イストレアの外交官
レドギアの南東の方角。ここは東部諸国と連なる国境線がある。
レドギアの東に面しているのはレナート公国とリオン公国の二つの小国が縦に並び、その奥にレドギアほどの大きさのイストレア王国があった。
大きな河川に挟まれた広大な高台の地に建国されたイストレア。河川の氾濫の被害も高台のため受けにくく、むしろ、その両河川の恩恵を最大限に受けることができ、非常に肥沃な国土を持っていた。
また、その地理的側面から外敵の侵略を受ける事もなく、この時代に稀な平和を謳歌する国であった。
さらに西の隣国であるレナート、リオンの両国を服属させ、東のトロント大公国、北のホルス王国とは強力な同盟関係にあり東部諸国西方の盟主的な存在でもあった。
イストレアを治めているのは「王妃」イレーヌである。夫であったイストレア国王が亡くなって以来、イストレアを治めていた。
彼女は緩やかな税制と農法の研究、および治水事業を積極的に行うことで、主要産業である農業を発展させる一方、国民の教育に力を入れ、無料の初等教育機関を作るなど、その政策はイストレア史上、歴代一の名君としても誉れ高い。
イレーヌは年の頃三十代半ば。若くして年の離れた夫を亡くし、かれこれ10年以上、政務をとっている。美しい金髪。男好きする豊満な身体つき。そしてその失われていない清楚さと、そこから滲み出しているなんとも言えない色気。
そのため近隣諸国の王族、貴族からひっきりなしに誘いの声が上がっていたが、自ら為政者としての立場、そして母としての立場を考え、数多くあがった縁談の誘いは全て丁重に断っていた。
彼女には子が二人いる。
双子の姉弟、エストリアとエリオットだ。
ともに年は十代半ばである。
姉のエストリアは母譲りの美しい金髪、美貌そして豊満な肉体をもつ。多少高飛車なところと男勝りなところがあり、自らは武芸に興味を持ち、常日頃槍を片手に修練する姿が見られた。
対する後継者たる弟のエリオットは元来身体が弱かった。茶色の癖っ毛を持ち、ほっそりとした身体つきをしていた。あまり外に出ることを好まず読書を好み、よく学問をする姿が見られた。
本来後継者たるエリオットが病弱なため、イレーヌが国の舵取りをせざるを得ないのであった。
◆
「という事はホルス王国がドルマディアに、そしてトロント大公国がバイゼルドに面する事も時間の問題……ということですね?」
「御意。この二国の野望は恐らく東部諸国の統一……来年にはこの二国に攻め上がってくるのは間違いないかと」
イレーヌの質問に答えたのは、イストレア王国で筆頭外交官を務めているアルフレドだ。
彼の仕事はイストレアにおいての外務の全て……外交や情報収集などの全権を握っている。
優秀な内政官を多く抱えるイストレアにあって、若くして筆頭外交官にまで上り詰めた俊才である。
年の頃は20代半ばほど。金色の髪、そして翠の瞳が印象的な美青年だ。
彼は元々イレーヌの血縁者である。だが、彼の生い立ちは複雑だ。早くに両親を亡くし、様々な苦労を経験した。しかし彼はそこで腐らず努力を続け、そしてイストレアの役人として登用されたのである。縁故を利用するのではなく実力で。
それ以後、彼は己が才覚だけで今の地位まで上り詰めたのだった。
イストレア、ホルス、トロントの三ヶ国の同盟をまとめ上げたのは彼であり、また他にも彼が他国とまとめ上げた条約は数多く存在する。
イストレアが強力な軍隊を持たずして、周辺諸国との戦さを回避し、今の繁栄があるのは彼のおかげと言っても過言ではないほどだ。
しかし
「ドルマディア、バイゼルド……両国とも外交ではなんともできません。交渉のテーブルにもついてくれませんでした……」
そう言うとアルフレドは下を向いた。
彼はいち早く東部情勢を把握すると精力的に動き始めた。
彼が特に気にしたのは新興国であるドルマディア王国とバイゼルド公国の動きである。
新興国であるドルマディア。ここの主力はゴブリンやオーク、オーガといった魔獣達であった。
その将も魔人が多く、さらには妖魔貴族もいるという情報もあるほどだ。
東部諸国北方の小国を奪った後、ドルマディア建国を樹立。その後破竹の勢いで勢力を伸ばしている。暴行略奪と暴虐の限りを尽くし、支配された国々の人族は奴隷のような生活を送っているらしい。
とくに武力にて侵略をした国は徹底的に破壊と暴虐の限りを尽くすと言われている。
そしてこの王には噂がある。それは……
「ドルマディアの王、ドルマゲス……彼は恐らく人ではありますまい……噂通り……彼はオークキング。魔獣の王でしょう」
「魔獣の王……そのような事があるのですか?」
「文献を見てもそのような例があります。家臣も魔族……しかもゴブリンの様な下等魔族が多く、彼の国に行った時もあまり気持ちの良いものではありませんでした」
そう言って、アルフレドは唇を噛み締めた。
アルフレドは何度か彼の地に行き交渉を図るのだが、言われるのは一辺倒の答えだ。
降伏か。侵略か。
そしてその降伏の条件も到底飲むことのできない内容であった。
またドルマディアだけではない。現在イストレアにはもう一つ頭を悩ませる国が存在する。
それがバイゼルド公国である。
「バイゼルドの新王ザッカード……彼は人族なれどその性は粗野にて蛮勇を誇ります。獣が人の皮を被っている……という印象を受けます」
「確か……父君やご兄弟に手をかけて王位を奪ったと聞いていますが」
「その様です。先王は彼の圧倒的な武力とその荒い性格を恐れて、追放していたそうですが……親兄弟を殺し、王位を簒奪した模様です。こちらは人の形をしておりますが……中身はドルマゲス王となんら変わりません」
