第1話 聞くと見るとは大違い。
【聞くと見るとは大違い】…なるほど。
フランソワーズは王宮の庭の隅にある温室で今まさに繰り広げられている婚約者の浮気現場を見て、つくづく実感した。昔の人は良いことを言う。言い得て妙、だ。
彼女の婚約者であるこの国の第一王子殿下のマティアスが隣に座らせたふっくらとした女の子の赤い髪を指に巻き付け見つめ合いながら、
「ああ…いつも張りつめた緊張感の中にいる僕に、潤いをくれる君はまるでオアシスのようだ」
そんなことをほんのり頬を染めながらつぶやいているのまで聞こえてしまった。
…オアシス、ねえ…
殿下に急ぎの決裁書類を見てもらおうと探しまくっていたフランソワーズは、踵を返すと、レンガ敷きの小道を姿勢よく、振り返りもせずに戻り始めた。
***
私たちがこんなことを始めたのはもうかれこれ5年も前からである。
当時、15歳になっていた私たちはもう政務を手伝っていた。どうしても西部の侯爵家の不正輸出の証拠を掴みたかった陛下に相談された。なかなかしっぽがつかめない上に書類の不備も見つからない。私たちは頭をくっつけて相談した。切り込み先は、ほんのちょっとの隙があればいい。
「殿下が侯爵令嬢を誘惑して、私との婚約を破棄してこの人と結婚したい、と言い出せばいいんじゃない?それで、公に調査が入れるじゃない?王子妃候補として適正か、ってね?」
そんなバカっぽい行動は嫌だと渋るマティアス殿下を陛下と一緒に説得して、その次の舞踏会に殿下が侯爵令嬢を踊りに誘うと、地位欲しさもあって先方さんはノリノリで、ぐいぐい来た。
もともと、殿下の婚約者としては身分が低い私を疎ましく思っている高位貴族は多い。たかが伯爵令嬢が…そう扇の陰で囁かれていたから。
王子、というニンジンは美味そうなのだろう。
王子の婚約者なんて実際のところは政務やら公務やらに追われて、休む間もない。
私は10歳から殿下の婚約者に据えられて、王子妃教育を受けたからまだましだろうが、これからあの厳しい王子妃教育を受けながら政務だの公務だのを並行してやりたいとは思わない。
それでもニンジン…いかにも王家、って感じの金髪に緑の瞳の殿下をぶら下げられたら…そりゃあ、かぶりつきたくなるってもんだ。多分。
その功あって、まんまと堂々と侯爵家に調査が入る。大成功である。
これに味をしめた陛下に、年に一度くらい、この茶番をさせられるようになった。
「次はこの家、ね?」
…ね?
社交界の噂話の入れ替わりは早い。調査の入った家が潰れたり、代替わりしたりするのは微妙にタイミングがずれるので、社交界の噂はいつのまにか消えていく。その後は殿下と私は何事もなかったかのように公務に出る。
女癖の悪い王子、と、嫉妬に狂うその婚約者の女。
皆様にそんな形容詞をつけて噂されるようになった。仕事がやりやすくなった、と思ったものである。マティアスは嫌がっていたけど。それでもちゃんと、お目当てのご令嬢を釣り上げていた。
でも。
マティアスが実際にターゲットを口説いている現場を見たのは、これが初めてだ。
今回は不正すれすれの商売を派手に展開して貴族位を買った男爵家。金があるのでその家の弁護士も会計士もいろんな意味で腕利きである。そのご令嬢。むちっとしていてさわりごこちのよさそうな…マナーなんかは伸びしろしかないような方だ。
書類を抱えて、ドレスの裾をさばきながら、フランソワーズは考えた。
今回、こんなことで私が動揺しているのは…今回のお相手が今までのご令嬢の様にわかりやすくギラギラしていないからだろう。なんだかのほほんとした方だ。それに…だから?オアシス…。オアシス、ねえ…。
殿下と私はもう婚約者としての付き合いは長い。同じ年だし、切磋琢磨して…この十年、どちらかというとライバル同士の様に仕上がってしまった。そんな私たちの間に、甘いささやきなんてものは存在しなかった。あんな風に見つめ合ったことさえない。王族との結婚なんてそんなものなのだろうと思ったし。
私の性格からいって、潤い、だの、癒し、だのはあげられそうにない。
王子妃教育の一環で護身術までこなしている私は、筋肉質で抱き心地も悪そうだ。
私たちは仕事仲間、みたいな夫婦になって…殿下はああいう感じの人を愛人にするのかもしれないな。
温室が見えない回廊まで来てフランソワーズは、ようやく足を止めて、一つため息をついた。




