はち ありがとうの気持ち
言っておくが、俺が彼女、すなわちユウへグに手を出すなんてことは、天と地がひっくり返っても有り得ない。
天と地が入れ替わって、その間を豚が飛んでも、有り得ない。
俺にそんな変態趣味はないし、仮にあったとしても、その行為は、あまり褒められたことでもない。
世間からバッシングを受けて、作家生命が立たれるなんてことだって、昨今の社会、あるわけなんだし、それこそ御免だ。
俺は真面目な人間だからな。
真面目に生きている人間だからな。
「ツレないですね。私はいつでもウェルカムですよ」
俺はゲンコツを振り下ろした。
話を戻して。
俺だって、一社会人である。
社会常識はキッチリとわきまえている。
『つもり』では決してない。
それが大人ってやつであり、ちゃんとしているということなのだ。
確かに俺は未婚であるが、そこまで落ちぶれてもいない。
そもそもの話、俺は無欲なのだ。
俺は真面目であり、また無欲で、堅実に夢を追い求めている人間でもあるのだ。
「私も無欲ですよ。ヒーメンに関するアレコレの望みは持ち合わせておりません。どうぞ、お好きな時に突き破ってくれて結構です」
俺はゲンコツを振り下ろした。
話の軌道修正をして。
俺をそんな、ヒセンな男だとは思わないでほしい。
作風だって至って真面目だ。
真面目な小説を、真面目に書いているのだ。
濡れ場も書かないことはないが(そして、濡れ場を武器にしている作家を無闇に下に見ることもないが)、それで読者を乱雑にカキ集めるようなことはしない。
キ真面目に、子供から大人まで読めるような創作をしていくのだと、心に決めている。
それこそ、いつかユウへグにも読ませてやりたいものだ。
「官能小説はお書きになられないのですか? 私、官能小説だけは読むんですけど」
俺はゲンコツを振り下ろした。
痛そうだが、俺の拳もちょっとだけ痛い。
「その事実を聞かされて、俺はどんなリアクションをとればいいんだよ」
「私を押し倒すとか」
俺は再度、ゲンコツを振り下ろした。
何回目だろう。
「脈絡も無茶苦茶なうえに、悪い方向じゃねえか」
「痛いです」
「お前の発言がな」
あと拳。
右手の。
「暴力には反対です。反対します」
見れば、やや涙目だ。
どんなに凄かろうと、今の彼女は、子供以外の何者でもないらしかった。
「悪かった。謝らせてくれ」
「誠意が感じられませんね。むしろ、鉄面皮な部分が強調されています。もっと他の言葉をください」
「奴隷という肩書が嫌になったか?」
また、黙ってしまった。
彼女は俯いて、唇を噛み、なおも黙ったままである。
「俺が給料やるって言ってるのに、どうして受け取らない」
「いらないからです」
「いらないとか言うなよ。俺の、ありがとうの気持ちだぜ?」
ハッと、彼女はこちらを向き、何かを言おうとしているか、口をパクパクさせる。
俺は彼女の言葉を待った。
待って、待って、待って、待った。
「そう……ですよね。言われてみれば、そうでした。そうでした。ええ、そうです。……ありがとうの気持ち……ないがしろにしてしまって、申し訳ございません……」
「そう気を落とすなって。分かってくれれば、それでいいよ。金って、そんなに汚れたものじゃないからさ」
「はい……」
彼女がこの家で働き始めてからの、最初の給料日が、本日となった。




