第七十話「覚悟するメイドさん」
少し前のこと。
ティンバラ北区。
侍女クケイは、ティンバラで一番治安の悪い地域を訪れていた。
名剣『五霊』の柄を巻き直すためである。
五霊はお仕えする双子姉弟の姉、ランコの愛剣。
ある日ランコは、師匠からいただいた剣を久しぶりに引っ張りだした。
弟のリョーリが『善女』という魔剣を得たことで、しばらく眠らせていたのを思い出したのだ。
五霊は紛うことなき名剣だが、癖があった。
それは一定期間持ち主に使ってもらわなければ拗ねるというもの。
数ヶ月ぶりに日の目を浴びた五霊は、やはり拗ねていた。
抜いたと同時に己の柄を粉々に破壊。
自ら柄を壊すくせに、柄の出来にはうるさいという厄介な性格である。
ゆえに、北区にいる高名な柄巻師に新たな柄を巻いてもらうことにしたのだ。
「とんだじゃじゃ馬だ。この子に認められるもんを作るにはひと月はかかる」
「ですからティンバラ一と噂高い先生にお願いしにきたのです」
「煽てても安くはしないぞ」
気難しい職人であるが、腕は確かだ。
店の品をみればわかる。
前金と五霊を渡し、クケイは店外へ。
薄暗い路地を縫うように進み、露店街に出る。
午後四時。
まだ時間に余裕はある。
何か甘いものでも買って帰ろうかな、と思った矢先。
「ねーねーお姉ちゃん」
「いかがなさいましたか?」
猫系獣人族の幼い女の子。
母親と逸れたのだろうか。
「あのね、お姉ちゃんにこれ渡してだって」
女の子から小さな麻袋を受け取った。
クケイは女の子の後姿を目で追いながら、直感的に「しまった」と思った。
麻袋の中身はともかく、昔なら不用心にこんなものは受け取らなかった。
経験上、大抵は罠。
爆発物、薬物、魔術的な――――
ボフン。
麻袋からは茶色い粉塵。
クケイは咄嗟に息を止め、粉塵を内力で包み込んだ。
体を麻痺させるタイプの毒だ。
しかし、普段から内功を鍛えているクケイである。
毒に対してある程度耐性があり、少量しか吸わなかったことが幸いした。
少し体は重いが問題はない。
ぞろぞろと黒ずくめの集団が現れた。
周りの露店からは人が消えている。
「……、」
「さすがあまたの同胞たちを祝福させただけのことはある」
「目的は」
「お前は憑代に選ばれたのだ。大人しくしていれば乱暴はしない」
クケイはこの黒ずくめの連中に見覚えがあった。
前に斃した、死の女神を信奉する魔術結社。
面子は二十二人。
佇まいから、破壊魔法に熟練した中級者から上級者の魔術師。
クケイは、リョーリから教わった喚起魔法で得物を喚起させる。
黒い魔力の灰とともに現れた銀色の剣は、身長より少し長い。
その剣身は蛇行している。
「あなた方はまだ、無辜の民を苦しめているのですね」
クケイが殺気立ち内力を奮わせると、圧倒的な熱気が露店街を覆い尽くした。
蛇行している剣身は、次第に生き物のようにうねうねと動きはじめる。
魔術師たちは圧倒されるが、一人が魔法の詠唱をはじめると、続々とあとを追う。
「慈悲無き闇刃!」
無数の斬撃魔法がクケイに降り注ぐ――――
が、当たらない。
クケイはすでにその場から視認しにくくなっていた。
戦闘は一方的。
