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太陽と月の物語集  作者: 紫生サラ
忘れ去られた魔法物語
1/1

消えた星と風

 その地を訪れた君は、そこで出会うものにまずおそらく顔をこわばらせることになるだろう。そしてそのこわばりが驚きへと変わるのにそれほど時間を要しないと思う。

 君は、君が最初に抱いた感情が全く違うものになっていくのを感じることになるはずだ。そう、この物語を知っていれば……。


   ★


「斬れ」


 ゾワリと鳥肌が背筋を駆け上がる。

 今なんて?

 ヒヤリとした緊張感と絶望が無抵抗にグシャリ混ざる。ステラはゴクリと息を飲み、その目は兵士の堅い鎧に弾かれ尻もちをついた震える少女に釘付けとなった。

わずか文字の冷淡な言葉はこの幼い少女に向けられたものだ。

 声の主は女王カミエ。

 この国でカミエの言葉は絶対だ。決して抗うことは許されない。抗うとなれば自分の心臓を剣の前に差し出すほどの決意がいる。

 そんな決意をたかだか他人のために誰が持つというのか?

 怯える少女を前に、兵士言われるままに鈍く光る剣を抜き放ち、頭上高く剣を構える。

 憐れんでも、悲しんでも、誰も動かない。助けない。声すら上げない。

 張り詰めた空気のなかで、ステラは思わず女王の前に飛び出した。


「お母さま! 辞めさせてください! まだ幼い子どもではありませんか!」


 幼い少の罪は女王の行列の前に飛び出したこと。女王の行進を妨げたこと。

「前に出た」ただそれだけ。少女がしたことはただそれだけだった。

 たったそれだけのことで、なぜ斬られなくてはいけない?

 カミエは、娘であるステラとは目も合わせず、真冬の空の下に裸で放り出されたかのようにガタガタと震える少女を冷たく見すえる。


「この少女は私の命を狙っていたのかもしれません。ステラ、わかりますね?」

「そんな!? こんな小さな子が!? 考えられません!」


 カミエはまるで意に介さない。


「あなたもやがては私の跡を継ぐ身。王たる者が倒れることは許されない。降りかかる火の粉は常に払わねばなりません」


「しかし……!」

「ステラ!」


 カミエの鋭い声にステラは一瞬にして制される。


「甘い。これはあなたもすべき決断です。ステラ、その目でしっかりと見ておきなさい」


 カミエが手を振り合図を送る。幼い少女の何倍もあるような兵士は剣を振りおろした。

 兵士の硬い剣はいともたやすく少女の柔肌を裂いた。剣はしっとりと赤く濡れ、弾かれたように少女は天を仰ぐ。


「……ッ!」


 ステラは言葉がでなかった。

 その光景から目が離せなかった。

 ステラはまるで自分自身が斬られてしまったかのように立ち尽くす。

 こんな小さな子が、ただ道に出ただけで斬られなくてはならないなんて……。

 言葉の代わりに熱いものが頬を伝う。

 ステラは兵士に止められるのも聞かずフラフラと彼女のもとに歩み寄りまた愕然した。


「……!?」

 


 倒れた少女の手には鋭く汚れたナイフがしっかりと握られていたのだった。


   ★


 鮮やかな四季に支配され、豊かな実りに潤う【ルウムーン】は代々女王が治める大国であった。

 季節に移りかわりに応じて様々な花が咲き、香り豊かな実りをもたらす。

そんな美しさのある一方でルウムーンは隣国ソルハイトとの戦が絶えず、常に国のどこかで戦火が上がり、剣が交わり矢が放ち続けているのだった。

 どんな理由で戦いが始まり、今まで続いてしまったのか、その理由も忘れてしまうほど長く戦いを繰り返していた。

 今ルウムーンとソルハイトが戦う理由は、長い戦が作り上げた憎しみと悲しみの復讐と報復のために他ならない。人々は家族や恋人を失った悲しみを隣国の誰かを殺すことで晴らそうとしている。

 ステラは一人自室に戻ると豪奢なドアを背にそのまま座り込み、落ち着きを取り戻さない頭を抱えこむ。

 冷や汗で穢れたドレスから着替えることも忘れ、何度も何度もあの少女のことを思い出していた。


 あの子はナイフを持っていた。なんのために? お母さまを殺そうとして前に出てきた? そうなの? 本当に……?

