33話:水不足、大和銀行事件
7月13日には福岡県内のダム貯水率が、60パーセントを切った。7月14日には福岡管区気象台が九州北部に「少雨と高温に関する情報第一号」を出して水不足に対する警戒を呼びかけた。
7月20日には福岡県内のダム貯水率が、50パーセントを割り込み、7月21日には太宰府市で夜間断水が始まった。7月25日夜、台風7号による雨が降ったものの状況は、改善されず、7月27日には大野城市、8月4日には福岡市でも夜間断水が開始された。
関東地方の主要な水源である利根川上流部では、6月の降水量が、60パーセント程度。7月12日に梅雨明けとなったため水不足が心配された。このため、7月13日に関東地方建設局が、7月15日には、東京都がそれぞれ渇水対策本部を設置し対策が始められた。
7月22日から9月19日まで利根川水系の取水制限が行われた。7月29日から9月8日まで東京都で最大15パーセントの給水制限が行われたが、関東地方ではごく一部の地域を除いて断水となることはなかった。
1994年12月28日21時19分に、日本の三陸沖「青森県八戸市の東方沖約180キロ」で発生した日本海溝のプレート境界断層の活動による地震である。揺れによって八戸市を中心に死者3名・負傷者784の人的被害。
全壊72棟・半壊429棟などの物的被害を生じた。震度は、八戸で震度6、青森、盛岡で震度5で、あった。やがて、1995年となり初詣に行き、雨宮時雄と共に合格祈願し、家内安全と投資成功を祈願してきた。
大和銀行ニューヨーク支店で巨額損失事件という前代未聞の事件が起こった。大和銀行ニューヨーク支店の銀行員の井口俊英は、変動金利債権の取引で5万ドルの損害を出した。損失が発覚して解雇されるのを恐れた井口は、損失を取り戻そうとアメリカ国債の簿外取引を行なった。
同時、支店長は、「海外で箔を付けにやってくる『飾り物』」という状態であったため、支店ナンバー2として実質的に支店業務を統括していた井口の不正は、12年も発覚せず、1995年には大和銀行の損失は、当初の2万倍以上に膨張した。
その結果、最終的に11億ドル「約1100億円」にも膨れ上がった。井口は、膨れ上がった膨大な負債を処理しようと、ますます大きなトレードを行うようになった。あまりにビッグプレーヤーになってしまった。
そのため、井口の取引は、市場参加者に井口の手を容易に読まれ、市場で、さばききれなくなり、完全に破綻してしまった。しかし、この一連の出来事によりFRBが、かえって大和銀行に厳しい処分を下す結果をもたらした。
1996年2月28日、大和銀行は司法取引に応じ16の罪状を認め、当時の米刑法犯の罰金としては、史上最高額といわれる3億4千万ドル「約350億円」の罰金を払い、大和銀行はアメリカ合衆国から完全撤退という厳罰が下された。
1996年7月、井口は遂に不正による巨額損失を、藤田彬ら大和銀行上層部に手紙を送り告白。突然の知らせに、銀行上層部はこの損失に関して日本の大蔵省へ報告した。しかし米連邦捜査局はその手紙を読んでおり井口に面会を求めアメリカでの捜査を開始する。
またアメリカ連邦準備制度理事会「FRB」への報告が、大蔵省からの報告から6週間後と後手に回り、アメリカ合衆国連邦政府から隠蔽「いんぺい」と判断される結果となった。大蔵省より事実発表を遅らせるよう指示があったといわれている。
この事件は、マイナーな事件と簡単に、片づけることもできるが、この当時の大銀行のチェックの甘さ、また、日本の政治の中枢である大蔵省が、事実発表を遅らせるよう指示したのが事実とすれば、とんでもない事である。
もちろん、その損害は、すべて国民の血税で埋められることになるのだ。7月13日、大阪府堺市で腸管出血性大腸菌「O157」による集団食中毒である堺市学童集団下痢症が発生。学校給食が原因で、患者数 9523 名、学童3名が死亡する。
厚生省は、7月31日、伝染病に指定。この年、雨宮夫妻は、北海道、釧路に、8月10日から1週間、避暑の旅に出かけた。そして、ホテルの部屋で、ゆっくりして休養し海を眺めていた。その間、知床半島へドライブしたり厚岸のカキを食べに行ったり摩周湖へ出かけた。




