第5話 娘は魔女の生まれ変わり
ミラハもセレネムも居なくなった執務室で、ウルアザは一人ふぅとため息をつく。
思い出すのは、忘れもしない、3年前のあの日のこと。
あの日、娘のミラハは変わった。
まるで急に大人になったかのように、子供特有の遠慮のなさというものが消えた。魔法の訓練や剣技の訓練をするようになった。わがままを言わず、勉強もするようになった。
もちろん、キュートで可愛さ1200%の笑顔で自分をお父様と呼んでくれることに変わりはない。
しかし、その笑顔の裏には苦悩がある。関係が良好な侍女にも、両親にも、そして仲の良い兄にも言えない苦しみがある。
そのことを思うと胸が締め付けられるような思いだ。
ミラハの父、ウルアザは娘のことを思うたび、悲しさで胸があふれかえっていた。
一部で冷酷卿なんて呼ばれているほど悪人顔のウルアザだが、娘の運命を憐れむ今この瞬間はきっと腑抜けた顔をしているのだろう。
「黒紅魔女の呪詛か……」
娘を蝕むものの正体、それが黒紅魔女の呪詛だ。
黒紅の魔女とは、アルタート王国に古くから伝わるお伽噺にでてくる魔女だ。人間に仇なす魔王に協力し、人間を裏切った魔女。闇より暗い黒髪に、煉獄の瞳をもったと言われている。
そして、三角形と四角形が合わさったかのような紋様を黒紅の魔女は好んで使っていたという。自分で開発した魔法陣にその模様を組み込んだり、破壊した街にその紋様を描いて自分がやったことをアピールしたり。とにかく黒紅魔女といえばその紋様を皆思い浮かべる。
娘が7歳になったあの日、突如として娘の右腕にその紋様が現れた。見紛うはずもない、あれは紛れもなく黒紅の魔女の紋様だった。
黒紅の魔女が好んで使っていたその紋様はよく知られている。
伝説でも、黒紅の魔女はその紋様を浮かび上がらせ、魔王とともに復活するとされている。
ミラハが生まれる少し前から、魔物による被害や、魔物の出現数が不自然に増加していた。それを魔王復活の兆しなどという学者もいたが、そのときはそんなこと有るものかと軽く流していた。けれども、今思うと、学者が言うようにやはり魔王の復活は近いのだろう。
右腕に魔女の紋様が浮かび上がった。
それが意味することは、魔女の復活。もっと言えば、ミラハは魔女の生まれ変わりということだ。
魔女は死ぬ間際、最後の呪文を行使したという。
何百年後かに発動するという気が遠くなるような魔法で、アトランダムに誰かに転生するというものらしい。いや、転生という言葉は少しニュアンスが違うだろう。正しく言うならば、憑依する。憑依先に選ばれた者は乗っ取られ、自我を失うという。
もちろん、この魔法は禁術として使うことは固く禁じられ、この魔法の行使方法が記載された書物はその大多数が焼却され、一部残ったものも王立の図書館の奥深くで厳重に保管されているという。
そもそも、この魔法を行使すること自体が無謀であるとされるほど難易度が高い魔法である。しかし、伝説で語り継がれている魔女が行使できたとしても不思議ではない。
最初に右腕を押さえうずくまるミラハを発見したメイドも、右腕にある紋様が魔女の紋様だとすぐに気がついた。
なぜ突然右腕に紋様が現れたのか、もちろんミラハが知っていることではないが、そのメイドも思わずミラハに聞いてしまったという。その時のミラハはそれはそれはつらそうな顔で、髪は乱れ、脂汗がにじみ、ミラハの均整の取れた顔も苦悶に歪んでいたらしい。
ミラハはこのことを誰にも言うなとメイドに言った。
そう、齢7歳の小さな娘が、親に、兄妹に、誰にも心配をかけさせまいと、必死に疼く右腕を抑え言葉にしたのだ。
