23話:ステレオと日本初のパソコン誕生
4チャンネル・ステレオシステムとは、記録再生の手法による分類すると、4つの音声が完全に分離するディスクリート方式4チャンネルステレオと、音声の混合は避けられないマトリックス4チャンネルステレオに大別される
当初は、ほとんどが、マトリックス4チャンネルステレオであった。その方式は、オーディオ・メーカーによって、多少異なっていた。しかし、日本のメーカーが競い合って、研究し、新製品を次々と発売した。
例えば、「ビクターSFCS方式、サンスイQS方式、パイオニア方式、トリオ『現・JVCケンウッド』方式、三洋方式、コロムビア「DENON、現・ディーアンドエムホールディングス方式」と多くの種類があった。
その他、東芝方式、シャープ方式、オンキヨー方式、松下方式などがあった。その中でも特に優れていたのが1970年に日本ビクター「現・JVCケンウッド」が、開発した方式で4チャンネル完全分離「ディスクリート方式」
通常のベースバンド「15キロヘルツ以下)の音声信号「左チャンネル『左前チャンネル+左後ろチャンネル』、右チャンネル『右前チャンネル+右後ろチャンネル』」
それに加えて、30キロヘルツをキャリア周波数としてFM変調したリアチャンネルの合成差信号「左側合成差信号「左前チャンネル - 左後チャンネル」、右側合成差信号「右前チャンネル - 右後チャンネル」を反復させて4チャンネル分の音声を記録するものだった。
わかりやすく言えば、ベースバンドにおいては、通常のステレオレコードと変わりない記録方式になっており、プラス2チャネルの記録は、FMステレオ放送の方式と原理的には、同じである。
従来のステレオセットで再生すると、全ての音源が左右のスピーカーで2チャンネルステレオとして再生でき、CD-4ステレオで再生すると、左右がさらに前後にわかれて再生され、従来システムと完全互換があることが特徴。
特に優れていたのは、ディスクリート方式4チャンネル用オープンリールテープデッキは、ソニー、ティアック、アカイが、発売したが、どれも高価で、やはりアマチュアには、遠く、もっぱらプロ用として使われていた。
企業として、特に、4チャンネルステレオを推していたのは、日本ビクター「現・JVCケンウッド)が開発した方式で、4チャンネル完全分離「ディスクリート4チャンネル方式」であった。
しかし、大きな難点が、3つあった。1つ目は、価格が高くて、一般庶民には、高嶺の花であり、雨宮も秋葉原へ行って、試聴室で、聞くくらいで、購入することが出来なかった。
2つ目は、音は素晴らしく、名曲を聴くと感動的であったが、聞き終わると、どっと疲れてしまう事だった。3つ目は、多分、日本だけの問題かもしれないが、前後左右に4つのスピーカーを奥だけの広い部屋がないことだった。
それでも、雨宮と奥さんが、秋葉原の試聴室で、ヨーロッパの好きな映画のサウンドトラックを聞くと、映画の場面が、まるで走馬燈のように、次々と頭の中に撮し出されて感動の嵐となり、聞き終えると嵐が去り、涙が、あふれていた。
このなんとも言えない、感動の嵐と涙の大雨は、何回体験しても良いもので、大げさに言えば、生きていて良かったと思える瞬間であった。この点は、雨宮夫妻が、2人とも感動を分かち合えて、嬉しかったようだ。
そうしているうちに1983年が過ぎ1984年を迎えた。このころ雨宮夫妻が、2人で出かけるときは、奥さんの実家に雨宮時雄を数時間、預かってもらい、お土産を買って帰るのが常だった。
1984年から雨宮時雄を保育園に預けるようになった。すると、お友達が出来て、いろんな事を覚えてくるようになった。そして、1983年12月、9893円で取引を終えた日経平均株価が1984年1月に初めて1万円を突破した。
この1月、証券会社の沼津悦郎が、会いたいと言われ、指定した喫茶店で待ち合わせた。面会するなり、これから、開口一番、日本の時代が来ると語った。日本初のパソコンPC8001が、NECから1979年9月に発売された。




