いていた。二つ並べて、なぜか三角フラスコのほうを手に持つ。お気に召したのだろうか。


 それを持ち上げたりひっくり返したりしている。そして、フラスコの小さな口を目に当てて、望遠鏡のようにして自分(ぼく)を見た。フラスコの底は何かの薬品によってか汚れて白けていて、誡さんの目がどこを見ているのか、自分(ぼく)の側からは判然としない。


 あのフィルターを通した自分(ぼく)は、誡さんからどんなふうに見えているのだろう。


「…………更科君は、普通の人よりも行動派ですね」


 考えていることが伝わってしまったのかと一瞬思った。けど、違うだろう。きっと、今までの自分(ぼく)の言動を踏まえて、今彼女の中にその言葉が浮かんだだけだ。


「そんなことないよ」


 その言葉を否定して、自分(ぼく)は机に取り残されたビーカーを取った。


自分(ぼく)が行動できるのは、そこに確かに答えがあるってわかってるからだ。依琥乃が自分(ぼく)らに事件を解決しろと言った。なら、自分(ぼく)らは必ず犯人に辿りつくことができるはずだ。そんなふうに絶対が約束されてるからこそ、自分(ぼく)は動ける。

 そんな確約されたことなんて、普通の人生の内にはそうそう無いでしょ? 解決すべき事案を壁って例える人もいるけど、依琥乃が自分(ぼく)に用意する壁にはいつも、脇に階段がついてるんだ。

 答えも無い、回答欄の大きさすら不明瞭で、明確に問われたわけでもない。そんな当たり前に転がってるような壁をとっかかり無しによじ登れるほど、自分(ぼく)は特別じゃないよ。そうは在れない。そうなりたいとは、思ってるんだけど」


 そう。自分(ぼく)はゴールが確かに存在しているからこそ、持久走でも耐えられるってそれだけ。人生なんていう、目的地もそこまでの距離もわからないような道を踏破する力はない。そして踏破のための日々の努力とかそういうものを、自分(ぼく)は耐え忍ぶことができない。


 ありふれたように自分(ぼく)には努力の才能がなかった。唯一続けている魔法の修行も、レゾンへの畏怖ありきといった感じだし。


 ビーカーを置いて、赤の書き込みがされたプリントを折りたたむ。隣を見ると誡さんもフラスコを片付けた後だった。


 今日ここでできる話は、もう終わり。そういうことだろう。


「じゃあさっそく、明日の放課後に行ってみるよ。誡さんはどうする?」


 依琥乃は『二人で』と言った。だったら、できるだけ共に行動すべきなのかもしれないと思って話を振る。しかし、誡さんは首を振った。


「……ごめんなさい。明日の放課後は以前から用事が入っていまして」


「そっか。じゃあ、そっちを優先すべきだね。どこかに出かけるとか?」


「いえ。……お世話になった病院の先生が、明日で定年退職なさるそうなので、ご挨拶に。……どれだけ時間がかかるかわからないので、合流は難しいかと」


「わかった。期待しないでおくよ。報告は明後日に──いや、待って。連絡先を交換しない? そしたらすぐに話せるし」


 そう提案してから気づく。女子に男子から連絡先を聞いてもいいのだろうか、女子マナー的に。

 しかし、そんな心配は必要なかった。


「……私もちょうど、同じことを考えていました」


 そう言って、差し出されたのは彼女の携帯だった。画面に表示されているのは、陽苓誡のプロフィール画面。


 若干放心していると、んっと画面が自分(ぼく)へ近づく。


「あ、ありがとう」


 受け通りながら後ろを向いて己の携帯を操作した。そうしないと、にやけた口元が彼女に見られてしまうからだ。


 気になる女子の連絡先をこんなにも簡単に手に入れてしまった。これは帰り道、鳥のフンとかに注意しなくちゃいけないな、うん。…………まだにやけが収まらない。


 なんとか誡さんの連絡先を入力し終わり、携帯を彼女に返す。それから、今しがた登録したばかりの番号に電話をかける。


「……はい、もしもし」


 誡さんが律儀に応答した。


「……機械音を通さねば話せないお話ですか」


「いや違うけど」

 それどんな話なの。


 とりあえず通話を切る。


「うん。ちゃんと登録できてるみたいだね。それが自分(ぼく)の番号だから」


 いちいち行動がおもしろい子だ。両手で携帯を操作する姿は予想外に手馴れていた。絶対、機械とか苦手なイメージがあったんだけど。実はブラインドタッチできたりするんだろうか。ヤバイ、想像だけでもうカッコいい。


