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野生の牢獄  作者: 鴨野朗須斗
14人の漂流者たち
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十七日目 3

 焼くと少し淡白すぎる。脂ものっていないし、パサついて喉に引っかかる。肉汁を閉じ込めて、こんがりジューシーに焼き上げるための下準備をする時間と道具を笹原は持っていなかった。

 それに何より今日は病人がいる。そのまま焼いてしまえば、臥せっている麟太郎には固すぎるだろう。


 笹原は猫ねずみの胴部分の肉を骨に沿って外す。少々こびりついているが問題はない、そのまま骨髄が出るように太い腕をぽきぽきと折り、水を張った鍋へと投げ込んだ。肋骨、大腿骨、頭蓋骨。小さくはない鍋の中がすぐにいっぱいになる。骨ばかりで使い物にならなかった尾も出汁にしてしまおうと考えていたが、ぶつ切りにして次回に回すことにした。

 骨とそれにこびりついた肉片、そして水で一杯になった鍋をさよに渡す。残りは彼女が弱火でじっくりと煮込んでくれれば良い。ついでとばかりにきれいに洗ったねぎもどきと軽く潰したにんにくを皮ごと投げ込むと、タープの中のかまどへと戻っていくさよの姿を見送った。


 島の気温は初夏。ここには冷蔵庫どころか氷すらない。生肉は刻一刻と鮮度を落とし、太陽の熱にあぶられて僅かばかりの脂をにじませていく。ここからは時間との勝負とばかりに、笹原は黄ばんだシャツの袖をまくり上げた。

 まずは今日の夕食だ。解体の素人である笹原の捌いた猫ねずみガラには肉がこびりついてるので、スープはくたくたに煮込んだ後それをほぐして入れれば良いだろう。一食分ほどの肉をとりわけ、残りは塩、樹液、ねぎもどきとにんにくを入れたソミュール液へと適当な大きさに切って漬けこむ。竹の容器が完成してからは、調理がひと際楽になった。埃が入らぬよう、大きな葉と石で蓋をして一晩漬けこめば明日には燻製や天日干しに移れるだろう。できるだけ涼しい木陰に容器を移動させ、一息つく。


 笹原は荷物置き場であるタープに移動すると、そこに並べてある竹製の容器の一つを手に取った。持ち上げると、風が通るように少し中心からずらしてある蓋の隙間からむっと独特の生臭い腐敗臭が香る。

 イカの腐敗臭とは強烈なものだ。笹原は厨房に立っていた時代に冷蔵庫の奥底に忘れ去られたそれを腐らせ、鼻が曲がるような想いをした。そして笹原の手の中にある保存容器からも、あの頃を彷彿とさせるつんと鼻につく匂いを醸し出している。


 ――発酵。これは発酵だ。


 息を止めながら蓋を開くと、呼吸していないのに涙が出そうになった。内臓すら処理せずぶつ切りにしたタコ貝に対して二割程度の塩をさよが漬けこんだのは、まだ片手で数える程度の日にちしか経っていなかったのだが、気温のせいか、はたまた衛生環境のせいか。それは既に塩が溶けて水が上がり、徐々にタコ貝の形を崩しつつあった。

 彼はその中のひとつを取り出し、くんと鼻をひくつかせ匂いを嗅いだ。生臭い。しかしただそれだけだ。

 さよがこまめに水気からタコ貝が顔を出さぬよう気を付けていたおかげで、それは体の端をぐずぐずと溶かしながらも腐敗せず正当な順序で発酵しているようだった。魚の肝を煮詰めたような生臭さから、笹原は腐っていると勘違いしてしまったらしい。彼は心の中で妻に謝罪の言葉を述べた。


 さて、これを半年から数年冷暗所で発酵させ続けると俗にいう魚醤となる。いや、この場合イカによく似たタコ貝を使用したため、いしるになるのだろうか。他所の地方の郷土調味料など笹原にはうろ覚えだったため魚醤としておく。

 魚醤はタコ貝の内臓のせいかわずかに濁ってはいたが、醤油と呼べる色にはまだまだ遠い。これは長い時間をかけて発行する調味料なので、笹原は――さよに管理を任せつつ――長い目で見守ることにした。今回は汁ではなく、先ほど一切れ取り出した具の方に用がある。それをひとつかみ取り葉の皿の上に乗せると、魚醤桶を元の位置に戻して彼はかまどのあるタープへと歩みを進めた。



