八日目 2
午前中、彰浩たちは一本の木を切り倒すことに勤めた。普段ならばもう少し成果は出るのだが、初心者の鈴子がいては仕方がない。力のない彼女とのペアでは、いくら力しか誇るところのない彰浩とはいえ運搬に時間がかかりすぎた。
ある程度の長さに玉切りにした――とは言ってもチェーンソーなどなく、斧で切るので随分と不格好ではあるが――丸太はもちろん、葉のしげる枝もまとまるとずっしりとした重さがある。ようやくけもの道程度に踏み鳴らされた道を進み、最後の荷物をタープの中に下ろすと他の皆は既に昼食をとっていた。
「あ、おかえり! 鈴子、大丈夫だったか?」
「疲れた。だいじょばない」
「おーそっか。まああれはオレでもきついしな、取りあえずゆっくりしようぜ」
鈴子は隼人から不格好な箸を受け取り、重力に負けるようにどんと座り込む。その表情は疲れからか、明るくはない。隼人はそれに気づいたのか、今日の昼食が如何にうまかったかを説明する。最近加わったにんにくとねぎを掛け合わせたような植物は、塩味しかなくワンパターンだった食事に味の変化を生んだ。特に隼人は、タコ貝をにんにくもどきで炒めたものが気に入っているらしく採取班の時には率先してやわらかい地面を掘り起こしている。
「もっと、色んな食材が増えればいいんだけどな。米とか、パンとか、それに肉」
「安定したら、育てるのもいいかも、ね」
「じゃあ、まずは家からだな」
「その前にトイレ」
「おお、そうだ。椅子……いや、便座か? あれは取りあえずどうにかなりそうだし、目隠しも作んないと」
接着剤――樹液の新たな効能の発見以来、徐々に家具らしきものを作る構想は練られていた。まずは誰しもが不快な思いをしていたトイレからだ。今は海岸から近い森の木々の傍に穴を掘っただけのトイレがある。鉢合わせを考慮して男は海岸からみた左手側、女は右手側に分けているが周囲が開けているのはどうも落ち着かない。それに洋式便座に慣れ過ぎた現代人では、しゃがんでする行為に違和感を感じざるを得なかった。
そこで、太い枝を組んで座面のない椅子を作ることにした。今まではロープにゆとりがなかったため家具作りというものは必要最低限なものしかできなかったが、今は採取すれば接着剤がいつでも得ることができる。有限とはいえ、この森の中にはあの赤い葉の木は何本もあった。
家具作りなど誰も学校の授業程度でしか経験はなかったが、省吾が木同士を接する場所を丸くえぐりみぞを作り、そこにたっぷりの樹液を乗せた。これで丸太同士が転がらず接着できるはずだ。現在は椅子の足としてロ型に組んだ木を二組乾燥させている最中で、うまくいけば一週間後には完成する見込みである。
無言でかきこむように食事を終えた彰浩は、雨水で手を清めほっと息を吐いた。彼自身、鈴子に気を使っていたのか左程労働したわけでもないのに随分と気疲れしていたようだ。鈴子自身を苦手に思うわけではないが、単純に誰かの心配をするのがこんなに不安なことだったのかと彰浩は初めて知った。
タープから出て海辺に近いかまどの横で白湯を飲む彰浩の隣に、小さなメモ帳を持った真凛が座る。ねぇ、と周りを気にするようにして彼女は小さな声で囁いた。
「あのさ、遠征のことなんだけど」
「はい」
「あたしも行くから」
思わず左手に持っていた器を手から零した彰浩は、言葉を探すようにぱくぱくと口を動かした。しかし、戸惑いからか彼の口から何かしらの言葉が出ることはなく、真凛は彰浩の反応などどうでもいいような顔で続ける。
「色々考えたんだけど、あんた一人で行かせるのはなし。確かに体力や腕力は一番かもしれないけど……あー、ごめん、言い方悪いだろうけどあんた一人で何かあったときに対処できるとは思えない」
「それ、は」
「正直言って彰浩が自分で考えて行動できるとは思えない。あたしみたいな年下から言われるのはムカつくと思うけどさ、ごめんね? ……えーっと、なんて言ったらいいかわかんないんだけど、彰浩の力を有効に活用するためにはそこそこ臨機応変に動ける人間が必要だと思う。自分で言うのもなんだけどさ、あんたを動かすには、ずばずばと遠慮せず物を言えるあたしが適任なのよ」
「……確かに、自分には知恵がありません」
「いや、別にあんたが馬鹿だって言ってる訳じゃない。省吾に比べたらずっと空気読めるし、隼人と比べて冷静。誰とでもうまくやれてるし、正直、うちらの中での貢献度はトップだと思うよ」
「買いかぶりすぎです」
「有言実行ができる人間って割と少ないよ。あたしだってサボりたくなることだってあるし、やろうと思ってもできないことだっていっぱいある」
真凛がズボンの裾のほつれを指でいじりながら、ばつの悪そうな顔で視線を逸らした。
「……っていうかさ、純粋に心配なんだよ。あんた、全然自分を大切にしてない。もしものとき、『仕方ないか』って素直に受け入れちゃいそう。妙に諦めが早いっていうかさ」
そんなことは、と否定の言葉を口にしようとしたが彰浩の口は頑なに動こうとはしなかった。真凛の言うことが事実だったからだ。
彰浩の心中には、自分などどうなっても良いという想いがあった。縋るほどの望郷の念もなく、かといってこの場所で生き抜こうとも思っていない。ただ、怪我や病気をしては皆に迷惑がかかるから毎日体調に気を付けて、自分へ割り振られた仕事をこなしている。それだけだ。
何もない彰浩には、必死に足掻くほどの生への渇望はなかった。
「彰浩」
自身の身の内に潜む遠まわしな破滅願望に初めて気づいた彼を暗い思考の沼から引き上げたのは、まるで幼子を諭すような優しい声だった。
「あんたがどう思ってても、あたしはもう腹くくった。ここで生きていく。だから、彰浩も皆も引っ張っていく。これはエゴだよ、あたしのエゴ。誰も欠けたくない、誰も取りこぼさない。ここにいる皆で生きていく」
「真凛さん……」
「……マリだから」
「マリさん」
「うん」
「自分は、目的がありません」
「うん?」
「ですが、あなたの言う目標に自分が含まれているのならば……頑張ります」
うん、期待してる。そう言って真凛は破顔する。
「ですがやはり、マリさんの遠征参加には自分は反対です」
そしてすぐに、石のように冷たい表情を浮かべた。




