その6
教会には大体の村人が集うが、ボンジュはあまり教会へは来ない。ネオ一人で教会の日に来ていたが、いつも思うことがある。
神様は本当にモーベロン様だけなのだろうか。
暖かな太陽、冷たい雨、厚い雲に輝く月。山に川、草木や花にも命があって、それを見守るのが神様だとしたら、それぞれに神様が居るのではないのか。神父の話を聞く度に思考のズレは大きく軋む。
「神父様」
村人が帰り、神父の周りから誰もいなくなった頃、ネオは常々思っていた疑問をぶつけた。
「神様は本当にモーベロン様しかいないの?」
「おや」
神父はいつもの穏やかな顔でネオの方を見た。
「ネオ君はどうしてそう思うのでしょう」
「森も山も空もお日様も風も、皆全然違うでしょう?僕たちみたいに一人一人違うのと同じように。だから、一人だと思えなくて…」
「森羅万象、世界の全てがモーベロン様なのです。今日のお話にもありましたように、神々を取り込んだモーベロン様には万物を司る力があるのですから」
「でも…」
「ネオ君」
神父の答えに納得の出来なかったネオは言い募ろうとしたが、ぴしゃりと制された。
「子供と言えど、他に神が存在するなどという邪な思想は口にしてはいけない。邪教や卑しい文化の信奉は罪人の所業です。相応の罰を受けることになりますよ」
分かりましたか、と言う神父の目は氷のように冷たかった。大罪を犯した者を見る目だった。
他に神様が居るんじゃないかと思うのはそんなにいけないことなのだろうか。これ以上、この話をしてはいけない。聞いてはいけなかった。手先が、足先が、頭の天辺が寒々しい。体の中心に向かって熱が降りていく。ネオは頷くことしかできなかった。
「よろしい。誤った道を正すことも私の役目ですからね。木教を信じていれば安寧が約束されます。ではまた、教会学校で待ってますよ」
神父はまた穏やかな顔で言った。ネオはとても嫌な気分だった。早く教会から離れてしまいたかった。神父に一礼し、俯いたまま外へ出た。
心臓が不規則な脈を打つ。気味の悪い汗がじわりと手に滲んだ。世界を作った偉大なモーベロン様。今が平和なのもモーベロン様のお陰。神父の教えは木教が絶対、正しいという考えの押しつけのようで、口の中が苦くなった。
神様とは何なのだろうか。
神父は言った。邪教は罪で罰を与えられると。モーベロン様が全てを司り、世は平和で人々は幸せなのだと。少なくともネオはモーベロン様のご加護を感じたことはなかった。皆は本当に教会の話を信じているのだろうか。しかして、それを聞くのはいけない気がした。誰かが神父に言ってしまうかもしれない。
―――教会にはもう行きたくない。
気分が沈む。これからやらなくてはいけないことがあるのだ。ボンジュのために刺す刺繍。ネオは気持ちを切り替えるために歩き始めた。目指すは誰にも邪魔されない、こっそり内緒の事をするのにお誂え向きの場所。
村の横を流れる小川に沿い、上流に向かって歩く。小さな雑木林を横目に過ぎると、香る草の青い匂い。夏の匂いが風に乗って広がっていく。日の光を受け山の緑は瑞々しく輝き、淀みない川面は絶えず煌めきを返していた。川から顔を出す岩がだんだんと大きくなり、辿り着いたのは、以前ダヒルとトカゲ釣りに来た辺りだ。
丁度岩に囲まれて人が来ても見つかりにくい。岩肌の張り出した所は物を置くのにぴったりだ。木の葉の隙間から溢れる光が手元を照らしてくれる。
ここに来るまでに教会での嫌な気分はほとんど消えていた。
リボンの模様、どんなふうにしようか。好きな花にしようか。好きな鳥にしようか。
あれこれぐるぐると頭を巡るが、どれもイマイチ決め手に欠ける。うんうんと考えていると、ボンジュが自分で作ったという、花嫁衣装のことを思い出した。薄く美しい布に施された、不思議な模様。その中で気になったお日様のような形。それを何故かネオははっきりと覚えていた。
…よし、それにしよう。
ズボンのポケットからリボンと裁縫道具を取り出し、岩の上に広げた。トルコスから買った裁縫道具は、小さな金属製の缶に入った、針が3本と銀色の小さな鋏。鋏は鳥の形を模していた。刃の部分を嘴に見立てており、愛らしい。ネオは針に淡黄色の糸を通し、見様見真似で木綿のリボンに刺していく。糸巻きの仕分けをしながら、ネオはずっとボンジュの刺繍の手運びを見続けていた。ボンジュに刺繍を施したリボンを贈ろうと決めてからは、それはもう目を皿のようにして。それでも…
「…難しい。何か思ってたのと違う… いって」
線が曲がる度に糸をほどき、何度も絡まる糸に悪戦苦闘し、針で指を突きながらもネオは諦めなかった。綺麗な線が刺せると嬉しくなった。それに確か、ボンジュも言っていたはずだ。大切なのは、身に付ける相手を思う気持ちだと。
「ばあちゃんが、喜んでくれますように。笑顔になってくれますように。ばあちゃんを、元気を奪うものから守ってくれますように…」
日差しの中、ネオの体はうっすらと光っていた。刺繍に熱中していたネオは、その事に気付かなかった。




