五の月・若葉萌ゆ月
五の月、若葉萌ゆ月の休息日がやってきた。毎月、十の休息の日、村の住人は昼前に教会に集まる。王都から来た神父の話を聞き、共に祈りを捧げるのである。
その昔、この世界を作り、生きとし生ける全ての物をお作りになった神、モーベロン様。今日の神父の話は、世界の始まりとモーベロン様のお話である。
「遙か昔、神代と呼ばれた頃、何柱もの神々がおわしました。在ったのは神々のみで、世は光すらない混沌でした。そして悲しきことに、神々は争ってばかりでした。
誰が光となるのか。拠り所となる大地、揺り籠となる海、全てを見守る空は誰が司るのか。命ある物の始まりを生み出すのは誰か。
折り合いはつかず、延々と争いが続きました。永く醜い争いを憂いた、ある一柱の神が、争いを止め、話し合うことを説きました。しかし、誰も耳を傾けませんでした。神は嘆きました。
ああ、我が口がもっと大きければ、我が声が届くものを。
その強い思いにより、口はみるみる大きく開きました。神は声を出そうと、息を体一杯吸い込みました。その勢いは凄まじく、争う全ての神々を飲み込みました。こうして唯一となった神こそ、真の神モーベロン様なのです」
モーベロン様を唯一神とする木教は、オーキー国の公的宗教で、国民は信徒となる。大きな街の教会では木彫りのモーベロン像を奉り、祈りを捧げることで平穏な生活が守られると神父は説いていた。
「我らが国王様の祖、真の神モーベロン様に共に祈りましょう。ヨコラ・ショー、合掌」
「「「ヨコラ・ショー」」」
神父の説教後、皆で合掌をする。目を閉じ手を合わせ、合わせた手に額をつけるのがお祈りの姿勢。暫くして神父が手を叩くと、それがお祈り終了の合図だ。
お祈りが終わると帰る者、少し話をし合う者、神父の所へ向かう者など好き好きに動き出す。
「神父様、先日はありがとうございました」
「怪我の具合はいかがですが?」
「はい、もうすっかり傷は跡形もありませんでして。神父様の治療魔法のお陰です」
「モーベロン様の御術ですよ。これも選ばれし者の務めですからね」
「神父様、すみません。この子の傷を治してやってくれませんか」
小さな子を連れたおかみさんが、神父に話しかけてきた。子は右腕に切り傷をこしらえ、血は出ていないものの、赤く腫れ上がっていた。
「おや、痛いでしょう、かわいそうに。直ぐに治りますからね」
神父は右手を傷に翳し、左手に南十字のペンダントを握ると祈りの言葉を口にする。
「偉大なるモーベロン様、我々に癒しの御術をお与えください。御使い・モックスプナタリオンをお使わしください」
神父の右手のひらがうっすらと輝く。すると傷は見るまに薄くなり、健康的な肌色になった。
おかみさんと子は神父に礼を言い、神父はまた『選ばれし者の務めだ』と返していた。
「僕も大きくなったら神父様みたいに魔法を使いたい」
傷を治してもらった子は無邪気な目をして言った。神父は微笑んだまま眉を少し下げ、ゆっくりと自分の服をちらりと上げた。見えた神父の左足首には、あざのような点が二つ付いている。
「これは聖獣モックスプナタリオンの噛み跡です。これが魔法の力を持つ者の証なのです。選ばれし者が魔法の力を授かり、王都の魔法学園で学業を収めてやっと治癒魔法が…」
モックスプナタリオンとは、木教の経典に登場する、白い毛並みの神獣である。細身の山猫のような身体に、足は鳥。翼と長い尾羽を持つ。牙に聖なる力を宿し、モーベロン様が選んだ人間に噛み付き、力を授けると経典には記されている。
「神父様、モックスプナタリオンを見たの?」
「物心つく前にすでに噛み跡がありましたからね、残念ながら見ていないのですよ」
「こら、神父様を困らせちゃダメでしょ。モックスプナタリオンの噛み跡もないし、魔法学園には家柄のいい方しか入れないんだから」
子はおかみさんにたしなめられ、渋々といった顔で帰っていった。
神父は暗に普通の子は魔法など使えないと言っていたのだが、まだ小さい子供には伝わらなかったようだ。魔法学園の門戸は庶民には開いておらず、爵位のあるような身分の高い家に生まれ、モックスプナタリオンの噛み跡のある魔法の力を持つ者に限られる。実の所、国の端っこの辺鄙な村に来ているとはいえ、神父は貴族の出身であった。
『神父』という存在になれるのは本当に一握りなのである。
王都から来た出自も良い、子共たちに勉強を教えてくれ、不思議な力を持って癒してくれる存在。
多少『選ばれた存在』との自負が態度に出るが、村人達は信徒として教会に通うのも、神父が怪我や病の治療をしてくれることも大きかった。