 

 脳裏に焼きついたその光景は、ステラの影にとりついたように離れていかない。

 ルウムーンにとって女王の存在は特別なもの。戦を続けてこられたのも、今まで国を守りきることができたのも圧倒的な女王のカリスマと女王が持つ魔力の存在があってこそ。 

 常に凛として美しく、ルウムーンを導く女王の姿があるからこそ、民は戦い続けることができたのだ。

ステラにとっても女王である母は特別な存在であることは間違いない。

 幼い頃から、やがては自分も母と同じようにルウムーンのために戦火に身と投じていくと信じて疑わなかった。

 母として、女王として、自分の憧れであり、見本とすべき人。自分が目指すべき人なのだ。

 それでも、そうであっても今日の出来事は、今年十六歳になったばかりのステラには受け入れがたかった。

 少女は斬られたのだ。

 その亡骸の前に立った時、周囲から向けられる視線はステラの想い描いていた民の視線とはかけ離れていた。

 自分がやがてなるか女王に向けられる周囲の目は尊敬や憧れなどと言うにはほど遠い。

 恐れ。怯え。

 女王の存在はルウムーンを守る英雄ではなく、自分達の力ではどうにもならない災いとでも言いたげなものだった。

 そして、そんな女王を見るその目はそのまま自分に向けられていた。

 いや、女王を見るよりも深く怒りが滲み、罪人を見るような侮蔑の念が見え隠れする。

 少女が死んだのはお前のせいだと恫喝されているような気にさえなった。

 それに気がつき、ステラは反射的に少女から手を離し、自分を守るように後ずさりしていた。

 

 違う、私がやったんじゃない! 私は止めたのよ! 見ていたでしょう!

 

 気持ちは言葉にならなかった。

 声が出せなかった。

 怖かったのだ。

 民の怒りの矛先が、今にも自分を殺してしまうのではないかと思えた。

 民たちのそんな憎悪はステラの前に立ちはだかる兵士によって救われた。

 あの少女を殺した兵士の行動によって、ステラは救われたのだ。

 それから先の記憶はない。

 自室に戻るまでステラの頭の中は整理がつかず、グルグルと同じ考えがまわり続けた。


「どうして……」


 どうしてあの子はお母さまを殺そうとしたの? お母さまがいなければ、ルウムーンはソルハイトに攻め込まれてしまうかもしれない。

 もしそうなったら、苦しむのは自分達のはず。私たちは身を守っただけのはずでしょう? それなのにどうして? どうしてあんな目で見られなければいけないの?


 あの子はナイフを持って、殺意を持って、お母さまの前に出た、だから斬られた。

 お母さまにもし何かあれば国が揺らぐ。お母さまの判断は間違っていない。


 そう自分に言い聞かせる。

 ルウムーンの平和が保たれているのは、女王の存在が大きい。

 家庭教師である老賢者シャハイムの言葉を借りれば「女王がいる限りルウムーンは負けることがない」のだ。


 だから間違いない。お母さまの判断は間違いない。


「でも……」


 ……確かめたい。今日の出来事をみんながどんな風に思ったのか?

 あの時感じた視線……あれは目の前であんなことが起きたから、それでそう感じただけかもしれない。私の気が動転していただけかもしれない。

 ステラは動きにくいドレスのすそをつまみ上げ、高いヒールの靴を脱ぎ捨て裸足になると勢いよくクローゼットを開けはなった。


   ★


「一体どうなされたのです?」

 ステラに呼び出された家庭教師の一人で老賢者シャハイムの弟子シエルは困惑した様子で散らかった部屋を見回した。


「シエル! お願い協力して!」


 服を選ぶことに夢中になっていたステラはドレスをはだけさせた状態でシエルに飛びついた。シエルは顔を赤らめながら「どうしたのです?」と努めて動揺を悟られないように問いかけつつステラのドレスを直す。

 ステラは今日の一件や自分がこれからしたいこと、そのことに協力してほしいということを一気に語った。


「ねっ、シエルお願い! 私に協力して! 城を抜けて街の人たちの話しを聞きたいの」

「ステラさま……」


 シエルは困惑した。その理由は二つある。

 一つは、ステラに協力をして、彼女を街に連れ出したことがもし女王に知れることになれば、おそらくただでは済まないだろうと言うこと。

 もう一つは、自分がステラのお願いを無下に断ることができないと言うこと。

 幼い頃から老賢者シャハイムの弟子として育てられたシエルはステラよりも五つ年上。 

 ステラともシャハイムを通じて幼い頃からの付き合いがある。

 主従の関係ではあるが、自分を兄のように慕い、困ったことがあれば何でも相談してくれる。そんなステラの喜ぶ顔が見たくて、シエルはいつも自分ができる以上のことをしてしまうところがあった。