何度も、嘘であってくれと願った。
何度も、たまたま右腕に出来たアザであってくれと願った。
しかし、頭では分かっていた。そんな偶然有るはずがないと。
アレは紛れもなく、魔女の紋様だ。
娘を乗っ取ろうとする魔女の意志だ。
そもそもただ右腕をぶつけて出来たアザならば、隠すことはなにもない。むしろ7歳の子供ならばぶつけたことを誰かに言ったり、泣きじゃくるのが普通だ。
しかしミラハはそうしなかった。
――いくら考えても答えはひとつなのだ。
「……ミラハの髪色や瞳の色もそういうわけなのだろうな…
魔女関連の本はすべて破棄させたのに、ミラハはいつ知ったのだろう。……いや、本能的に察したのかもしれんな。聡い子だ」
ウルアザの髪色はブロンドであるし、妻も同じくブロンドヘアだ。ミラハの兄であるレジナードも両親と同じ髪色。ミラハだけが黒髪だ。
まれに髪色が両親と全く違う子供が産まれると聞いたこともある。ミラハが生まれたときもきっとたまたま髪色が違うだけだろうと思った。
黒色の髪というのは黒紅魔女のせいであまりいいイメージを持たれない。そもそも黒髪自体が珍しいのだが。
ミラハの場合は瞳の色も黒紅魔女と同じく、紅。
伝説で語り継がれる、裏切りの魔女と自分の特徴が一緒だと知れば、きっとミラハは悲しむだろう。そう思い、ウルアザは家にある魔女関連の書物の破棄を命じ、ミラハに魔女の話を一切しないように使用人たちにも厳命した。
しかし、ミラハはどこかで魔女のことを知ったのだろう。そして自分の右腕に現れた紋章を見て、自分が魔女に呪われていることを知った。本能的に、黒紅の魔女が自分を乗っ取ろうとしていることを察したのだろう。
「なぜミラハなんだ……」
神という存在がいるのならば、なぜミラハをこんな運命にしたのか、殴ってでも問いただしてやりたい。
ミラハの腕に紋様が現れてから数日間、ミラハは右腕に包帯を巻いていた。
"怪我をしたのか?”などと誰も聞けるはずもない。
ミラハの右腕に魔女の紋章が現れたことは家のメイドなども含めて全員が知っている。右腕に紋様が現れ、発見したメイドがウルアザにすぐに知らせ、それから程なく使用人全員に周知した。
知らずにミラハに聞いてしまうようなことがあればミラハを傷つけてしまうからだ。
ミラハを世話するメイドには逐一なにかあれば報告するように言ってあるが、包帯を巻いた腕を押さえながら、「くっ…… 静まれ…!」と悲痛な声でミラハが言う姿を目撃したとの報告を受けた。
父や母、それに兄。別に使用人でもいい。
誰でもいいから、打ち明けて大丈夫だと言ってやりたい。そんなことでミラハを差別したりしない。一人で抱え込もうとするな。
そう言ってやろうと何度も思った。
しかし、そうすればミラハの”みんなに迷惑をかけたくない”という思いを踏みにじることになる。結局のところ、魔女の呪詛を消す方法はまだ見つかっていないのだから。
解決するには、魔女の呪詛からミラハを解放するしかない。
我が家の諜報員として優秀なセバスチャンとその養子セレネムに方法を探らせているが、結果はあまり芳しくない。
魔力を高めれば呪詛の力を弱めることができる、ということぐらいしか分かっていない。ミラハも本能的にそのことを知ってか、最近は魔法の訓練をする毎日だ。そのおかげか、ミラハが魔女の呪詛を抑え込んでなんとか日々を送っている。
そんなミラハももう10歳だ。
願わくば、早く呪詛を消す方法を見つけ、ミラハに楽しく平和な生活を送ってほしい。
※ミラハの腕のアザはまじでただのアザです。報連相は大事。