第三十三話「精神感応と二人の悪役令嬢」
俺は側室マーグラに精神感応的な意味で、一方的に共感し続けている。
これの治療法を模索すべく、ヒミカにグェムリッド宮殿に来てもらった。
共感とは相手の感情や思考を把握し理解すること。
脳内で情報として認識し処理するだけか、あるいは心で情的な理解を示すか。
例えば長男レイスの認識能力は人並み程度、情的な理解力は著しく低い。
鸞子の認識能力は人並み以上、情的な理解力は目を見張るものがある。
俺は生前からどちらも無駄に高すぎて、いつも損していた。
「ご正室を呼びつけるのは気分がいいわね(忙しいのにわざわざ呼ばなくても……)」
「私の方が年下なのだから、いつでも呼びつけて結構なのよ?」
「あら、それなら香油で足でも揉んでいただこうかしら(ヒミカまさか怒ってない?)」
至って平穏だと思う。
仮に怒ってたとしても、あんたが通常運転で皮肉飛ばしてる所偽だろとは言わないでおいた。
「マーグラの心の声が聞こえて心情まで汲み取れるのよね?」
「はい」
マーグラをハールマ城に連れてきてからというもの、喜怒哀楽、一定の好意やもっと別の感情を抱いてくれていることも認識できるので、すごく複雑で悩ましい。
常に恥ずかしい部分をみせてもらってるような、そんな感じ。
いつでも彼女の感情や思考が一方的に頭の中に入ってくるのは、精神衛生上よろしくない。
ある程度慣れはするし、少々疲れるだけで別に嫌なわけじゃなく、このままじゃ俺の理性が持たないという意味でだ。
彼女はあまりにも惚れっぽく、艶っぽいのだ。
「治す、というより習得して能力を支配する方が安全で手っ取り早いわね。精神感応系の禁書でも読んだのかしら?」
「最近読んだのはジャーナエッカサッダの書です。まだ最初の一つしか習得してません」
「もしかして魔力増幅!? 一つ習得するだけでもすごいことよ。魔力増幅で潜在能力を引き上げて、眠っていた能力が発現したのね。限界を探っていたのでしょう? だから寝込むほどダメージを受けた。教えてもないのに勝手に精神感応に目覚めるなんて、ナイノミヤのお兄様たちが聞いたら嫉妬するわね」
「はい……すみません」
「別に怒ってないわよ。危機的状況に晒され制限付きで強化されたマーグラの送信能力と、リョウの強い送受信能力が相互作用を生み出し、能力が発現したと仮定しておこうかしら」
「レイスの催眠に原因は?」
「ないとはいいきれないけど、あの術は相手の心理と香薬を利用したものだし……。さまざまな要因が重なってたまたま起きたのだと思うわ。あなた自身が不可視の体をもっと感じられたら、何か糸口が見つかりそうなのだけれど」
不可視の体とは、端的に表すなら目に見えない人間の体の区分。
肉体には、通常視認できない特殊な波長の体が無数に重なっているという理論だ。
魔法、魔術、超能力、武術など、この世界で人の起こす超常現象は大体これで説明がつく。
とにかく、習得することが治療の近道らしい。
精神感応系能力の大家である彼女がいうのだ。
その通り従おう。
ちなみにあの記憶の共有と同時に、レイスにやられた将来を三つ観た。
破滅的結末だけではなく、断片的な将来の情景を得た。
つまり、幾度となく汚されたのちに、三度死んだ。
どれも筆舌し難い内容で、俯瞰視点なのに何故か自分の感覚もあり、無駄に臨場感があった。
魔力増幅を習得したことにより、未来視の強度が上がってしまったのかもしれない。
この未来視のことも、都合の悪い部分を避けて相談してみたが、結局答えはでなかった。
「ほんの一部でもリョウのコーザルを感じられればブッディも――――いいえ、もしかして相違する将来の因果の影響? 同一ないしは別の次元の、異なる時間軸に分岐した観測不能な何かが影響を及ぼしている?」
並行世界や多元宇宙の可能性を言っているのだろうか。
ヒミカは独り言のように思案している。
「(何を言っているかわからない。リョーリ様、ヒミカは妾身を煙に巻こうとしているの?)」
「いいえ、そんなことはありませんよ」
わからんのは無理もない。
前知識なしで聞くと意味不明なことしか言ってないし。
「(わかり難いのはあやまるわ。べつに嘘を言ってはないのよ)」
「「!!」」
ヒミカの声まで脳内に。
今まで俺にテレパス系能力を行使してきたことはなかった。
いや、あるのか?
