十四話 深夜徘徊
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日が落ちてからだいぶ時間が経つせいか、細く暗い道には寒々とした空気が漂う。
瓦葺の民家と寺ばかりが目立つ住宅街をゆっくりと進む。もちろん周囲に人通りは無い。事件が発生してから警察の見回りが増えたために、それを避けて移動しているのだ。
といっても、道を選んでいるのは誡さんで自分は後について行っているだけだけど。
まばらに立っている電灯が頼りない明かりを地に落としている。原始の闇と文明の明かりが交互に訪れ、今にも暗闇からなにかが現れそうな不安感が浮かんでは立ち消えることを繰り返す。
身近で起きている悲惨な事件と、夜に出歩くことが少ないことも相まって、薄い水蒸気のような恐怖が身体にまとわりついていた。
「……とりあえず、市内の裏通りにたむろしている方々に話を聞いてみようかと。……二番目の被害者はこの周辺で発見されたそうですから、なにか知っている人がいるかもしれません」
言いながら歩く誡さんの背中を追う。慣れているのだろうか。勝手知ったると言った感じで黙々と夜道を進む小さい背中に、頼もしさすら感じる。
彼女の様子は、やっぱり稀癌の話をする前と変わらない。自分の話に対してなんの感想も見出していないようだった。
感情が薄いと、物事をただの事実としてしか受け入れられなくなるんだろうか。それはどんな気持ちだろう。怒りも感動も喜びも感じないなら、彼女は何を楽しみに日々生きているのだろう。自分の人生が空しくなってしまわないだろうか。
……それとも、そんな情緒を感じることさえないのだろうか。
「……どうかしましたか」
問われて気づく。立ち止まっていたらしい。自分で考えていた以上に、夜の空気に飲まれてしまっているのかもしれない。
このままじゃいけない。誡さんの邪魔どころか、足手まといになってしまう。まだ歩いてるだけだというのに。
「いや、そういえばさ、話を聞くって言っても、具体的にはどうするのかなって。手あたり次第に話かけるの?」
雰囲気を変えようと話題を提供してみた。今後の方針にも関わるし悪いチョイスじゃないはずだ。速足で誡さんの隣に並ぶと、彼女は前に向き直った。そしてそのまま話し始める。
「……そうではありません。具体的な話をしていませんでしたか。私の落ち度です。
……何も知らない一般の方々に話しかけても有益な情報は望めないでしょう。それは時間の無駄なので、一般ではない方々を探して話を聞きます。
……先ほど自己紹介した通り、私の稀癌は危険察知です。一般ではない方々に接するのは大概危険が伴いますので、そういう人たちを探すのは簡単です。
……つまり、私達はこれから、より危険な方に突っ込みます」
「は?」
思わず吃音が漏れる。この子思ったよりも考えなしじゃないか? よりにもよって危険に突っ込むって。確かに事件の情報を持っている人がカタギばかりじゃないのは分かるけど。
「……危険に突っ込みます」
「うん。聞こえてるから大丈夫だよ。でもちょっと待って」
やはり聞き間違いじゃないらしい。そりゃ、殺人事件に関わるんだし必ずしも安全に事が終わるなんて考えてなかった。でも、わざわざ自ら危ない方を選択するなんて思いつきもしなかった。だってこの子は危険が分かるのに──。
「……あっ」
そうだ。違うのか。自分と彼女とでは認識に根本的に相違がある。
彼女の稀癌についてだけは依琥乃から聞かされていた。彼女の稀癌は危険を察知する。誡さんにとって危険とは、いつも必然的に周囲に発生するものだ。
彼女はやろうと思えば全ての危険を避けて生きることもできるだろう。なぜなら彼女の生きる世界には、そこかしこで警報機が鳴り響き続けているのだから。
依琥乃は、誡さんは多すぎる刺激感覚の中で生活していると言った。
だから陽苓誡という稀人は、危険を常に隣人として扱っているんだ。そこには偶然などない。いつだって己の意思で関わるモノだ。自らに降りかかる危険をコントロールしていると言っていい。だから、きっと彼女は危険に接することに何の躊躇いも感じていないのだろう。
陽苓誡が他者と違う感覚で生きていることは、あの幼馴染から聞いていた。だからこれしきのことで今更逃げ出すのは男じゃない。
「誡さん」
「…………はい」
