それぞれの願い事02
「こちらです」
先導して歩き始めたレリアンについて円形の場所に出る。レリアンはところどころ橙色の蝋燭の灯る広場を突っ切り、ほとんど反対側まで歩いた。そこには岩肌をくり抜いた出入り口があり、道が続いていた。昨日通った迷路のような狭い道よりは広く、歩きやすいが、暗いのは相変わらずだった。
「ここが大浴場です」
レリアンは大きな両開きの木の扉の前で止まり、金属の取っ手を押した。
壁も床も岩でできた部屋に比較的多くのランプが灯されている。扉の直線上には岩をくり抜いたアーチ状の出入り口があり、そこから湿っぽい熱気が流れてきていた。
「すでに湯は溜めてあるのですぐに使えますよ。お召し物もこちらでご用意いたしました。どうぞ、使ってください。私はここで待っていますね」
にっこり、優しく笑うレリアン。ジョックスは部屋の中に入り、奥の湯の張った部屋も見て一通り危険がないか確かめてからティーナを降ろした。
「それじゃぁわたくしはお風呂に入るわ。ジョックスはレリアンと一緒に扉の前で待っていてちょうだい」
「分かりました。何かあったらすぐに呼んでくださいね」
「えぇ」
いつも行動を共にしているとはいえ、さすがに風呂を共にすることはできない。ジョックスとしては何かあるかもしれないので誰かと一緒に入ってもらいたいのだが、ここにいるのはジョックスとレリアンの男二人だけだ。女性の入浴に男性がついていくのは憚られる。そもそもティーナも拒否するはずだった。いつもはジョックスではなく、ララが付き添っている。
ララがいてくれれば……。ジョックスは頭の中にララの姿を思い浮かべた。この時ほど、ララにいてもらいたかったと思ったことはなかった。
バタン
扉が閉まる。深呼吸し、扉に背中を向けて仁王立ちしたジョックスの左隣にレリアンが並んだ。
無言。
沈黙。
二人とも自ら話そうとしない。
居心地が悪い。なんとなく苛々する。ジョックスは踵を小刻みに揺らした。
「貴方は、良家の生まれではないようですね」
視線を下げるとモノクル越しにレリアンの目と合った。
「見りゃ分かるだろ」
素っ気なく答えるジョックス。レリアンは「そうですね」と困ったように笑った。
容姿は悪くないが、言葉遣い、態度、素行、どれをとってもジョックスは平均以下だ。これでもし良家の生まれであるならば、何をどう間違えたのかと問われるところである。
「貴方のような人が、どんな縁があってメレズディ家に仕えているんですか?」
ジョックスが眉を寄せて睨みつけると、レリアンは困ったように笑った。
「すみません。メレズディ家は貴族としての歴史は浅いですが、領主としては長いでしょう。そんな良家に仕えるにはあまりにも蛮行が過ぎると思いまして。気になったんです」
言い方は柔らかいが、言葉は辛辣だった。それでもジョッスは怒らなかった。よく言われるということもあるが、自分でよく分かっているからであった。
レリアンの問いに答えるつもりはなく、ジョックスは口を噤んでいた。しかし、気まずい空気がそうしたのか何なのか、結局ジョックスは小さくため息を吐いて口を開いた。
「……拾われたんだよ。よくある話だろ。貴族様が何の気の迷いか、その辺の孤児を拾って育てるってのは。俺もその一人だっただけだ」
「聞いたことはあります。ですが、目にするのは初めてなんですよね」
珍しそうにレリアンは下から上にジョックスを見た。好奇の目には慣れているが、レリアンのような純粋な興味の目には慣れておらず、ジョックスはむず痒い気持ちになった。口がへの字に曲がる。
「本当にそんなことってあるんですね。どうして貴方を拾ったのか、ラルク様に聞いてみたいものです」
「ラルク様に聞かなくても俺が知ってる」
「聞いたんですか? そういうのって繊細なことですよね……。よく、聞く勇気がありましたね」
感心したように頷きながら言うのでジョックスはため息を吐いた。
「俺は繊細ってタマじゃねぇよ」
「見れば分かりますね」
ジョックスがレリアンを見る。レリアンはにこっと笑った。視線を正面に戻しながら「まーな」とジョックス。
「どうして貴方は拾われたんですか?」
「くだらねー理由だよ」
「知りたいんですよ。そのくだらない理由とやらを。ほとんど友人と言える存在のいない先代国王が唯一友人と呼ぶラルク様が、どうしてくだらない理由で貴方を拾ったのか興味があるんです」
ジョックスは数秒沈黙した。隠したかったわけではない。ただ、本当にくだらない理由のため、言うのが躊躇われただけだった。
「……姫様の誕生日プレゼントだそーだ」
ぼそり。ジョックスは言った。
レリアンを見ると、彼は目を大きくして瞬かせていた。
「誕生日……プレゼントですか?」
信じられない、という様子である。しかしこれは紛れもない事実だった。
「そーだ。俺は誕生日プレゼント。ラルク様が姫様に何か欲しいものはないか聞いたんだと。そしたら、馬車の外を見て一言。『アレがほしい』それが俺だったってだけの、くだらねぇ話だよ」
ジョックスは当時のことを思い出す。
ある町で、目の前を通り過ぎる馬車を見ていた。
親はおらず、育ててくれる大人も頼れる大人もいない孤児だった。食うのに困り、寝るのに困り、着るものもなく、ぼろぼろのぼろを着て、道の隅で寝て、食い物を盗んで一日一日を過ごしていた。
いつ死ぬかも分からない。
生きている心地などまるでない。
ただ必死に、一日が過ぎるのを待つ日々。
その日はうまく食い物にもありつけず、いつも以上に苛々して、目の前を通り過ぎる人々や馬車を睨みつけていた。するとある一台の馬車が目の前で停まり、こちらにおいでと、上等な服を着た初老の男が手を差し伸べて来たのであった。それがラルク・メレズディだった。
「俺は犬でも拾うみてぇに拾われて、犬でも与えるみてぇに姫様に与えられたのさ」
レリアンはジョックスの横顔を注意深く観察した。言葉は自嘲気味だが、ジョックスの言い方や表情には己を卑下しているような様子は見られない。
「貴方はそのことに対してどう思っているんですか?」
あんた、すごく聞いてくるけど何なんだ。そうジョックスが眉を寄せると、レリアンは貴方に興味があるからですよ、と返した。
「まぁ別に隠すことでもねぇから話すが。暇つぶしになるしな」
ジョックスは話を続けた。
「拾われた時はそりゃいろいろ思ったし、足りねぇ頭でずいぶん考えたが、理由を知ったら拍子抜けしたよ。あまりにもおかしくて。だって有り得ねぇだろ。誕生日プレゼントに俺みたいな孤児を欲しがって、しかもそれを与えるなんて。貴族って変な奴だと思ったよ。そんでどーでもよくなっちまった。それまでの悩みとか、不安……とか、消えて、ただ、ここで生きていこうって思ったんだ」
言ってからジョックスは「俺は何を言っているんだ」と一人で突っ込み、恥ずかしそうに口元を大きな手で覆った。