「……登録できました」


 と、わざわざ画面を見せてくる。やっぱり可愛い。誡さんを愛でていた女子達の気持ちがわかる。誡さんは、どこか子犬に似ている。疲れ切ってぼんやりしている時の子犬に。


「じゃあ、今日はもう帰ろうか」

「……はい」


 お互いにカバンを持ち、準備室を出る。外はすでに日が暮れだしていて風が火照った身体を心地よく凪いでいった。


 春は新しい生活の始まりなのだと言うけれど、やはり春は冬と地続きなのだと、この風に思い知らされる。所詮暦は人間が自分たちの都合のいいよう作ったもので、日本列島だってたぶん、四月になった途端に春へ生まれ変わるのだなどとは思えないだろう。


 だから、自分(ぼく)の心に浮かぶ感情はいままでも自分(ぼく)の中に隠れ潜んでいたもののはずだし、誡さんと出会ったことで、突如降ってわいたものじゃない。おそらく誡さんだって、自分(ぼく)との出会いにそこまで大きな意味を見出してはいないだろう。


 自分(ぼく)自分(ぼく)のままだ。突然別人になるわけじゃない。

 同一視しちゃいけないんだ。新生活や非日常の高揚感と、自分の気持ちの動きを。


 冷静に、むしろ感情はどこかに置いて行く心持で行動しなくちゃいけない。そうじゃないと、きっとどこかで失敗する。


 そんな不安は結局のところ誡さんに嫌われたくないから出て来るものだということから、自分(ぼく)は目を背けた。


 校門までは一緒なので二人で並んで歩く。

 すると、渡り廊下から見える外の景色を眺めていた誡さんが、自分(ぼく)に聞いた。


「……更科君は、なにか好きな花はありますか」


 投げかけられた質問にすぐ答えることができない。予想外だった。彼女が自分(ぼく)にくれるのは、事務的な質問ぐらいだと思っていたから。こんな女の子らしいことを訊かれるとは及びもつかなかった。


 歩きながら誡さんは自分(ぼく)をじっと見つめている。答えを待っているのだ。揺れる黒髪を横目に、自分(ぼく)は頭をひねって考える。自分(ぼく)も世の中学生男子の例に漏れず、あまり園芸に興味がないからだ。だから、思い出せる花の中からピンときたものを告げた。


「そうだな、彼岸花(ひがんばな)、かな。あの道端に咲いてる真っ赤な花、花火みたいで綺麗だよね」


「……彼岸花。さすがに時期が外れていますね」


「うん、秋頃だったよね、たしか」


 あの花は田んぼ道によく生えてるけど、さすがに今の時期は見かけない。あれはモグラ対策に植えられたとか聞いたことがあるけど、本当のところはどうなのだろう。


 靴箱で白い運動靴に履き替えていると、ふむふむと何事か頷いていた誡さんが、手に持った上履きを揺らしながら軽く頭を下げた。


「……参考になります」


 …………あれ? まさか、質問じゃなくてアンケートの類だったのかな。だとしたら、ちょっと浮かれてしまった自分が恥ずかしい。個人的な趣味嗜好を尋ねられたとばかり思っていた。だめだ。無駄な浮かれ思考はさっき戒めたばっかりだというのに。


 顔に含羞が広がっていくのがわかる。

 中二男子の心は秋の空に似ている。すぐ真っ赤になっちゃうところとかそっくりだ。むしろ女心より揺れ動くと思う。勝手にすぐ自爆するから。


 風の冷たさに思わず首を縮めると、もう校門が見えていた。部活動生以外はとっくに下校してる時間だ。


 周囲に人気は無い。遠くから運動部の怒鳴り声が響く。事件のせいで最終下校時刻が繰り上げられているためか、この頃、部活生からは足りない時間を補わんとする気迫が見えていた。


 ふと顔を上げると、少し先に進んでいた誡さんが振り返って自分(ぼく)を待っていた。


「……更科君は、自分の無個性に悩んでいると聞きました」


 おもむろに開かれた口からでたのは、そんな言葉。誰から、と聞き返しそうになったけど、そんなのはわかりきっていることだった。


 伊神(いがみ)依琥乃(いこの)


 自分(ぼく)の幼馴染で、誡さんの親友でもある一つ年下の女の子。

 自分(ぼく)らの共通の知り合いなど依琥乃しかいない。現に自分(ぼく)だって、誡さんのことで知っていたことはほとんど依琥乃から聞いたことくらいなんだから。


 そんな簡単なことにようやく思い至った自分(ぼく)は、足を止めて彼女の問いに頷いた。


「そうだよ。悩むっていうよりは、自己嫌悪みたいなものだけど。──どんな特別も持てない自分を、自分(ぼく)は肯定することができない。悩みと言えばそれかな」


 人々の中に埋没していく自分を、自分(ぼく)は受け入れることができないでいる。それは身近に依琥乃やレーゾン・デートルといった、特殊な存在がいるからだと分かっている。