顔をあげ、いつの間にか正面に立っていた少女に一歩近づく。誡さんは、無表情のまま、自分から少しズレたところに視線を彷徨わせている。心なしか覇気がない。
……なにを考えているんだろう。わからないのがちょっと悔しい。
胸の内に芽生えた寂しさを覆い隠してしまうように、自分はできるだけ朗らかに告げる。
「わかった。ちゃんとついて行くよ」
たぶんこれは一方的で身勝手な個人表明なのだろう。相手の応えを必要としない、ただのわがままにも近い。
これからは自分も、多少の危険は覚悟しなくちゃならないだろう。依琥乃のおつかいを成し遂げるために頑張らなくちゃ。
差し出しされた手を、誡さんはおずおずといった調子で握り返す。なぜか両手で右手を包まれた。年相応の、柔らかくて温かい手だ。
誡さんが自分を見上げる。言葉は無い。相変わらず無表情なのに、どうすればいいのか分からず戸惑っているようにも見えた。
そんな彼女に自分はただ微笑んで、言葉にできないこの感情を胸に刻み付けた。
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居酒屋が立ち並ぶ路地から少し離れた道を選んで歩く。街灯が少なく、辺りは夜の暗闇に沈んでしまっている。
人通りはほとんど無い。喧噪は遠く周囲は潜在的な静けさに包まれている。隣を歩く更科君が喋らないので、余計にそう感じるのかもしれなかった。
どうやら彼は、自分からぺらぺら喋るタイプではないようだ。賑やかな人といる時間も有意義だが、黙って共に歩いてくれる人間も貴重だ。稀癌もあまり走らない。二重する感覚情報が一致している。心地のいい散歩でもしている気分だった。
しかしそれももう少しで終わる。なぜなら私は今、危険に向かって歩いているのだから。
進むにつれ、徐々に稀癌の視覚が、聴覚が、嗅覚が、味覚が、触覚が、現実のそれと噛みあわなくなっていく。特に目立つのは、やはり視覚だ。進む先が薄暗く光っている。この光は私にしか見えていない。危険察知。稀癌が危険を告げている。
弱弱しい光を辿って足を動かす。光はこの先の路地に繋がっている。頭の中に地図を起こせばそこは、昼間でもよく不良が溜まっている場所だった。
怒鳴り声と笑い声が近づいてくる。
鼓膜を叩くその音は、耳に不快だ。
私は路地の手前で立ち止まり、更科君を見上げた。彼の耳にも粗暴な声が聞こえてくるのだろう。彼の表情は少し硬い。緊張しているのか、それとも恐怖という物を感じているのか。
「……ここで待っていてもいいですよ」
「いや、行くよ」
即答される。無理に笑おうとしているが、ところどころで引きつっている。別にこんなことで無理をしなくてもいいのに。
けど、本人の意思を尊重することも必要だろう。
最後の確認は終わった。
更科君から目を背け路地に入る。
テナント募集と書かれた小ビルの階段には数人の青年が集まっていた。皆一様に黒いジャケットに身を包んでいる。個性を追求した結果、集団の無個性へと没した風があった。
典型的な田舎の不良である。稀癌を通した五感にも大した差異はない。最初に話を聞く相手にはちょうどいいだろう。集団の中で最も落ち着きのある青年に声をかける。集団が少し静かになる。暗闇でも目立つ明るい青色の頭が私を捕らえた。
「どうした、お嬢さん。俺らになにか用か?」
無駄に親し気な笑顔が浮かんでいる。だが、その目はこちらを的確に品定めしているのが分かる。よかった。これは損得で理性を動かせる人間だ。仲間たちはこの青年の出方を見守っているようだ。彼がリーダー格に間違いない。
「……少し話を聞いてもいいでしょうか」
青年の瞳から目を逸らさずに言うとなにかが伝わったのか、青年は仲間に断りを入れて少し離れた所に私たちを手招いた。
「君たち何? こんな時間に出歩いて、何の用さ」
青年に眼光を向けられた更科君が隣で硬直している。こちらは気にせずに、と視線を送ると青年は更科君から意識を外したようだった。話が早くて助かる。
「……この周辺で学生が殺されたのを知っていますか」
「ああ、知ってる。連続殺人事件のやつだろ。警察の見回りうるせぇし。なんだっけ、高校生だっけ」
「こ……、高校二年生の、女の子です」
更科君が注釈をつける。喋る余裕はあるらしい。
「そうそれ。で? それがなに? もしかしてその子の友達とか? もしかして俺ら疑われてんのかなー」
ずいっと青年が顔を近づけてくる。目が細まり語気が荒くなっている。……どうやら威嚇しているらしい。