バイゼルドは東方の名門国家として有名である。精強な騎士団を有し、東の強国として名を馳せていた国だ。東方統一を可能とする軍事力を持つが、彼らがそれを行わなかったのは、その気高き騎士道精神からであると言われていた。
先王エーベルハルトは誇り高き武人として知られる名将であった。侵略は行わず義に厚い……まさにバイゼルド騎士団を体現した様な人物である。彼の子達も同様であった。ただ一人を除いては。
ザッカードはエーベルハルトの次男である。生まれつき気性の荒い性格であり、民や家臣達に対しても粗暴な態度を取るため、度々エーベルハルトから叱責をされていたほどだ。
しかし彼には……兄弟の誰もが……そして父の持ち得なかったものをもって生まれてきたのだ。それは……
圧倒的な武勇。
まるで獣を思わせるような圧倒的な武勇をもち、彼が戦場に出れば戦況が覆るとまで言われていた。
彼の武勇はバイゼルドにとって貴重なものだ。しかし、その反面非常に危ういものでもあった。
エーベルハルトは扱いに困り、そして彼に、監視を付け南方の砦に送り出したのだった。
だがその3ヶ月後、不満を募らせた彼は王に反旗を翻し持ち前の武勇であっという間に都を制圧。親兄弟を弑逆し、王位を簒奪したのだった。
「それ故に彼は『簒奪王』と呼ばれております。彼が王位に就いた後、バイゼルドは侵略国家となりました。民衆を恐怖政治で抑え、意に反するものを全て殺し、その精強な軍団をもって各地を侵略していったのです」
「あの誇り高きバイゼルドが……」
「以前の面影はありませんでした。ザッカード王とも面会しましたが……答えはドルマゲス王と変わりがありませんでした」
彼が提示したのはやはり同じ条件。
降伏か、死か。
「恐らくかの御仁達は東方の制圧が目標。そのためこのイストレアもいずれは戦火に巻き込まれるでしょう。イストレアは現在、軍事力が無いに等しい……それ故に別の手を考えなければなりませぬ」
「必ずきますか?」
「間違いなくきます。しかもそう遠い未来ではなく、数年後……という近い未来で」
アルフレドの言葉にイレーヌは美しく整った眉をしかめる。元来イレーヌは戦さを好まない。しかし……否が応でも巻き込まれるのは必然である。
アルフレドはイレーヌの表情を見て、話を変えた。
「陛下……西国レドギアが落ちた話を聞いた事がありますか?」
「アルカディアがあっという間に制圧した話ですか?それは聞いていますが……」
「あの4ヶ国をわずか一月で制圧した将が今の領主だそうです」
そしてアルフレドはここぞとばかりに力を込めて言葉を続けた。
「領主に任じられたのはアレス・シュバルツァー辺境伯。私はあの二国に対抗するため、この方の力を借りることを進言します」
「しかし……それはアルカディアの進行を促すだけなのでは……」
「確かにそうかもしれません。しかし、今回併呑された王たちは彼によってアルカディア列侯に任ぜられ、国は形を変えるも命脈を保っております。また、彼は義に厚く、民に優しい為政者とも聞いております。きっと悪いようにはしないはずです」
イレーヌは表情を変えずアルフレドを見た。
自らの血縁者であるが……この男になんどこの国は助けられたのか。それは分からない。今回もそうだ。きっと状況を自分で判断しイストレアが最も良い様に決断を下すであろう。
イレーヌにとって1番大切なのは自国の民であり、この美しき国なのだ。自らはどうなっても構わないとも思っているがこういう状況で自分で判断をすることは不向きである事も理解している。なら。
「分かりました。貴方にこの国の命運を託します。私はどうなろうと構いません。良きに計らってください」
「ありがとうございます。必ずや、この同盟まとめてみせましょう」
アルフレドはそう言うと、恭しく頭を下げて退出するのであった。
◆
イレーヌとの面会の帰り道。アルフレドは帰路の道にて考える。
彼は義理人情に厚く、イストレアきっての忠臣である。
しかし同時に打算的な計算も行える男だ。
今回ドラマディア、およびバイゼルドの降伏条件。その中の一行に彼がどうしても許せない文字があった。それは……
〈東方の白百合として名高い、王妃イレーヌ、および王女エストリアが王の『性奴隷』となること〉
という一文である。
アルフレドは彼女らの血縁者であり、そしてイレーヌに対して多大な恩がある。
それ故にこの一文は何が何でも許しがたいものであった。
と同時に……別の観点からも彼は考える。
恐らくこの事を告げればイレーヌは民を守るために身を捧げるかもしれない。しかし仮にそうやって降伏しても彼らでは国と民の安定を保証してもらえないとも思っている。
現に降伏した国が食い潰された例も両国ともあるほどだ。
なら……彼女らを『担保』にしたら確実に国を守ってもらえるような人物を味方に引き入れたいいのではなかろうか?と。
アレス・シュバルツァーは、情報では縁ある女性達を全て妻にして責任を取るような男である。となれば、彼と縁を結べば彼はイストレアを守る事だろう。
アルフレドはそう考え、溜息をつく。
「なんか、考えが本当に最低になってるな……」
と。
だが同時に思う。今は戦乱の世。何がどうなるか分からない。なら……どんな手を使っても国が、民が、そして主人が幸せになるべき道を考えなければいけない……と。
「まずはグランツに行こう。そして辺境伯殿の人となりを見なければ。あぁ、何年ぶりだろう、あの国に行くのは……」
そう呟き、アルフレドは今後の国の行く末に想いを馳せるのであった。