 それでも気づいてしまった。


「生まれた時から自分の中に他人が住んでた。お互いがお互いの行動を批評し合って、おかしなところを直していく。お手本はもちろん周囲の人間達だ。そうして自分(ぼく)は──自分(ぼく)達は、世の人間たちの平均になった。お互いにね。

 自分(ぼく)の中の二人の自分(ぼく)達。そこには確かに小さな違いがある。当たり前だ。他人なんだから。でも、自分(ぼく)達はほとんど変わらない。

 二人いたって、そのどちらか一方が特殊なんじゃない。お互いに人間の平均値の体現だから。結局どっちだって自分(ぼく)自分(ぼく)で、だったらどっちが欠けても自分(ぼく)自分(ぼく)以外になれやしない。それが、嫌でたまらない。だから自分(ぼく)は、無個性な自分のままであり続けたくないんだ」


 言外に変わりたいと訴える。それは誡さんにじゃない。そのほかの誰かにでもない。ましてや自分自身にでもなくて、口に出す勇気がないのを誤魔化しているだけだと知る。


 自分(ぼく)の話を聞いているのか、いないのか。誡さんの表情からは判別できない。風になびく髪を抑えながら、彼女は自分(ぼく)が語り終えるのを待って、喋りだした。


「…………なら、貴方は見方を変えるべきです。依琥乃から話を聞いた時も、違和感がありました。……ですが、友人に囲まれる貴方を見ていて、ようやく確信が持てました。……どこかで見たような笑顔を返し、どこかで聞いたことがあるようなトーンで喋り、どこかで見たことがあるような反応を返す……。

 …………更科君は無個性ではありません。それは、平均というよりも“誰にでも似ている”というのです」


 抑揚の無い声音で紡がれる言葉。それが自分(ぼく)の耳に届いた瞬間、聴覚以外の、全ての感覚が消え去った。


 “誰にでも似ている”


 それは恐らく、今まで誰にも見破られることのなかった、更科(さらしな)奏繁(そうはん)の本質。


 出会って数日の少女に指摘されたのは、自分自身ですら認識できていなかった自分(ぼく)の問題の核心だった。


 止まっていた呼吸が浅い吐息へと変わるまでの短い間に、停止した自分の思考とはどこか違う場所にいる自分が、理解した。


 なるほど依琥乃の言う通り、陽苓(ようれい)誡は探偵役に向かない。仮定も憶測もすっとばして問題の核へとたどり着けるなら、人々を喜ばせるエンターテイメントの主人公にはなれないからだ。

 

 だから、彼女の存在は、たぶん喜劇には程遠い。


「……それではまた明日」

 

 自分(ぼく)の返事など期待してなかったんだろう。己の意見を述べきった誡さんは軽くお辞儀をして、立ち止まったままの自分(ぼく)へと背を向ける。

 

 きっと彼女は、己の言葉が相手にどれほどの衝撃をもたらしたかなど考えもしていないのだろう。


 それもまた、彼女の本質なのだろう。遠ざかる背中には、一切の他者が存在しない。


「────やられた……」


 身体の感覚が戻り、座り込んでしまった自分(ぼく)の口から呻きが漏れる。

 頭の中に心臓があるのではないかと疑ってしまうほど、鼓動がうるさい。こめかみの血管を押し広げるようにして血液が廻る。全身の感覚が敏感で、靴が踏んだ小石の擦れ合う音すら、歯に響くようだ。


 あぁ、こんなにも頭と身体は研ぎ澄まされているのに、心が追いつかない。


 勘違いしてはいけないとさっき戒めた。それでも自分の全てがその《《特別》》を欲し、歓待していた。少しずつ浮上する感情が彼女への称賛と感謝をまき散らし、正常な判断を鈍らせていく。


 手足がしびれるほどの、陶酔感。

 見つけた。

 そう確信した。


 むしろ、あの姿に憧れないほうが、どうかしてる。


 絶対に目を逸らすことのできない、特別。

 溢れる高揚感を一つも取りこぼしたくなくて、自分(ぼく)は身体を掻き抱いた。


 それは、他者の存在を反映して生きてきた更科奏繁が、生まれて初めて、自分だけの恋に落ちた瞬間だった。





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