一分ほどで終了した。
半数は早々に撤退し、残りは一人を除いて即死。
「殉教することが誉れなのでしょう?」
「ぜんぶ話したのに……やめて、やめ――……あべぎゃあっ!」
リヴル村の人々が苦しめられ、少女たちが憑代にされかけている。
内容からして、今すぐ動かなければ間に合わない。
クケイはその一人から事情を訊きだして、すぐに動いた。
本当はリョーリに報告すべき。
だのに、クケイは自分が昔に残した仕事だとして、一人で動いてしまった。
巻き込みたくなかったのだ。
次の日の早朝。
空を全力で駆けて、目的地のリヴル村に到着した。
集落をスルーし、村の外れにある死の女神教の洞窟教会入口へ。
クケイは気配を消し、隠行魔法の隠れよを発動して、入口に足を踏み入れた。
瞬間。
すでに地面には、碧く大きな魔法陣が瞬いている。
罠だ。
「く……」
内力を膨らましているのに、喋ることさえ困難にさせる魔術的な圧力。
一定の魔法を無力化している。
ぞろぞろと黒ずくめの集団と、毛色の異なる武術家たちが現れた。
ざっと三〇人の手練れたち。
「半日で本当にここまでくるとは」
「おじさん、大賢者の子孫なだけありますね」
「この小娘は動いてるぞ。魔王や竜を捕まえる魔術なんじゃなかったのか」
「……そうなんだけど、単にお嬢ちゃんの内力が強力なんだ」
「僕らの出番ですね。点穴で内力を封じれば余裕っしょ」
「おい莫迦、先に魔道具を……」
壮年の剣士の静止を聞かずに、ニヤけて近づく薄緑色した小柄な若い剣士。
ギロりと睨むクケイに触れ――――……
「ぶほあっ!!」
剣士は体中の穴から血をふき出して倒れた。
クケイの気が一気に流れ込んで爆発したのだ。
「お前のツレはお嬢ちゃんの内力を感じ取れなかったの?」
「あーあ、逝っちゃってる。こいつ最近ウチの上伝になったばかりで、まだ気を探ることに疎くてな」
「いや、魔術師の僕でもわかる位ヤバそうな内力なのだが……」
「剣の腕はあったんだよ。小人族とゴブリンの混血種で頭も悪くはなかった」
「で、どうするお嬢ちゃん。素の状態ならともかく、僕の封印術の影響下じゃ分が悪いよ? もしお嬢ちゃんが抵抗せず捕まって憑代になってくれるなら、他の女の子たちは解放してくれるらしいぞ」
北区で襲ったのも策略。
クケイはここに導かれたこと自体が、罠だったことに気付いた。
よく考えずかかった自分が悪い。
辛うじて体は動くし、このまま無理をして刺し違えてみてもいい。
けれども、リョーリとランコの顔が浮かぶ。
死ぬわけにはいかないと思った。
自分はここに何をしにきたのか。
一度投降して、それから改めて反撃に転じようと考えた。
「本当に、解放してくださるなら……」
「交渉成立。あっ、依頼主さん魔道具よろしく」
黒ずくめの集団は、無言でクケイの全身に枷を掛けはじめた。
直接触れないよう、魔法で丁寧に。
クケイはぺたんと座り込む。
行動制限系の魔道具。
魔力はほとんど、内力は半分以上封じられた。
「すげぇな、これでもまだ気を運用できるのか。大師兄が自害するわけだ」
「ほんほうひほはのひほふぁ(ほんとうに他の人は)……」
レディ=ブロックハンドの関係者?
