初めての接客
何か起こるに違いない。
そうは思ったものの、小さな書店だ。しかも、辿り着ける人は限られているときた。やる事がない。暇だったら、買った本は読んでていいよと言われたのでそうしようかと思ったが、初日からは気が引ける。何となく、気分的な問題だ。
店内をぐるりと周ってみたが、発見はあまり無かった。意外とシリーズ物が少ない。燕作は3シリーズ見つけられた。パラパラと目を通して、そのうちの2シリーズには俺と優一がメインキャラとして登場していた。昨日とは別のシリーズでは俺は蛍ちゃんと呼ばれていて、彼方さんの呼び方はここに理由があるのだろうと思った。
シリーズ物が少ないのは、収集するときに何かあるからだろうか。今度聞いてみよう。
「こんにちはー」
ドアベルのカランという音と女性の声。お客様だ!
「いらっしゃいませ」
あくまで冷静に、はやる気持ちを抑えて定型句を口にする。
書棚の陰から姿を見せたのは、黒紫の和服の女性だ。こちらを見て動きを止めたので、首を傾げていると「誰?」と聞かれた。は?
「バイトですけど?」
何でそんなこと聞くんだろう? この店に制服は無いそうなので、私服だったのがいけないのか? 普通、初対面の人間に、そんなこと聞かないよな?
「バイト? ああ、優一くんがやめちゃったからか」
その言葉で分かった。この人は常連さんだ。で、この不思議書店で知らない人間がいたので驚いただけなのだろう。兄を知っているのなら話が早い。
「坂井優一の弟で、坂井蛍樹です」
女性はまじまじと俺の顔を見つめる。
「ああ、確かに似てる似てる」
似てる、とは偶に言われるものの自分ではよく分かっていないので、曖昧な微笑みを返す。
「昨日から働いてるんですけど、今日は彼方さんが本部に行っているので」
多分、貴女の方がこの店に詳しいですよ。という言葉は飲み込む。
「そう。なら、それだけ買わせてください」
それ、と言って指し示した方向には、頭に本を乗せた狸がいた。お前、どうやって頭に乗せたんだ。
驚いて固まっている俺に、彼女が教えてくれた。
「賢い子よね。お客さんの好みの本を持って来てくれるんだもの」
普通の狸では無いと思っていたが、これほどとは。彼方さん並のテレパスか。
「それじゃあ、お会計しますので、レジの方に」
狸から本を受け取ってレジに移動し、教わった通りに会計をすませる。
「有難うございました」
定型句を言って本を渡そうとして、固まる。あれ? ブックカバーとか袋とか説明もらってないぞ?
「狸さん、ブックカバーとか袋の場所知りません?」
足元で欠伸をする狸に聞くと、前足でレジ下の棚を指し示す。
「カバー掛けますか?」
女性に聞くと、「お願いします」と言われたのでサイズを確認し、手早くかける。ふふん。書店での買い物には慣れてるんだ。何度も見た動きだし、難しくは無い。
「お待たせいたしました」
今度こそ、とカバーを掛けて袋に収めた品物を渡す。
「有難う」
笑顔で言われて、心がフッと軽くなった。接客業が楽しいってのは、これか。
「彼方さんによろしく言っておいて」
カランコロンと草履を鳴らし、店を出ていく。
ドアが完全に閉まったところで、ため息が出た。緊張していたらしい。
「ありがとな」
相変わらず足元にいる狸の頭を撫でる。もっともっとと強請るように尻尾を揺らしながらじゃれついてきたので、遠慮なくモフモフする。そういやこいつの名前聞いてなかったなぁ。後で聞かないと。
その後しばらく、もふもふするのを続けていたら彼方さんが帰ってきた。
「ただいま。大丈夫だった?」
俺にじゃれついていた狸と、何故か俺の頭を撫でて聞いてくる。
「女性のお客さんが来ましたよ。黒っぽい和服の」
彼方さんにはすぐに誰か分かったようだった。
「ああ、筒ヶ井さんだね」
レジと連動しているらしいパソコンで何やら確認していたが、満足そうに頷いた。
「じゃあ、今日はこれで終わりでいいよ。お疲れ様」
日も落ちてきていたので有難くあがらせてもらう。
「お疲れ様でした」
それにしても、俺にバイト代払ったら赤字じゃないのか? でも、雇ってもらえたってことはバイト代払う余裕があるんだよな? ま、いいか。考えてもどうせわからないし。