「……そうではありません。事件の情報を集めるために手当たり次第に話を聞いているだけです。……どのようなことでも構いません、なにかご存知なら教えていただけないでしょうか」
視線をそらさずに要件を告げる。すると青年は拍子抜けしたように体を離した。
「んだよ。嬢ちゃん度胸あるな。調子が狂うぜ。──この辺で事件のあった日は俺ら走りに行ってたから、なんも見てねぇんだ。悪ぃな」
「……いえ。ありがとうございました」
気を付けて帰れよ、とだけ言って青年は仲間の元へと戻っていく。私は更科君に目配せして路地から出た。
しばらく歩くと更科君がいつのまにか隣にいない。振り返ると、立ち止まり元来た道を見つめる彼の姿があった。
「……どうかしましたか」
近づいてそう訊いた。
「ああ、ごめん。……さっきの人たちの中に知り合いがいた気がして」
そういえば集団の中で一人だけ、私達から顔を背けた人がいた。あれが更科君の知り合いだったのだろうか。
「……戻って確認しますか」
「いいよ。それよりはやく次に行こう。何の収穫もなかったんだし」
そう言って歩き出す彼には私が考えていたよりも怯えが見えない。先ほど硬直していたのは、知り合いに気を取られていたからなのだろうか。なんにせよ足手まといにならないなら都合がいい。
私に歩幅を合わせて歩く少年と並び、私は今のものよりも更に強い危険の方へと進路を定めた。
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結果だけ言えば、その後は三回連続で収穫が無かった。明らかにカタギの人間じゃない人にも話を聞いたが、誡さんの落ち着いた、肝の据わったように見える態度のおかげか予想に反して特にトラブル無くここまできている。
「……扱いを間違えなければ、こういうものです」と誡さんは言っていたけど、自分一人ならこうも簡単にはいかないはずだ。誡さんはなんというか、場慣れしている感じがある。
やっぱりただの足手まといで終わってしまいそうだ。
「……次で最後にしましょうか」
古びた自販機からジュースの缶を取り出しながら誡さんが言った。腕時計を見ると、歩き回ったせいか時刻はすでに午前四時を回っている。眠たいはずだ。最初張りつめていた緊張もさすがに緩み、眠気が瞼にまで迫っていた。
誡さんの顔には疲労も眠気も見えない。いつもと同じ、無表情。もしかしたら気を使われてしまったのかもしれない。でも、精神的にも体力的にも限界が近いのは事実だったので、言葉に甘えることにする。
「わかったよ。次はどのへん?」
「……今度は少し西に行きます。次は少し厄介な空気ですので、できれば後ろからついて来てください」
「うん、了解」
返事をして誡さんの後に続く。もう春なのに、この時間はまだ冬のような寒さがしつこく降りて来る。賑わっていた飲み屋街にも人気が減り、すでに訪れた今日がその顔を覗かせつつあった。
見覚えの無い裏通りを誡さんについて歩く。今日の自分は、喋らない誡さんにつられてか、口数が少ない。
もともと自分は周囲の人間にテンションを合わせてしまう性質だから、友人と一緒にはしゃぐことも多い。
でも静かなのが苦手だというわけでもなく、むしろ静寂に包まれてなお共にいてくれる依琥乃のような人間の存在を愛おしくすら思う。なんて、普段はよく、部屋で一人になるときにそんなことを考えたりするくらいだ。
しかし、今自分を覆っているのは明かりという文明の利便性が失われた心寒さだ。己では制御できない生々しい常闇だ。
そんな状況では、静かな分聴覚以外の感覚に神経が集中してしまって、目前に暗い路地の薄気味悪さが浮かび上がってくるようだ。それは自分がこういった子供にとっての非日常の時間に慣れていないからなのだろう。
同じ年齢のはずの誡さんは、自分と違ってこの野生のような静けさに怯えていないように見える。
それがただ慣れていることから来る冷静なのか、感情の変動の少なさから起こる冷徹なのか。彼女のことをよく知らない自分には判断ができなかった。
なおも歩いていると、道の向こうに明かりが灯っていることに気が付く。こんな時間にまだやっている店があるのだろうか。
路地を抜けると薄闇に慣れた目にまばゆい光が飛び込んでくる。くらんだ視界に映ったのは、どきついカラーをした「案内所」の看板だった。