俺がまだ赤ちゃんだった時にあったような、なかったような。
「僕の心は読めないんじゃ?」
「(ええ、私の力不足で読めないわ。あなたの肉体とエーテル体に働きかけてるだけ、それ以上はわからない)」
今まで敢えてやらなかっただけで、念話はできるってことか。
「ちょっと待って、もしかして妾身のことも?」
「たまに、意図せずあなたの感情や思考が入ってきたりしたことはあるわ」
マーグラは頬を上気させ、顔を覆い隠す。
一瞬、黒髪がワッと膨れ上がったようにみえた。
「つまり結局、妾身はヒミカの掌で踊らされていたってわけね!」
「そんなつもりは……ごめんなさいマーグラ」
「今まであなたと闘ってきた妾身が、莫迦みたいじゃない! 私が継嗣に拘っていた理由も、全部知っていたのよね」
ヒミカは徐に椅子から立ち上がり、マーグラの許で跪く。
控えていた使用人たちがざわつき始める。
継嗣に拘っていた理由は、レッドソード王家の野望からきている。
非ヴェーア系の人族であるレッドソード人を、スヴァルガの英雄であるトライスの跡継ぎ筆頭にすること。
マーグラは両親レッドソード王と王妃から強く請われ、この野望をなんとか叶えてやろうと今まで努力してきたのだ。
特にレッドソード王は民族的な理由からやたらと長男レイスに拘っていて、現実を知る彼女を悩ませてもいた。
レッドソード人は独自の文化と価値観を持っている。
スヴァルガでは非ヴェーア系なのもあいまって、見下したり、良い感情を持っていない人もいるのだ。
「絶対に許さない。絶対に絶対に! (恥ずかしすぎる……もうヒミカには逆らえない)」
「……まだ嫁いだばかりの頃、私の母は、あなたに大衆の面前でかなり非道いことを吐き捨てたわよね」
「ええ、今でも忘れないわ。『こんな娼婦のような未開なレッドソード人を側室にするとはどうかしてる』」
「あの時から今まで私がマーグラをどう思っていたかを、知って欲しいのだけれど」
「面白いわね。あなたの醜い部分を実の息子にも見てもらうといいわ! (怖いから一緒に……)」
「ええ、リョウも見てちょうだい」
俺とマーグラの額にヒミカの指先が触れる。
ズキン!
例の感覚と少し似ている。
情報が頭に無理やり脳内に入り込む。
見えたのはヒミカのマーグラに対する苦悩だった。
一時期アンガーに滞在していた、母であるリーナオブリーリエ・ナイノミヤ第三王妃を発端にした確執。
毎度会う度仲良くしたいと思っているのに、結局政治闘争に明け暮れる日々。
生々しい夜伽の采配。
トライスが長期出征中でも側室たちが子供を作れるように、禁術である転移魔法、部分転移魔法に着手。
マーグラに順番を回しても、ハールマの連続殺人事件後、寵愛が冷めてしまっていて上手くいかなかったこと。
マーグラは号泣、俺も少しだけ目頭が……。
「知っている事実とは違うかも知れないけど、これが私の真実よ」
「こんな、こんなはずはないわ! 本当は妾身の事が大嫌いなんでしょう!? 子供を駒のように扱って、腹黒い野望を持ち、いつも皮肉ばかりでみんなの足を引っ張って、こんな娼婦のような未開なレッドソード人……」
「私はそんなこと一度も思ったことはないわ。だってあなたは優しい人だって知ってるもの」
「ッ!!」
マーグラは手を上げかける。
が、叩かなかった。
「ほら、やっぱり優しいじゃない」
マーグラはボロボロと涙を流したまま、ヒミカの目の前にペタンと座る。
この二人は、建前ではお互いが悪役令嬢のように演じて憎しみ合い、心の中では「違う」とわかっていた。
「妾身はどうしたらいいの?」
「……もっと本音で生きてみたら、いいんじゃないでしょうか」
「本音?」
「義母上は、建前と本音が乖離し過ぎるところがあります。僕も色々あって本音の部分で義母上の良い部分を沢山みつけてしまいました」
「良い部分とは?」
「それは、義母上ご自身がわかっているはずですよ」
涙を拭いて深呼吸している。
少し照れ気味に、
「……ヒミカは許してくれているのよね?」
「許すも何も、知っての通り私は許しを請う立場なの。母はあなたに絶対に謝らないし償いきれない。今までこの一歩を踏み出せないで、ひどいことをしてきたわ。本当にごめんなさい」
深々と頭を下げて、マーグラの膝につける。
「やめてっ、許すから頭を上げて! (ひどいことをしたのは妾身よ)」
「……ありがとう」
「妾身ほうこそ、今までのことは水に流してくださるかしら?」
「もちろんよ、マーグラ……いえ、お姉様」
唐突に、ヒミカはマーグラの胸に崩れ落ち、堰を切ったようにわんわん泣き始める。
こんな鸞子っぽいヒミカは初めてみた。
いや、これが彼女の素なのかもしれない。
落ち着いてから、二人は地べたに座ったまま談笑していた。
昔あったいざこざを振り返って、本当の姉妹のように楽しそうに。
年相応の少女らしくみえた。
「なんだか疲れたわ。てれぱすも教えて欲しいけど一足先に休んでも? (今日こそはランコ様と一緒にお風呂入りませんこと?)」
ギクリとする、心の声が聞こえた。
なんで一緒に入ることが既定路線なんだ……。
早くも鸞子に影響されすぎである。
他人から記憶や思考を移し移されるのは高い精神力が必要らしい。
普段からなんの修練もしてないマーグラであるし、こう立て続けに騒動が続けば心労も溜まる。
確かに俺も疲れているが、これはいつものことであるし慣れている。
「リョウ、ありがとう。あなたには感謝してもしきれないわ。マーグラお姉様は弱くて寂しがり屋。今日くらいは一緒に居てあげて」
地べたに座ったまま、俺を後ろ向きに抱いて語りかけてきた。
昔よくやっていたスタイルだ。
「最近はいつも近くに居ますよ。僕なんかより母上が一緒に居て差し上げれば」
「お姉様が望めば、ね。沢山一緒に居たいけど、やっと和解したばかりだし、今はあなたの方がきっと……」
そう言って俺の頭にキスする。
このあと髪を結われたりしながら適当に雑談した。
ヒミカは秘書官に次の予定をせがまれると重い腰を上げたが、帰り際にみせた後姿はいつもより晴れやかで、満たされてみえた。