「今回ばかりは……」

「お願い、シエル」

「しかし……」

「お願い! 頼れるのはシエルしかいないの!」


 自分の胸元でこうも願われては断るに断れない。シエルは自分の動機がステラに伝われないようにクルリと背を向けると「考えてみましょう」とだけやっと言った。


 シエルはステラの希望を叶えるためまず街に出てもおかしくない服を用意した。外出方法に関しては師匠シャハイムの知恵をかりることにした。


   ★


 三日後、ステラとシエルは変装をして街へと出ることに成功した。

 ステラは初めて護衛もなく、母とともにでもなく、王家の人間という立場でもなく、街を歩いた。

 ルウムーンの中でも最も発展し、最も賑わうと言われる王都の城下町はステラが思っていた以上に平和なものだった。

 市場を覗けば活気があり、行き交う人達の顔に笑顔がある。

 ステラが知る民が持つ独特の緊張感はなかった。

 ステラはそんな街を歩きながら街の人の声にも耳を傾ける。噂話、井戸端会議、商店でのやり取り、食堂での何気ない会話……少女が切られたあの時のことを話題にしている人はいない。


 あれほどのことなのに? みんな気にしていないのかな? 


 それとも自分が見たものはすべて夢だったのだろうか? そう思わせるほど、街で女王の話は聞かれない。

 それはおいそれと王家のことを口にすれば、どこに密告者がいるかわからない、という民の暗黙の了解によるものだったが、ステラにはわからないことだった。

 ルウムーンは優れた女王に統治され、均衡と平和を保っている。そんな想いがステラの胸を満たしていく。

 私の思い過ごしだったんだ。あのことは異常な出来事だったんだ。あの子には可哀想だけど、ああなっても仕方のないことをしたんだ。だって、女王に刃を向けたんだもの。


「ステラさま、あまり目立たないようにしてください。そうでないと……」

「大丈夫よ、シエル。せっかく来たんだし、他にも色々見よ!」


 心配そうなシエルの声を背に、声を弾ませステラは人の行きかう市場に飛び込んでいく。この街は平和だ。その平和は、お母さまが守っている。これは間違いない。

 疑念という重荷が払われ、確信と自信が足を軽くする。


 お母さまがしたように、私もこの国を守る。お母さまと同じように強い女王となる。

 それがこの国のためなんだから!

 

 それはほんの偶然だったかもしれない。ステラはたまたま足を止めたその路地が気になった。盛況な市場の陰にぽっかりと空いた暗い路地。

 この市場とは違う別世界へと続いているような気がする。

 匂いも雰囲気も明るさもまるで違う。

 底の見えない深淵な穴や先の見通せない暗がりを人は覗きたくなるものだ。

 城下街に来たことで舞い上がったステラの好奇心はいつもよりも勇ましくなっていたのかもしれない。

背中がザワつき、髪が逆立ちそうだ。


 ここはどんな場所なの? 

 どんなルウムーンがあるの?


 危険かもしれない。そんな思いは微塵もない。なぜなら自分は女王カミラの娘、王女ステラなのだから。


「……?」

 人……?


 ステラはヒヤリとしたものが足元に転がっているのに気が付いた。

 通りの片隅に人のようなものが転がっている。それがこの先に広がる世界の入口であることを示す門番のように。

 しかし、ステラにはそれが意味するものがわからなかった。そこで倒れ、朽ちた果てた人というものを初めて目にしたのだから。

 ステラはそんな始めの警鐘に気づくことなく前に前にと進む。


「えっ?」



 その薄暗い道は少しづつ様子が変わっていった。装飾のタイルは剥がれ、欠けた煉瓦がむき出しになり、そこに得たいの知れないシミがいくつもつけられている。

 道はデコボコとして歩きづらく、今にも足を取られそうだ。

 そんな悪路を歩きながらステラはとうとうそこに辿りつた。

 廃墟。

 満足な屋根も戸もない崩れかけた家々。

 それに人。

 ボロを着て、痩せこけ、ある者は体の一部がなく、ある者は重い病を抱えている。

 そこは戦で親を亡くした子ども、食料が行きわたらず乳の出なくなった赤子を抱く母親、戦力とならないため放っておかれた老人や病人が捨てられるスラムだった。

 先ほどの興奮が一気に冷めていく。


 ここは……? 