「しかしこれならもうお前の技も効くのでは?」
「(リョウ様……申し訳ありません)」
「ああ、しかし改めてみると容姿は整ってるな。死の女神サマとやらにぴったり合う」
「絶対に手をだすなよ。憑代は処女じゃないと機能しない」
このあとは死の女神の憑代としての準備を整えさせられた。
その間、意識は朦朧としていた。
明確に意識が戻ったのは、神殿内でリョーリから精神感応を行使された時。
降臨の儀式はすでに始まっていて、クケイの肉体の支配権は、死の女神のものになっていた。
クケイは死を覚悟していた。
自分にできることは、女神の動きを止めて、この身を滅ぼすこと。
そう考えていた。
しかし駆けつけてくれたリョーリは、この身を生かしながら女神を斃し、儀式を頓挫させた。
神殿そのものと祭具を破壊。
よくわからない呪いが発動した時だって、なんなく解呪。
憑代候補の女性たちを救出し、魔法で服まで着せた。
無事、洞窟教会を出たあとも、
「クケイの好きにしていいですよ」
「う、腕を返してください。なんでも、します」
「はあっ……はぁ……ひいぃぃッ!?」
先の武術家は両腕をもがれ、封印術師は精神ダメージを受けているようだった。
クケイはその二人に騙され、武術家には瀉血をさせられたが、恨んでなかった。
それが雇われている彼らの仕事だと割り切っていたのだ。
けれども武術家には落胆していた。
内功からみて、クケイが介錯をしたレディ=ブロックハンドの同門。
あの考えさせられる生きざまをみせた剣客とは、比較にならないくらい小物だった。
このあとも、リョーリはとんとん拍子で物事を解決していった。
女男爵カーシャと協力して、残党を裁判。
村へ食糧を寄贈。
被害者の女性を希望の領地へ手配。
女性司書に憑依していた魔女の悪霊を引き剥がして封印。
ティンバラへ帰ってからも、リヴル村の動向を把握し、今後を考えて薬商人を手配していた。
自分にはできないことばかり。
やはり、さすがはご主人様だと思った。
今までもリョーリには、多くの借りを作ってきた。
今回は独断専行による失敗を帳消しにするどころか、命まで救ってくれたのだ。
この恩はこの身を捧げたって返しきれない。
***
クケイはティンバラに帰ってから、受けた恩をどうやって返そうか考えていた。
普通にお仕えするだけなら、みんなやっている。
ちょうど最近、リョーリがなんとなく元気がなかった。
なので、どうしたら元気になってもらえるか、人生経験の豊富な侍女仲間に相談した。
元ハールマ城主のマーグラと、魔族として多くの世間を知っているミルド。
「クケイちゃんは、リョーリの悩みの内容をわかってるんだよね?」
「ご自身の莫大なチカラと倫理観について悩んでおいでと読んでいます」
「うん、あたしもそう思うよ。あの子は優しいからね」
「……こういう時にはそっとしておくのもよいですが、夜伽をして、慰めて差し上げるのが一番です」
「!?」
マーグラの一言にミルドは笑みを浮かべ、クケイは少し頬を赤らめる。
「しかし、そのお役目は誰が」
「あんたがやればいいんだよ。あたしらの中では一番距離が近くて、きっと断られないよ」
「リョウ様を慕う他の侍女たちを裏切ることになるのでは」
「もちろん妾身たちだってリョーリ様からの君寵をこうむりたい。その反面、ご主人様の辛そうな顔はみたくない、元気なお姿をみたいという気持ちもあります」
「……、」
「リョーリに恩返ししたいって思ってるんだろ? きっとその恩返しにも繋がるよ」
「……恥ずかしながら、私には夜伽どころか口吸いの経験すらありません」
「貞淑なのね」
マーグラとミルドは顔を合わせて、
「注意すべき点はあたしらが教えてあげるよ。ね、マーグラ様」
「ええ」
ふと、師匠の言葉を思い出す。
叶わぬかもしれない想い。
リョーリはきっと将来大人物になる。
独り占めしようだなんて、分不相応なことだ。
あくまで恩返し。
グェムリッドの侍女を代表して慰めて差し上げるのだ。
クケイは、本当は溢れださんばかりの本心に蓋をして、人生の先輩たちの言葉に耳を傾けた。
☆ステータス☆
名前:クケイ・コエン
性別:女
種族:人族
出身:春杞国
職業:ティンバラスール城のメイド
性格:冷静沈着
感情:やや乏しいが、社交辞令はこなせる
魔法:上級者 隠行系魔法が得意
武術:八監派奥伝
好きな人(家族として):師匠、ヒミカ、双子、メイド仲間
想い人:リョウ様




