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野生の牢獄  作者: 鴨野朗須斗
14人の漂流者たち
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十六日目

 ジェシカが一番大きなタープの端で目を覚ますと、隣に眠る麟太郎は苦しそうにヒューヒューと喉を鳴らしていた。隣にいるだけでも伝わってくる熱さに、彼の体温の高さを悟る。そしてその体温とは裏腹に、上着を何枚もかけられているというのに麟太郎の体は寒さからか震えていた。

 せめて寝苦しさだけでも緩和しようと、彼女が濡らしたタオルで麟太郎の額や首筋の汗をぬぐう。首筋に濡らして風に当てたタオルを当て、次に脇を冷やそうと上掛け代わりのジャケットをめくったジェシカは青い顔で驚愕の声を漏らした。


 麟太郎の小さな手は、水膨れのようにぷっくりと腫れていた。昨日は少し浮腫んでいる程度だったが、今では中身のみっしりと詰まったクリームパンのように膨らんでいる。それだけでも一目で異常とわかるのに、腫れた手の甲には赤い筋が走りぱっくりと皮膚が裂けて血が滲んでいた。



「bad cald……?」



 ジェシカは呟いたが、即座に首を大きく振った。

 ――Get outta town! I've never heard of such a thing!


 サルへの警戒に疲れ切っていた真凛は、早朝飛び込んできたジェシカの悪い知らせに顔を青くした。

 麟太郎の症状は、医療知識のない真凛から見ても普通ではない。血のにじんだ彼の左腕は今は布を裂いた包帯で包まれてはいるが、それはあくまで止血にしかならず根本的な解決法はフェイですらわからなかった。



「薬は?」

「総合風邪薬に、頭痛薬、後は腹痛の薬くらいか」



 漂流物から引き上げた薬類は左程種類がない。昨日は風薬を与えたがそれも効果はないらしく、未だに麟太郎の体温は高いままだ。フェイが隼人の通訳を介して首を振る。



「何が原因でこうなったかわからない以上、むやみに薬を与えるのは避けた方がいい」

「でも、熱を下げないと体力が落ちるんじゃない?」

「本来ならば発熱は体の中の菌と戦っている生体防御機能だ。抗体を薬で補えないのならば自己治癒力に任せる他ない」

「……つまりは、祈ることしかできないって訳ね」



 真凛は意識の混濁すら見られる小さな体を見下ろして、絞り出すような声を出した。





 本日の方針は昨日と同じく、砂浜に近い距離の作業に留めることになった。ジェシカと真凛は麟太郎の看病、フェイと隼人、依里奈はサルの監視を行っている。

 漂流者たちはサルの存在に徐々に慣れつつあり、当の本人も食料の調達のため一時的に森に姿を消すことはあるがその後は戦利品を抱えて戻ってくる。その際は餌を分け与えているつもりなのか、見たこともない果実をフェイたちの前に積んで行くので現在省吾と彰浩は可食テストと家具作りを平行しつつ行っている。



「……なあ、麟太郎大丈夫だと思うか?」



 省吾が穴罠用の仕掛けを削りながら隣にいる彰浩へと尋ねた。彰浩は首を振って答える。

 穴罠は地中に穴を掘り、獲物が餌のついた木に触れると上に設置した蓋が閉まる仕組みの罠だ。穴掘りは三つ折りスコップがあるため苦にならないし、一度蓋にあたる部分を作ってしまえば再利用も可能だ、とフェイが言っていた。実物を見たわけでもないので彰浩や省吾にはどのような仕組みかはわからなかったが、ともかく木々を組み合わせて丈夫で大き目の板を作る、それだけわかっていれば十分だ。

 手ごろな太さの丸太を二本平行に並べ、溝を掘った丸太を樹液で接着しながら並べていく。省吾は溝を掘り、彰浩は丸太の長さを調整する。単純な作業のため、自然と口数が減り思考に没頭する。


 彰浩はサルを脅威とは感じていなかった。

 こちらに危害を加える素振りもなく、食料を提供する様子すら見せている。病に倒れている麟太郎の周りを心配そうにおろおろと動き回っているしグルーミングをしようとも――サル自身どんな菌を持っているかわからないのでフェイと隼人に引きはがされていたが――していた。