 ここは戦地ではない。

 戦地から遠く離れたルウムーンの城下街なのだ。自分の背後では華やかさと穏やかさをあわせ持つルウムーンの街が賑わっていた。 

 それなのにここはまるで違う。

 ステラの膝は震え、瞬きも忘れるほど目を見開く。


 ここがルウムーン……?

 女王カミラの統治する国……? 


 ステラはフラリとした足取りでスラムに歩き出す。これが現実ではないという証拠を探し出すために。

 美しい身なりをしたステラにスラムに暮らす住人たちは好奇の目を向ける。

 美しく揺れる金色の髪に瑞々しい白い肌、清潔な衣類に汚れていない靴。

 どれもこれもこの場所に相応しくないものばかり。

 ステラはそのことに気がつかなかった。

 彼女の姿がここに暮らす人々にどのような気持ちを与えるのか、想像することができなかった。

 ステラは小さな子どもを抱いた母親に近づき声をかけようとしたが、母親の鋭い瞳に思わず身を引いた。

 母親の抱く子供はすでに息をしていない。死んだ子を抱き続けているのだ。

 母親はわが子を守ろうとステラに敵意を向ける。


 違う。私は、そんなつもりじゃないのに。これは本当なの?


 ステラは発しようとした言葉を飲み込み、黙ったまま首を振る。


「……?」


 気がつくと、ステラはスラムの男達に数人に囲まれていた。

 ゾクリ。寒気が走る。

 ステラは初めて自分が過ちを犯していること気がついた。

 男の一人が何やら声を上げると、それを合図として一斉に全員がステラに手を伸ばす。

 ステラは脇目もふらずもと来た道を目指して走りだした。


 恐い、助けて! シエル!


 男たちの怒声と足音が追ってきます。

 捕まれば何をされるかわからない。

 それが手酷いことであることだけは容易に想像できる。

 不意にステラは腕を掴まれた。

 掴んだのは誰?

 どんな手?

 力強い指がステラの二の腕にがっしりと食い込む。


「助けっ……!」


 叫ぼうとした瞬間、大きな手がステラの口を覆う。暗闇でステラは抱きしめられ身動き一つできない。

 もうダメだ……!

 

 ステラは口を塞がれたまま、恐怖のあまり涙を流す。こんな場所でつかまり、自分は一体どんな目に合う?

 身ぐるみを剥がされる?

 男達に弄ばれる?

 奴隷として売られる?

 殺される……?

 引いた血の気がさらに引いた。

 しかし、最悪のシナリオを予想したステラの気持ちに反して、暗闇に引きこんだその男は黙ってステラを抱えたままだった。

 よく見れば口を押えている手にも袖口にも見覚えがある。


「シエ……?」

「シッ、静かに……」


 男達の怒号が通り過ぎる。

 ステラはシエルに抱かれたまま陰から男達が走り去るのを見たのだった。

 足音が遠ざかってからやっとシエルは「申し訳ありません、遅くなりました」と謝罪をする。


「シエル! ……ごめん、私こそ……」


 ステラは知った。この場所こそがルウムーンのもう一つの姿。

 自分が知らなくてはならない場所だったのだ。だが、それを知るにはあまりにも自分は無防備すぎたのだと。


   ★


 あの日、斬られた少女はあのスラムの住人だったのかもしれない。


 長く続く戦はそれに応じた犠牲を伴う。長い戦があのスラムを生んだとのだと老賢者者ハイムは言った。

 そして、その戦いを続けているのは女王の判断なのだ。

 だからこそ、あの少女は無謀にも女王の前に出たのだ。女王さえいなくなれば戦は終わるかもしれないのだから。

 だとすれば、あの時自分が感じた民の視線は錯覚でも誤解でもなく、あれこそが真実。

 落ち込むステラに老賢者シャマイムは深緑の目を細めながら、「姫さま、この度の視察は如何でしたか?」と尋ねた。

 シャマイムが手を回し協力してくれたおかげでステラとシエルは街に出ることができた。彼女は何か言わなくてはいけないと言葉を探したが、その何かは喉につかえるばかりで言葉にならない。

