35話:不景気と収入減少、銀行国有化
理由探しをしてみると名目賃金の下落が、1998年以降、はっきりと見られるようになったとし、さらに日本だけがデフレに陥った理由は、日本の賃金決定に生じた大きな変化であろう。
その要因として調べる事は、雇用者数と、賃金。この2つを掛けたのが雇用者報酬。さらに、この頃から、フルタイムからパートタイム、あるいは正規から非正規への転換が、急増してる事に注目すべきだ。
男女ともに1988年頃から正規雇用が減少し、非正規雇用が、男性、女性、以前からに増加していたが、1988年頃から増加が加速している。現時点で男女合計では、正規は非正規の2倍。男性では正規は4倍である。しかし、女性では、正規社員より非正規の方が多い。
また、賃金も1998年頃から減り、失業率も、この年から急増。悩みや不安の内容として、今後の収入・資産を挙げる人は、1997年までは 30%以下だった。しかし、1999年、30%を超え、これまで40%台前半に高止まりしている。
1998年も10月23日、日本長期信用銀行が経営破綻、12月14日、日本債券信用銀行破綻。しかし、2つの巨大銀行が、その日本社会に対する影響を考え、政府は、両行を一時国有化した。この時、国会では与野党の間で、銀行の破綻処理・金融再生に関する激しい議論が交わされた。
その結果、政府は、1998年から1999年にかけ、預金全額保護のための公的資金投入。大手銀行に対する公的資本の投入、銀行の一時国有化「日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の国有化」、公的資本による健全銀行からの不良債権購入。それら4つの対策を矢継ぎ早に決定した。
こうした対策で、1997年以降、邦銀の資金調達に対して発生していた、海外での「ジャパン・プレミアム」は、1999年には、しばらく縮小した。しかし、その後も全般的な景気低迷が続く中、不良債権問題・貸し渋りに代表される我が国の金融危機はなかなか収束しなかった。
1989年末に日経平均株価指数はピークの 38931円をつけたが。1990 年に入って急落し一時ピーク値の半分以下になった。1999年1月1日、欧州統合の「深化」の切り札とされる欧州経済・通貨統合「EMU」の下で、単一通貨ユーロが誕生。
欧州連合「EU」各国による財政の健全化など長年にわたる周到な準備が実った。これで国際通貨システムは米ドルとユーロの2大通貨体制が始まった。こうして1998年から1999年となった。1999年は過去に例を見ない厳しい雇用情勢が続いた。
総務庁の労働力調査では、6、7月の完全失業率が史上最悪の4.9%を記録し、300万人を超える失業者がでた。しかし、コンピューターの世界では、インターネットが、普及し、1999年、始めて普及率が20%を越えた。
1999年からADSL奉仕が登場して、やっと実用化の段階に入ったと言える。この状況を見て、横浜国大でコンピュータの勉強をしていた雨宮時雄は、富士通かNECのどちらかに入社しようと考えるようになった。理由は、日本の産業界でのソフトウェアの巨人であったからだ。
そのため1999年に川崎の富士通で、入社したいと希望して夏休み4週間のアルバイト研修を志願して、働きに行った。その時、ソフトウェア技術者の仕事の過酷さを目のあたりにした。つまり、ソフトウェアの保守管理の大変さを痛感したのだ。
1999年8月、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が持ち株会社設立による経営統合を発表。10月には住友銀行とさくら銀行の旧財閥系2行も合併で合意した。つまり今後の銀行で、大事なのは規模の大きさ、言い換えれば倒産しない銀行、巨大銀行を目指した。
これは、世界を股にかけた自動車業界でも同じ状況だった。1999年3月、経営不振の日産自動車と日産ディーゼル工業は、自力再建を断念、事実上、仏ルノーの傘下に入った。
そんな中、米国の景気拡大は1999年も続き、クリントン政権は、経済面でも「強いアメリカ」を実現し、ニューヨーク株式のダウ平均株価が、1万1000ドル突破した。
そして、1999年12月30日、証券会社の担当者からローム株が、43000円で、高いので売り時と助言され、雨宮は、その意見に同意し、全株、成り行き売りを指示した。