「少し早いんじゃないですか?」

「十分だ。ちょっともらった」

「そうですか」



 タープへと戻ると、彼の手にある発酵したタコ貝を見咎めたさよが首をかしげて問う。それにぶっきらぼうに返事を返した笹原は、さよの隣にある強火のかまどにぷるぷると震えるスライムを投げ込んだ。


 ――こいつにはまだ慣れねぇ。


 ここ数日で、スライムに対する安全性が証明された。火にかけて湯葉のような薄い膜を取り除けば真水になるし、そのまま食べても何の問題もない。

 この気温で生き物ゆえか腐ることもなく、海水を入れれば塩やその他ミネラルなどを払い落としどこまでも増えるので漂流者たちの浄水装置は土鍋からスライムにとってかわった。今では二つ分のスーツケースの中で透明なスライムがぷるぷると震えている。

 とはいってもそのまま食べても喉の渇きを潤すには足りないため、今まで浄水装置として使われていた二つの土鍋の一つはスライム炙り用として、もうひとつは塩作製用として埋まっていた。それでも、毎日薪を気にしながらちびちびと小さなグラスの上に溜まる水を汲み上げるよりかはずっと楽な作業だ。


 土鍋の中のスライムが溶け切ると、表面に張った薄い膜を捨て皮を剥いた紅山芋を入れる。沸騰してから十数分ほど煮ると、毎食食べている紅山芋の完成だ。しかし今日ばかりは、新たな調味料がある。


 魚醤は魚を塩漬けにして発酵させるものだが、それによく似た過程の保存食がある。アンチョビだ。

 笹原としては近くのスーパーに手軽に手に入ったオイルサーディンの方がなじみ深いのだが、油の限られる島での生活で贅沢は言っていられない。酒のつまみとして有名で癖の強いアンチョビではあるが、イタリアンなどではよく隠し味として使われる。

 試しに、少量の潰した紅山芋に加えてみると塩気と魚の生臭みが味の薄い紅山芋全体に広がった。量が多すぎたらしい。味見をしながら徐々に紅山芋を加えていくと、確かに今までとは違い味に奥行きとコクを感じる程度に落ち着いた。笹原は少し考え込んで、松の実の脂を絞りにんにくを炒め紅山芋のマッシュへと加えると、にんにくがアンチョビの魚臭さを打ち消しまるでこじゃれたレストランで出てくるようなマッシュサラダが完成した。


 和食料理の職人であった笹原は大きく頷いた。今まで洋食など家庭料理程度しか触れたことはない、しかしこの場で新たなる食材の調理法を会得したのだ。

 料理人というものは概ね好奇心旺盛で、探求心に富んでいる。最近ではローテーションと化していた食事メニューに新たなる風穴を開けることは、笹原にとってこの上ないほど自尊心を満たす事象であった。



 猫ねずみの骨が入ったスープはさよが煮立たせないように慎重に慎重に煮込んだため、まるでスライムのように透き通っていた。崩れ始めた骨を拾い、それにこびりついた肉を指で裂くと長時間煮込まれた肉は柔らかくほろほろと崩れてしまう。

 煮込んでいる間に浮かんだ脂はわずかではあったが、分厚い葉ですくっておいた。これを清潔なハンカチで濾して水分ごと竹の容器に溜めて、冷めた頃にスライムを入れればスライムによって水分が吸収されそこには油だけが残る仕組みだ。


 透明なスープにほぐした猫ねずみの肉と、五センチほどに切ったネギもどきを入れて塩で味を調える。臭みはなく、猫ねずみのほのかな甘みと肉のうまみが口の中に広がった。これだけでは腹持ちが良いとは言えないので紅山芋も追加したが、スープの具に関してはいつもマンネリになってしまうと笹原は不満げだ。


 ここで腹を空かせた隼人たちが集まってきてしまったので、笹原は仕方なく塩を振って焼いただけの猫ねずみの肉を食卓に並べた。本来ならば時間をかけて蒸したり、煮込んだりした方がうまそうな肉ではあるが急かされるので致し方ない。それに、久々の肉となればまずは素材本来の味を知ることも必要だろう。

 そう自分に言い訳して、瞳をキラキラと輝かせる若者たちの前へと今日の夕食を並べた。

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