 シャハイムはそれを察して「何か、学ばれたようですな」と穏やかな表情のまま、ゆったりとした夜空色のローブを揺らして彼女の横に腰かける。


「先生、私は街で色々なものを見てしまいました」

「そのようですね」

「先生、ルウムーンの戦は終わることはないのでしょうか?」

「何故、そう思われるのです?」

「それは……」


 ルウムーンの勝利。それがルウムーンのすべての人の願いであり、どんなことよりも優先すべきことだと思っていた。

 でも戦いは終わることはない。

 自分が女王になったとしても戦い続けるものだと思っていたほどなのだから。

 このまま戦いを続けていくことは本当に正しいのだろうか?

 自分が女王になった時、今度は自分の前にあの少女のような子が現れるかもしれない。

 その時、自分は同じように「斬れ」と命令するのか?

 命令をしなければ、あのスラムで囲まれたようなことが、この先もステラには置き続ける可能性だってある。


 ……私には、お母さまのようにはできない。でも……


「一つだけ方法があります」

「えっ?」


 シャマイムは穏やかに澄んだ瞳を向ける。


「もう多くの人の記憶から忘れ去られてしまった……忘れ去られた禁断の魔法があるのです」


   ★


 強力な力がある大昔の魔法。

 今では誰も使わない禁断の魔法。

 その魔法はどのような願いも叶えるという。それを使えば、もしかしたら戦争を終わらせることができるかもしれない。

 シャハイムはそう言った。

 その魔法は、ルウムーンの東、星眠りの森の奥の神殿に眠っているという。


「本当ですか先生!」

「そのような言い伝えがあります。ですが、昔、その魔法を求めて森に向かった者がいましたが何も得ることもなく帰ってきました」

「その人の願いは叶わなかった?」

「はい、何も得られなかったのです」


 星眠りの森はソルハイトの境にもなる。昼間でも薄暗く、夜になれば月の明かりも届かなくなるほど暗い場所だ。その奥に神殿があるなどとステラは初耳だった。

 ステラは部屋で一人になり、寝る時間になっても、星眠りの森と忘れ去られた魔法のことが頭から離れない。


 色々な人の記憶からなくなってしまうほど昔からあるすごい魔法……探しにいった人もいたけど何も得るものはなく帰ってきた……ということは見つけることができなかった? 


 ステラはベッドから跳び起きると一人テラスに立ち、遠く広がる星眠りの森に目を向ける。

 星眠りの森は広い。このテラスから見渡しても端と端が見えないほどだ。 


 探しに行った人がいたけれど見つけられなかった……たまたま見つけることができなかった……?


「もし、そんな魔法が本当にあったら……」


 戦を終わらせることができる。


「そうすれば……」


 私はお母さまのようにならなくてもいい。

 