それで少し現在地を類推できた。おそらくここは、下通から少し入った場所にある、居酒屋とはまた違う、いわゆる夜の店が立ち並ぶ通りだ。城を一周してアーケード周辺に戻って来たらしい。……正直、青春真っ只中の中学二年生男子には場違いすぎる。
確かに深夜に出歩く人々に話を聞くにはうってつけの場所かもしれないが、やっぱり雰囲気に圧倒されてしまう。人間の性が濃縮された空間、なんて言うのは、多少の失礼さと誤解があるかもしれないけど。
「……更科君。ここは少し速足でお願いします」
「え?」
やっぱり誡さんも恥ずかしいのかな、なんて思ったけど、すぐに違うと分かった。もうこんな時間なのに、少しだけど人影がある。幸い警察の姿は見えないけど、どう見ても成人しているように見えない自分達では通報される可能性があった。
本当ならこの通り自体を避けるべきだったのかもしれないけど、どうやら誡さんは道路の向こう側の道に入りたいようだった。
悪目立ちしない程度の速さで、こそこそと道を渡る。
連続殺人犯を捕まえるための外出とはいえ、傍から見ればただの非行だ。そう思うと途端に罪悪感が芽生える。思えば、自分が依琥乃から与えられる無茶な指令は、全て学校の中のことだった。今までは軽く考えていたけど、深夜に出歩くなんて初めてだ。なんだか悪いことをしている気分になる。
結局、誡さんの誘導のおかげか人に声をかけられることはなかった。
また人気のない薄暗い路地へ舞い戻る。さっきとは違い、住宅街ではなくビルとビルとの間の狭い道だ。普段なら避けて通るような裏路地だった。
無言の彼女の後ろをついてしばらく歩くと、なぜか後方から靴音が響いた。振り返ると、派手なシャツを着て髪をそり上げた男性が自分らに走り寄って来ていた。そういえば何箇所か横道があった。そのどこかでこの男は人が来るのを待ち伏せていたのかもしれない。
後方の誡さんをちらりと振り向く。その口が微かに動いた気がした。漏れた言葉は、たぶんこう。
「…………ターゲット、確認」
「やァ君たちィ、ボクいいお薬持ッてんだけどさァ、買わなァい?」
小走りに走り寄って来た男性は開口一番にそう言った。
迫力のある縦ストライプの背広を着ているが、顔のパーツが中心から離れているからどうも間抜けに見えた。口調は下手すると聞き取れないくらいに訛っている。口角が上がり、ニコニコとしているのに、目元が一切笑っていない。自分みたいな子供にもわかるほど体感が安定しておらず、常に身体がゆらゆら揺れている。
明らかに、関わってはいけない類の人間だ。
答えに窮していると後ろから誡さんが顔を出し、自分の代わりに応えた。
「……結構です」
端的である。しかし男は食い下がる。
「いやァ、すッごくイイ薬だよ? 君たち初めて? じャあ、特別に安くするからさァ」
「……必要ありません」
「飲んだら気分ヨクなるし、すッげェ気持ちーよ。一回だけ試してみない?」
「……それよりも、最近起こっている連続殺人事件についてなにかご存知ですか」
「──ア? 知らねェよ、んなもん。それよりクスリ、買うよね? こんだけ時間取らせてんだからさァ、それが礼儀ッてもんでしョ」
少し話題を変えただけで本性が出た。男は肩を怒らせて自分たちに迫る。さすがに沸点低すぎないか、あれ? 恐怖よりも先に呆れが出た。
誡さんも、表情こそ変わらないが若干呆れたようにため息を吐く。
「……更科君、時間の無駄です。行きましょう」
「う、うん」
小声でやり取りをして、足を後方に向けようとした、その時。
「ッどこ行こうッてん、だよ!」
目前の怒鳴り声。薄暗闇で自分は見た。振り上げられた手と、そこで鈍く光る鋭利な何か。
思考が止まり、身体に冷たいものが走る。暴力の到来を覚悟した瞬間しかし、なにかに引っ張られて自分の視界は大きくぶれた。
自分の身体がそのまま地面に倒れるのと、金属がコンクリートにぶつかる音は同時だった。
「う、うぎぁぁああああああああ!!」
響く絶叫。手を抑えて男が悲鳴を上げていた。なにが起きたのか瞬時に理解ができない。
何が起こっている?
男が目を血走らせて、抑えている手を振り回す。自分の顔に何か飛んでくる。頬についたそれを指で拭って薄明りにかざすと、それは赤黒い液体だった。
「……仮にも現役の人間が、この程度で泣き叫ばないで下さい」
「ひっ」
漏れた吃音は、男のものだったのか、それとも自分のものか。前に出た誡さんの手に握られていたのは空き缶ではなく、先端に細長い棒が取り付けられた拳銃だった。




