第三十四話「側室のお願い」
次の日からヒミカの指導の下、本格的に精神感応の習得を開始した。
「(エンパスってわかるわよね)」
「(共感能力の高い人のことですね)」
「(その通り。共感能力の高い人は世の中にわりといるけど、誰しも物質的に認識して『共感』する。精神感応は、認識できないはずの情感と思考を不可視の体に働きかけて感じるとること。今私たちがやっている念話、つまり精神感応は物質的な共感の延長と理解しておいて)」
不可視の体。
肉体のほかに、目に見えない自分の体が波長の低い順からエーテル体・アストラル体・メンタル体・コーザル体、さらに高い体が何層もある。
俺は魔力増幅を習得する前は、肉体に直接影響を与える形成力体まで感じられていた。
エーテル体は肉体を形作り、内外からのエネルギーや情報を処理する役割がある。
経絡、つまり気の流れを完全把握し、内功を修める上で特に重要だった。
今なら普段何気なく使っている武功や魔法の類だって、多くの不可視の体が深く関わっているのだとわかる。
この精神感応だってそうだ。
形成力体へ働きかけて念話。
感情体で感情と欲望を、精神体に触れて記憶と思考を読み取る。
未来や過去を知るには因果体や波長の高い体へ。
ヒミカ曰くコーザル体以降は神の領域だという。
どこまで感じられるかどうかは個人差が激しいし、いずれかの不可視の体を感じられるだけでも選ばれし者。
「(もう何度も言っているけど、私が触れられるリョウの不可視の体はエーテル体まで。それもできるのは念話くらいよ。これ以上入ると私はあなたに――――)」
「(どうしたんですか!?)」
ヒミカは恐ろしいモノでも思い出したかのように打ち震えだす。
緊張をほぐす点穴を突いて、目をみて両手を握ってやると次第に落ち着きを取り戻した。
とにかく俺の不可視の体には何かがいるらしい。
「(……ありがとう。精神感応は選ばれた人間しか持ちえないものだけど、魔法と同じで才能さえあれば習得はそう難しくないわ。問題は術の強度と、どう扱うかよ)」
「(というと)」
「(精神感応で人に声をかけたり、感情と思考を読み取ったり、意のままに操る催眠状態に陥れたりという行為をどう思うかしら?)」
「(個人差はありますけど、嫌悪する人もいるでしょうね)」
「(そう。おいそれと使えるものじゃないし、致命的な使い方をする人には教えられない。わかっているでしょうけど、覚悟して習得してほしいわ)」
マーグラはもともと素養があるわけではないので、少しずつ長いスパンで一人程度と念話できるまでを目指すこととなった。
上達する度、俺への一方的な精神感応が解消されていくことを残念がっていた。
そこそこ習得が進んでからは、ヒミカの注意は守りながらも、たまに俺へ扇情的な念話を持ちかけてくる。
俺はというと、とんとん拍子で習得した。
すぐに一通り覚え終わった。
ついでにLv4以上の精神系魔法や、レイスのやっていたような催眠術も研究している。
精神感応の習得は不可視の体への理解を深めさせ、魔力の流れを知ることに繋がり、魔法の質を向上させた。
聴勁の練度も向上し、戦闘技術も格段に進歩。
ヒミカが当時言っていた「次の段階」とはこのことだとわかった。
精神感応の強度を上げる段階に入ってからは、気軽に使わないようにしようと思った。
念話くらいなら問題ない。
無理して心を読んだり強度を高めようとすると、その間少々の隙ができるのだ。
催眠や洗脳、つまり誰かを意図的に服従させられるようにもなった。
とはいえあまり気は進まないし、効くかどうかは相手にもよる。
能力を知られてしまえば警戒されるだろうし、手痛いしっぺ返しを喰らうことだって想定できる。
ゆえに能力のことはあえて伏せて、基本はあくまで精神攻撃への防衛策、と考えることにした。
***
レイスを地下牢に軟禁してから二〇日目。
処遇を決める会合の日程はなかなか決まらなかった。
予想通りグノーヴァー卿などアンガーの有力者たちが裏でかなりごたついていたからである。
対して正室ヒミカ側の派閥は余裕その物だ。
ティンバラスール城においては厳戒態勢が敷かれることもなく、いつもと変わらない毎日が続いている。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「えっ」
耳を疑ったが、声の主は間違いなくマーグラだった。
「なんですか義母上。僕の事じゃないですよね?」
「それ。義母上って呼び方は冷たくありませんこと」
「いや、義母上は義母上ですよ。お嫌でしたらマーグラ様とお呼びしましょうか」
「呼び捨ててくださってもいいのよ?」
「あなたは目上ですよ? それは流石に無理です」
「レッドソード王国の男は側室や妾のことを呼び捨てるんですのよ」
「ここはスヴァルガです」
マーグラは最近何を思ったか、ティンバラスールの侍女がやる日々の業務を学び始めた。
如何に暇すぎるからといって領主の側室のやることじゃない。
俺は、当然その理由を知っていた。
マーグラは本来、偉そうに踏ん反り返るより、人の世話や雑務をする方が好きなのだ。
健康的な褐色肌に、誰だって惹きつけられるであろう妖艶な肢体。
濃いめのメイクに挑戦的な表情は如何にも悪巧みしてそうで、気高そうな見た目にもかかわらずだ。
本人が自覚したのはアバーフォース島にいた時だ。
当時彼女はレッドソード王国の敵対部族に攫われアバーフォース島の奥地に幽閉されていた。
そこに現れたのが、皇帝の命を受けて島を侵攻していた親父とウマカヤ叔父である。
島の制圧が完了するまで、お礼に身の回りに仕え、あれやこれやと世話をした。
この時いつしか、やりがいを感じるようになっていたのだ。
トライスとウマカヤは、健気で献身的な彼女を愛した。
そしてアバーフォース島を攻略し終える前にレイスを妊娠。
トライスはアバーフォース総督に就任すると、レッドソード王国から正式な要請を受け、側室待遇で妻に迎えた。
表向き三角関係は終了。
婚姻後は周囲に求められるがまま、貴族の強権的な女のように振舞った。
ティンバラスール城に来るまでずっと。
どうやら精神感応の修練の合間、少しだけ鸞子を世話するようになってから、本来の願望を思い出したらしい。
「……ご主人様」
「それやめてくださいって」
グェムリッド専属の使用人にそう呼ばれるなら、あまり気にならない。
むしろお堅そうな使用人なら身が引き締まるし、かわいい侍女ならデレデレしちゃう。
この人にそう呼ばれるとなると、背中あたりがむずむずするのだ。
「嫌なら妾身を呼び捨ててくださいませ」
「マーグラさん」
「ご主人様、『さん』は必要ありませんよ?」
「……マーグラ」
「はい、リョーリ様♪」
きっと計算尽くなんだろう。
心を読まずともわかる。
しかし、ご主人様と呼ばれるよりはマシだ。
「……、」
クケイが少しだけ首を傾げて、じっとこちらをみている。
何か言いたそうだ。
「クケイさんどうかしましたか?」
「マーグラ様は呼び捨てなさるのに、私に敬称をつけるのは……」
「そりゃあなたは僕の師姐ですし」
「……ご主人様」
ぐぬぬ……ええい!