   ★


 数日後の夜。

 ステラとシエルはシャハイムの協力のもと再び城を抜け出す計画を実行した。

 行先は星眠りの森。

 森の入口で不安そうな顔のシエルが声をひそめ「本当に行かれるのですか?」と尋ねるとステラは自分を奮い立たせるようにあえて大きな声で胸を張る。


「当たり前よ、戦を終わらせることのできる魔法があるのよ! それを使わない手はないわ!」

「カミエさまにこのことをお話しなくてもよろしいのでしょうか?」


 シエルの言い分はもっともだった。

 ステラのこの行動は許されるものではない。それに女王の目を盗み、ステラを危険な森に連れ出したとなれば、シエルも今度こそただでは済まない。


「お母さまは関係ないわ。私がルウムーンの戦を終わらせるの。シエル、恐いの?」


 ステラに睨まれるとシエルは困った様子で首を振る。


「なら、行きましょう。大丈夫、絶対見つかるわよ。シャマイムさまに神殿の場所も教えてもらったんだから」


 ステラ達が星眠りの森へ入ろうとしたまさにその時、遠くの方で騒がしく鳥が羽ばたく。


「あれは!?」


 ルウムーン城の方からいくつもの灯りが見えた。灯りは隊列を組んでこちらに向かって移動している。

馬のひづめと車輪が激しく転がる音がけたたましく夜風を揺らしている。


「あの音、馬……それに馬車……?」

「馬車ですって? それじゃあ、まさか!?」


 あれほどの馬を引き連れ、馬車を走らせる。間違いない女王の馬車だ。


「まさか、私達を追ってきた?」

「城を抜けたことが陛下にバレた?」

「お母さまに捕まるわけにはいかない! シエル、急ぐわよ!」


 捕まればどんな罰が待っているかもわからない。二人は星眠りの森に駆け込んだ。

 灯したランタンの灯りを際限なく吸い込んでしまう深い闇は、右も左もわからなくなくさせる。

 ステラはデコボコとした悪路を歩きながら思考を巡らせる。

 お母さまはどうしてこのことを知ったのだろう? もし捕まったら? ああ、もし捕まったら何と訴えればいい? そうだ、シエルは? 私はまだ許してもらえるかもしれない、けれどきっとシエルはただではすまない。私はなんてことを……


「ステラさま、足元に気をつてけください」


 ああ、今はそれどころじゃないっていうのに! もう、私がしっかりしないとダメね!


「ええ、わかってる。シエル急ぎましょう! 先のことはその時に考えればいいわ!」


   ★


「今すぐステラを連れ戻しないさい!」


 馬車の中で報告を受けた女王は膝まづく兵士に鋭く檄を飛ばす。

 女王は馬車の中で一つため息をつき「あなたには感謝いたします」そう言って向かいに座るシャハイムに礼を言った。


「カミエさま、ステラさまはこの長き戦を終わらせるつもりでいるようですぞ」

「そのために魔法を使うというのでしょう。いいえ、あの子にそんなことできるはずがありません。それに、あのようなものがなくても戦は終わらせることができるのです」

「あなたのように、ですか?」

「方法はたった一つではないのですから」

 女王は憮然としてシャハイムを睨むのだった。


   ★


 星眠りの森の中、二人は暗闇に足を取られながら必死に神殿を目指していた。

 ステラ達の後ろでは松明の灯りがいくつも揺れている。

 追っ手の炎は確実に迫っている。


「このままじゃ追いつかれちゃう!」


 すると突然、シエルが立ち止まる。


「ステラさま、二手に別れましょう」

「えっ?」

「ルウムーンの兵士は優秀です。このままでは追い付かれるのも時間の問題です。私が囮になります。ステラさまはその間に神殿を目指してください」

「そんな……!」

「空を見てください」


 シエルは厚く生い茂る木々のすきまから少しだけ見える星を指さす。


「あの星の方向。あの星の方向がシャハイムさまから教えていただいた神殿の方角です。ステラさま、どうか神殿に向かってください」


 シエルは、ステラが何かを言う前にランタンを片手に走り出していた。


「シエル!」


 シエルの灯りがどんどん遠ざかっていく。

 それに呼応するように松明の集団も進路を変えていく。

 それだというのに深い森の中で一人きりにされたステラは急に心細くなった。

 ステラは遠くへ行ったシエルの炎を今からでも追いたい気持ちになったが、それではシエルの気持ちを無駄にすることになる。

 ステラはここに来て、あのスラムに足を踏み入れてしまった時のような後悔を感じていた。シエルは捕まってしまうだろう。捕まれば、相応の罰が待っている。死罪に問われてもおかしくない。

 シエルしか頼る人がいなかった。このわがままな願いを言って叶えてくれる人はシエルしかいなかったのだ。シエルは応えてくれたが、このことでシエルを失うかもしれない。

 しかし、もし魔法があれば話は別だ。戦を終わらせることができるのならば。 

 もう後戻りをするわけにはいかない。

 松明の灯りも追っ手の足音も遠ざかり、ステラの足も疲れ切った頃、やっとその場所にそこに辿り着いた。

 そこは星眠りの森の中で月光を毛布に静かに眠っているかのようだった。

 そこにたたずむ神殿は、神殿とは思えないほどボロボロで、星眠りの森の闇よりさらに暗くて深い口を開けてステラを待っていた。

 一切の灯りがない通路。

 ステラは勇気を振り絞り、神殿の中へと入る。

 小さなランタンに照らされ、ジワリと光と闇が溶ていく。

 誰もいない。人がいたという形跡もない。まるで遺跡のようだった。

 ひび割れた床、古めかしい様式の祭壇。

 そしてその祭壇の上に一冊の本。

 タイトルはかすれてしまい読むことはできない。ステラはその本をそっと開く。


「きゃあっ!?」


 本を開いた瞬間、本からら小さな闇が飛び出し本の上にフワリと座る。

 

「私を呼んだのはあなた?」


 小さな闇に語りかけられ、ステラはコクンとうなづく。


「あ、あの、あなたが魔法の?」


 小さな闇は優雅にしっぽをユラリと揺らし耳を立ててつつ顔をあげる。


「魔法? ええ、そうね」


 ステラは胸の前で両手を握りしめ、大きく騒ぎ立てる心臓が鎮まるように祈った。

 小さな闇はニヤリと笑い、興味深げに「それであなたの願いとは?」と言った。


 き、来た! 本当に、これが禁断の魔法なんだ!


