月下のお茶会02
ティーナやジョックスの住む田舎の子守歌だった。幼い頃、まだジョックスが拾われて間もない頃、ティーナが歌ってくれた子どもをあやす歌だ。
限りなく無音に近い地下牢に、ティーナの歌声が反響する。
歌声が澄んでいるからだろうか。それとも幼い頃から聞いている、親しんだ歌だからだろうか。とにかくジョックスは心が安らいでいくのを感じた。
「……相変わらずですねぇ姫様は」
自分だけが焦っていてバカみたいだったとジョックスは思った。
ジョックスの唇に笑みが灯ったことを確認したティーナは、ふふ、と笑ってジョックスの頬をつついた。
「貴方も相変わらず手のかかる子だわ」
はは、と笑いを漏らすジョックスの目に、縛られて赤くなったティーナの手首が映った。途端、ジョックスは眉を寄せて奥歯を噛んだ。
「すみません、姫様。……俺がついていながら、こんな怪我させちまって……。姫様をこんな目に合わせるなんて、あいつら許せねぇ……!」
穏やかだったジョックスの目がみるみるうちに燃え上がっていく。ジョックスの怒りは、ティーナをこんな目に合わせたあの男たちと、半分は自分に向けられていた。己の不甲斐なさに腹が立つ。用心棒としての役割しか果たせないのに、それも出来ない自分に腹が立つ。それが余計にあの男たちへの怒りを募らせていた。
「本当に手のかかる子」
ティーナはジョックスの眉間に寄っていたしわを揉んだ。
「身体から溢れるほどの憎しみを抱くものではないわ。抱えきれない分は忘れなさい。貴方はわたくしさえ幸せなら、幸せでしょう?」
「今、姫様は幸せなんですか?」
「もちろんよ! わたくしはいつでも幸せよ。わたくしがわたくしである限り、わたくしは幸せなの。大丈夫よジョックス。今に幸運が舞い込んでくるわ。わたくし、昔から運は良いもの」
ティーナは大きな胸を張ってみせた。いつもの調子だ。ティーナは何があってもいつもの調子を崩すことがない。肝が据わっている、度胸があると言うべきなのだろうが、いかんせん幼く見えるからか、ただの向こう見ずのようにも思えた。
「敵わねぇっすねぇ、姫様には」
ジョックスはまたはは、と声を出して笑った。身体から余分な力が抜けていく。身体が弛緩するのと共に、ふぁぁ、と大きなあくびが零れた。我ながらこんなところであくびなど、とジョックスは心の中で己を笑ってやる。
「もう一度子守歌を歌ってあげるわ。ゆっくり休みなさい」
いや、と断ったが、いいから、とティーナは歌い始めた。
綺麗な歌声だ。目を閉じればここが牢の中だということを忘れるくらい、心の安らぐ歌声だった。
キィィィ……
ティーナの歌声に金属の扉が動く音が重なった。コツコツという足音もする。
ジョックスはいつの間にか閉じていた目を開け、ティーナは歌うのを止めた。
「素晴らしく素敵な歌声につられてきてしまったよ。やぁ。ようやく会えたね若草の君。貴方が消えてしまう前に会えて良かった」
牢の前に立ったのは、鳶色の髪を右側だけ編んでまとめた男。服の色は赤とまた派手だが銀の仮面はしておらず、整った顔が露わになっていた。
「……小鳥は元気?」
問いかけると鳶色の髪の男はにっこりと笑みを深くした。
「えぇもちろん。今は籠の中で羽根を伸ばしていて会わせてあげることは出来ないけれど、代わりにこんなものはどうかな? きっと気に入るよ」
掌を見せて何も持っていないことを強調した右手を握り、くるりと回す。すると何も持っていなかったはずなのに、男の手から鍵が出てきた。
「素敵な芸ね」
「お褒めに預かり、光栄です」
こんな時でもティーナは男を褒めた。
「逃がしてくれるってわけじゃねぇっすよね?」
代わりにジョックスが警戒して問いかける。すると男はにこりと笑った。
「まさか。今はまだ第一幕の序章が終わったところ。逃がすにしても、もう少し後でないと盛り上がらない。私がここに来たのは、若草の君と話がしたいという、寂しい一人の男のためなのさ。若草の君。これからその男の元へ案内しよう」
キィ、と牢の鉄格子が開く。
男は左手を出していた。まるでダンスに誘うかのように。
ティーナとジョックスは顔を見合わせた。
「もちろん、大木くんも来てくれて構わないよ。さぁ、若草の君。身の毛もよだつ楽しいお茶会に招待しよう」
芝居がかった声色で男は言った。
もう一度顔を見合わせてから、ジョックスはゆっくりと立ち上がった。もちろん、腕にはティーナを抱えている。
鳶色の髪の男は満足そうに笑い、二人を先に行かせて後ろについた。
牢を出たところにあった鉄格子の扉を越えると円形の広い場所に出た。壁や床は牢と同じように岩で出来ていて、天井がとてつもなく高い。思わず見上げた視線を壁に沿って下ろしていくと、壁に沿って長い階段が造られていることに気づいた。婉曲した壁にぐるぐると階段が貼りついている。ここまで来るときに降りてきた階段だろう。暗いということもあって上の方は真っ黒で何も見えないが、階段の先は外へ繋がっているのかもしれなかった。
鳶色の髪の男以外、他に誰もいない。逃げようと思えば逃げられる。ジョックスにはそんな状況であるように思えた。
ジョックスはちらとティーナを見たが、ティーナは前を見据えていた。
「右に通路がある。まずはそこへ」
言われた通り右を向いて進んでいくと通路があった。ジョックスはゆったりとした足取りで通路に足をかけた。
通路は狭かった。身体の大きなジョックスがなんとか一人通れるぐらいの広さしかない。それでいて随分複雑に造られているようだった。十歩も歩かないうちに道が分かれるのだ。しかもどれも目印がない。
「私の言った通りに」
道が分かれる度、男は後ろから指示を投げた。
右、左、右、右、左、真っ直ぐ……何度も指示を受けて何度も曲がったりそのまま直進したりする。一度通った道なのか、それとも初めて通る道なのか、戻っているのか進んでいるのか、進んでいるにしてもどの方向に進んでいるのか、まるで分からない。男がこの道の全てを理解して目的の場所への最短ルートを指示しているのか、それとも適当に歩かせてジョックスを疲れさせようとしているのか、それも分からない。
分からないことが多すぎて頭がこんがらがってきたジョックスは考えるのをやめた。元から考えるのは向いていない。なんとなく、ティーナが言っていたことが分かったような気がした。今はまだ、分からないことが多すぎて何も出来ないのだ。
十分前後歩いた頃、ようやく狭い道の終わりが見えた。
ランプの橙色の光ではなく、月光が差している。近づくにつれ、その場所が外であることが分かった。
「あら、素敵じゃない」
ティーナが嬉しそうな声を出す。
銀色の月光に白い布のかけられたテーブルと椅子が照らし出されていた。テーブルの脇にはワゴンがあり、その上にはティーセットが置いてある。
「若草の君と彼の人のためにあつらえた席さ。気に入ってもらえたようで何よりだよ。さぁ座って。月下のお茶会を始めよう」
月の下でのお茶会の席、と言えば聞こえは良いが、お茶会の席が用意されている場所は岩に囲まれている。岩肌は丁寧に磨かれているので登れそうもなく、圧迫感こそないが逃げられそうもなかった。もしあの入り組んだ道を通って逃げてきた結果、ここにたどり着いたら絶望するとジョックスは思った。




