第4巻 第一章 「朝が来ない街」
夜が、終わらない。
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浮浪雲晴明は、それに気づくまで少し時間がかかった。
時計は進んでいる。
だが、空は変わらない。
東の空は、ずっと“夜のまま”だった。
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「……おいおい」
小さく笑う。
だが、その声には乾きがあった。
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通りには人がいる。
店も開いている。
電車も動いている。
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だが──
誰も、“朝を待っていない”。
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それが一番、気味が悪かった。
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「誰も気づいてへんのか」
呟く。
いや、違う。
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“気づくという行為”そのものが、削られている。
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浮浪雲は、歩く。
黒門から外れ、少し広い通りへ出る。
ネオンはついたまま。
看板は光り続けている。
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時間だけが、進んでいる。
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「……観測やな」
ぽつりと。
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理解してしまう。
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これは“自然現象”ではない。
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“朝という概念が、観測されていない”。
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だから来ない。
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「やりやがったな」
誰にともなく吐き捨てる。
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そのとき。
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視界の端に、違和感。
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電柱の影。
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“影が二つある”。
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一つは、街灯のもの。
もう一つは──
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“光源のない影”。
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浮浪雲は立ち止まる。
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その影は、ゆっくりと形を変えた。
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人の輪郭。
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だが、顔がない。
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いや──
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“顔という情報が、存在しない”。
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「……来たか」
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影が、喋る。
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声は、どこからともなく響いた。
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「観測者」
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浮浪雲は煙草をくわえる。
火はつけない。
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「その呼び方、嫌いやな」
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影が近づく。
音はしない。
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「君が“外れた”ことで、均衡が崩れた」
「観測の中心が、空白になった」
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「知らんがな」
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短く返す。
だが、その目は鋭い。
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「朝が来ないのは、そのせいか」
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「違う」
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影は、わずかに揺れた。
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「これは“調整”だ」
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「誰かが、“朝を観測しない”と決めた」
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沈黙。
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浮浪雲は、ゆっくりと息を吐く。
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「……ほな、犯人は人間やな」
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影は答えない。
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それが、答えだった。
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「おもろいやないか」
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口元が、わずかに歪む。
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「世界を止めるんやなくて、“朝だけ殺す”か」
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「趣味悪いで」
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影が、初めて反応する。
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「君は理解していない」
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「朝は“希望”だ」
「再生だ」
「始まりだ」
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「それを消すということは──」
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浮浪雲が、言葉を引き取る。
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「人間を、止めるいうことやな」
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影の輪郭が揺れる。
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「そうだ」
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その瞬間。
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街の音が、わずかに“沈んだ”。
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人々の動きが鈍る。
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笑い声が、小さくなる。
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誰も気づかないまま、
世界が“少しずつ終わっていく”。
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「……ええ趣味や」
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浮浪雲は、煙草に火をつけた。
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今度は、火がついた。
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「けどな」
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煙を吐く。
ゆっくりと。
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「それ、やりすぎや」
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一歩、踏み出す。
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影が、揺れる。
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「君に止められるとでも?」
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浮浪雲は、笑った。
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「止める気はない」
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影が、一瞬止まる。
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「ただな」
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その目が、静かに光る。
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「“朝を見たい奴”が一人でもおったら」
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煙が、夜に溶ける。
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「それで十分や」
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その瞬間。
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ほんのわずかに。
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空の端が、白んだ。
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影が、崩れる。
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「な……っ……」
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「観測はな」
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浮浪雲の声が、静かに響く。
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「数やない」
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「“意志”や」
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光はまだ弱い。
だが確かに──
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“朝の兆し”が、生まれていた。
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影は、歪みながら消えていく。
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「……また来る」
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最後に、そう残して。
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完全に消えた。
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沈黙。
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浮浪雲は、空を見上げる。
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だが。
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その光は、すぐに消えた。
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再び、夜。
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「……あかんか」
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小さく呟く。
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まだ足りない。
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“朝を観測する者”が。
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圧倒的に。
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そして彼は気づく。
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これは事件ではない。
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“戦争”だ。
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人間の認識を巡る、
静かな戦争。
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「……めんどくさいな」
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だが、その目は笑っていた。
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「まあええわ」
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煙草を踏み消す。
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「暇つぶしには、ちょうどええ」
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そして歩き出す。
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“朝を殺した人間”を探すために。