「私の願い、それは……ルウムーンとソルハイトの戦が終わること。この戦を終えることはできますか?」

「ええもちろん」

「やった!」


 喜ぶステラに小さな闇は「でも、そのかわりに……」と言葉を続ける。


「魔法の代価が必要よ」

「は、はい! どのようなものでしょうか? お金? 宝石? それとも……!」

「代価はそうね……あなたの美しさ」

「えっ?」

「戦を終えるための魔法。それは心を移す魔法」

「心を移す?」

「長く戦を繰り返す人々の心に積もった憎しみや悲しみを消し去ることはできない。だけど、別の場所に移してしまうことはできる。《あなた》がその場所になること、これが魔法成功の条件」

「私にルウムーンの民の憎しみや悲しみを全部移すのですか?」

「戦は一方だけで行うものでないわ。相手の憎しみや悲しみも移さなければ戦は終わることはない」

「その代価が私の美しさ……?」

「憎しみや悲しみをすべて背負ったならば、あなたのその美しく流れるような髪も綺麗な肌も形のよい胸も細い腰も、憎しみに染まり,悲しみが刻まれることになるでしょう。戦を終えるほどのものとなれば、あなたの心すらも今のままではいられないかもしれない」


 憎しみや悲しみをすべて私に移す……そうしたら、私は私でなくなる……?


「どのような姿形になるのか? ふふ、あなたは自分の美しさを犠牲にして、他人の命を救うことを願える?」


 ステラは自分の姿を見た。


 この姿が失われる? 

 醜く変わってしまう?


 ステラはあまりに想像もつかないことに戸惑った。

 同時に母の姿と斬られた少女の姿が脳裏に浮かぶ。


 今なら帰ることもできる。

 お母さまに頭を下げれば、今までと変わらない生活を送ることができる。

 シエルだって私がお願いをすれば、許してもらえる可能性もある。


 でも、戦は続く。


 きっと、ずっと、このまま続く。私が女王になったとしても……

 そして女王になった時、私はあんな小さな子に刃を向けられるかもしれない。


「どうする?」


 女王、母親、生活、日常、戦、将来……

 王女、自分、変化、理想、平和、将来……

 

 ……私は、そんなの嫌だ!


「やります! その魔法で、憎しみと悲しみを私の身体に移してください!」


 小さな闇がコクリとうなづいたかと思うと、その小さな足元から紫紺色の闇が広がった。

 紫紺の闇はすっぽりとステラを包みこむ。まもなくどこからともなく黒い風が神殿内に吹き込むとそれを紫紺の殻が吸い込んでいく。

 鮮やかな紫紺は黒い風を吸い込むほどに濁り淀みを増していく。


「……っ!」


 殻が濁るほどにステラの張りのある白い腕はしぼみ、くすみ、節くれだっていく。それは腕だけでなく、足も、髪も徐々に形を変え、それはもう人の手足だと思えないほど。


 これが私? 憎しみや悲しみでこんな姿に? 


「嫌! 嫌だ! こんな姿になりたくない!」

「ふふ、やっぱり辞めておく? 今なら元の姿に戻ることもできるわよ」

「元の姿に!?」

「ええ、でも戦はなくならないわ。一度揺り動かされた憎しみや悲しみは元に戻ることはない。今辞めれば今後百年は戦が終わることはないでしょうけどね」


 百年は戦が続く!?


「そんなの……私は……!」

 

 ステラは言葉を飲み込みジッと耐えた。早く終われと祈った。しかし、そんなステラの祈りとは裏腹に黒い風は止まない。

 やがて、それは姿形だけでなく、心にまで及んでいく。暗い感情と供に、憎しみと悲しみがステラの心を侵食していく。


「憎い、憎い……!」


 こんなこと思いたくないのに……!


