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野生の牢獄  作者: 鴨野朗須斗
14人の漂流者たち
33/60

十七日目 2

屠殺描写があります。苦手な方は読み飛ばしてください。

 生き物を殺したことはない。殺すどころか傷つけることにすら罪悪感を感じる。

 そんな彼らの前に差し出された猫ねずみは、まだぴくぴくと足先を動かしていた。当初は彰浩の成果に喜んでいた真凛も、目の前に差し出された生きている動物に「うっ」としり込みする。生きていくために肉は必要だ。タンパク質だったり、鉄分だったり。ともかく、人間の体を作る上で必要な栄養素が肉には含まれていた。

 しかし、だからと言って今まで屠殺どころか動物の形をしている肉すらみたことがない彰浩たちに、すんなりと猫ねずみを殺し、血を抜き、皮を剥ぎ、臓物を抜き、いつもスーパーで見ていたパックに包まれた綺麗な肉の姿にできるはずもない。



「笹原のおやっさん、動物を殺して捌いたことは?」

「さすがにねぇな。だが、やってみりゃあ何とかなるだろ」



 そういって一番刃の厚いダイビングナイフを持った笹原が猫ねずみに近づく。



「海でやる。お前らはついてくんな」

「待ってください!」



 ためらいもなく五キロはある猫ねずみの首を掴んだ笹原を止めたのは彰浩だった。笹原が捌くことに安堵したのは確かだ。彰浩も、他の面々も目に見えてほっとした顔をした。しかし彰浩の生真面目さが、彼の口から思いもよらぬ言葉を吐き出させた。



「自分にさせてください」



 漂流者たちは困惑したが、彰浩も内心戸惑っていた。



「自分が、とどめを刺します」

「何でだ?」

「何でって…………自分が捕まえたので……」

「そうだ、お前が捕まえた。お前は十分仕事をした。いや、期待以上だ」

「しかし……自分が捕まえたので、責任を持ちたいんです」

「とどめを刺すことが、責任か?」

「……おそらくは」



 一つ一つ、言葉にする毎に彰浩の気持ちが固まっていく。

 ――そうだ、自分がこの生き物の運命を決めた。生き物を殺すことは笹原にも容易いことではないだろう。自分で始めたことだ。だから、全ての始末を誰かに任せたくはない。





 彰浩と笹原は海辺で猫ねずみを見つめていた。捕獲してから時間が経ったが、猫ねずみは逃げ出す気配はない。

 笹原に教えられた通りに、手に持った岩で猫ねずみの頭をがつんと叩く。人を殴るよりも軽い感覚に、彰浩はぐっと歯を食いしばった。



「……死んだんですかね」

「そうだといいな。次はこいつだ」



 そう言って笹原は薄いナイフを彰浩に渡した。軽いはずのナイフがずしりと重い。



「まずは内臓を取り出す。腹を裂け」

「はい」

「刃を入れすぎるなよ、内臓が敗れたら台無しになる」



 彼の注意を聞きながら慎重に猫ねずみの腹へと刃を入れる。その瞬間、猫ねずみがビクビクと震えた気がした。彰浩の隣で監督をしている笹原も、いつもより尚眉間にしわを寄せて口をへの字に曲げている。

 腹の中は赤黒い血が溜まり、ピンク色の内臓が光りを浴びててらてらと艶光りしていた。むせかえるような血の匂いがするその中に手を突っ込むと、ぬるりとして生暖かい。心臓、胃や腸、その他臓器の繋がっている管を切りながら取り外していく。

 海水で腹の中をじゃぶじゃぶと洗うと、笹原が未だに滴り落ちる血を眺めながら呟いた。



「血抜きをする。やり方わかるか?」

「わかりません」

「多分だが、鶏と同じだ」

「……首を切るんですか?」

「切り落とす必要はねぇ。貸せ」



 笹原にナイフを渡すと、彼は手慣れた様子で猫ねずみの首元へと刃を滑らせた。そのまま逆さにして血液が尽きるのを待つ。そしてもう一度よく洗うと、「うさぎと似たようなもんかぁ?」と言いながら迷いのない手つきで皮を剥がし始めた。



「やったこと、あるんですか?」

「見たことはある。知り合いに山師がいてな」



 笹原の手によって、猫ねずみはまるで服を脱ぐようにするりと毛皮を剥がれた。丸太を割ったまな板の上に乗せられた猫ねずみは丸裸で寒そうだ。毛皮についた血を海水で流すと、茶色い毛皮は水を弾いてつやつやと光っている。

 マスクのように剥がされた顔は凹凸が少なく、猫ねずみは生き物の形を残しつつも肉になった。その肉をまじまじと見つめながら彰浩が不思議そうに尋ねる。



「肉ですね」

「ああ、ただの肉だ」



 部位ごとに解体された猫ねずみは、ようやく彰浩のよく知っている肉の形へと変わった。毛皮を剥がれ、内臓を抜かれた肉はそれでも四キロほどの重さがある。



「料理人の特権だ」



 笹原は猫ねずみのもも肉の一部を切り取り、細く裂いた竹に刺した。浄水装置の鍋を乗せていた焚き火の傍にその串を刺し遠火でじっくりと火を通す。素材の味を知りたいので塩は軽く振るだけにとどめた。

 熱にあぶられた猫ねずみの肉は徐々に白く色を変え、表面に透き通った脂が浮いてくる。それと肉汁が竹串に沿ってこぼれ出すと、笹原は無言で串の一本を彰浩へと差し出した。



「食え。毒は……まあ、ねぇだろ」



 彼に言われるがまま串を受け取ると、彰浩はそれを口に運ぼうとはせずにじっと見つめた。

 ――猫ねずみだ。数時間前は生きて、餌を頬張っていた。



「食わねぇのか」



 彰浩の罪悪感を見透かしたように、笹原は事も無げに肉を咥えながら尋ねる。



「いえ、いただきます」



 彰浩は串を持ったまま手を合わせた。

 いただきます、だなんて今まで何前回と言ってきた言葉だ。彰浩にはこの言葉の意味などまったく考えずに、慣習的な習わしとして義務的に口にしてきた言葉。しかしようやく、その言葉の意味を理解することができた。


 彰浩は猫ねずみの肉を口に運ぶ。あの生き物の肉は、彼の想像よりもずっとおいしかった。久々の肉だからという理由もあっただろうが、猫ねずみの肉は野生動物であるというのにほとんど獣臭さがなかった。確かに日本で普段食べていた牛や豚に比べると脂が少なくパサついている。

 しかしそれ以上に淡白さの中に甘みが広がっていて、舌の肥えた日本人であっても美味いと言える部類の肉だろう。



「…………おいしいです」

「ああ、臭みもねぇ。味も食ったことねぇ感じだが、悪くない。寝かせる必要もなさそうだし、一匹でそこそこの量もある。狩りでの危険性は?」

「今まで何度も見たことがありますが、人を襲う様子はありませんでした」

「なら、食材としちゃ最適ってわけだ」



 分厚い唇を吊り上げて笑う笹原は料理人の顔をしていた。

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