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野生の牢獄  作者: 鴨野朗須斗
14人の漂流者たち
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十八日目 2

 泣き疲れたジェシカが目を覚ましたのは夕食の時刻をとうに過ぎた頃だった。いつの間にか雨も止んでいて、タープの外には星空が広がっている。

 身を起こした自身を遠巻きに見守る視線に、彼女は先ほどの記憶が夢ではないと理解した。麟太郎は死に、自分は年甲斐もなく取り乱し、止める彰浩をどこで耳にしたかすらわからないような言葉で罵り倒した。その事実に羞恥から顔を覆ってしまいそうにもなったが、それ以上にただただ悲しくて、出し尽くしたと思っていた涙がとめどなく瞳から零れ落ちる。


 ジェシカは大学院を卒業すれば、小学校の教師になるつもりだった。子どもはかわいいし、元来世話好きの気質を持っていた彼女にはそれが天職であると自覚していた。だから麟太郎や美香、友里亜も自分の生徒のようなつもりで接していたし、夜になれば彼らが眠りにつくまでゆっくりと寝物語を語った。

 生徒を失うということは、こんなにも胸が引き裂かれるような気持ちなのだろうか。ジェシカは首を振った。毎日寝食を共にし、生きるために協力し合う。それは教師と生徒という間柄で語りつくすことのできるような関係ではない。陳腐な言葉を当てはめれば、家族だろうか。


 家族を失うと、こんなにも悲しくやるせない気持ちになる。ジェシカとて祖父と死別した経験はあったが、祖父の死因は老衰で九十歳の大往生だった。神の国に旅立った祖父を見送る時とはまた違う、後悔や悔しさといった気持ちが麟太郎との別れにはあった。

 まだ十二歳、これから中学校へ行って、大人になって、恋をして。彼の行く先には数多の幸せがあったはずだ。麟太郎はお調子者ではあったが、こんな知り合いもいない島へと知らない大人たちと共に流されながらも、明るく素直に笑っていた。つまみ食いなどの多少のいたずらはあったが、それでも聞き分けが良すぎるくらいだ。しっかり自分の役目を果たして、妹の美香の良いお手本になってくれていた。

 麟太郎の笑顔を思い出すたびにジェシカの瞳からぼろぼろと滝のように涙が零れる。そんな彼女へとごわついたタオルを差し出したのは、同じように泣きはらした顔をした真凛だった。



「……すいません」

「ん、しょうがない。ジェシカが一番面倒見てくれてたし」

「わたし、何もできなかった」



 うつむくジェシカの左手を、真凛がそっと握る。



「あたしも、何もできなかった。日本だったらきっと、色んな検査いっぱいして何の病気かわかって治療法もあったかもしれない」

「……」

「たらればを考えたら、きりがないよ。皆、できる限りのことはした。誰が悪い、とかじゃない。ジェシカも頑張ったから……ありがとう」



 真凛の言葉に、ジェシカの涙腺が再び緩む。彼女が言葉を必死になって選んでいることに、ジェシカは気づいていた。

 傷ついているのはジェシカだけではない。タープの中には姿を見せない者もいるし、目の前の真凛とて瞳を潤ませこみ上げる嗚咽を殺しながらジェシカのフォローへと回っている。頭ではそう理解していても、ジェシカは真凛のように前を向くことができない。そんなジェシカを励ますように、真凛は幼子に言い聞かせるような優しい声で囁く。



「明日晴れたら、麟太郎とお別れすることにした。薪をたくさん使って、麟太郎が天へと昇れるように見送るの。だからその時だけは、麟太郎が心配しないように皆で笑顔で見送ろうって。…………来れる?」



 溢れだす涙を拭おうともせず、ジェシカは大きく何度も頷いた。





 ――何がいけなかったんだろう。

 ジェシカと真凛のやり取りをどこか遠くで聞きながら、彰浩は目の前のたき火を見つめた。揺らぐ炎は彼に正解を教えてはくれず、時折パチパチと薪が爆ぜる音が聞こえるだけだ。

 フェイ曰く、麟太郎の死因はおそらく感染症らしい。その中でも菌血症と呼ばれる病気ではないかと言っていた。菌血症とは傷口から細菌が入り込み、血液の流れに乗って全身へと広がってしまう病気だ。

 健康ならば免疫機能が細菌を殺してほとんど事なきを得るが、麟太郎に免疫疾患があったのか、はたまた別の――生活環境か、あるいはこの島独自の強力な細菌か――原因があったかはわからないが、今後は怪我などに極力気を付け、擦り傷などの小さなものでも清潔な水で洗浄するよう言いつけられた。


 麟太郎の死は悲しい。だが、彰浩には何もできることがなかった。確かに、肉を捕ってきた。しかしそれで状態が改善したとも言えない。知識も知恵もない彰浩には、できることが限られ過ぎていた。

 己の不甲斐なさを昇華するように、タープを抜け出す。雨上がりの星はいつもよりも輝きを増していて、灯りのない砂浜でも足を取られることなく歩くことができる。時折、雨にうたれてはじけ飛んだスライムの残骸が水を吸って膨らみ、打ち上げられたクラゲのような姿を晒しているのを横目で見ながらとぼとぼと海岸線に沿って歩く。



「……お疲れ様です」

「……うっす」



 タープから百メートル程歩いた先に、海を眺めている隼人と出会った。泣いていたのか、彼は袖口でごしごしと顔を拭いいつものように人懐っこい表情を作る。



「散歩っすか?」

「ええ、まあ」

「…………」

「…………」



 沈黙が続く。



「隣、いいでしょうか?」

「え、あ、はい。どーぞ」



 隼人の隣に腰を下ろすと、雨の名残か薄い短パン越しに水を吸った砂の水分がじわりとしみ込んできた。それに気にせず、彰浩はぽつぽつと言葉を紡ぐ。



「……考えたんですけど」

「はい」

「色々、考えました」

「何を、すか」

「わかりません」

「えっ」

「ああ、違います。色々考えたのですが、何を言いたかったのかよくわからなくなってしまって……」

「あー、まあ、こういうときってなんて言いかわかんないっすよね」

「そうですね」



 隼人は気まずいのか、気を逸らすように目の前の砂をすくって小山を作り出す。



「それで、思ったのですが」

「はい」

「遠征しましょう」

「……そりゃあ、そのうちする予定ですけど」



 今する話っすか、と隼人の顔には書いてあった。彰浩は海を見つめたまま言葉を続ける。



「自分は、皆さんに安全な場所を提供したいです。ここは水を飲むには手間がかかりますし、大掛かりな洗濯だって雨の時しかできません。寝床だって海風が通りますし、そう遠くはない距離に木を倒すような獣だって存在します。雨風の防げる家、危険のない寝床、安定した食料、残量を気にせず使える水。だから……遠征をしましょう」

「…………」

「あなたたちを、安住の地へと連れて行きます」



 ――自分には、体を張ることしかできないのだから。

 ぽかんと口を開けて呆ける隼人を見つめて、彰浩は静かな太い声で宣言した。

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