 問題は、麟太郎だ。

 今まで多様な知識を漂流者たちに授けてきたフェイですら首を振る麟太郎の容態。フェイとて全知であるわけではないが、ここにいる誰よりも知識深く冷静だ。そんなフェイがわからない未知の病。それが麟太郎の体を蝕んでいる。

 十二歳の麟太郎の体は成熟した大人たちとは違い体力も低い。それに砂の上に寝て、何ともわからない食事を食べる生活はかつてよりも貧しい。体力だって落ちているかもしれないし、肉の採れない今栄養とて満ち足りているとは言えなかった。



「病気の時って、どうしてましたか?」

「あー……そうだな、病院行って飯食って寝る感じか?」

「ということは、自分たちにできることはしている状態ですよね」



 省吾が木を削っていた手を止め、ナイフをカバーへと収納する。そして静かな瞳で彰浩を見つめた。



「いや、まだある」





 彰浩と省吾は己の手首ほどの丸太を持ち、森の中へと潜んでいた。真っ直ぐに伸びた丸太は余計な枝を落としナイフを先で尖らせており、一メートル強という長さも相まって槍のようにも見える。


 ――こんなことになるなんて。

 彰浩は大きな体躯を茂みに隠しながら心の中で独り言ちた。体臭を隠すように衣服に泥を刷り込み、手には木で作られた貧相な武器を持って息を殺して獲物を待つ。とても現代人とは思えないやり方だ。

 彰浩の視線の先にはふかふかとした落ち葉の地面の上にどんぐりもどきが転がっている。ここはよく猫ねずみが確認されている場所だ。



「無理だと思います」



 一時間ほど粘ってみたが、猫ねずみは二人の前へと姿を現そうとはしない。彰浩が小声で省吾にそう囁くと、省吾はおもむろに大きな音を立てて立ち上がり、ぎゅっと右手に握った丸太を握り締めた。



「俺も薄々そうじゃないかと思っていた」

「そもそも、前提から間違っている気がします。野生動物なんて、何の訓練も受けていない自分たちが罠もなく採れるはずがありません」

「テレビじゃ魚はほいほい仕留めてたんだがな」



 動物と魚では勝手が違う気がしたが、彰浩はその言葉を飲み込んだ。彼とて、ここに潜んだ当初は「もしかしたら」という気にもなっていたのだ。



「罠と言えば、フェイ達が一個仕掛けてるらしいぞ」

「え、初耳です」

「あまりにもチャチな作りだからあいつらも期待していなかったが、万が一ということもある。それに仕掛けてから三日、誰も見に行ってないらしいしな」

「じゃあ、行きましょうか」



 罠の詳しい場所がわからなかったので、一旦砂浜へと戻ってサルにしがみつかれていたフェイを伴って森へと入った。流石にフェイが足場の悪い森の中を十数キロはあろうかというサルを背負っての行進はつらかったらしく、サルは彰浩たちの後を追うように頭上の枝を揺らしている。



「こちら」



 フェイは徐々にではあるが日本語を覚えつつある。時間があるときに、隼人や真凛たちから教わっているようだ。毎日日本語に囲まれているからか、または彼の地頭の出来か。とにかく、実戦形式で行われている日本語教室の成果は、片言ではあるがフェイと彰浩たちとの意思疎通を可能にしていた。


 フェイが指を刺した方向には、彼らが設置したという括り罠はなかった。

 落ち葉の積み重なった腐葉土は、何か大きな動物が暴れたようなくぼみと土が散乱している。彰浩と省吾は顔を見合わせたが、罠の場所を指したフェイですら困惑しているような顔だった。

 上を見上げると、彰浩の身長よりわずかに高い位置の枝がぽきりと折れている。遺された枝ぶりから察するに、彰浩の二の腕ほどもある決して細くはない枝だ。フェイ曰く、この枝にパラコードで罠を仕掛けたという。



「……何か、かかったみたいですね」

「まあ、逃げられてるけどな」



 三人は青ざめながらも、じっと無残にも折れた枝を見つめる。罠が仕掛けられたという赤茶色の葉を持つ木からは、今もわずかにだが半透明の樹液が滴っていた。

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