「クケイ、修練を開始するので中庭へ」
「……おおせのままに」
口元を押さえて、少々頬を赤らめていた。
こんなので喜んでくれるんだからちょろいぜ。
と思っていたら、嬉しさからか、組手でかなりシゴかれてしまった。
***
会合の日取りが決まった。
「お願いがあるのです」
マーグラは神妙な面持ちで話しかけてきた。
「妾身は側室の身分を剥奪して、奴隷になるのよね?」
「ええ、母上とイーラムさんと話し合った結果です。お嫌ならその部分はなかったことにできますし、政略による一時的なものですよ」
「……官奴隷と同時に私奴隷という扱いにして、恒久的にヒミカとあなたたち双子の使用人にしていただきたいの」
官奴隷は定められた刑期を終えれば元の身分に復帰できる。
自由もある程度利く。
私奴隷は生まれと契約次第。
行動制限が厳しく、巷では売買されてたりする。
官奴隷に加えて私奴隷になるというのは、自分の首を絞めるのと一緒だ。
メリットがない。
「妾身の心を読んでみてくださる?」
跪くマーグラのこめかみへ両手をやる。
要約すると、
『もう疲れたから、好きなことをしたい』
というお願いだった。
不甲斐なさに対するけじめ。
側室という身分の重圧からの解放。
冷めたトライスとの関係。
今更ウマカヤの許にはいけない。
長男レイスはもう諦めつつも、風当たりの軽減くらいはしてやりたい。
次男タカイスが独り立ちするなら、自分は必要なのか。
もしかして、自分が居ない方が実子たちは伸びるんじゃないか。
そしてティンバラスールに来てから思い出した、誰かに仕えて、お世話することの楽しさ。
「レイスともども死を賜っていたかもしれない。注文をつける身分じゃないことはわかっているわ。でも……」
「マーグラがそう望むなら、それでいいと思います。どんなことになっても、僕が守りますよ」
レッドソード王国との関係上、マーグラが死ぬことはないだろう。
しかしレイスは、罪が多すぎるし話し合い次第だ。
ヒミカに相談すると、
「お姉様を一時的に奴隷とするのは、世間の批判を避けるため。それを私奴隷だなんて! あの人を支えるにはお姉様の力も必要なのよ」
「あのお方……トライス様にとって妾身が用済みなのはヒミカが一番ご存じでしょう。レッドソードとの繋がり、政治的な面では、タカイスが立派に役目を果たしてくれます」
「私奴隷といっても契約次第ですから、政略面で必要がなくなれば身分の回復は自由です。マーグラが望むかは別ですが」
「そうね。お姉様の意志は尊重して差し上げたいし……」
側室が嫌なら、刑期さえ終えれば平民ないし爵位を貰う道もある。
なのに私奴隷という道を選ぶのは、彼女なりのけじめであり我がまま。
俺もヒミカも彼女の気持ちを尊重したいと思っている。
つまり、マーグラが望まない限り平民や側室に戻ることはない。
私奴隷のままなら、担ぎ上げられることもないだろう。
そう望んでいるのだ。
あり方としては出家に近い。
悪役令嬢が追放後スローライフといった感じである。
とはいえ、外見は正室との政治闘争に敗れ奴隷に落とされたご令嬢、周りから蔑まれる可能性も無きにしも非ず。
「妾身の『側室』しての立場が本当に必要になるのであれば、そのときは命に従うわ。だから、あなたと双子のお世話をさせて?」
「それは大歓迎なのだけれど……身分など関係なくお姉様はお姉様、相談は沢山いたします。これから何か不都合があればなんなりと申し付けてね」
「それは使用人じゃないみたいだわ」
マーグラはコロコロと笑った。
彼女は会合が始まる前日に一度だけ、タカイスに会いにいった。
何を話したかはわからない。
けれどそのあとのタカイスは穏やかだった。
マーグラもこれまでの弱さを感じさせない、鷹揚な態度を湛えていた。
誰がみても、彼女が近日奴隷に落とされる貴族令嬢とは思わないだろう。