「殺してやる、みんな殺してやる!」


 違う、そんなことを思っていないのに!


 ステラは内側から狂ったように殻を叩く

 後悔。それしかない。こんなことになってしまうとは思わなかった。

 唯一の救いは、シエルがこの場にいなかったことだ。


 だけど、もうシエルには会えない。


 憎しみと悲しみはステラの心を覆う。


 どうして私だけこんな目に……どうして、私だけがこんな姿にならなきゃいけないの? これから先、みんな楽しく暮らすんでしょう?


 ああ、違う! そうじゃない、私が望んだんだ! 望んでこうなったんだ!


 誰が死んだって、殺されたって、穢されたって、飢えたってかまうものか!


 私はそんなもの見たくない! そんなこと思っていない!


 シエル!

 シエル!


 心が醜く堕ちていく。諦めと後悔を抱え、憎しみと悲しみに埋もれていく。

 女王の前に出た少女に対して、女王は「斬れ」と言った。今となってはそれがどれほど慈悲深いものか理解できた。

 ステラは心の中で何度も少女を殺した。考えるかぎりの苦しむ方法で。少し気持ちは晴れない。

 シエル……どこ……?

やがてステラは紫紺の殻の中で意識を失っていった。

 

「ステラさま、遅くなりました」

「……?」

 ステラが目を覚ますと、いつの間にか自分を囲っていた紫紺の殻は消え、かわりに囮になったはずのシエルがステラのことを抱き抱えていた。


「あっ!」


 ステラは咄嗟に自分の身体を隠すように丸くなる。

 しかしよく見れば、人のものとは思えないほどに醜く姿を変えていたはずの手足は白さや肌理細やかさは失われていたものの、元の人の形をしている。 

 美しかった艶やかな髪の色は抜け、肌は白さを失い、顔から足先にかけて稲妻でも駆け抜けたような痛々しく恐ろしい大きな傷を負っていたが、ステラは人の姿を保っていた。


「これは……? シエル、その目!?」

「私も魔法の代価を払いました」

「代価はあなたの美しさと彼の視力によって払われた。長きにわたる憎しみと悲しみは人々の心から消え去った……ふふ、あなたの願い、叶ったのよ」


 小さな闇は少し嬉しそうに声を弾ませ、傷を負ったステラと両目が見えなくなったシエルに別れを告げた。


「そう言えば前にここにやってきたあの娘、戦は自分の手で終わらせるって言って出て行ったけ。ふふ、あの娘は自分のために迷わず両目を差し出してくれるような人には出逢えたのかしら?」


 パタンと本は閉じられ、小さな闇は姿を消したのだった。


   ★

 

 星眠りの森の前で待っていた女王は自分の心の変化に気がついた。

 女王だけでなくこの夜、すべての民や兵士、敵国の人間ですら穏やかな気持ちを感じた。


「ステラさまは上手くおやりになったようですね」

「ええ」


 シャハイムの言葉に見たことがないほど穏やかな顔をした女王が遠く森の方に目を向けながらうなずく。


「勝手なことをなされたとお怒りで?」

「ええ」


 女王はまたうなずきく。そして、母親は穏やかな顔のまま、少し寂しそうに笑い言った。


「あの子は、私を遥かに超えて、私の手の届かぬところに行ってしまった……」

「ステラさまは……」

「あの子は自慢の娘よ」


 女王カミエはステラとシエルを追うことをやめ静かにルウムーン城へと引き返した。

 それからルウムーンとソルハイトの両国には平和が訪れた。

 けれど ステラとシエルの二人が女王の前に現われることは二度となかった。


   ☆彡


 その地を訪れた君は、そこで出会うものにまずおそらく顔をこわばらせることになるだろう。そしてそのこわばりが驚きへと変わるのにそれほど時間を要しないと思う。

 街から離れたその場所には、痛々しく目を覆いたくなるような大きな傷を持つ女と盲目の男の夫婦が住む。

 二人の姿はどこか悲しくてどこか恐ろしい。

 しかし、そこを訪れた者はすぐに別の驚きを覚えることになる。恐怖は嘘のように消え、頬には思わず笑みが浮かぶ。

 それは美しく天使のような子が無邪気に笑い、ここへ訪れる君を歓迎してくれるからだ。

 君がこの星と風の物語を少しでも耳にしたことがあるのなら、この子の笑顔の意味がわかるだろう。


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